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ダブル村上では分からない――『1Q84』余話

 かつて、芸能界では、ダブル浅野がもてはやされた。浅野ゆう子さんの端正な顔立ちとずば抜けたプロポーションは、捨てがたかった。でも、彼女の出演するテレビドラマをほとんど観た記憶がない。ぼくは、浅野温子さんのコメディタッチの演技や、さらさらのロングヘアーが好きだった。

 文壇には、ダブル村上が健在だ。その片方、村上春樹さんは『1Q84』が驚異的な売れ行きとかで、脚光を浴びている。上下巻で、すでに200万部を突破したらしい。どんな人が、どんな動機で買っているのだろうか。ぼくには、小説の中身より、そっちのほうが、よほど気になる。

 ぼくはひねくれものなので、ベストセラーは、それが売れているときには買わないことにしている。ブームがおさまってしばらく経ってから、新古書店などで気が向いたら買う。そのほうが冷静に読める気がする。

 村上春樹さんの作品は、群像新人文学賞を獲ったデビュー作『風の歌を聴け』から『羊をめぐる冒険』、『ノルウェーの森』など、4、5冊は読んだ。しかし、なぜかあまり感銘を受けなかった。あの独特の乾いた感じの文体で都会生活を描いた世界が、ぼくには合わないのだろうか。「夏目漱石以降で最も重要な作家」などという批評には「え、そうなの?」と思うしかないし、ノーベル文学賞の有力候補というのが信じられない。
 朝日新聞2009年7月5日付け朝刊の読書欄には、「売れてる本」として『ノルウェーの森』が取り上げられていた。文庫化されており、トータルは975万部だそうだ。その書評がすごい。

 「多くの若者には支持されたが、日本文学のメインストリームからは大きく外れる文学、と考えられた。だが、“失われた”90年代の間に『主流』そのものが失われ、多くの物語はセグメンテーションされ、社会の一部の人々にしか届かなくなっている。万人に接続される小説はなくなったのだ」

 この評者はIT関連の取材・執筆で名の知られる人だ。「セグメンテーションされ」るとか、「万人に接続される」とかの表現は、IT用語から来ているらしい。セグメンテーションは区分や分割のことで、それをむりやり動詞にするなど、新しい日本語を作ろうとでもしているのだろうか。特定の世界の人びとには通じるかもしれないが、新聞にはなじまない。朝日の読者欄は、日本の新聞でもっとも高い評価を受けている。ぼくもそれに異論はない。でも、こんな記事をそのまま載せるのは、いかがなものか。

 「いまや彼の小説は、日本人のみならず世界の誰とでもつながることのできるイコンとして再生したように見える」

 ここまで書かれると、もはや何のことか分からない。イコンと言えば、キリスト教で神や天使、聖人を象徴する絵や像のことで、崇敬の対象とされるもののはずだ。パソコンなどで使うアイコンの本来の意味でもある。ここでもIT用語とかけてシャレた表現だと自己満足しているのだろうか。村上春樹応援団も、ひいきの引き倒しで空回りしているように思える。

 ダブル村上のもう一方、村上龍さんの世界は、ぼくの肌に合う。群像新人文学賞と芥川賞を受賞した『限りなく透明に近いブルー』は、忘れられない作品だ。若者の麻薬とセックスを描いた状況設定は、ぼくの日常とはかけ離れているが、龍さんが書こうとしたものは、よく分かるような気がする。

 この本は、1976年に講談社から刊行されたそうだ。そういえば、1983年ごろ、ぼくはその担当編集者に一度だけ、新宿の喫茶店で会ったことがある。「飛ぶように売れる、というのはこんなものだと経験したのが、あの作品です」と語っていた。

 どうしてぼくは、村上春樹さんの作品になじめないのか。それがようやく理解できる記事に出会った。『1Q84』が刊行される直前、スペインの日刊紙『エル・パイス』のロングインタヴューに、春樹さんが応じている。この新聞は、発行部数が44万部で、スペインではもっとも読まれているという。そこでは、こんなことを語っている(『クーリエ・ジャポン』2009年7月号の翻訳から)。

 ――あなたは、三島由紀夫が好きではないと聞いていますが。
 村上 三島のスタイルが好きじゃないということです。
 ――というのは、彼の文学的スタイルのことですか? それとも彼自身のあり方についてですか?
 村上 読者として好きになれないのです。最後まで読めた作品はひとつもありません。
 ――日本の新しい世代の偉大な作家として“父親を殺す”必要性を感じているのではないでしょうか。
 村上 そうではないと思います。僕は誰も殺したくない。ただ単に個人的に三島の文体と作品が好きではないのです。また彼の世界観や政治的思想にも共感を持てない。

 つまり、ダブル村上を対比させて考えるより、村上春樹vs.三島由紀夫で考えたほうがわかりやすいのではないか。三島の思想も文体も、本質的に外国語には翻訳不可能だとぼくは思う。三島が、結局、ノーベル文学賞を獲れなかったのは、そこに主な原因があるだろう。

 そして、ぼくは、断然、三島作品のほうが文学として上をいくと思っている。その三島の文体も作品も世界観も好きではない人の作品を好きになれないのは、当然かもしれない。

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