詐欺のワナはすぐそこに!

 朝、珍しくショートメールが入っていた。いつも来るのはauつまりKDDIからのお知らせで、今回もそうだろうと思った。ぼくの知っている人は、たいていLINEでメッセージを送ってくるし、そうでなければふつうのメールで来る。

 ショートメールの細かい文字を読むと、こんなことが書いてあった。

 <有料動画閲覧履歴があり未納料金が発生しております。本日ご連絡なき場合は法的手続きに移行します。DMM相談窓口 03-6635-9118>

 有料動画を閲覧した記憶はまったくない。でもDMMというのはどこかで聞いたことがあった。料金未納というのは何かのまちがいではないか。

 とりあえず、その番号にかけてみた。相手はこう言った。「ショートメールに何と書いてあります?」。そのまま読むと、「それじゃ、ご本人確認をします」

 氏名、生年月日、住所を言わされた。でも住所の漢字がわからないようすで、漢字説明をさせられた。そのとき、おかしいな、とは思った。相手のモニター画面にはこちらの個人情報が表示されているはずだから、それにあった答えをすれば、本人とすぐ確認できるはずだ。これまで、こういうことを何十回もしてきたから、通常の本人確認のルーティンは知っている。

 「有料動画なんて見た記憶がありませんけど、いったいどこのサイトですか?」

 「ちょっと待ってください。・・・カリビアンコムというサイトです」

 「請求金額は?」「38万6000円となってます」

 なんと! 「身に覚えがありませんけど」

 「2015年10月以降の長期未納で、あなたはすでに強制退会となってます」「退会ということは、会員登録したことになっているのでしょうが、そんなことしていません。カリビアンコムってたしかエロ動画のサイトでしょ。そんなところに登録なんてしませんよ。第一、支払いの請求が来たこともまったくないし」

 「請求書を受け取らない設定になっているんじゃないですか。そういうケースはよくあるし」「そんな馬鹿な」「支払いをする気はないんですね。当社はカリビアンコムからすでに請求権を引き継いでいますので、払わないなら、すぐに裁判手続きに入ります」

 DMMのお兄ちゃんは、相当いらだっていた。話にならないから、電話を切った。とはいえ、ちょっと心配で「国民生活センター」の相談窓口をパソコンで検索した。画面の上位に何社か、「アダルト請求トラブル無料相談」といったサイトが並んでいる。そのひとつに電話をした。事情を話すと「100%解決する方法があります」と言う。

 不審に思ったのは、そのサイトには会社名も電話番号以外の連絡先もすぐには見つからないことだった。「御社は何という名前ですか?」「サイトを見たんでしょう。会社名も知らないでかけてきたんですか?」「で、何という会社ですか?」「株式会社ソ○○ンです」「え?、どんな字を書くんですか?」「ローマ字でSO○○Nです」

 「請求をやめてもらうのには手数料がいくらかかるんですか?」「7~9万円です。相手企業の調査と交渉で1週間はかかるんです。ショートメールが来たっていうことは、相手に電話番号が知られているわけですから、きちんと対応しないとまずいですよ」

 これは明らかに詐欺だと思った。DMMとSO○○Nはつるんでいるのではないか。

 「もうちょっと検討してから、かけ直します」「すぐに手を打たないと、手遅れになりますよ」「それなら、小一時間以内にかけ直しますから」

 電話を切って、国民生活センター相談窓口に電話したが、混み合っていてつながりそうにない。それならと、島根県の消費者センターへ電話した。対応した職員はとても親切で、こちらの事情説明をじっくり聞いたあとこう言った。「それは架空請求詐欺のひとつですね。念のため、ショートメールの文言を正確に読み上げてくれませんか」

 職員さんによると、DMMについての相談がすごく多いそうだ。「ショートメールはあてずっぽうに電話し、折り返しかかってきた相手から個人情報を聞き出すやり方です。あなたの場合は、すでに個人情報を取られてしまったから、今後もいろんな請求が来るかもしれません。でも一切無視すれば大丈夫です」

 SO○○Nというのは、あとで検索すると全然関係ないウェブ制作会社がその名前で、問題のサイトには会社名がない。そのサイトをよく見ると、探偵業○○○号と一番下の方に小さくあった。これが認可番号なのだろう。本業は興信所だが、詐欺グループと手を組む悪徳な輩がいる、と消費者センターの職員さんは言っていた。

 詐欺組織はどういうことになっているのか、改めて、国民生活センターという“消費者の味方の総本山”を検索しようとすると、「消費者被害アダルトセンター」「消費者相談センター」などといったもっともらしいサイトが、すぐに表示される。

 あるウェブの専門家に聞いたら、そういうのはリスティング広告と呼ぶのだそうだ。ワンクリック当たりいくらの広告費を払うか、オークション方式で落札した業者の広告サイトが上位に表示される仕組みという。クリックひとつに1000円を払う業者もいるという。

 ネットの世界は怖い。国民生活センターのすぐとなりには、詐欺の罠のサイトが口を開けて待っている。

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左利きでも大和撫子か

 ♪わたしのわたしの彼は 左きき♪ と歌っていたのは、麻丘めぐみさんだったか。調べると、1973年のヒットソングだというから、ずいぶん時間が流れた。

 そのころ、おなじクラブで親友だったNが左利きで、ギターの弦もふつうとは逆に張って、ぼくといっしょにフォークソングを弾いて歌ったものだった。左利きのギタリストなんて身近にいなくて、なんだか新鮮だった。

 でも、女性の場合はやっぱり右利きのほうに好感がもてる。和服を着て左手にお箸を持って懐石を食べている姿などをみると、心が萎えてしまう。左でお茶を点てる人なんているだろうか。やはり、「和」は右利きの文化だ。

 いつもはヌードグラビアなどが載っている週間ポストの巻頭に、「左利きはつらいよ」という特集があった。左利きは、全人口の1割強とされていると知った。ここで言う全人口は、日本のことだろう。

 欧米では左利きの人が、日本よりかなり多いことを経験としてぼくは知っている。それこそ文化の違いで、ナイフを右手に持ってステーキを食べようが、コーヒーカップを左手で持とうが、見ていてそんなに違和感はない。

