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最高裁の幽霊

 東京・三宅坂の皇居桜田濠沿いにそびえる最高裁判所は、まさに威容を誇る建物だ。地上5階、地下2階で、のべ床面積は5万平方メートルにおよぶ。注目を集める最高裁判決があるとき以外は司法記者たちの人影もまったくなく、静まり返っている。廊下が迷路のように走り、職員の詰める部屋がほんの一角にあるだけだ。裁判官もいつもいるわけではないから、人口密度は恐ろしく低い。

 コンクリートだらけの庁舎の特徴的な外観や、権威主義的な裁判の運営方針などから、弁護士や法学者は「奇巌城」「奇岩城」と呼んできた。揶揄したり、否定的な意味合いを込めたものだった。

 ぼくは、20代の終わりの10か月間だけ、新聞社の地方部内信課の記者として、最高裁、東京高裁、東京地裁を担当していたことがある。これら3つの裁判所で行われる裁判を取材し、新聞の地方版に書くのが仕事だった。裁判のほか検察も担当する社会部記者とは、微妙にテリトリーがちがっていた。他のメディアにも、ぼくのような任務を背負った記者はいなかったので、ひとりで自由に行動できた。

 東京地裁のビルにある司法記者クラブはいつも人でごった返していたが、最高裁の記者クラブは、ふだん誰もいなかった。広報課に所属するおばさん公務員がひとりいて、新聞記事のスクラップをのんびりとやっていた。ぼくが顔を出すと、暇つぶしの相手ができてうれしいのか、お茶をサービスしてくれた。頼みもしないのに、インスタントラーメンを作ってくれたこともある。

 「ここの廊下を歩いていると、何だかさみしくなりますねぇ」。あるとき、最高裁の男性職員と雑談していてこう口にすると、「そうなんですよ。冗談か本当か、幽霊を見たって話す人もいるくらいですからねぇ」と言う。ある女性職員が廊下で痴漢に遭った、という根も葉もない噂を聞いたことすらある。

 公判で、検察官は「思料する」とか「防御創」などという専門用語を羅列した冒頭陳述や調書を早口で読み上げ、裁判官の書く判決文も、同様に恐ろしく非日常的だった。それを誰にでも分かりやすく書き直すのが、ぼくの主な仕事だった。ある程度、決まりきった言い換えがあるものの、初めのころはやさしい判決記事を書くのに骨を折った。

 ぼくは、長野地裁を2年間担当したこともあるが、考えてみれば裁判官と個人的に話をしたことは一度もない。最高裁判事とは、たった一度だけ、あるパーティで口をきいた。検事や弁護士とはお酒を飲む機会もあったが、裁判官の日常はよく分からない。裁判官自身が一般社会から距離を置いている、と聞いたこともある。純粋培養の、浮世離れしたイメージしか浮かばない。司法の権威に閉じこもっていて、市井の泥や汗にまみれた末に犯した罪を裁けるのか、疑問があった。

 日本の裁判制度が抱えるそうした問題点をクリアするために、裁判員制度が生れた。一般国民の市民感覚や常識を、刑事裁判の判決に反映させる目的で導入された。6年の準備期間を設けた後、初めての裁判員裁判が東京地裁で開かれ、2009年8月6日に判決が下された。路上殺人で、求刑が懲役16年のところ懲役15年となった。

 報道をみるかぎり、法廷の風景は一変した。3人の裁判官に6人の裁判員が加わって法壇に並んだ。検察、弁護双方はモニター画面を使ってプレゼンテーションし、冒頭陳述の内容を1枚の紙にまとめたメモを提供したという。専門用語は、すべてやさしい表現に替えられ、メモにはイラストも用いられた。裁判員全員が「分かりやすかった」と感想を述べている。

 被告は起訴事実を認めたので、審理では「殺意の強さ」が争点となった。この事件をプロの裁判官が裁いたら、懲役10年から13年くらいになっただろうという声がある。これまでの相場より厳しい判決になったのは、それが市民感覚ということなのか、それとも検察側のプレゼンがうまかったのか。

 評議の経過は非公開で、裁判員には守秘義務がある。多数決か全員一致かも分からない。裁判員のひとりは「人を裁くという重大なことを一般市民が担わされていると感じた」とコメントしている。

 4日間で1審が完結した。事件発生からわずか100日以内の判決だった。これまでなら、1年や2年はかかったところだ。

 3日目の午後と4日目の午前中に裁判官と裁判員による最終評議が行われ、午後2時半過ぎには判決言い渡しがあった。つまり、判決文を書く時間はかなり短い。従来、裁判官は相当の日数をかけて判決文を書いていた。新聞記者のように、裁判官にも文章を書くスピードが要求されることになった。

 新聞記者には「予定稿」という手法がある。事態の推移をある程度予測して、あらかじめ原稿を書いておき、本番に臨んでは少しだけ手を入れて完成させるやりかただ。裁判官も、これからはそういう方法を採ることになるはすだ。

 こんなスピーディな裁判がやれるなら、どうして今までやらなかったんだろう、と思う。半面、分かりやすさとスピード、プレゼン能力重視で行われる裁判でいいのか、とも思う。

 今後は、被告が起訴事実を否認する裁判、被告の責任能力が争点となる裁判、死刑求刑が予想される裁判にも裁判員が参加する。控訴審、上告審には裁判員は参加しないが、1審判決を尊重することになっている。万が一にも、死刑となった事件が、後に冤罪(えんざい)と分かったら、裁判員の心はどうなるのか。それこそ、最高裁の廊下を死刑囚の幽霊が歩いている悪夢にうなされることになるだろう。

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