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2009年9月

ネットがくれた奇跡――金木犀の話

 今年も金木犀の季節がきたね――妻とぼくの間では、毎年この時期になると、同じ会話がくりかえされる。

 今から27年ほど前、ぼくは長野県伊那市に新聞記者として駐在していた。『まほろば』という同人誌のような文集の取材に行ったところ、主宰している元教員のおばあちゃんから、「次号に一文書いてください」と頼まれた。

 そこで、作家の佐藤愛子さんが執筆のため定宿にしているという地元のある旅館に1泊し、ぼたん鍋を堪能した後、原稿用紙に向かってささっとエッセイを書いた。タイトルは「金木犀の話」とした。

 それを読んだことのある女性が、数年後、あるいきさつから、ぼくの元に金木犀のひと枝を郵送してくれた。それがきっかけとなってその女性と結婚することになった。つまり今の妻だ。

 ぼくのエッセイが載った『まほろば』は、大切に保管していたはずだが、引越しをくりかえしどこにしまったか分からなくなってしまった。うっかり処分したものの中に入っていたかもしれない。ぼくが新聞の記事以外で初めて書いた記念碑的エッセイでもあり、ぜひ手元に置いておきたかったのに、それもかなわないまま20年数年が過ぎた。

 2009年9月20日の日曜日、何気なく「木佐芳男」をキーワードにGoogleで検索してみると、ちょうど6200件あった。2001年の時点では600件余りだったから、約10倍に増えていた。ほとんどはぼくの書いた本に関するものだったが、80数件目に「金木犀」という文字が目に飛び込んできた。数行の引用文には、『まほろば』に書いた覚えがかすかにある文章があり、心臓がどんと打った。

 サイトを開いてみると、『いとう岬の文芸工房』というブログで、ぼくの名前とともに「金木犀の話」の全文が載っている!

 インターネットで自分の名前を検索すると、インターネットが普及した1990年代後半以降の自分の足取りを確認することができる。しかし、このエッセイを書いたのは1982年ごろのことであり、もちろん文集は紙に印刷したものだった。『いとう岬の文芸工房』のプロフィールをみると、運営しているひとの本名などはないが「長野県」とある。どうやら『まほろば』を読んで、ぼくのエッセイを転載してくれたようだった。むろん、無断転載を批判したりする気はない。探しあぐねていた懐かしいエッセイを、よくぞ載せてくれた、と感謝している。

 ぼくにとっては、インターネット時代ならではの奇跡だった。思い出深いそのエッセイを以下に載せておく

         ◇◆◇◆◇◆

 橙の花は、金木犀(キンモクセイ)。白い花は、銀木犀。米粒にも満たぬ四つの花びらが寄り添って、ささやかな花をつくる。花がひとかたまりになって、堅い細枝の堅い緑葉を彩る。残暑もすべて消え、季節が確かにひとつの角を曲がるころ、小さな花は、突然自己主張を始める。水たまりや、石ころの場所さえいつしか覚えた小径で、散歩の人は見知らぬ街へ迷い込んだ幼な子のようにとまどい、思わず歩いて来た道をふり返る。木犀の咲き方はそれほど極立つ。だが、例えば、満開の桜の華麗さとは違う。何よりも、その香りの艶やかさと激しさが人を惑わす、と言えばいいすぎだろうか。

 その金木犀とあるおばあちゃんの部屋で出会った。部屋へ通された瞬間、「ああ、金木犀ですか」と、思わず口にした。テーブルの上には、橙色の小花の群がった、三十センチほどの小枝が一本挿してあった。

 記憶を最も鮮明によみがえらせるのは、色でも形でもない。嗅覚の記憶にこびりついた匂いなのだという学説を、僕は木犀のおかげで信ずるようになった。その上、記憶の再現は、必ず一つの道順をたどることも。

 あの日―。香りに叩き起こされた記憶は、まず、無言の映像を描き出す。黒っぽい土の上にびっしりと舞い落ちた白と橙の花。そっとつまんでプラスチックの茶碗に盛る小さなぼくの手。神聖な儀式のように押し黙ってそれを見つめる女の子の前髪。スカートのひだ。「こっちがご飯。これはおかず」。お客さん役の女の子は、山盛りのご飯をこぼさないように、おずおずと手のひらを差し出す。その時、声が聞こえる。「仲良く遊んでるわねェ」。

 隣のおばさんのやさしい声は、しかし、ぼくたちの変則的なままごと遊びを、無惨にかき乱す。二人だけの秘密をとがめられたように身をこわばらせ、立ち上がり、その時初めて、花の本当の姿に気づいてしまう。膝の辺りからとてつもなく高い所まで、そして横にもずっと、緑と白と橙の壁がそびえている。いきなり噴き溢れた悲しい思いに衝き動かされ、家の方へ駆け出して行く―。