 さて、記事には、左利きでつらい点が列挙されている。

 〈英語の授業で手が真っ黒になる〉

 これは、万国共通だ。欧米でも、左利きの人は横文字を書きずらそうに書いている。最近のインクを最小限に使うボールペンなら、左手で書いても真っ黒になることはそうないだろう。ところが、欧米では、小切手や契約書のサインは万年筆で書くのが正式とされるから、どうしても手は汚れる。いまでは、インクがにじまない万年筆なるものがあるのかもしれないが。

 〈ゴルフの打ちっ放しが気まずい〉

 これはわかるなぁ。ゴルフ練習場では、たいがい、左用の打席は一番右端にあることが多い。そこで、さてクラブを構えると、目の前の人はこちらに向かって打っている。どうしても目が合ってしまうのだ。ぼくも、一度だけそういう経験をしたことがある。お互いに集中できなくなって、フォームもぐちゃぐちゃ、ボールは左へ右へとなりかねない。

 〈ボウリングで指が痛くなる〉

 これは初めて知った。貸しボールには左用はあまりないのだろうか。右利き用だと中指がきつくて指が痛くなるそうだ。逆に薬指はブカブカで、とてもいいスコアは期待できそうにない。そういう人はマイボールを持つしかないだろう。

 〈パソコンを右利きに使われると「マウスがない!」〉

 左利き用のパソコンというのはあるのだろうか。キーボードは両手で打つから慣れるだろうが、マウスの接続コネクタは右側についているのしか見たことがない。もっとも、ぼくがいま使っているワイヤレスのマウスなら左でも使えるだろう。ワイヤレスを買ったのは、わが家に出没するマウス(ネズミ)にケーブルをかじられたからだったが。

 〈銀行・役所の「紐付きペン立て」は天敵〉

 これは左利きじゃないと絶対にわからない問題だろう。どんなに紐を引っ張っても左には届かない。でも、フジテレビ系『クイズやさしいね』じゃないが、いまどき、左手でも書ける紐付きペンはありそうな気がする。

 さて、「左利きで苦労したことはありますか?」という100人アンケートに64%が「はい」と答えている。これは意外に少ない数字かもしれない。「日本語の『はらい』や『はね』は右利き前提なので習字の授業は苦労した」(32歳男性)。「会社の電話が左側に置いてあるため左手でメモしにくい」(23歳女性)

 欧米より日本のほうが左利きが少ないのは、衣食住をはじめ生活文化がすべて右利き前提だから当然かも知れない。

 そう言えば、ぼくのおばあちゃんは、左利きを直す名人だった。いちどだけ、それに立ち会ったことがある。近所のおばあさんに、「孫を直してくれ」と頼まれたおばあちゃんは、その子をわが家に呼んで仏壇の前に座らせた。そこに料理のお膳を運んできて「さあ、右手でゆっくり食べてごらん」と言った。

 その子は、慣れない右手にお箸を持ちごちそうを食べはじめ、ずいぶん時間はかかったが、完食した。「仏さんの前で食べられたから、もうこれからは右手が使えるからね」。おばあちゃんは、きっと暗示をかけたのだろう。後日、近所のおばあさんは「左利きが直った」とお礼にきた。

 ぼくの息子も、初めは左手でものを食べ出した。かみさんが、そっと子ども用フォークを右手に持たせて食べさせるようにすると、自然に右手で食べるようになった。でも、サッカーをするときは左足が利き足だ。スポーツはそれでいい。物心がついて間もないころなら、左から右へ修正するのはそうむずかしくないようだ。

 実は、かみさんも本来は左利きらしい。財布を右手に持ち左手でお金を払う。もし、かみさんが食事やペンも左手だったら、ぼくは結婚していなかったかもしれない。大和撫子の必要条件は右利きだ、という独断と偏見を持っている。

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続・郵便局はやっぱりおかしい

 小泉純一郎氏が「郵政民営化」を叫んで国民を煽り、総選挙で勝ったのは2005年だった。それから2年後、郵政は民営化されたと言われている。でも、ほんとにそうなのか。

 思い出すのは、国鉄の民営化だ。ストに明け暮れサボタージュも横行して“職場崩壊”していた国鉄が、いったん民営化されると劇的に変わった。少なくとも、乗客の立場からはそうみえた。

 JRとなった新しい民間鉄道会社の職員が、ホームに整列して出発する列車の乗客に頭を下げる光景は、くり返しニュースで流れた。「ああ、やっぱり変われば変わるものだな」と思わされたものだ。

 それにひきかえ、民営化された郵政はどうか。郵便局株式会社、郵便事業株式会社、株式会社ゆうちょ銀行、株式会社かんぽ生命保険に別れたそうだが、どこがどんな仕事をしているか、ある程度でも知っている人がどれだけいるだろう。利用者からみると、窓口が複雑になり利便性が一段と低下したとしか思えない。

 ぼくは東京近郊から出雲へUターンして3年が過ぎた。引っ越しするとき、当然ながら転居届けを最寄りの郵便局に提出した。転居届けの有効期間は「1年」と局員に言われた。9月26日に引っ越したから、9月27日から1年間は、郵便物を転送してもらえるものと信じていた。

 ところがある日、出雲のわが家に転送されてきた葉書に張られたシールをみると、「転送期間:2014・8・31迄」となっている。そんな馬鹿な。つまり、9月1日から26日は空白期間となる。その間に旧住所へ送られて来たものは、どこへ消えるのだろうか。

 ぼくは、郵便局を利用するとき、母が入所している施設に近い出雲市斐川郵便局に行くことがほとんどだ。自宅の近くにもあるが、交通量の多い国道沿いで駐車場もぎりぎり2台しか停められないので、かえって行くのが面倒になる。

 斐川郵便局へ行き、空白の期間についてある女性局員に質問した。もちろん、シールの張られた葉書を持参していた。

  「9月27日から1年間の転送を依頼しているのに、このシールをみると、8月一杯で転送サービスは終わることになっているんですよ」  そう問い詰めると、葉書を手にした職員は「こんなケースは初めてです。申し訳ないですけど、今度は9月1日からの転送届けを書いてもらえますか」  転送期間の空白については、その郵便局にいた誰も理由がわからなかった。しかたがないので、日付を手前に27日間だけずらした転送届けを書いて職員に渡した。仕事の関係もあって、転送は何年間かつづけてもらわないと困るのだ。

 それからしばらくは、転送シールをチェックすることも忘れていた。

 そして2016年つまり今年の6月、シールをみると、「転送期間:2017・7・31迄」となっている。つまり、またも転送の空白期間が生まれているのだ。それまでの2年間に、実際には空白期間があったのに、ぼくが気づかなかっただけではないかと思った。その間に、もし重要書類でも行方不明になっていたらどうしよう。

