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のぼうの城に、のぼう様はいたのか

 埼玉県行田(ぎょうだ)市には、戦国末期に攻防戦が繰り広げられた忍城(おしじょう)の跡がある。ちょっとドライブして、その城址を見に行った。本丸のあったところには、1988年、郷土博物館が建設されている。博物館からは、復元された三階建ての櫓(やぐら)へ上ることができる。中は展示室で、最上階は展望台になっていて、市内を一望する。ちょうど日曜日だったため、子ども連れをふくむかなりの人が訪れていた。

 関が原の戦いより10年前の、天正18年(1590年)6月(現在の暦で7月)、豊臣秀吉の命を受けた石田三成は、この忍城を攻めることになった。守るほうは兵力わずか500余りで、攻め手は2万の大軍だった。

 その攻防戦を描いた『のぼうの城』(和田竜著、小学館)は、2007年12月に発売され、32万部が売れた。翌年の本屋大賞第2位にもなり、話題を呼んだ。映画化されることになり、クランクインは2010年夏という。

 物語の主人公は、城代の息子の成田長親(ながちか)だが、武道はさっぱりで勇壮な戦国武将とはほど遠い。城門を守る兵や領民からも、でくのぼうを略した「のぼう様」と呼ばれている。図抜けて背が高く、体には脂肪がのっていて、のそのそ歩いた。なぜか野良仕事が好きで、よく田や畑に出向いて手伝おうとした。だが、恐ろしく不器用で麦踏みさえまともにできず、百姓らからは馬鹿にされていた。しかし、誰からも愛されていた。

 城代はあるとき、長親の幼友だちでもある重臣の丹波に「長親はあの通りのうつけじゃ。わし亡きあとは、城代は丹波、お前が引き継げ」と言った。しかし、丹波は「城代、わしはあの馬鹿者の持つ得体の知れぬ将器を見極めたいのでござる」と、それを暗に断った。将器というのは、文字通り一軍の将としての器のことで、この作品のキーワードとなる。

 三成の軍勢に忍城が囲まれたとき、城代は病の床についた。のぼう様はうろたえて「父上、父上」と繰り返すだけだった。当時の武者ならおくびにも出さないひるみを、臆面もなく表に出す男だった。

 それでも、不思議なことに領民の人望はどんな武将より厚かった。やがて城代が亡くなり、長親が総大将にならざるをえなくなる。なぜか開城・降伏ではなく徹底抗戦を選んだ長親のもとへ、女子どもをふくむ2000人以上の領民が集まり、ろう城する手勢に加わった。

 三成の軍勢が攻めてくると、のぼう様は指揮らしい指揮もできなかったが、配下の武将たちが奮戦し、一度ははねのけた。そこで三成は、忍城を水攻めにすることを考えた。水攻めは、かつて秀吉が備中高松城で使った作戦で、三成もいつかやってみたいと思っていた。

 三成の軍は、破格の金を積んで近郊、遠方の農民、商人から子どもにいたるまで数十万人をかき集め、高さ9メートル、底幅20メートル、総延長28キロにもおよぶ人工堤防を、わずか1週間で築かせた。これは後に「石田堤」と呼ばれ、その一部は今も残る。鴻巣(こうのす)市袋地区には「石田堤史跡公園」が整備されており、堤の断面を見学することもできる。

 利根川と荒川の水をこの人工堤に囲まれた地域に引き入れ、城ごと敵を水没させる計画だ。しかし、人工堤は、現在の行田市堤根と鴻巣市袋の境にある掘切橋あたりで決壊したとされ、作戦は失敗に終わった。城攻めの天才・秀吉も落とせなかった城として、この水攻め攻防戦は、とりわけ徳川の世になった江戸時代に語り継がれることとなった。

 『のぼうの城』では、長親を慕う農民がこっそり堤防を切ったことになっている。忍城の危急存亡の秋(とき)になって、のぼう様の将器がものを言ったのだった。

 2009年7月11日付けの読売新聞によると、約10年前、行田市の会社員、土田真弘さんが、同僚だった和田竜さんを「行田にはすごい歴史がある」と攻防戦の舞台に案内したことがきっかけで、『のぼうの城』が生れた。和田さんは「帰り道で作品の構想を練り始めた」という。

 のぼう様の将器とは、何だったのだろうか。和田さんは「なにか底のみえない古井戸をのぞき込んでいるかのような心地」と書いている。「みろ、兵どもをみろ。敵も味方もあの者に魅(み)せられておる。明らかに将器じゃ。下手に手を出せば、窮地に立たされるのは我らの方じゃぞ」。三成の重臣の言葉としてそう語らせてもいる。

 「丹波は戦慄しながら、自身が予感し続けてきた長親の将器を思った。(こんな男をこそ、名将というのか)おもえば名将とは、人に対する度外れた甘さを持ち、それに起因する巨大な人気を得、それでいながら人智の及ばぬ悪謀を秘めた者のことをいうのではなかったか」

 非暴力主義を貫き無数の人びとを動かしたインド独立の父、マハトマ・ガンジーを思い出す。貧しい人、恵まれない人にわけへだてなく愛を注ぎ、世界中の人びとを感動させたマザー・テレサも連想させる。漫画でいえば、ジョージ秋山の『浮浪雲(はぐれぐも)』(ビッグコミックオリジナル)にも通じるものがあるだろう。着流しで仕込み杖を持ち「おねえちゃん、あちきと遊ばない」と誰彼に声をかける、一見だらしない男だが、なぜか恐ろしいほど人望を集める。

 『のぼうの城』は、作品としての完成度はそう高くない。それでも読者を引きつけるのは、長親の人物像にユニークな将器を取り入れたためだろう。

 行田市郷土博物館の学芸員に聞くと、実は、石田堤が決壊したかどうかさえ、歴史的証拠はない。水攻めが解かれる前に開城した可能性もあるらしい。成田長親の人物像についての史料もほとんど残っていない。もちろん、「のぼう様」というあだ名も作者が考えついた。確かな史料がないことで、大胆な創作ができたのだった。

 博物館は、小説のおかげで、入館者が2割は増えたそうだ。映画が公開されれば、さらに増えるだろう。さて、のぼう様の役を誰が演じるのか。

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