 それまでぼくたちは、拾い集めた宝物が、空から舞ったのだとでも信じていたのだろうか。

 故郷のわが家と、表通りの間には、一軒の家がある。その家の露路沿いには、柊(ヒイラギ)の間に、金と銀の木犀を植えた生垣があった。年に一度、香りによって呼び戻される追憶が、事実かどうか確かめようもない。衝撃的な香りが、心のさまよい出しそうな季節の中に充満し、一つの幻想を産み出すだけなのかも知れない。ただ確かなのは、あの香りそのものが、ぼくにとってかけがえのない郷愁であること。すでに遠い過去のものに違いない無邪気さなのに、今でも、いつまでも、心のどこかに残っていると信じさせてくれる。

 そして、生きるというのは、一つ一つ、本当のことを知ってしまうことだという悲しい認識をくり返させもする。

 数年ぶりで帰郷した日、隣家の生垣が改築工事のためすべて取り払われていたことを、ぼくは知った。

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そんな顧客情報も知らないのか

 オンライン書店に登録していると、しょっちゅう広告のメールが来る。たいていは、過去に購入した書籍と同類か周辺テーマの新刊本を買わないかという誘いだ。書店側は、こちらがいつどんな本を買ったか、顧客情報としてデータにしているわけだ。そんな本を買ったことがあったかな、と本人が忘れていることでも、すべて把握している。

 他人に知られてまずい本をインターネットで買ったことはないから、そう神経質にはならないが、それではすまないケースも出て来る可能性はある。

 書店に限らず、食品でも健康器具でもネットで購入すれば、必ずそうした情報を相手に渡すことになる。プライバシーに関わることだったらどうなるだろうと、ときどき、空恐ろしくなる。

 そうした顧客情報をめぐり、もっともひどいのが流出事件で、枚挙にいとまがない。最近では、外資系保険会社『アリコジャパン』の顧客情報が13万件以上も流出し、クレジットカードが不正利用された。保険契約の解消が相次いだそうだ。そんなずさんな会社の保険になど入ってはいられない、と考える人が続出するのは当然だろう。流出事件は、この会社の強みだった通信販売の支払いシステムを崩しかねない状況になったようだ。顧客獲得の原動力だった広告も自粛せざるを得なくなり、経営への打撃が避けられなくなった。当然といえば当然の報いだ。

 しかし、逆に、今どきこんな顧客情報も知らないのか、と頭にくることもある。ぼくはちょっとした持病があって、6週間に1度、あるクリニックに通っている。本来は日に3回飲む薬を2週間分処方してもらい、1日に1回分だけ飲んでいる。

 いつも、クリニックの近所にある調剤薬局で薬を買うのだが、なぜか、ほとんど毎回、薬剤師の顔が変わっている。もう長らく同じ薬を飲んでいるのに、薬剤師はたいてい、薬の説明書きを薬といっしょに渡す。説明書きだけで30円かかる。個人名も入っているから、ぼくはいつも家に帰ってシュレッダーにかけることにしていた。紙代とインク代と電気代のむだだ。

 今度行ったときは文句を言ってやろう、と決心し、先日、ついにたまっていた不満をぶつけた。その日の薬剤師は、若いお兄ちゃんだった。「ずっと同じ薬なんだから、説明書きはいりません」と言ったら、「説明書きはいれておりません」と生意気な感じの口の利き方できた。袋の中を確かめると、確かに入っていない。「いつも入れられるのに、きょうはどうして入れないんですか?」と聞くと、「お客様のデータとして、説明書きは必要ないということなので入れませんでした」と答えた。お兄ちゃんが手にしている処方せんに目をやると、下のほうに手書きでそれらしいメモが記入してある。誰が書いたのか。

 そこで、攻め手を変えることにした。「ほとんどいつも薬剤師さんが入れ替わっていて、あなたも今日初めてですが、パートなんですか?」。すると、「いいえ、正社員です。もう1店舗あって、そことここの両方を担当しているので、よく入れ替わることになります」と言う。コンビニじゃあるまいし、午前10時から午後6時までの営業時間で、そんなに複雑な勤務シフトを敷く必要があるのだろうか。すぐには納得できない答えだが、それはまあよしとしよう。

 薬剤師は、手に薬品名と購入日を一覧にした書類を持っている。「この前いらっしゃったときから、かなり期間が空いていますが、どうなさったのですか?」。また、いつもと同じ質問だ。「症状がかなり良くなったので、先生と相談して、日に1回分だけ飲むことにしているんです」

 ぼくはたたみかけた。「いまのあなたのように、毎回、薬を買いに来る期間が長い事情を聞かれるんですが、その理由も顧客情報としてパソコンデータに入れておいてもらえれば、同じ説明を繰り返さなくても済むんですが」。お兄ちゃんは慇懃(いんぎん)に「それは、ごもっともです」と答えた。

 こちらが文句を言う前に、顧客データに入れておこうと考える薬剤師は、ひとりもいなかったのか。たぶん次回からは、同じ質問の繰り返しはなくなるだろう。でも、データには「クレーマー」の文字が書き込まれ、次から次へと変わる薬剤師たちに情報が共有されるのかもしれない。