 前に斐川郵便局へ行ったとき、職員は「転送開始日より1か月ほど早く届けを出してもらえば、確実ですから」と言っていた。しかし、早めの届け出はむしろ空白期間を広げるだけだったことになる。  ぼくは相当頭にきた。斐川郵便局へ乗り込んで今度は男性の局員を相手に、これまでの事情を話した。その際、転居届けの「お客さま控え」と転送シールの張られた葉書を証拠として持参した。

 「お客さま控え」には「転居届受付番号」としてアルファベット付き9桁の数字が印字されている。「ここに受付番号があるから、どういういきさつで空白期間が生まれたか調べておいてください。近いうちにまた来ますから」

 後日行くと、局員は東京にある日本郵便株式会社の「転居届管理センター」へ電話して、確かにぼくの届けでは、「転送開始希望日」が「2016年9月1日」となっているという。

 それならどうして、転送期間が「2017・7・31迄」となっているのか。そこにいた局長以下全員に聞いてみたが、誰もその理由を説明できなかった。それでもプロか!

 埒があかないので、後日時間があるときに出雲市平田郵便局へ寄って、おなじことを聞いてみた。窓口の女性局員ふたりとも「わかりません」「どうしてでしょうね」と言うだけなので、郵便課長という男性を呼んできてもらった。

 課長はさすがにことの重大さがわかり、その場ですぐ「転居届管理センター」へ電話した。その答えはちょっと信じられないものだった。

 「転送届の用紙には、たしかに転送開始希望日を書く欄がありますが、センターでは転送届が全国の郵便局から送られてきた日をもって転送開始手続きをとるのがふつうのようです」。そんな馬鹿な。転居届の用紙には、「届出年月日」と「転送開始希望日」の欄があるのに、後者はセンターの現場で無視されているわけだ。

 しかも、一線の郵便局員の誰ひとり、ぼくが指摘するまでそれを知らなかった。ぼくはちょっと大きな声で言った。「ふつうの民間会社なら、とっくにつぶれてますよ!」

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米大統領選では、既存メディアも敗北した

 2015年はテロの年だった。2016年はどうなるかと思っていたら、政治激動の年になった。イギリスのEU脱退を決めた国民投票、韓国の朴槿恵大統領をめぐるみっともない国家的スキャンダルときて、最後はアメリカ大統領選でドナルド・トランプ勝利の激震が世界に走った。

 いつ以来かと考えてみたら、まちがいなく1989年以来だろう。あのころ、ぼくはニューデリー特派員として担当エリアの南アジア8か国、さらに、東南アジアへの出張に明け暮れた。硬直していたアフガニスタン情勢が動き出し、それにともなって地域の政情が混迷した。天安門事件があり、ベルリンの壁が崩れた。

 トランプの辛勝を受け、選挙中の「トランプ劇場」から勝利後の「トランプ革命」へと連載タイトルが変遷した新聞もある。

 アメリカの大統領選が、あれほど面白くなるとは思ってもみなかった。開票の日、フジテレビ系の『バイキング』をみながら、かみさんと昼食を食べていた。日本時間の午後1時ごろには当落が判明されると言われていたが、とてもそんな状況ではなかった。NHKに変えると、しかめ面をして開票状況を伝えるだけで、面白くない。お昼の時間帯に大統領選をやっている民放は、どうやらフジだけで、夕方まで観つづける結果になった。

 スタジオのタレントがボケを入れたりそれに突っ込んだりして、視聴者の興味をつないでいく。出色だったのは、NHK出身のジャーナリスト木村太郎氏が、1年前から一貫してトランプ勝利を主張し、どうやらその予測が現実になりそうなことだった。

 今回の大統領選で、アメリカのテレビやタブロイド紙は、トランプをとことん取り上げた。人種差別や女性蔑視の発言を「視聴率が取れればいい」「新聞が売れればいい」と面白おかしく報じた。

 アメリカのマスメディアの8割はリベラルとされる。リベラルとは本来「自由主義的な」という意味で、政治的に穏健な革新を目指す立場をとることを意味する。だが、CNNテレビやニューヨーク・タイムズといった主力メディアは「左翼」と言ったほうが実態に近いのではないか。

 その自称リベラルなマスメディアは、ヒラリーの巨額金銭疑惑には口をぬぐい、そろいもそろってヒラリー優勢を伝えていた。その根拠は各種世論調査のデータだった。

 ぼくも新聞社で世論調査の設計や分析に当たっていたことがあり、ある程度は裏表を知っている。いまの世論調査は統計学によりかかり過ぎていて、回答者がなぜそう答えたのかといった心理学的な分析はほとんどしない。

 現在のアメリカでは、人種差別や女性蔑視を否定するのが“良識”とされている。しかし、日本史も研究する米歴史学者ジェイソン・モーガン氏などによれば、アフリカから大量の黒人を奴隷として連れてきたのも、アメリカン・インディアンを千万人単位で虐殺したのも新大陸へやってきた白人だった。その血まみれの歴史は人種差別どころの話ではない。そして、いまも人種差別は厳然としてある。

 また、経済学者の高橋洋一氏はこう書いている。「ちょっといいにくいが、筆者としてはクリントン氏が女性であったことも(負けた)一因だと思っている。アメリカで数年も暮らした経験があれば、建前は自由平等であるが、実は偏見に満ちた差別社会であることを体感しているはずだ。筆者のある友人が、こっそり本音を言ってくれた。(大統領には)黒人(オバマ)だけでいいだろ、女性は勘弁して欲しい、と」

 トランプの女性蔑視を「ある程度問題」と考える人の75%が、トランプに一票を入れたそうだ。自称リベラル・メディアのきれい事とは別に、有権者の多くは本音で投票した。こういう本音は世論調査データには表れない。

 左傾化したアメリカの大半のマスメディアは、反トランプで足並みをそろえていた。有力100紙のうち57紙がヒラリー支持を打ち出し、トランプ支持はわずか2紙だった。

 ニューヨーク・タイムズの発行人、アーサー・サルツバーガー会長は、今後、トランプを「公正に」かつ「偏向せずに」報道することを約束した。つまり、敗北宣言だ。

 トランプ陣営は、既存のメディアに対抗しネット戦略に訴えた。東大教授でアメリカ研究者の矢口祐人氏は、こう述べている。

 「どこまで意識的にやっていたかはわかりませんが、トランプ支持者にとっては、インテリが読むニューヨーク・タイムズの何ページにもわたる検証記事より、彼のSNSでの発信のほうが圧倒的に読まれている。そして、強く突き刺さり、シェアもされていく」

