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2009年10月

特オチなんか怖がるな

 かつて、ドイツ人の新聞記者に日本の新聞事情を説明したことがある。もちろん、ドイツの新聞と共通点も少なくないが、決定的にちがうのは「特オチ」という言葉だった。それには触れないほうがよかったな、と一瞬思ったが遅かった。たった一つの言葉でも、それは日本の新聞界の本質にかかわる大問題で、外国人に説明するのは容易じゃない。予想通り、相手にさんざん突っ込まれて汗をかいた。

 特オチというのは、特ダネの反対で、他のどの新聞にも載っているニュースをある1紙だけが落としてしまうことだ。ドイツには、そういう概念はない。ドイツに駐在しているとき、オフィスで国内紙7、8種類を取っていたが、各紙はとても個性的で、紙面の作りも扱う記事も多彩だった。日本でなら当然すべての新聞の1面トップになる大ニュースでも、平気で掲載していない新聞がある。「その記事を読みたければ、どうぞ他の新聞を買ってください」という姿勢だった。だから、新聞記者は、仮に他のすべての新聞に載っている記事が自分の新聞にだけ載っていないからといって、責任を問われたりすることはまずない。それよりも、特ダネを追っかけるべきだというのが、基本姿勢だった。

 インドの新聞事情もほぼ同じで、扱う記事も論調もそれぞれだった。植民地時代に日本の新聞制作手法がそのまま持ち込まれた韓国などは知らないが、記者が特オチに戦々恐々とする国などまずないだろう。

 日本で、特オチという概念が生れたのは、他の新聞に載っていることは原則として全部載せ、なおかつ特ダネを追求する、という方針が新聞業界に定着しているからだ。これは、日本独特の“横並び文化”そのものだ。

 しかも、特オチをしないというのはいわば守備重視で、攻撃重視の特ダネ競争とは矛盾する一面がある。サッカー岡田JAPANは、全員攻撃全員守備をモットーにしているが、それは90分間だからどうにかできる戦術だ。守備重視かつ攻撃重視を365日やろうと思えば、どこかに無理が生じる。

 2009年10月19日の朝日新聞夕刊で、久しぶりにこの「特オチ」という言葉に出会った。『新聞ななめ読み』というコラムで、筆者はNHK放送記者出身の池上彰さんだ。そこで触れられていたのは、新聞週間に当たり、朝日が10月11日朝刊で6ページにわたって組んだ特集の中のある記事だった。

 昭和40年(1965)、東京の裁判所や検察庁を担当する司法記者クラブが、クラブの申し合わせにそむいて抜け駆け報道した毎日新聞を除名した。それを受け、東京地検の次席検事が「検察は記者クラブ加盟社だけを相手として定例記者会見を行っている」と、毎日新聞を締め出した。その結果、毎日新聞は特オチをすることになり、記者クラブに「全面降伏」して担当記者3人を交代させた。この出来事をきっかけに、検察が「捜査妨害」を名目にした「出入り禁止」措置をとり始め、報道各社をコントロールするようになった。

 池上さんは、「こうなると、検察幹部の顔色をうかがう記者が出てきてしまうかも知れません。この話は、業界ではよく知られたことですが、一般読者向けに、はっきり書いたことは、画期的なことです」と評価している。

 池上さんは、ニュースを分かりやすく解説するジャーナリストとして知られ、テレビなどでもおなじみだ。だが、広く浅くなんでも取り上げるだけに専門知識や洞察力に欠けるきらいがある。ある分野に通じた専門家や記者が首をかしげることも少なくない。

 今回取り上げた朝日の特集記事も、内外から批判の強い閉鎖的な記者クラブのあり方や、当局幹部と記者との関係について朝日自ら鋭く切り込んでいるわけでもなく、はっきり言って特に褒めるような内容ではない。

 検察と報道機関の関係を検証するなら、昭和40年などと古いことを持ち出す必要はない。2009年3月、民主党の小沢一郎氏の公設第一秘書が西松建設からの献金疑惑で逮捕された事件では、朝日新聞をはじめ大新聞が、連日、東京地検からの見え見えのリーク情報を記事にして、表向きの特ダネ合戦を演じた。記者発表されたわけでもないのに、東北地方を舞台にしたまったく同じ内容の出来事が、あたかも独自取材で得た情報のように、朝日と読売の同じ日の朝刊に載ったりした。別の日には他の新聞がおなじことをやっていた。