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情報公開はポルノに通ず

 デンマークへ取材旅行に行ったとき、地元の人からこんな話を聞いた。

 ひとりのジャーナリストが、閣僚の公費の使い道を情報公開制度を使って徹底的に調べた。するとある閣僚が、海外視察した際にスコッチウィスキーを1本公費で買い、誰かへの個人的なお土産にしていたことが分かった。この件がメディアによって報道されると、メディアや国民からその閣僚への批判が集中し、閣僚はついに辞任することになった。日本円でわずか数千円のことで、大臣の座を棒に振ったのだった。

 その話を聞いたのは、たしか1996年だった。日本ではやっと、情報公開法の制定の話が固まりかけていたころのことで、北欧は進んでいるなぁ、と思ったものだ。そして、血税の使い道への国民の監視意識の高さにも感心した。スウェーデンへ行ったときも、情報公開は徹底していて、欲しい政府情報などがすぐ手に入った。

 でも、なぜ、北欧では、そんなに情報公開制度が進んでいるのか。あるとき、ドイツ人とビールを飲みながら話題にすると、意外なことを教えてくれた。北欧、とくにデンマークではかつて土着の宗教があり、その考え方が情報公開のルーツらしいというのだ。その宗教はやがてキリスト教に吸収され、今ではキリスト教の一派みたいになっているが、何でもオープンにする風土は現代でもつづいているという。

 ドイツに長年住んでいるある日本人も、同じようなことを話した。「北欧と言えば、日本ではポルノを連想する人も少なくないでしょうが、包み隠さずオープンにするという思想は、土着宗教をバックに情報公開制度にもポルノにも表れているようです」

 この件について裏をとったことはないので、断言はできないが、北欧に行くと、ひょっとしたらそんなこともあるかもしれない、と思わせられる。

 そういえば、日本で「国政監察官」あるいは「行政監査専門員」「行政監察委員」と訳されているオンブズマンという言葉も、もとはスウェーデン語だ。「代理者」とか「仲介者、仲裁者」を意味し、いずれの党派にも加担しないで、冷静な判定者の役割を果たす人や委員会のことをいう。スウェーデンでこの制度ができたのは1809年というから、歴史は古い。国会が政府機関に対する国民の苦情を処理するため任命した官職だった。

 スウェーデンのオンブズマンの権限は強大で、警察、外交のすべての活動を含む中央・地方の政府、裁判官などの不当な行動に対して、市民の苦情申立てがあった場合だけでなく、オンブズマン自身のイニシアティブで調査、査察をすることができる。また、いかなる関連文書へのアクセスも拒否されることはない。そして調査結果に基づいて関連の政府機関に勧告をし、国会に立法を促したり政府に対して政策変更の提案をすることができる。

 オンブズマン制度の考え方は、1950年代から、「もっとも有効で手早い苦情処理・行政救済制度」として欧米に伝わったとされる。北欧諸国では権限が広くて強いが、イギリスなどでは制限されている。

 日本ではかつて、苦情処理制度として総務庁(現総務省)の行政相談員制度があったものの、欧米諸国に比べて権限が弱く、手続きもよく整備されていなかった。そのためオンブズマン制度の採用を求める声が高まり、1990年、神奈川県川崎市に「市民オンブズマン」、東京都中野区に「福祉オンブズマン」(福祉サービス苦情調整委員会)ができた。それ以後、地方自治体でオンブズマン制度か、それに類似した制度の導入が図られた。また、民間の自発的組織としての市民オンブズマンの活動も1990年以降盛んになり、いわゆる官官接待や空出張などの実態を明らかにしてきた。

 日本でやっと情報公開法が成立したのは1999年で、2001年に施行された。国の行政機関が保有する情報について、開示を求める請求があれば、一部の例外を除き、開示請求者にすべて公開することが定められている。この法律ができたことによって、オンブズマンや市民グループは、活動の幅がぐっと広がった。しかし、欧米のように国会によって任命されるオンブズマン制度は、まだない。

 鳩山民主党は、史上最強の“オンブズマン”になれる権力を握った。鳩山政権は、経済対策など急を要する政策には果断に手をうたなければならないが、それ以外はあせらずじっくり構え、半年くらいをかけて、自民党政権時代に闇に包まれていた情報を徹底的に暴くべきだ。永田町や霞ヶ関をたたけば、ほこりや闇情報はいくらでも出る。

 薬害エイズや消された年金のときと同じように、国民は喝采するはずだ。何でも思い切ってオープンにする“ポルノの思想”は、この場合、大いに受けるだろう。

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日本の壁が、ついに崩れた

 ドイツの首都ベルリンで特派員をしているとき、旧西ベルリンの閑静な住宅街に住んでいた。愛車でブランデンブルク門の脇をすり抜け、旧東ベルリン随一の繁華街ウンター・デン・リンデン通り近くにあるオフィスまで通勤した。毎日、かつての西と東を往復していたわけだ。

 ぼくがいたのは、ベルリンの壁が崩れて約5、6年後のことで、すでに中心部には壁の跡形もなかったが、心の壁は消えないでいた。旧東の住民は、「旧西の住民に2級市民扱いされている」と感じていた。45年にわたる東西分断で生まれた市民意識や文化のギャップは容易に埋まらず、所得格差もかなりあった。