 トランプ自身、当選後、あるテレビでこう自慢げに語った。ソーシャルメディアは「最高のコミュニケーション手段」であり、「フォロワーは2800万人に上り、このインタビューの前日にも新たに10万人増えた」

 既存のメディアとネットメディアの対決で、後者が勝ったとも言える。

 実は、朴槿恵大統領の絡むスキャンダルを、韓国の既存メディア関係者は知っていたとされる。そのなかで醜聞をスクープしたのは、新興メディアのケーブルテレビJTBCだった。既存の政治・エスタブリッシュメントの失墜と既存メディアの失墜が重なるのは、偶然ではない。

 わが国でも、近く、おなじことが起きるだろう。

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あの韓国メディアが、手のひらを返しはじめた

 NHKのBS1で、サッカー皇后杯3回戦のAC長野パルセイロ(なでしこリーグ1部)と日体大女子サッカー部(同2部)の試合を中継していた。かみさんは長野市の生まれ育ちで、長野パルセイロの男女チームを応援している。

 好ゲームで延長戦の末、長野が2:1で逆転勝ちをした。かみさんと観ていて、ほんとに面白かった。日本の女子サッカーは、底辺が広がった上にここまでレベルも高くなったのかと感心した。

 そうすると、どうしても、お隣韓国のことを思い出してしまう。かの国では、スポーツの裾野を広げようという発想も政策もなく、小学生で運動神経がいい子だけを選んで、ひとつのスポーツに集中するコースを歩ませる。日本には全国4000校以上に野球部があるが、韓国では50数校しかない。それでも、WBCなどでは強いものの、大半の子どもたちは、スポーツの楽しさや青春を賭けて勝負に挑む〈汗と涙の体験〉も知らないまま、大人になるわけだ。韓国女子サッカーの事情もだいたいおなじだろう。

 スポーツエリートとしての道を歩み、世界で活躍できればいい。だが、怪我などでスポーツを断念するしかなくなった若者は、一般社会で生きて行ける学業や常識に欠け、一生を棒に振ることになると、ある有名バレーボール選手が言っていた。

 この一点集中方式は、スポーツにかぎらない。政治でも大統領に強大な権力が集中している。その権力が国民のため公平に行使されていればいいが、そうではなくなったときがもろい。  いま、朴槿恵大統領の親友とされる女性が国政に介入し、さまざまな利権を漁っていた疑惑が持ち上がり、大騒ぎになっている。一点集中方式の弱点が、最悪の形で出てしまった。

 さらに、韓国人の自信とプライドをずたずたにする不祥事も起きた。日本のトヨタにも匹敵する韓国経済界の雄・サムスン電子が、考えられないほどの窮地におちいっている。まず、新型スマートフォン「ギャラクシーノート7」の発火・爆発トラブルが問題となり、回収と発売停止を余儀なくされた。

 さらに、アメリカで販売している洗濯機の一部が、洗濯中に爆発してふたが吹き飛びけがをするおそれがあるとして、リコールすると発表した。約730件のトラブルが報告され、9人があごなどにけがをしたという。リコールの対象となるのは、2011年3月以降に製造された34のモデルの洗濯機で、およそ280万台にのぼるという。

 現代自動車の業績もひどいとされる。政治も経済もがたがたの韓国で、いま人びとは何を考えているだろうかと思っていたら、産経新聞電子版が興味深い記事を載せていた。韓国メディアが、安倍晋三内閣の「アベノミクス」を称賛しはじめたというのだ。

 韓国のメディアは、これまで首相を「タカ派」と呼ぶのはまだいいとして、「極右」「軍国主義者」などとさんざんののしってきた。  ところが、評価を一変させ、返す刀で「長引く不況から抜け出せない自国の経済政策に批判の矛先を向けている」というのだ。

 中央日報日本語版コラムのタイトルはズバリこうだった。

 「安倍首相の経済リーダーシップがうらやましい」

 日本語版は、韓国語版から日本に関係のある記事をピックアップし翻訳したものだ。

 反日で見栄っぱりの韓国人ジャーナリストが、ここまで率直に日本の保守政治家を称賛した例を、ぼくは知らない。

 コラムは第二次安倍内閣が実施した金融緩和、財政出動、成長戦略の3本の矢による経済政策について、「デフレからは抜け出せていない」としながらも、「アベノミクスがなければ日本経済の沈滞はさらに深刻だっただろう」と推測する。そして「安倍首相の指揮の下、日本経済はあちこちで閉塞感が消え、活力を取り戻している」とした。

 さらに、安倍政権が進める農業改革、外国人労働者受け入れ策、子育て支援を中心とした少子化対策、インバウンド消費拡大を狙う外国人旅行者受け入れ策などを積極的に評価し、一方で、ロシアとの北方領土返還交渉にも触れ、「日露の経済協力が進めば、日本企業は新たな投資先を開拓できる」と分析した。

 朝鮮日報日本語版も「赤信号の韓国経済、政府は非常対策委を設置せよ」と題した社説で、韓国経済は危機的な状況にあるとした上で、「日本は20年間の長期不況の泥沼を脱し、活力を取り戻した。これも安倍首相の強く一貫したリーダーシップのおかげだ」と指摘した。  朝鮮日報は、別の日にも、「経済と社会の活力は、わずか数年で韓国が日本に逆転された。韓国に最も必要とされているのは、まさにこうしたリーダーシップだ」と書いた。

 ついこのあいだまで、日米を無視し中国にすり寄っていたのは何だったのか。ここまで手のひら返しをされると、あきれるほかはない。

 反安倍の朝日新聞は、こういう記事を絶対に載せない。いかに安倍首相が内外で高く評価されているのか、なぜ内閣支持率が6割を超すほど高いのか、朝日しか読まない読者は決してわからないだろう。

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人工知能でいらなくなる職業、生き残る職業

 人工知能(AI)についてのニュースが、このところ急激に増えている。2016年夏、60代の女性患者の白血病が治療のむずかしい特殊なタイプだと、人工知能が見抜き、医師に適切な治療法の助言をして、患者の回復に貢献していたというニュースが伝わった。

