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樫本大進君が、大進撃!

 「ねえ、樫本大進さんがテレビに出てるわよ」。2009年7月27日、妻の声にリビングへ飛んでいくと、あの天才ヴァイオリニストが、ついに世界の最高峰ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第一コンサートマスターに内定したという。その記者会見をしていた。ベルフィルのオーディションに挑戦し、見事合格した。9月から2年間は試用期間だが、その技術と音楽センスで、正式な団員となるのはまちがいないだろう。

 ぼくが樫本大進(かしもとだいしん)君に取材したのは、ドイツのリューベックだった。バルト海に面したかつてのハンザ同盟の都市で、ベルリンからはるばる列車に乗って行った。1996年秋のことで、当時、大進君は17歳の高校生だった。

 大進君は、ロンドンで生まれた。大きくなったら趣味でチェロでも弾けるようになれば、と両親が望んで、3歳半からヴァイオリンを習うようになった。1日10分の練習だったというから、英才教育とは程遠かった。

 父親の転勤でニューヨークに住んだ7歳のとき、「趣味で習っていたヴァイオリンをつづけるため」に受けたジュリアーノ音楽院プレカレッジに最年少で受かった。以来、「最年少」がついて回る。ドイツ・ケルンの国際コンクールで最年少の15歳で1位となった。5回のコンクールで一度だけ優勝を逃したが、それでも3位だった。96年のロン=ティボー国際音楽コンクールでも史上最年少優勝を果たした。

 11歳のとき、リューベックに住むようになった。ロシア出身でドイツ在住の著名なサハール・ブロン教授に見込まれてのことだった。両親はドイツへの移住にさんざん迷ったというが、結局、母親だけが大進君と暮らすことにした。ふつうの住宅街にある一戸建てを借りて住んでいた。家の一室を練習場として使っていたが、ドイツの家はしっかりできており、隣近所から「うるさい」と苦情がくる心配はない。お母さんは、家事だけではなく、マネージャーのような役割も受け持っていた。

 大進君は、もともとマスコミ嫌いだったそうだが、ぼくの取材は例外的に受けてくれた。かつての長嶋茂雄選手が大好きで巨人ファンだったことから、「読売新聞の取材ならOK」とお母さんに言ったという。家には、長嶋さんからもらった色紙が飾ってあった。当時、ドイツの現地校に通っていたため、ドイツ語が母語になっていた。英語ももちろんぺらぺらだったが、日本語でインタヴューした。後で、お母さんに「日本語ではニュアンスがうまく伝えられなかったかもしれない」と語ったという。

 ヴァイオリンを弾いているところを写真に撮りたい、と申し出ると、ケースから取り出し、いきなり練習曲を弾きはじめた。至近距離でカメラを構えたぼくは、太く男性的な音色に圧倒された。数々のコンクールでも、その線の太さが高く評価されたという。音楽の素人のぼくは、剛速球に切れ味鋭い変化球を交えるメジャーリーグの本格派投手を連想した。

 「人前で弾くのがすごく好きです。4歳の初ステージなどを除けば、プレッシャーを感じたことがないんです」

 でも、お母さんによると、かなりの練習嫌いで指導者泣かせだった。ブロン教授は、お母さんから大進君の名前の意味を聞き、「大進じゃなくてダイナン(大難)だ」と嘆いていたそうだ。

 「学校の勉強はきつい」と、コンサート活動は最小限にしていた。英語が得意科目なのは当然として、数学、体育も得意だった。100メートルを12秒台で走る俊足で、大コンクールの練習を放ってクラス対抗リレーのアンカーになったこともあったという。

 ぼくの取材が終わると、「同級生と遊ぶ約束があるから」とふつうの高校生にもどり、出かけていった。お母さんは、ぼくをリューベックでもっとも有名な北ドイツ料理店『船主クラブの家(シッファーゲゼルシャフト)』に案内してくれた。1535年に建造された赤れんが造りの館で、昔日は船主の集まるクラブだったという。そこで海の幸を堪能しながら、大進君との生活のことを聞いた。

 一番大変なのは、反抗期の大進君にとにかく毎日、ヴァイオリンの練習をさせることだという。大進君はもともと練習嫌いだから、疲れて帰ってきた日など、そのまま寝てしまいそうになる。あるときには、定規でたたいてでもヴァイオリンを持たせたという。

 「今日、息子にお話していただいたことをとても感謝しています」とお母さんは言った。何のことかと思うと、ぼくが大進君に「ヴァイオリンの練習は大変だろうけど、質の高い文学や絵画や映画などに触れることも、大切だよ。音楽家としての将来にきっといい影響を与えるよ」と語ったことだった。大成するには、音楽以外でもいかに感性をみがくかだろうと思ったからだ。「私が言いたくても、反抗されたらと言い出しにくかったことです」

 お母さんは、1998年までドイツで暮らし、その後日本にもどった。

 ひとり立ちした大進君は、ときどき来日してコンサート活動をし、日本のファンを着実に増やしてきた。特に、2002年、NHK大河ドラマ『利家とまつ』の音楽を担当して広く知られるようになった。

 2009年5月に行われた小澤征爾指揮のベルフィル演奏会にもゲスト・コンサートマスターとして招かれ、成功を収めた。

 コンサートマスター内定の記者会見では、ベルフィルに以前からあこがれていたことを明らかにし、「11歳のときからドイツに住んでいるので、一番身近にある理想の音楽という感じですね」と語った。また、「イギリス、アメリカ、ドイツと海外を転々としてきましたが、やはりぼくは日本人。日本が好きですし、自分の中にある日本人としてのアイデンティティを大事にしたい」とも口にした。

 大進君は、もう30歳になった。大成してくれたことは、成長過程にほんのちょっとだけかかわったぼくにとってもすごくうれしい。

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