 壁が崩れたのは、20年前の1989年11月9日だった。ドイツ人は、壁の崩壊前後からドイツ統一にいたる一連の政変を「ヴェンデ(Wende)」と呼ぶ。転回とか転機、歴史的な転換期のことを意味する。アメリカのオバマ大統領が言った「チェンジ(変革)」に通じる。日本で「戦前」「戦後」と言われるように、ドイツ人は「ヴェンデ前」「ヴェンデ後」とよく口にする。

 東西冷戦期の日本では、西側陣営にくみする親米保守の自民党が派閥領袖のたらい回しによって政権を維持し、社会主義の東側を支持する社会党が万年野党に甘んじていた。1955年に生れたその国家体制は、ごく短い期間をのぞいて揺るがなかった。「政権交代のない民主主義などありえない。日本は共産党独裁の社会主義国家とどうちがうのか」。ドイツ人には、よくそんな皮肉を言われた。

 日本の国内にも、<壁>がそびえていたのだった。ベルリンの壁が崩れてソ連邦が崩壊し冷戦が終わって6年後、日本社会党は解散し、社民党が後継政党になった。しかし、その後も自民党は延命してきた。

 第二次大戦後の西ドイツでは2大政党と少数政党があり、政権交代は何度も行われてきた。ヴェンデ後の統一ドイツでも、日本の衆議院に当たる連邦議会は、任期の4年間、よほどのことがない限り解散されることはなく、首相も任期をまっとうする。

 しかし日本では、国民のあずかり知らないところで、国の最高指導者が選ばれ、有権者の多くは政治に白けてきた。2005年9月、時の小泉純一郎首相が「自民党をぶっ壊す」と叫んで、自民党を歴史的大勝に導いて以後、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と首相が3人も交代して迷走した。

 そして、ついに2009年8月30日の総選挙で、戦後初めて野党が単独で過半数を占め、政権交代が実現することになった。自民党は壊滅的な敗北を喫し政権の座を追われた。ベルリンの壁が崩れてから実に20年後、<日本の壁>が崩れたのだ。まさに、日本版ヴェンデがはじまった。

 イタリアでは、冷戦が終わった1991年に共産党が解散に追い込まれた。戦後政治を主導してきた親米保守のキリスト教民主党は、反共主義の旗印を失い、92年総選挙で大敗北し、2年後に分裂・解党した。

 日本では、それと同じ現象が、ようやく今になって起きた。自民党敗北の原因はさまざまだろうが、社会を覆う閉塞感が限界に達し、国民が変革を求めたということだろう。総選挙の当日、自民党は新聞各紙に「日本を壊すな」という全面広告を載せた。どうせ広告代理店が考えたキャッチコピーと思われるが、ブラックジョークでしかない。格差の拡大など日本の国民生活を壊したのは、市場原理主義を導入した小泉自民党に他ならないからだ。

 今回の総選挙は、市民の閉塞感や体制側からの離反者続出という点で2000年10月の長野県知事選によく似ていた。あのとき、長野県では、I前副知事が早々と出馬を表明し、県議会の共産党をのぞくすべての議員が支持した。県内120市町村のすべてにI後援会の支部が作られ、首長や議長が支部長になった。経済界をはじめ3000を超す各種団体が、I氏を推薦した。全体主義的な空気、「モノ言えば唇寒し」というムードが蔓延していた。

 県民のうち、危機感を抱いたごく一部の有志は対抗馬擁立を模索し、田中康夫氏に白羽の矢を立てた。擁立グループはボランティアを動員し、田中氏もマスコミを巧みに操って県民にアピールした。田中支持の勝手連が100以上も生まれ、県政の変革を求める動きが燎原の火のように広がっていった。「市民は、自分の1票で政治が動く、と思えば自ら動く」とあるボランティアは喝破した。上からの圧力に口をふさいでいた人びとも声をあげ、奔流となった。磐石の態勢を敷いたはずのI陣営からも、離反者が続出し、田中氏が当選した。

 ぼくは、自分たちが創刊したわが国で初めての有料メールマガジンで、『長野十月革命』というタイトルを掲げ、その知事選の内幕を長期連載した。無数の人びとが、何をきっかけににどう動いたのかを描いた。さらに、2002年の出直し知事選ルポと合わせ『田中康夫 戦いの手の内』(情報センター出版局)として上梓した。田中氏は、体制の破壊者、閉塞感の打破者としての役割をはたした。だが、「受けのするパフォーマンスに走るきらいがある」と側近も危惧していたように、やがて県民に見限られ、3度目の知事選では落選した。

 今回総選挙では、朝日新聞や産経新聞の出口調査によると、自民支持層の約3割が離反し、民主党に投票した。兵庫8区から出馬した田中康夫氏は、長野県での成功体験から「選挙に行こう。政権交代が始まる!」とあおった。公明党の冬柴鉄三・前幹事長を接戦の末に破り、当選を果たした。有権者は、自分の1票で政治が動く、と思って<日本の壁>を崩す1票を入れたのだった。