 人工知能が膨大な医学論文を学習し、治療法を提示した。治療した東大医科学研究所は「医療へのAI応用に大きな手応えを感じた」としている。産経新聞が伝えた。

 あまり大きなニュースとはならなかったようだが、これは大変なことが起きていることを示唆している。近い将来、病院へ行っても医師の診察をまず受けるのではなく、MRIやCTなど医療器具に体を預け、膨大な医学分野のビッグデータをもとに診断を受け、その補助として人間の医師がアドバイスする日がやってくる。

 東大医科学研究所が使ったのは、アメリカのクイズ番組で人間のチャンピオンを破った米IBM製の「ワトソン」という人工知能だった。東大は昨年からIBMと共同で、がんに関連する約2千万件の論文(ビッグデータ)をワトソンに学習させ、臨床研究を実施した。

  女性患者のがんに関係する遺伝子情報をワトソンに入力したら、急性骨髄性白血病のうち、診断や治療が難しい「二次性白血病」という特殊なタイプだとわずか10分で見抜いた。

 ワトソンと言えば、名探偵シャーロック・ホームズの助手である元軍医の名前だ。人工知能のワトソンが治療法の変更を提案し、臨床チームは別の抗がん剤を採用した。その結果、女性は数か月で回復して退院し、現在は通院治療を続けているという。

 ここではすでに、人工知能が主役であり人間の医師はアシスタントのような立場に甘んじている。つまり、助手のワトソンが主役で名探偵ならぬ人間のベテラン主治医は助手のような役どころとなっている。こうしたケースは決して例外ではなくなりつつあるようだ。

 中央公論は、「人工知能は仕事を奪うのか」という特集を組んだ。あるページには「人工知能やロボット等による代替可能性が低い100の職業」のリストが掲載されている。これは、人工知能やロボットがいくら発達しても、仕事をおびやかされる恐れの少ない専門職の一覧とも言える。

 リストにある医療関係をみると、まずまず安泰な職業として外科医、内科医、産婦人科医、精神科医、小児科医、歯科医師、獣医師、助産婦、医療ソーシャルワーカーがあげられている。

 とは言え、ワトソンの活躍にみられるように、これまでは内科医が個人の知識と経験から診断し治療法を考えてきたが、これからはその主体が主に人工知能になる。医療用ロボットも日進月歩で開発が進んでいる。外科医なども安泰ではなくなるかもしれない。

 医療以外で生き残れそうなのは、いずれも専門職だ。アナウンサー、アロマセラピスト、インテリアのコーディネーターやデザイナー、音楽教室講師、映画監督、映画カメラマン、博物館・美術館の学芸員(キュレーター)、広告ディレクター、コピーライターなどなどがある。

 作詞家、作曲家、ミュージシャンも代替可能性が低いリストにいちおうは入っているが、果たしてそうだろうか。すでに、パソコンでも作詞や作曲のソフトはそうとう優れものが出回っている。それに人工知能を搭載すれば、天才的作詞家や奇才の作曲家が誕生する可能性はある。「以前は、人間の作詞家や作曲家がいたよねぇ」という時代がくるかもしれない。

 スポーツ関係では、インストラクターやスポーツライターがリストに入っている。しかし、この分野でもビッグデータを利用した鍛錬法や筋肉運動がすでに一部で取り入れられており、そうした最先端の技術を実践指導で使いこなせないインストラクターなどは、すぐお払い箱になるかもしれない。

 マスメディア関係ではどうだろう。リストにあがっているのは、放送記者や放送ディレクター、報道カメラマンなどいずれもテレビ関係だ。

 しかし、ぼくの知る限り、インターネットが普及してから、放送関係者の総合的な能力はかなり落ちている。放送記者を例にとれば、まず現場へ行くのが主務だし、こまめに人に会って体温のある情報を集めなければ、存在意義は失われてしまう。すでに、ネット情報を集めて小器用に「料理」してニュースを仕立てる「足腰のない」幽霊のような記者がたくさんみうけられる。

 スパイ・諜報の世界には「ヒューミント」と言って生身の人間からもたらされる情報を重視する伝統がある。いまのメディア界ではそのヒューミントがあまりにも軽んじられているように感じる。ネットで集めた情報やビッグデータを参考とし、それにヒューミントを加味すれば完璧なのだが。

 中央公論のリストには、なぜか新聞記者も雑誌記者も、その総称としてのジャーナリストという言葉も入っていない。紙の新聞はたしかに斜陽産業だが、紙がネット上のメディアに代わったとしても、本当に価値のある情報を発掘して広く伝える使命をもつのは、やはりジャーナリストであろうと、ぼくは自負している。

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タクシー事情、東西南北

 初めての国や日本国内の都市へ行ったとき、最初の地元情報をもたらしてくれるのは、タクシー運転手さんの場合がよくある。何と言っても街をよく知っているし、毎日、さまざまなお客さんを乗せているから口コミ情報にも通じている。

 ぼくは、特派員をしているころ、どこかの国の街で取材の時間がぽっかり空いたときなどには、タクシーに乗ってその運転手さんの自宅へ連れて行ってもらったりした。「お宅をみせてくれませんか?」と頼むと、まずたいていの運転手さんはびっくりするが、こちらが日本の特派員であることを話し、「この街のふつうの人びとの暮らしぶりを知りたいので、それにはあなたの家庭をみせてもらうのが一番てっとり早いから」と説得する。

 もちろん、ある程度、言葉が通じるときに限られるが、だいたい運転手さんはOKしてくれる。

 あるときは、インド洋に浮かぶスリランカの最大都市コロンボで、運転手さんの自宅へ行った。街中心部から約20分郊外に走った緑豊かなところにある、かなりゆったりした一軒家だった。突然の訪問だったのに奥さんが快く迎えて、お茶を出してくれた。奥さんは英語があまり話せないようだったが、運転手さんに、街のこと、家庭のこと、タクシー会社のこと、そしていま学校へ行っている子どもたちなどのことを聞いた。

 運転手さんは日本のことを知りたがったので、ぼくもいろいろ話をした。取材では、どうしても政府の官僚や政治家などに会うことが多いが、こうして庶民の本音を聞き出すと、その国の事情が立体的にわかり、記事に厚みが出せるような気がした。

 おなじタクシーと言っても、国によって事情は大きくちがう。パキスタンでタクシーに乗ると、運転手さんは必ずと言っていいほど、こちらの行きたい目的地に直行してはくれなかった。まず、ガソリンスタンドに寄って走行にとりあえず必要なだけ給油し、それから目的地に向かう。