 衆議院の解散、総選挙を控え、この西松建設事件は「民主党にダメージを与えるために検察当局が恣意的に捜査権力を乱用した国策捜査だ」という批判が根強かった。検察は、その批判をかわすため、いかに小沢氏側と建設業界が癒着していたかを物語る情報を新聞にリークし、世論を一定の方向にリードしようとしていたとしか考えられない。

 司法記者も新聞社も、それを承知で踊っていたわけだ。特オチが怖いから検察幹部と仲良くやっていく。その代償として、検察にメディアはなめられる。ほとんどの司法記者が「検察幹部の顔色」をうかがっているのだ。池上さんは、そこのところが分からないのか、朝日におもねっているのか、核心に触れなかった。

 政権が交代し永田町や霞ヶ関の論理が変わったのだから、マスメディアもそろそろ変わるべきだろう。世界の常識に従い、社の方針として、特オチをしたかしないかの減点法ではなく、いかに真の特ダネを報じたかの加点法に切り替えるだけでいい。

 あえて「特オチ宣言」をするメディアはないだろうか。その社が特ダネを連発すれば、横並びの文化だから、他社も追随し、特オチという言葉などすぐ死語になるだろう。

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郵便局はやっぱりおかしい

 友人のYさんにゆうパックを送った。しかし、数日後、「あて所に尋ねあたりません」というスタンプが押され、郵便配達員がわざわざわが家にもどしにきた。おかしいな、引っ越したとは聞いていないが、と思いながら、Yさんの奥さんに問い合わせのメールを送った。

 すると、引っ越しなどしていないという。どうなってるんだ、と少し頭にきて郵便物を手に、発送した近所の郵便局へいった。窓口の女性職員に事情を話すと、奥に引き下がりスタンプにある○○西郵便局へ電話をかけているようだった。

 「届かない理由がわかりましたが、個人情報なので言えません。直接相手のかたに電話するなどして、○○西郵便局に連絡してもらってください」。女性職員は理解に苦しむことを言う。「なにが個人情報ですか。Yさん宅にはすでに問い合わせました。たしかに、その住所に住んでいるんですよ。それなのに、あて所に尋ねあたりませんとは、どういうことですか」

 「個人情報ですから、こちらでは詳しいことは申し上げられません」「だから、それじゃなんのことかわかりません。○○西郵便局になにをどう連絡したらいいんですか」「とにかく、個人情報ですから、申し上げられません」

 押し問答するうち、こちらも声がだんだん大きくなっていった。「Yさんに届かないということは、Yさんの家族にも届かないということですか?この宛名は『皆様』とも書いてありますけど、奥さんにも届かないのですか?奥さんとはメールで確認したところ、この住所に現に住んでいるんですよ。もういちど、○○西郵便局に確認してください」。女性職員は、ふたたび奥へさがり、しばらくしてもどってきた。「家族宛でも届かないようです」

 まったく、意味がわからない。「責任者を呼んでください!」。女性職員は、一番奥の席にいる中年男性のところへ行き、なにかこそこそ話している。やがて、その男性が窓口にやってきて小声で言った。

 「ここだけの話にしていただきたいのですが、実は、Yさんは転送届けを○○西郵便局に出しておられたのですが、その期間が先日切れているんです」「それじゃ、『あて所に尋ねあたりません』というのはちがうじゃないですか。たしかに、Yさん本人は単身赴任しているかもしれませんが、家族はここに住んでいるんですよ。宛名はYさんと皆様としてあるのに、届けないというのはどうなっているんですか」

 責任者の男性は、それには反論もできず、「相手のかたに連絡して、○○西郵便局に電話してもらってください」と言う。「奥さんが局に電話するだけで、この問題は片付くんですか?」と食い下がると、「転送届けの延長をするか、転送をやめてこの住所に配達するように変更すればだいじょうぶです」

 Yさん本人が今その住所に住んでいなくても、宛名は皆様ともしてあるから家族に届けるのが本来の郵便局の業務ではないか。しかし、正論を言っても押し問答がつづくだけのようだった。

 釈然としないまま家に帰り、Yさんの奥さんに電話して事情を話した。奥さんは、「主人は単身赴任してますけど・・・すぐに○○西郵便局へ電話してみますね」と言った。ちょっと経って、奥さんから電話がきた。「郵便局の人の説明を聞いてもよくわからなかったんですけど、手続きをするよう主人にすぐ伝えておきます」