 民主党は、憲政史上初めて308もの大量議席を獲得した。しかし、有権者が民主党に絶大な期待を寄せていたわけではない。読売新聞が投票直前に行った世論調査によると、衆院選後の望ましい政権の形として、「政界再編による新しい枠組み」28%、「自民と民主による大連立」28%、「民主中心」26%、「自民中心」11%だった。

 公明党が小選挙区で全滅するなど民主党のひとり勝ちだったが、国民の多くは、ただ「自民党をぶっ壊したい」から民主党に入れたのだ。選挙後の世論調査では、新政権に期待する声が、朝日74%、読売71%あったが、それは「結果が出た以上、期待はする」ということだろう。

 民主党のマニフェストは、冷静に読めば、ばらまき以外の何モノでもない。朝日新聞の世論調査では、83%もの人がその財源について「不安を感じる」と答えている。官僚丸投げの政治から本当に脱却できるか、外交・安全保障政策をどうするかなど、危うい点はいくらでもある。

 ベルリンの壁崩壊から20年後の旧東ドイツ市民は今、何を考えているか、世論調査が行われた。そこでは、57%もの市民がかつての東ドイツという国を支持している現実が浮き彫りになった。東ドイツは共産党の独裁体制下、秘密警察『ジュタージ』が国民の自由を束縛し、市民の相互密告制度などもあった。西側では「暗黒国家」「非法治国家」とみなされていた。それでも、半数以上が、東(オスト)への郷愁(ノスタルギー)を覚えている。新ドイツ語でオスタルギーと呼ばれるそうした意識は、ヴェンデ後しばらくしてから生れたが、それが今でもつづいている。

 日本でも、「自民党の“独裁体制”のほうが、まだ良かった」などと国民に思われないよう、鳩山民主政権は最高度の手腕を発揮しなければならない。<日本の壁>の単なる破壊者で終わることは許されない。

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日本人カースト戦記・PRのページ

『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』
    (木佐芳男著・文芸社刊行)
        PRのページ

2009年9月、上記の本を上梓しました。
書籍の帯にあるコピーとコメントを以下に記します。
気軽に読める連作エッセイです。
ISBN 9784286075372 ¥1,500+消費税

【オビ表側コピー】
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インドに特派員として駐在した著者が、
使用人を6人も抱えカースト制とバトルを
繰り広げた日々を綴る、痛快エッセイ。

――そして、「日本人カースト」とは何か!
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【オビ裏側コメント】
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「インド関連本はほぼすべてチェックしているが、カーストにこれほど肉薄した例を知らない。しかも、筆致はユーモラスでかつ深い」(大学准教授)、「登場人物の各キャラが立っていてすごく面白い。“日本人カースト”は感動的で、素敵です」(主婦OL)、「インドの異文化も興味深い。それにもまして、家族や日本人同士の絆にぐぐっとひかれた」(公務員)
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日本人カースト戦記・プロローグ

 『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』
   「プロローグ」と「第1部 1 ☆密輸ファミリー」

.プロローグ インドの壁

 ふつうの日本人家庭に、インドのカースト制がそのまま入りこんできたらどうなるか。はちゃめちゃになるに決まっている。それだけではない。インドに住む日本人が作るコミュニティは、カーストの無数に細分化されたサブカーストのひとつとなっているのだった。

 ふた昔前、ぼくは、新聞社の特派員としてニューデリーに駐在していた。妻の和余(ルビ=かずよ)と幼い息子・優士(ルビ=ゆうし)もいっしょだった。
 やがて、和余がふたり目を身ごもった。そのころのインドは、おしなべて貧しく、医療水準も低かった。先進国からの駐在員家族で現地出産した例は、耳にしたことがなかった。それでも、妻とぼくはよく話し合い、ニューデリーで産むことにした。
 かかりつけの『プライベート・クリニック』へ行き、カルヤン・サチデヴ院長に、ぼくたちの決心を話した。院長はシーク教徒で、ターバンを巻いている。
 「とても光栄です。わたしたちのプライドにかけて、万全の態勢をとります。安心してください」
 出産のため和余が入院すると、院長夫人は、揺りかごのようにかわいいベビーベッドを用意してくれた。院長夫妻に、内科医の髭(ルビ=ひげ)の医師も待機していた。別のクリニックの小児科医もきてくれた。看護師長以下4人の看護師もいた。たしかに、プライベート・クリニックの総力をあげた態勢だった。
 赤ん坊は元気に生まれた。和余が、「舞」と名づけた。
 そして、舞が1歳4か月になったとき、ぼくたちは日本へ帰った。気候や衛生事情、社会情勢が厳しいインドでの体験は、強烈な印象を残した。中でも、カースト制に翻弄された思い出は消えない。しかし、子どもたちに、インドの記憶はない。
 やがて、妻とぼくのあいだで、こんなことを約束した。
 「舞が20歳になるときインドを再訪し、子どもたちに、生まれ、育ったところを見せよう」
 2008年、それが実現することになった。ぼくは、サチデヴ院長夫妻にあらためてお礼を言い、成長した舞を見てもらいたかった。しかし、プライベート・クリニックの住所は、すっかり忘れていた。インターネットで検索したり、知り合いの現役ニューデリー特派員に調べてもらったりしたが、分からなかった。
 あきらめかけていた旅行出発の前日、書斎にあった古いファイルを開くと、プライベート・クリニックの住所を書いたメモが見つかった。正式名称は、ドイツ語表記だった。
 Privat Klinik Dr.Sachdev
 ぼくは、すぐネット検索にかけた。真っ先に出てきたのが『プライベート・ホスピタル』のウェブサイトだった。病院の住所はニューデリー近郊の新産業都市だったが、連絡先の住所が、ぼくのメモにあるものと一致した。サイトには、病院のメールアドレスがあり、英文のメッセージを送った。
 3分後、院長の息子という人物から返信がきた。「父には、メールを転送しておきました。父の携帯電話番号は次の通りです。……」