 パキスタンはまだ貧しい国で、ガソリンを常に満タンにして客を待つ金銭的な余裕がないからのようだった。こっちが急いでいるときには頭に来るが、「郷に入っては郷に従え」でしようがない。でも、運転手さんのマナーは良く、親日国家だから不愉快な思いをしたことはなかった。

 国や都市によっては、タクシー運転手が、密かに提携している土産物店などへ客を誘導しようとするケースがあるが、パキスタンではそんなこともなかった。料金をぼったくられたこともほとんどない。そういう意味では、料金制があってないような東となりのインドよりずっとましだった。

 さて、タクシーと言えば、あるとき、世界各国の特派員がつくる団体が、「どの国のどこの都市のタクシー事情がいいか」アンケートをとったことがある。その結果、東京のタクシーがベストに選ばれた。料金が明朗で、運転手のサービスもいいことが理由だった。

 しかし、ぼくはドイツへ赴任しヨーロッパ各国へ出張する機会をもつにつれ、ドイツのタクシー事情こそ世界一だろうと思った。

 まず何と言っても、ドイツのタクシーのほとんどはメルセデス・ベンツで高級感がある。たまにアウディやBMWのタクシーに出会うと、これは珍しいなと思ってしまう。料金はもちろんメーター通りだけ払えばいいから、日本とおなじ明朗会計だ。

 こちらがスーツケースなど大きな荷物をもっていると、運転手さんはさっと車を降りてトランクに入れてくれる。その身のこなしは、東京の運転手さんよりよほどさっそうとしている。

 ある運転手さんに聞いた話だが、ドイツではタクシー運転手になるとき、日本で言う2種免許取得とは別に資格試験があるという。都市によってはトルコ人など移民の運転手も多いから、まず、ドイツ語の基本会話ができなければならない。それに加え、テリトリーとする都市の道路状況もある程度覚えておかなければならないそうだ。

 もちろん、露地まですべて頭に入っている運転手さんは少ないが、そこそこの通りだったら「よく知っているな」とこちらが感心するほどの知識がある。

 ドイツ語には、じつに多彩なあいさつ言葉がある。「良い夕方をお過ごしください」「素晴らしい週末になりますように」などなどだ。乗ったとき、降りるときに、運転手さんに一声かけてもらうとフレンドリーな空気が生まれる。これは東京のタクシーではあまり期待できない点だろう。

 ドイツのタクシーにひとりで乗る場合、習慣として客は助手席に乗る。運転手は男性が多いから、若い女性がひとりのときは後部座席に乗ることもあるが、ぼくにとっては運転手さんとおしゃべりしながら走行できて、じつに楽しかった。

 あるとき、運転手さんがこう言った。「日本にはまだ行ったことはないけど、この夏、1か月ほどタイに滞在しましたよ。東洋はエキゾチックで楽しかったな」

 ドイツ人やドイツへの移民はモーレツに働くが、それはウアラウプ(長期休暇)を楽しむためだ、という有力な説がある。タクシー運転手さんでも、1か月以上の休みを取り、ゆったりと海外のリゾート地で時間を過ごす人生の余裕がある。

 この点で、東京のタクシー事情は完敗ではないだろうか。

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『とと姉ちゃん』にみるNHKの欺瞞

 連続テレビ小説『とと姉ちゃん』が終わった。実際に発行されていた生活雑誌『暮しの手帖』がモデルとされる。雑誌社を作った3姉妹の長女・常子は、若くして病死したとと(父親)の代わりに妹ふたりを育て、「とと姉ちゃん」と呼ばれていた。

 わが家でも毎朝、予約録画しておいて、たいていはお昼を食べながらみた。最大100万部を突破したあの有名な雑誌が、どんないきさつでどんな人たちによって作られていたか、興味があった。ドラマは基本的にはフィクションだが、敗戦から高度成長期に至る時代の空気というか活気が感じられるのではないかと楽しみながらみていた。

 メイド・イン・ジャパンの製品がまだ粗悪で、公正な商品テストをくり返すエピソードなどは、現実でも『暮しの手帖』の真骨頂だった。天才肌で編集部員にきびしい花山編集長(唐沢寿明さん)とぶつかりながらも、いい雑誌、理想の雑誌を作り上げようとする常子(高畑充希さん)の物語には好感がもてた。

 ドラマの最終盤、花山編集長がひとりで広島へ取材にいく。戦地体験のある自分が、広島の人びとは戦時中、何を考え、何を体験し、どう暮していたか、特に被爆の体験を自分で取材して書き残しておきたいという気持からだった。

 この展開をみて、ぼくは、NHKがどんな結末にしたいのか、ちょっと不審に思った。持病をもつ花山は広島の帰り東京駅で倒れ、常子らは、もうこれ以上、現地取材には行かないで欲しいと望む。そこで、読者から戦時体験の手記を募集して『あなたの暮し』に掲載することになった。

 花山は、読者の体験談を公募する記事を自分で書くことにこだわり、こうつづる。

 「あの戦争は、昭和16年にはじまり20年に終わりました。それは言語に絶する暮らしでした。あのいまわしくてむなしかった戦争のころの暮らしを記憶を私たちは残したいのです。あのころまだ生まれていなかった人たちにも戦争を知ってもらいたくて、貧しい一冊を残したいのです。もう二度と戦争をしない世の中にしていくために。もう二度とだまされないように、ペンをとり私たちのもとへお届けください」

 ぼくの推察通り、NHKは変なほうへ話をゆがめていった。モデルとなった『暮しの手帖』が読者から戦時体験談を募集したのは実際の話だろうが、その公募記事はドラマにあったような内容だったのだろうか。

 ぼくが一番引っかかったのは「もう二度とだまされないように」というくだりだった。誰が誰にだまされたと言うのか。1931年の満州事変から45年の大戦敗戦までを戦時中として、その時代に、誰が誰をだましたと言うのだろうか。

 ここは、日本現代史の核心の部分だ。

 満州事変前後、日本の世論は沸騰していた。マスメディアも大多数の知識人も、一般国民も主戦論を叫んでいた。当時の主導的メディアだったNHKや毎日新聞、朝日新聞はスクープ合戦を展開し、それいけどんどんと国民を煽り、また、政府・軍部を煽った。決して、戦後言われたように、「軍部の圧力」があったからマスメディアは冷静な紙面が作れなかった、というような話ではない。