 ぼくも納得がいかないので、○○西郵便局へ電話して直接聞いてみることにした。インターネットで○○西郵便局の電話番号を調べようと検索すると、「郵便窓口・ゆうゆう窓口」「郵金窓口・ATM」「保険窓口」の3つに分かれている。最初の郵便窓口だろうと思ってその欄をクリックすると、「サービスの内容によってお問い合わせ先が異なります」と書かれている。「集荷・配送について」(郵便事業株式会社)がさらに2つに別れていて「郵便全般について」と「集荷について」があり、それぞれの番号がある。その他に「集荷・配送を除く郵便サービスについて」(郵便局株式会社)の「窓口業務について」という電話番号もある。

 とりあえず、「郵便全般について」の番号にかけると、担当のAという人が出てきた。Yさんの奥さんとさっき電話で話したばかりだという。Aさんの説明を聞いても、いまひとつ要領を得ない。「転送の手続きをしているのはYさん本人だけですから、家族宛なら届くはずです」と言う。それなら、「Y様、皆様」としていた郵便物を送り返してきた責任はどこにあるのか。「家族宛でも届かないようです」と言ったあの女性職員の言葉は、明らかに嘘だった。ちゃんと確認もしないで、適当に答えたのだろう。

 かつての国鉄は民営化されてJRとなり、態度がころっと変わってサービスがうんと良くなった。郵便は民営化されて、むしろ悪くなったんじゃないか。今回の返送騒ぎはもちろん論外で、怠慢、ずさん以外のなにものでもない。宅配便ならこんなことは起きなかっただろう。

 郵便サービス一般を考えても、このコンビニ時代に、日曜や祝祭日にも窓口を開くことなど考えないのか。郵便事業が分割されたことは、新聞やテレビニュースでもちろん知ってはいたが、いざ自分がトラブルに巻き込まれてみると、その実態を垣間見て驚かされた。

 鳩山政権は、2009年10月20日、閣議で小泉政権が進めた民営化路線を大きく転換することを決めた。民営化そのものより、その具体策がまちがっていたとしか思えない。

 今、ひとつの郵便局に、郵便事業株式会社、郵便局株式会社、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の職員がいるのだ! あの責任者の男性は郵便局長なのだろうが、いったいどの会社に属しているのだろう。

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「生き様」を初めて使ってしまった

 世の中には「口説き文句」という言葉がある。女性を口説こうとするとき、男は一世一代の言葉を考えるかもしれない。最近は、逆ナンといって女性が男性を口説くのも珍しくはないようだが。

 文章を書く仕事をしていると、別に誰かを口説くわけでもないのに言葉に敏感になる。どんな場面でどういう言葉を選ぶかは、結構むずかしい。文脈からみて適切かどうかはもちろん、ある言葉の好き嫌いも大きな要素となる。

 2004年に『空中ブランコ』で直木賞を取った作家の奥田英朗さんが、週刊誌に「『真逆』なんて日本語はない!」というタイトルのエッセイを書いていた。テレビのアナウンサーが使う日本語の粗雑さを槍玉にあげている。

 「暗雲が立ち込めました」
 まて、こら。立ち込めるのは霧や煙。雲は「垂れ込める」だろう。
 (略)わたしは、毎度ブラウン管に向かって小言を言うことになっているのである。

 ――こんな調子だ。これは誤用のケースだが、奥田さんは新造語というか、この1、2年で一気に広まった言葉の例として「真逆」をあげ、徹底的に叩く。テレビがこの言葉の発信源だとし、「なあにが『真逆』だ。そんな日本語あってたまるか。『正反対』というちゃんとした日本語があるだろう。どうしてそんなひどい言葉に、みんな抵抗もなく飛びついてしまうのか」と非難する。

 奥田さんの言いたいこともわからなくはない。だが、こと「真逆」に限っては、まったくちがう声を聞いたことがある。言葉に対して最高度の敏感さを持つ、ある俳句の大家の解説だ。いわく、「真」も「逆」もベクトルというか運動の方向性を持つ字で、非常に力強い。そのふたつの文字がぶつかって融合し、ひとつの言葉となった。漢字を基本とする日本語ならではの造語で、その秘めたエネルギーは計り知れない、と。

