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ネットがくれた奇跡――金木犀の話

 今年も金木犀の季節がきたね――妻とぼくの間では、毎年この時期になると、同じ会話がくりかえされる。

 今から27年ほど前、ぼくは長野県伊那市に新聞記者として駐在していた。『まほろば』という同人誌のような文集の取材に行ったところ、主宰している元教員のおばあちゃんから、「次号に一文書いてください」と頼まれた。

 そこで、作家の佐藤愛子さんが執筆のため定宿にしているという地元のある旅館に1泊し、ぼたん鍋を堪能した後、原稿用紙に向かってささっとエッセイを書いた。タイトルは「金木犀の話」とした。

 それを読んだことのある女性が、数年後、あるいきさつから、ぼくの元に金木犀のひと枝を郵送してくれた。それがきっかけとなってその女性と結婚することになった。つまり今の妻だ。

 ぼくのエッセイが載った『まほろば』は、大切に保管していたはずだが、引越しをくりかえしどこにしまったか分からなくなってしまった。うっかり処分したものの中に入っていたかもしれない。ぼくが新聞の記事以外で初めて書いた記念碑的エッセイでもあり、ぜひ手元に置いておきたかったのに、それもかなわないまま20年数年が過ぎた。

 2009年9月20日の日曜日、何気なく「木佐芳男」をキーワードにGoogleで検索してみると、ちょうど6200件あった。2001年の時点では600件余りだったから、約10倍に増えていた。ほとんどはぼくの書いた本に関するものだったが、80数件目に「金木犀」という文字が目に飛び込んできた。数行の引用文には、『まほろば』に書いた覚えがかすかにある文章があり、心臓がどんと打った。

 サイトを開いてみると、『いとう岬の文芸工房』というブログで、ぼくの名前とともに「金木犀の話」の全文が載っている!

 インターネットで自分の名前を検索すると、インターネットが普及した1990年代後半以降の自分の足取りを確認することができる。しかし、このエッセイを書いたのは1982年ごろのことであり、もちろん文集は紙に印刷したものだった。『いとう岬の文芸工房』のプロフィールをみると、運営しているひとの本名などはないが「長野県」とある。どうやら『まほろば』を読んで、ぼくのエッセイを転載してくれたようだった。むろん、無断転載を批判したりする気はない。探しあぐねていた懐かしいエッセイを、よくぞ載せてくれた、と感謝している。

 ぼくにとっては、インターネット時代ならではの奇跡だった。思い出深いそのエッセイを以下に載せておく

         ◇◆◇◆◇◆

 橙の花は、金木犀(キンモクセイ)。白い花は、銀木犀。米粒にも満たぬ四つの花びらが寄り添って、ささやかな花をつくる。花がひとかたまりになって、堅い細枝の堅い緑葉を彩る。残暑もすべて消え、季節が確かにひとつの角を曲がるころ、小さな花は、突然自己主張を始める。水たまりや、石ころの場所さえいつしか覚えた小径で、散歩の人は見知らぬ街へ迷い込んだ幼な子のようにとまどい、思わず歩いて来た道をふり返る。木犀の咲き方はそれほど極立つ。だが、例えば、満開の桜の華麗さとは違う。何よりも、その香りの艶やかさと激しさが人を惑わす、と言えばいいすぎだろうか。

 その金木犀とあるおばあちゃんの部屋で出会った。部屋へ通された瞬間、「ああ、金木犀ですか」と、思わず口にした。テーブルの上には、橙色の小花の群がった、三十センチほどの小枝が一本挿してあった。

 記憶を最も鮮明によみがえらせるのは、色でも形でもない。嗅覚の記憶にこびりついた匂いなのだという学説を、僕は木犀のおかげで信ずるようになった。その上、記憶の再現は、必ず一つの道順をたどることも。

 あの日―。香りに叩き起こされた記憶は、まず、無言の映像を描き出す。黒っぽい土の上にびっしりと舞い落ちた白と橙の花。そっとつまんでプラスチックの茶碗に盛る小さなぼくの手。神聖な儀式のように押し黙ってそれを見つめる女の子の前髪。スカートのひだ。「こっちがご飯。これはおかず」。お客さん役の女の子は、山盛りのご飯をこぼさないように、おずおずと手のひらを差し出す。その時、声が聞こえる。「仲良く遊んでるわねェ」。

 隣のおばさんのやさしい声は、しかし、ぼくたちの変則的なままごと遊びを、無惨にかき乱す。二人だけの秘密をとがめられたように身をこわばらせ、立ち上がり、その時初めて、花の本当の姿に気づいてしまう。膝の辺りからとてつもなく高い所まで、そして横にもずっと、緑と白と橙の壁がそびえている。いきなり噴き溢れた悲しい思いに衝き動かされ、家の方へ駆け出して行く―。

 それまでぼくたちは、拾い集めた宝物が、空から舞ったのだとでも信じていたのだろうか。

 故郷のわが家と、表通りの間には、一軒の家がある。その家の露路沿いには、柊(ヒイラギ)の間に、金と銀の木犀を植えた生垣があった。年に一度、香りによって呼び戻される追憶が、事実かどうか確かめようもない。衝撃的な香りが、心のさまよい出しそうな季節の中に充満し、一つの幻想を産み出すだけなのかも知れない。ただ確かなのは、あの香りそのものが、ぼくにとってかけがえのない郷愁であること。すでに遠い過去のものに違いない無邪気さなのに、今でも、いつまでも、心のどこかに残っていると信じさせてくれる。

 そして、生きるというのは、一つ一つ、本当のことを知ってしまうことだという悲しい認識をくり返させもする。

 数年ぶりで帰郷した日、隣家の生垣が改築工事のためすべて取り払われていたことを、ぼくは知った。

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