 ニューデリーのホテルに着くと、ぼくは、サチデヴ院長の携帯に電話した。
 「あなたからのメールを、喜びとともに、驚いて拝見しました。お子さんが生まれたときのことは、家内もわたしもよく覚えています。あすの夕方、自宅にきてください。クリニックは閉鎖し、その後リフォームして家内と住んでいます」
 翌日の昼、ぼくたちは、まず、プライベート・ホスピタルを訪問した。さらにあちこちを回った後で、市内の高級住宅街にあるサチデヴ院長の邸宅、旧プライベート・クリニックに向かった。慢性的な交通渋滞のため、30分ほど遅れてしまった。
 待ちかねた夫人が、玄関の外をのぞきに出たところへ到着した。夫人は、舞を抱きしめた。
 「あなたたちは、退院の日、この玄関先で記念写真を撮っていましたよね。さあ、今度はわたしたちがいっしょに撮りましょう」
 そう言うと、夫人はいったん家の中に入り、アナログのカメラを取ってきた。ぼくたちは、デジタル・カメラを持ってきていた。カメラを取り替えながら、門番(ルビ=チョキダール)に、何枚も撮ってもらった。
 院長夫妻のお宅の応接間には、ガラス製品や陶磁器など世界じゅうから集めたものが、展示品のように棚に飾ってあった。日本の皇室をめぐる話題からインドの結婚事情まで、話は尽きなかった。
 帰りがけ、ぼくは、3枚の写真を持参していたことを思い出した。舞が和余のおっぱいを飲んでいるところ、院長宅玄関先での家族写真、そして、舞のかわいいベビーベッドに優士が立って遊んでいる写真だった。3枚目の写真を手にした院長夫人は、ぼくたちが思いもしていなかったことを口にした。――

 インドは、今、世界の新興国として脚光を浴びている。ここにいたるまでには、大きな変革があった。
 サチデヴ院長は振り返った。
 「ひどい時代には、所得税の最高税率が97パーセントでした。どんなに稼いでも、手元には3パーセントしか残らないんです。共産主義そのものです。その後、70パーセントに下げられましたが、それでも、真面目に納税する気にはなれません。経済活動で扱われるお金の半分から7割くらいは、ブラックマーケットに流れ込んでいたでしょう」
 国営企業、国産品を重視し、経済に関しては鎖国のような時代がずっとつづいた。
 サチデヴ院長夫妻は、オーストリアのウィーン大学で、ともに医学留学生として知り合ったという。東西冷戦期で、ソ連を盟主とする東側陣営とアメリカを盟主とする西側陣営が、にらみ合っていた時代だった。院長は「チェコ、ポーランドなど東側の国へも旅行しました」と言った。アテネ生まれでギリシャ国籍の夫人は「そんなこと、決して許されませんでした」と語った。インドは、東西どちらににも属さない『非同盟』諸国の雄とされていた。だが、夫妻の話からもうかがえるように、インドはソ連のなかば同盟国だった。
 サチデヴ院長の言う「共産主義」は、インドなどの場合、一般に「社会主義」として語られる。
 1989年、ドイツで<ベルリンの壁>が崩れ、ソ連東欧の社会主義体制は次々と倒れていった。ベルリンの壁は東西ドイツを分断し南北に走っていた、と誤解している人がいる。実際には、東ドイツ領内の陸の孤島だった西ベルリン市を、ソ連と東ドイツが取り囲んだ壁で、「社会主義体制の象徴」だった。1991年には、ソビエト連邦が崩壊し、ロシアなどばらばらな国々になった。
 東側には属さなかったが、国内に社会主義という目に見えない<壁>をそびえ立たせていたインドも、この年、ついに行き詰まって経済危機にいたった。マンモハン・シン財務大臣は、政策を180度転換して、鎖国の廃止・対外開放と大胆な民営化に踏み出した。つまり、<インドの壁>は1991年に崩された。所得税の最高税率は、30パーセントに下げられた。経済発展の土台は、そのときようやく築かれ始めた。
 かつて、ニューデリーに駐在する各国の外交官や特派員の間では、インドを巨大な航空機にたとえ、「いつ離陸するか」が話題になっていた。
 インドを再訪し、さまざまな人たちに話を聞いて、あらためて知ったことがある。インドという巨大な航空機は、1991年から7年間ほどが滑走路を移動するタクシングの時期で、1998年ごろ、とうとう離陸した。それからおよそ10年経って今にいたる。しかし、まだ、安定軌道には乗っていない。カースト制も厳然としてある。
 マンモハン・シンは、2004年から、首相としてインドを引っ張ってきた。