 毎日新聞が煽りで先行して部数を伸ばし、それに対抗すべく朝日新聞も国民を煽りに煽って毎日を超す部数を獲得し大もうけした。軍部は、むしろメディアに引っ張られて、戦火を拡大した面が否定できない。

 もう一度書く。「もう二度とだまされないように」とは、誰が誰にだまされたと言うのか。『暮しの手帖』に殺到した体験談では、われわれ一般国民は政府や軍部にだまされた、という内容がやはり圧倒的だったのだろうか。

 しかし、それは史実ではない。だました主体があったとすれば、NHKであり毎日新聞、朝日新聞などだった。そして、メディアをそう仕向けた世論があった。

 では、なぜ「国民はだまされた」という発想が戦後の日本に定着したのだろうか。その元凶は、現代史の研究によってはっきりしている。

 日本の敗戦後、占領し日本政府の背後から間接統治したGHQこそ、そういう偽の記憶を日本人の脳裏に刷り込んだ張本人だった。その最初の手段は、日本のすべての新聞にGHQが掲載を命じた『太平洋戦争史』という長大な連載記事だった。1945(昭和20)年、12月8日から10回にわたって連載された。

 日本人はあの大戦を「大東亜戦争」と一貫して呼んでいたが、この新聞強制連載以来、「太平洋戦争」という呼称で統一されいまに至る。いま、ほとんどの日本人は太平洋戦争という呼称に違和感をもたないだろう。連載はそれだけ心理に強く作用した。ぼくは国立国会図書館に保管されている『太平洋戦争史』の書き出しを読み、心底びっくりした。

 「日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙にいとまがないほどであるが……」

 軍国主義者と国民がはっきり分けて示されている。満州事変以降、国民のほとんど全員が軍国主義者だったという史実は、国民を被害者にする論法で“上書き”されている。しかも、メディアはどっちだったかということも、この大連載ではまったくふれられていない。

 GHQによる現代史の重大な捏造を、NHKは自ら反省することなく、国民的番組『とと姉ちゃん』で、またも追認したのだった。その欺瞞は、若い世代に継承されていく。

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日本の教科書とはまるでちがう戦争観

 第3次世界大戦は、すでに数十年前に勃発しその勝敗は決している――。こんなことを語った人びとがいた、と聞いたことがある。インドネシアの初代大統領スカルノやシンガポールの初代首相リー・クアンユーなどがそう言っていたというのだ。

 その大戦とは、アジア・アフリカ諸国が欧米の植民地から独立した闘いのことを意味する。民族によっては血の犠牲を払って独立し、また、無血で独立を勝ち取った民族もいた。

 では、なぜ、これらの独立が実現したのか。その理由をこれでもかというほど証言を集めて書いた本がある。2015年に上梓された『人種戦争――レイス・ウォー 太平洋戦争 もう一つの真実』(邦訳:祥伝社)で、著者は米ヒューストン大学のジェラルド・ホーン教授だ。

 タイトルからも推察されるように、日本が戦った第2次世界大戦は、じつは人種問題をはらんでおり、日本軍が欧米植民地主義と戦ったことがきっかけでアジア・アフリカの独立が成し遂げられ、また戦後、「人種差別は克服されなければならない」という新しい価値観を国際社会にもたらした、とする。

 ホーン教授はこの著書で、「白人の優越」という共同幻想が日本軍によって崩されていく様を活写している。アメリカ人の著作だけに、それだけ説得力がある。

 大戦のさなかから日本敗戦後の東京裁判にいたるまで、「日本人がアジア人に対してありとあらゆる残虐行為におよんだ」とされた。しかし、著者は、それが白人のプロパガンダにすぎなかったと断じている。

 著者は、著名なコラムニストJ.A.ロジャーズのこんな言葉を紹介している。「日本の残虐性は、最悪のケースでさえ、白人にはるかに及ばない。南北アメリカのインディアンの抹殺や、アフリカの奴隷貿易などに、誰が肩を並べられようか」

 日本軍は、真珠湾攻撃とほぼ同時にアジアへ進軍し占領した。その際に残虐行為をしたとされたものの、じっさいには、アジアの民衆は白人を標的とする日本軍を歓呼して迎え入れたというのだ。

 そもそもは日露戦争で日本がロシアを破ったときまでさかのぼるという。

 <一九〇五年の日本のロシアに対する劇的な勝利は、多くのアメリカの白人や西洋人を恐怖に陥れた。同様に、黒人や、アジア人を歓喜させた出来事だった>

 アメリカにアフリカから奴隷として連れてこられ厳しい人種差別にあっていた黒人にとって、日本は憧れの対象となり日本製品なら何でも手に入れたがるほどのブームを呼んだ。欧米の植民地にされ搾取されていたアジアの人びとも同様だった。その記憶はずっと残っていた。

 日本軍は、1941年末、真珠湾攻撃と同時に香港を占領支配した。それまで香港は大英帝国が統治し、中国人や居住していたインド人などは虐げられていた。残虐な行為をくり返していたのは白人のほうだった。日本軍はそれを逆転させた。白人を収容所に押し込め苛酷な待遇を味わわせた。さらに、白人の男女に行列を作らせ、みじめな姿でアジア人の目の前で行進させた。日本軍は、「白人の優越」は幻想にすぎず、もう白人の言いなりになる必要などないことをアジア人に理解させた。

 日本軍はアジアの占領各地でおなじようなことを実行した。それによって、白人への幻想は吹き飛んだ。

 <1943(昭和18)年、戦時下の東京で、フィリピン、ビルマ、インド、タイ、中国(南京政権)、満州国と日本の首脳が一堂に会して、人類史上最初の有色民族の歴史的なサミットとなった大東亜会議を開いた><連合国は大東亜会議を、日本が占領地の傀儡(かいらい)を集めて行なった会議だったと、呼んでいる>

 日本はアジアの植民地からの解放を戦争目的のひとつとした。戦後、旧連合国や日本国内の左派は、「それは最初から掲げていたものではなく、途中から持ち出した大義にすぎなかった」とした。ぼくたちは、学校の授業でも、当然のようにそう教えられた。

 しかし、事実はそんなに単純ではない。この著書によると、日本はすでに1920年代から、アジアの指導者・活動家らを招いて「アジアの会」をくり返し開いていた。その目的は、アジアから白人を追い出しアジア民族が自決することにあった。だから、日本はあの戦争を「大東亜戦争」と呼んだ。そこに「アジア解放」の意志が込められていた。

