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日本も、第2のコマネチを

 チャウシェスクの名前が歴史から消えて、やがて20年になる。ニコラエ・チャウシェスクは東欧ルーマニアの独裁者で、家族・親族30人以上に共産党や国家の要職を独占させる一族支配をつづけ、「王朝」と呼ばれる強権体制を築いた。ヨーロッパでは、北朝鮮の金王朝以上に、その独裁ぶりが知られていた。1989年12月、革命が起き、悪名高い妻エレナとともに革命軍に公開処刑で銃殺された。この様子はビデオで撮影され、日本をふくむ西側諸国でただちにテレビ放送された。

 ニコラエの後継者と見られていた次男ニック・チャウシェスクは、両親の威光をかさにきていばりちらし、秘密警察「セクリタテア」の幹部だった。ビートたけしさんのギャクで知られるルーマニアの体操選手ナディア・エレーナ・コマネチに、愛人になるよう強要していたといわれる。コマネチは、革命の1か月前、愛人にされるのを嫌いアメリカに亡命した。ニックは革命が起きると車で逃げようとして逮捕され、横領などの罪で起訴された。裁判中の1996年、肝硬変のために亡くなった。

 そのニックが絶頂にあった1985年、ぼくは神戸で彼にインタヴューしたことがある。ニックは当時33歳で、青年・スポーツ大臣のポストにあり、夏季ユニバーシアードの視察に来た。それは名目で、日本に遊びに来たのが本当のところらしかった。東京のルーマニア大使館に「日本を代表するメディアとのインタヴューをセットしろ」と命令し、日本語ぺらぺらの参事官が会社にコンタクトしてきて、ぼくが引き受けることになった。

 ぼくはユニバーシアードの取材中だったから、ポロシャツにジーンズ、スニーカー姿で、指定されたホテルに行った。ニックはスーツを着てスイートルームで待ち構えていた。大柄の締りのない体つきだった。ぼくのラフな格好に怒ったのはみえみえで、参事官の通訳がまったく追いつかない、ものすごいスピードでしゃべりまくった。こっちから質問する間もまるでない、とんだ単独会見になった。こいつは、ほんとに馬鹿だな、と思ったものだ。

 当然、記事にすることもなく放っておいたら、数日後、参事官が文字通り泣きそうな声で電話してきた。「記事はいつ出ますか?もし、記事が出なければ、わたしはどうなるか分かりません」。ぼくは上司に相談したが、インタヴューとして成立していない以上、記事にしようがなかった。独裁者の馬鹿息子ニックの性格を考えると、たしかに、参事官の身の上が心配だった。結局、その身がどうなったかは分からない。

 日本でやっと、スポーツ行政を一元化する「スポーツ庁」を作る構想があることを知って、ニック・チャウシェスクのことを思い出した。かつて、旧ソ連・東欧の社会主義諸国は、国威発揚のためにスポーツに力を入れていた。西側のように民間企業がスポンサーとなるプロ選手がいない代わり、エリート選手は国が丸抱えして養成していた。ニックは、そうした国策としてのスポーツ振興の業務をする官僚機構のトップだったわけだ。

 日本政府の教育再生懇談会が、2009年5月末、スポーツ庁を設けるよう提言し、スポーツ基本法案を国会に提出することが検討された。もともと法案の骨子は、自民党、公明党に民主党の議員も加わった超党派の「スポーツ議員連盟」が設置した有識者会議が作った。

 自民・公明の与党はトップ選手の育成や企業スポーツの振興、国際大会への支援などに力を入れようとし、スポーツ庁の設置も付則に盛り込んだ。これに対し、民主党は地域スポーツの基盤整備に重点を置こうとし、与党案には協力しないことを確認した。総選挙の時期をめぐる駆け引きなどもあって、法案はすぐには日の目を見ないことになった。

 こうした政治のどたばたぶりに歯軋りしている人は少なくない。教育再生懇談会では、北京オリンピックの陸上男子400メートルリレーで銅メダルを取った朝原宣治さんも「スポーツ行政の統一化と効率化を」と、意見を述べた。2016年オリンピックの東京招致キャンペーンが行われる中、スポーツ庁を創設することはスポーツ界の悲願とされる。わが国でスポーツ振興法が制定されたのは、オリンピックがまだアマチュアの大会だった1961年のことだ。トップスポーツが個人ではなく国の戦いになって久しく、日本はすっかり世界から取り残されている。

 トップアスリートを集めて鍛えるナショナルトレーニングセンターが東京にできたのは、やっと2008年だった。だが、海外の多くの国がトップ選手の合宿・遠征費用、奨学金などを助成しているのに比べ、「日本政府の支援は貧弱で、世界とまともに戦えない」という声が根強い。

 民主党の言うように草の根のスポーツ基盤を整えることも大切だろうが、才能ある若手を思い切って支援するエリート養成も避けて通れないのが現実だ。

 先日、近くのショッピング・モールに、ワールドベースボールクラシック(WBC)の優勝トロフィがやって来たので、妻と出かけた。銀色に輝くずっしりと重そうなトロフィには、原辰徳監督やイチロー選手の指紋がついたままで、ガラスのケースに入れられていた。侍ジャパンを応援した誰もが知っているように、ほんの紙一重の勝利で連覇が達成された。特に、予選から本大会まで5回も戦った韓国の強さと粘りには、改めて感心させられた。

 不思議なのは、韓国野球の裾野はあきれるほど狭いことだ。日本では、全国約4000もの高校野球部が甲子園を目指し、それが選手育成の場となっている。韓国では、アマチュア野球を統括する大韓野球協会に選手を登録しているのは、たった53校だけだという。ごく限られた才能のある選手を、最新施設で徹底的に鍛えている。それで、あの実力と根性が生れるのだから、日本も学ぶところは大いにある。

 たとえば、サッカーには、スポーツを通じて子から孫の世代まで誰もが幸せになるという「Jリーグ百年構想」がある。それはそれで結構だが、何かまだるっこい印象はぬぐえない。

 コマネチは、1976年のモントリオール・オリンピックに14歳で参加し、段違い平行棒と平均台で近代オリンピック史上初めての10点満点を出し、金メダル3個、銀メダル1個、銅メダル1個を獲得した。純白のレオタードを身にまとい「白い妖精」と呼ばれた。1980年のモスクワ・オリンピックでも、金メダル2個、銀メダル2個を取り、世界体操界のスーパー・スターだった。チャウシェスクの王朝に翻弄されたが、あの技は国威発揚システムのおかげであることも事実だ。

 日本も、第2のコマネチを産むくらいの国策を取らなければ、スポーツ後進国へ転落してしまう。妖精の尻を追いかける第2のニックなどはいらないが。

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