 ぼくたちがインドで暮らしていたのは、1987年から1990年までだった。<インドの壁>が壊れる直前の3年間だったことになる。この本では、「第1部 ブーゲンヴィリアの祝福」で、<壁>がまだあったふた昔前、カースト制と格闘したぼくの家族の物語を中心に綴(ルビ=つづ)る。そして、「第2部 ベビーベッド」として、インド再訪記を付け加える。第1部と第2部の各編はそれぞれに対応している。

.第1部 ブーゲンヴィリアの祝福

.1 ☆密輸ファミリー

 ぼくの妻と生後6か月になる息子が、海外生活にあたり、最初にしたのはパソコンの密輸だった。インドの首都ニューデリー近郊にあるインディラ・ガンジー国際空港が、犯行の現場となった。
 息子の優士が生まれた1987年のころ、インドは、まだ、なかば鎖国のようで、電化製品は、家庭で使うものさえ自由に持ち込める国ではなかった。まともに申告すると300パーセントもの税金がかかる、と伝えられていた。
 犯行の3か月前、ぼくは、まず単身でニューデリーに赴任していた。現地にワープロを持ちこんではいたが、仕事をしてみて不便さを感じ、こっそりパソコンを手に入れることを考えた。東京本社にいたとき、パソコンを少し触ったことがあり、その便利さを知っていた。
 しかし、当時の会社は、仕事用とはいえ、記者がパソコンを買うのに1円も出してくれるような雰囲気ではなかった。ましてや、税金など払ってくれるわけがない。
 東京にいる友人の佐藤に国際電話をかけ、秋葉原で買ってもらった東芝製のラップトップ型パソコンは50万円ほどだった。ハードディスクも付いてはいない、今考えればおもちゃのようなしろものだった。それでも、税金はざっと150万円もかかることになる。そんなお金を払えるものか。ぼくは、空港の税関をすり抜けるため、必死に情報収集を始めた。
 ニューデリーの日本人コミュニティには、『ピーコック』という30歳前後の駐在員とその家族が親しくつき合うサークルがあった。その集まりのとき、近くやってくる妻子にパソコンを持ち込ませる計画を打ち明けた。
 「まず、一番のハードルはX線装置ですね」
 藤原さんが言った。パソコンなどのメーカーNECの駐在員だから、反応は早かった。飛行機に搭乗するときチェックインカウンターで預け入れた手荷物は、着陸した飛行場でベルトコンベアーに乗せられて、乗客の前に出てくる。ニューデリーの空港では、その前にこっそりX線をかけ、電化製品などが隠されていないかどうかチェックしているという。
 「ブツが入っている手荷物には、チョークで印をつけ、税関カウンターで引っかけるんですよ」
 知らなかった。そんなことをされるなら、預け入れ手荷物には忍び込ませられない。藤原さんの同僚の下野(ルビ=しもの)さんが口をはさんできた。
 「パソコンのサイズはどれくらいです?機内に持ち込んで、こっちの空港では、ベビーカーの座席下に隠しちゃう手があるんじゃないですか」
 パソコンの大きさは大したことはないはずだから、やればできそうだった。すると、商社・丸紅で鉄鋼をあつかう森廣さんが、身を乗り出して言った。
 「そう、それですよ。インド人は子どもが大好きだから、税関職員も子ども連れはまずフリーパスらしいですよ」
 そして、まだ子どものいない森廣さんは、大胆なことを発案した。
 「ベビーカーを奥さんひとりで押していって、万一、呼び止められたら、赤ちゃんを思い切りつねって泣き出させればいいんじゃないかな。インド人は子どもの泣き声にはめっぽう弱いから、すぐ通してくれますよ」
 話を聞いていたピーコックの十数人の面々は、いっせいにうなずきながら盛り上がった。
 「それ、それっ。奥の手はそれですよっ」
 ぼくは、日本の妻・和余に電話して、友人の佐藤から届けられたパソコンが、ベビーカーの下のかごに入るかどうか確かめさせた。すっぽり入り、上からバスタオルでもかけておけば隠せるという。作戦はそれで決まった。ふぅーっ。
 だが、ぼくには、ニューデリーの空港へ初めて降り立ったとき目にした光景が、気にかかっていた。ぼくの前にいた女子学生風のブロンド嬢は、あと2、3メートルで税関エリアを通り抜けられるというところで呼び止められた。出口わきにもあるX線装置に手荷物のすべてをかけられ、スーツケースを開かされていた。
 鼻髭(ルビ=ひげ)をたくわえた税関の係官が、ビキニのショーツやブラジャーなどを一つひとつ取り出し、目の前に持ち上げて「所持品検査」をしたのだった。女の子は目に涙をためながら、抗議もできず、官憲のセクハラに耐えていた。――
 ぼくの妻子を、そんな目に遭わせることだけは、何としても避けたかった。密輸犯にもプライドはある。
 妻子は、成田発バンコク経由デリー着の便で飛んでくることになった。ぼくは、ちょうどそのころ、インドの東隣りバングラデシュの首都ダッカが騒乱状態になり、急きょ出張した。状況によってはダッカを離れられなかったが、かろうじて、タイの首都バンコクの国際空港乗り継ぎ(ルビ=トランジット)ロビーで合流できた。
 3か月ぶりに見る優士は、ひと回り大きくなり、首もすっかりすわっている。頭はくりくりに剃り上げられていた。赤ん坊の髪を記念の筆にしてくれる業者があって、頼んだという。ずっしり重くなった優士を抱き上げると、目が潤んでしょうがない。成田空港で和余と優士と和余の両親に見送られたとき、ふたたび会える日がくるのだろうかと不安がぬぐえなかった。インドは、気持ちの上で、それほど遠い国だった。
 感激にひたるのもそこそこに、ぼくは、われらが密輸作戦を和余に語った。
 「えーっ、つねるの?」
 「だから、それは万一、呼び止められたときのことだよ」
 「でも、どこをつねったらいいの?」
 密輸の実行犯になる覚悟を決めた和余の質問は、もっともだった。
 「どこって言われても……。おむつから出てる太ももの下あたりを思いっきりいけばいいんじゃないの」
 息子が号泣し、税関の係員があわてて通してくれる光景が頭をよぎった。そううまくいけばいいのだけれど。
 インディラ・ガンジー国際空港には、予定より少し遅れて着陸した。機内から出ると、さっそく折りたたんでいたベビーカーを広げ、パソコンをかごに隠して作戦準備を完了させた。和余は成田空港で、中型のスーツケースのほか、日本の食材や身の回りのものを詰めたダンボール3箱を預け入れていた。それらにはやばいブツは入っていないから、すべてぼくが運ぶことにした。
 日本時間でいえば、すでに午前5時ごろだった。優士は眠っていたが、和余は時差ボケになる余裕などなく、犯行を前に目を輝かせていた。
 「いいか、堂々とわき目もふらず、あそこのカウンターの前を通り過ぎるんだぞ」
 ベビーカーを押す和余のロングヘアーが遠ざかっていく。ぼくは、ベルトコンベアーから預け入れ手荷物が出てくるのを待ちながら、祈るような気持ちでそれを見送った。