 奥田さんは、「『ちょっと洒落た言い回し』として燎原の火のごとく一般にも広まってしまった」と嘆く。しかし、一気に広まったのは、それだけ言葉のエネルギーが大きかったからでもある。たしかに、俳句や歌詞であえて使えば、たった一語で迫力のあるものになるかもしれない。「正反対」という穏やかだがありきたりな言葉では言い表せない情動のようなものを表現できる可能性がある。奥田さんは、「『真逆』には美しさがまるでない。使う人間の美意識を疑う」と書く。でも、腐ったカボチャに魅せられて描きつづける画家がいるように、常識からぶっ飛んだ美意識というものある。

 「秒殺」という言葉も同じたぐいだろう。格闘技の一瞬の勝負をこれほど端的に言い表すものはない。

 奥田さんは、テレビから生れた軽薄日本語として「立ち上げる」という言葉も切って捨てる。これはまったくその通りだろうとぼくも思う。年配の名の通った文筆家が、新聞への寄稿でこの言葉を使っていたときには、白けてしまった。政権を奪取した民主党の政治家が「新しい行政機構を立ち上げたい」などというのを聞くと、ぶん殴ってやりたくなる。政権交代は大歓迎だが、こんな閣僚はいらない。日本では、「政治は言葉」を実践する政治家があまりにも少ない。

 奥田さんは、故・遠藤周作さんが「生きざまなんて日本語はない」とことあるごとに怒り、訴えていたという例もあげる。「死にざま」はあっても「生きざま」はなかった、と書く。ぼくは、駆け出しの新聞記者だったころ、上司に「生きざまという言葉は決していい意味ではないから、使わないように」と教えられた。しかし、時を経て、生きざまとしか呼べないような生のあり方もあるんじゃないか、と考えるようになった。

 『週間現代』2009年10月17日号の対談で、俳優の中井貴一さんと緒形幹太さんが、緒形さんの亡くなった父・挙さんを追想している。挙さんは、2008年10月から12月にかけてフジテレビで放映されたドラマ『風のガーデン』が遺作となった。がんに冒された中井さん演ずる麻酔科医が、長年確執のあった挙さん演ずる父親と和解の会話を交わす。その撮影のとき挙さんはすでに末期がんだったが、14分もつづくワンシーンワンカットを「俺はやる」と演じ切った。麻酔科医は父親に手を握られたまま死んでいく。

 中井さんは語る。「緒形さんからは、最期まで学ぶことばかりでした。『緒形挙が遺したもの』とは、役者としての生き様だと、僕は思っています」。こういう死と隣り合わせの壮絶な生は、たしかに「生き方」などというお上品な言葉では言い表せない。

 ぼくも、『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』のエピローグで、禁を破った。インドの「死」について述べたあとで、こう書いた。

 「インドでの『生』もぼくの想像を超えていた。とくに、カースト制をめぐる生き様は半端ではない。差別する者とされる者という図式などではなく、ほぼすべての人が誰かに差別され、また誰かを差別しているように見えた。カーストの低い人ほど他人を差別する意識が強いようにも思えた。国として差別の解消に取り組んではいるが、カースト間、無数に分かれたサブカースト間の差別はなくならない。ひょっとしたら、インド人に限らず、それが人間の本性なのだろうか」

 良し悪しは別として、圧倒的なエネルギーを持つカースト制を語るとき、ぼくは他の言葉を思いつかなかった。遠藤周作さんはたしかに、名作『深い河』(1993年)でインドを描いたとき、「生き様」という言葉は使わなかった。だが、多くの枚数を費やした。ひと言で表すとしたら、やはりこの言葉しかないのではないだろうか。

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古代出雲王朝の謎

 ぼくは、11月26日に生れた。神話の国・出雲では、それが大きな意味を持つ。

 よく知られているように、旧暦の10月には、全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲に集まり、「神無月」となる。そして、出雲では「神在月」と呼ばれる。神々は新暦の11月26日まで出雲にとどまり、三つの神社を移動しながら誰と誰を将来の夫婦にするかを話し合う。出雲大社に祀られる大国主命(オオクニヌシノミコト)が縁結びの神様とされるのは、ここから来ている。ぼくはその最後の日にすべり込んだことになる。

 誕生日は、ヤマタノオロチ神話の舞台・斐伊川(ひいかわ)のほとりにある万九千(まんくせん)神社のお祭りの日でもある。万九千は無数のことを意味するらしい。その神社で神々の集いを終え、その名も神立橋(かんだちばし)という橋から全国へ帰っていく。