 アメリカの南北戦争でも、北軍が「南部の奴隷解放」を戦争目的のひとつとしたのは開戦後のことだった、と聞いたことがある。じっさいの歴史とはそんなものだ。

 日本は大戦で惨敗したが、その戦争目的のひとつ「独立」はアジアの人びとによって実現された。さらに大戦後、欧米諸国はアジア・アフリカに融和策をとり、少なくとも、タテマエとしての人種差別はなくなった。

 長編『人種戦争』の末尾には、昭和天皇のこんな戦後の言葉が紹介されている。

 <太平洋戦争の原因として、人種問題があった。列強は、第一次大戦後のパリ講和会議で、日本代表が訴えた「人種平等提案」を、却下した。その結果、カリフォルニアへの移民拒否や、オーストラリアの「白豪」主義にみられるように、世界中で有色人種に対する差別が続いた。日本人が憤慨した十分な根拠がある>

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瀬戸内の旅・完結編 ウサギの島へ渡る

 「瀬戸内海には猫の島というのがあったんだっけ」。旅行の計画を立てているとき、かみさんとそんな話になった。「それなら、たしかウサギの島ってのもあるはずよ」

 ネットで調べてみると、あった、あった。広島県竹原市忠海の南方の沖合い3kmにある大久野島がそれらしい。面積はわずか0.7平方km、周囲は4.3kmだという。しまなみ海道は通っておらず、忠海からフェリーで島へ渡る。

 グーグルマップで島を表示すると、われわれが行く予定の大三島の北となりだ。大三島は愛媛県今治市で、この2島のあいだに県境があることになる。

 大久野島のウェブサイトをみたら、大三島の北側にある盛港からもフェリーが出ている。「それなら、大三島からフェリーで大久野島に渡り、帰りは広島側の忠海港へフェリーで行ってそこからわが家へ帰ればいいかな」

 瀬戸内への<真珠婚わがままツアー>第3目的は、ウサギの島訪問とし、スケジュールの最後にはめ込んだ。サイトにあるウサギたちの写真をみると、白くて目の赤い日本ウサギは1羽もおらず、わが家のヨーロッパ系ネザーランドドワーフに近い。

 <現在、島には約700羽のウサギがいると言われている。すべて日本の侵略的外来種ワースト100にも指定されているアナウサギである>という記述がサイトにあった。

 島にはルールがあるという。補助犬以外の犬、猫などのペットの持ち込みは禁止で、餌としてお菓子・パンを与えてはならない。わが家でも長年ウサギを飼っているからよく知っている。ウサギにお菓子やパンを食べさせると腸に詰まったりして大変なことになる。ペットショップではウサギが喜んで食べる甘いお菓子などを売っているが、決して食べさせてはいけない。重症になると開腹の大手術をしなければならず、死ぬこともある。

 真珠婚ツアーは、着々と日程をこなし、高速のSAでもらった「しまなみスタンプマップ」というパンフレットをホテルでみているときだった。[休暇村 大久野島]のところを何気なく読んだら、「(P)島内乗り入れ不可」と小さな字で書いてある。たぶん、島内には駐車場がなく車では走行できないという意味らしい。

 すぐに休暇村へ電話し、事情を聞いた。「フェリーの桟橋から休暇村など島内施設へ、無料の送迎バスが走っています。大三島から来られるなら、盛港に広い駐車場がありますから、そこへ停めればいいです」

 ふぅーっ。危ない、危ない。それを知らずに車をフェリーに乗せたら、ウサギの島に上陸できず、本州の忠海まで行ってしまうところだった。

 わがままツアー最終日、大三島にある「鶴姫」伝説で知られる大山祇神社に参拝し、境内の宝物館で義経の鎧、伝弁慶の長刀などを見学し、いざウサギの島へ向かった。フェリーに乗っているのは10分足らずで、すぐに着いた。車を積んでいるひとたちもいたが、彼らは本州へ行くのだろう。

 桟橋から島の中心施設である休暇村の建物までも、すぐだった。外は暑いので、室内で休憩してからウサギを探しに屋外へ出た。正面玄関のすぐ近くにシュロの木が密集していて、その下の日陰にウサギが3、4羽いた。幼稚園くらいの女の子が、野菜を乾燥させたウサギ用のおやつを与えている。ウサギたちは、それを美味しそうにもぐもぐ食べる。女の子のお母さんが、その様子を撮影していた。

 「おうちでも、ウサギさんを飼ってるの?」女の子に話しかけると、「ううん」と答える。わざわざエサを買って持ってきたんだ。きっと、この子も家に帰ってから「ウサギを飼いたーい」とお母さんにせがむのではないだろうか。

 わが家でウサギを飼い始めたのは、娘が小1でドイツのボンに住んでいるときだった。「何か動物が飼いたい!」としつこいので、家族でペットショップへ行き、一番可愛い子ウサギを買った。以来、20年以上、わが家では断続的にウサギを飼っている。いつもネザーランドドワーフを選ぶ。<オランダのこびと>という意味で、値段は張るが、大人になっても毛がふさふさと柔らかく顔も可愛いしあまり大きくならない。

 休暇村大久野島の周囲では、たくさんの人たちがウサギを探して散策していた。その光景はポケモンGOを楽しむ姿とそっくりだ。ただし、こちらのほうは拡張現実(AR)ではなく生身のウサギちゃんたち相手のリアルな時間だった。

 大久野島は、戦時中、陸軍の毒ガス工場があった。機密にするため、地図から消された島だった過去をもつ。毒ガスの流出を検出したり動物実験したりするためにウサギが飼われていた。

 いま島にいるウサギはその末裔だとする説もあるが、それは完全な誤りらしい。戦後、毒ガス関連施設を処理した際、ウサギもすべて殺処分された。いまのウサギは、1971年、地元のある小学校で飼われていた8羽を放したものが野生化して数が増えたとされる。

 2011年の干支が卯だったときにメディアで島が紹介され、この年、ある旅行会社がウサギをテーマにした旅行プランを企画した。2013年ごろには、海外のニュースサイトが動画つきで紹介し、ウサギの島は一躍知られることになったという。わずか数年前だ。

 ウサギさんたちには、持参のラビットフードをやって遊んでもらった。ウサギには癒しの力がある。でも、島の子たちは、わが愛兎RANAの可愛さにはおよばない。

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