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日本人カースト戦記・目次

『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』目次

プロローグ インドの壁

第1部 ブーゲンヴィリアの祝福

1 ☆密輸ファミリー
2 ☆にわか王侯貴族と家庭内カースト
3 ☆ショッキングピンク
4 ☆ファクスは十字を切って
5 ☆ペルパル
6 ☆消えたスーツケース
7 ☆オケサ音頭
8 ☆赤いリンゴに銃声よせて
9 ☆商人とのわが闘争
10 ☆全員集合令
11 ☆日本人カースト
12 ☆パッキッタン
13 ☆禁断のおっぱい
14 ☆火炎樹と鯉のぼり
15 ☆嵐の季節
16 ☆いたずらプリンス
17 ☆ギネス級ショット
18 ☆ブーゲンヴィリアの祝福
19 ☆元日決死行
20 ☆お礼参りとひな飾り
21 ☆バイキンマンの試練
22 ☆幽霊ジャーナリスト
23 ☆超民主的ゴルフ場
24 ☆城内バトル
25 ☆松茸(ルビ=まつたけ)の幸せ
26 ☆第2の夏(ルビ=セカンド・サマー)襲来
27 ☆楽園の危機一髪
28 ☆インド症候群(ルビ=シンドローム)
29 ☆日印戦争

第2部 ベビーベッド〔約20年の後に〕

1 ☆犯行現場
2 ☆ビッグサンダー・マウンテン
3 ☆ファッション・チェック
4 ☆胸の十字も今は昔
5 ☆数世紀ぶりの抱擁
6 ☆年増女の厚化粧
7 ☆運転手ラビさんの悲哀
8 ☆ペシャワールの大和魂
9 ☆でたらめ商人の系譜
10 ☆人事の合理化
11 ☆メザシの涙
12 ☆氷は平気、パッキッタンは激動
13 ☆識字率への疑問
14 ☆国会議員誕生
15 ☆遠隔医療のパイオニア
16 ☆印流ブームの予感
17 ☆粘り勝ち
18 ☆ベビーベッド
19 ☆インド亜大陸は死の臭い
20 ☆舞、サリーを着る
21 ☆健啖家(ルビ=けんたんか)バイキンマン
22 ☆金融危機の衝撃波
23 ☆タイガー・ウッズ
24 ☆逆差別
25 ☆魔よけのお面
26 ☆さすらいの雀士たち
27 ☆ふたたび楽園の島へ
28 ☆格差の恐怖
29 ☆潜在意識の記憶
エピローグ インドの生と死

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日本人カースト戦記・書店リスト

『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』陳列書店リスト
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