 「あと一日生れるのが遅かったら、縁が遠くなるところだった」。幼いころ万九千神社のお祭りに連れていってくれた祖母は、そう話したものだった。

 出雲地方には、このように神話の世界がそのまま息づいている。しかし、日本の古代学では、神話はしょせんフィクションに過ぎないという考えが主流だった。そこへ、近年、出雲で考古学上の大発見が相次いだことで、風向きが変わってきた。『芸術新潮』2009年10月号は「古代出雲王朝」という大特集を組み、「出雲神話は、やはり史実に基づいて語り継がれたものではないか」という仮説を打ち出した。

 当然と言えば当然の動きだが、出雲人のひとりとしては大いに注目したい記事だった。

 筆者はかつて、哲学者でありながら日本の古代について大胆な説を次々と打ち出し、「梅原古代学」として衝撃を与えた梅原猛氏だ。氏は、『隠された十字架 法隆寺論』(1972年、新潮社)で「再建された法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮魂するための寺である」と論証し、『水底の歌 柿本人麿論』(1973年、新潮社)では、歌人・柿本人麿は流罪になり死刑になったのではないかとした。大学生だったぼくは、興奮を覚えながら夢中になってそれらの著作を読んだ。氏の著作は学生仲間でもひとしきり評判になった。そこでは、歴史の陰に隠れたある人物が、一連の出来事の首謀者、黒幕として名指しされていた。

 『芸術新潮』の大特集は、「梅原猛が解き明かす」と銘打たれており、久びさに梅原古代学が復活した観がある。

 梅原氏は、記事の冒頭で、「私は学問的良心を持つ限り、もう一度出雲神話を考え直し、出雲神話は全くの架空の物語であるという説を根本的に検討しなおさなければならないであろう」と書いている。約30年前、氏は『神々の流竄(るざん)』 (集英社文庫)で「出雲神話なるものは、大和に伝わった神話を出雲に仮託したもの」と論じていたからだ。

 『古事記』『日本書紀』が語る壮大な出雲王国を裏付ける考古学的な遺跡が発掘されていなかったことが、仮託説の論拠だった。

 しかし、1984年、出雲の荒神谷遺跡で銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した。 さらに、1996年、加茂岩倉遺跡で39個の銅鐸が出て来た。いずれも日本の考古学史上、例のない大量出土だった。加えて、山陰から富山県にかけて計97基もの四隅突出型墳丘墓が発見された。これは3世紀に出現したと考えられている前方後円墳より約200年もさかのぼる。こうしたことから、「出雲を中心にした日本海沿岸に根強く一つの権力が存在し続けたことを意味すると考えてよかろう」と梅原氏は書く。

 現地調査をし、「アマテラスを開祖とするヤマト王朝の前に、スサノオを開祖とする出雲王朝がこの日本の国に君臨していた」と考えるに至った。ぼくは初めて知ったのだが、『日本書紀』には、スサノオが高天原から新羅に降り立った後に出雲へ来たと書かれているという。つまり、朝鮮半島からやって来たことになる。梅原氏は、出雲地方までを植民地としていた越の国(新潟県)の悪しき豪族の支配から出雲を解放した英雄がスサノオであると考え、「出雲王国の交易範囲は、西は新羅から東は越に及んでいた」と推測する。そして、スサノオの末裔であるオオクニヌシが、日本海沿岸で強大な王国を繁栄させた。

 やがて、その出雲王朝は大和政権との戦いに敗れ、オオクニヌシは出雲大社の西に広がる稲佐の海に身を隠したとされる。入水自殺をしたのだろう。

 2000年、出雲大社境内で巨大な柱根が発見された。平安中期の書物には、出雲大社の本殿がわが国で最も高く16丈(48メートル)あったとされている。その記述が巨大な柱根によって裏付けられた。では、誰が何の目的でそれほどとほうもない神殿を建てたのかが問題となる。梅原氏の論はそこでクライマックスを迎える。

 氏は、ここでも『隠された十字架』や『水底の歌』で名指ししたある人物の名を黒幕としてあげる。再建法隆寺が聖徳太子の怨霊を鎮魂するための寺だったと論証したように、巨大出雲大社はオオクニヌシの鎮魂のための神殿だったとする。大和政権は自らが滅ぼした出雲王朝のオオクニヌシの怨霊が怖かったのだ。その時代、疫病などは怨霊の仕業と恐れられていた。

 神無月に全国の神々が出雲へ集まるのは、「オオクニヌシの葬式のためだ」と梅原氏は書く。毎年集まることを考えれば、一周忌、三回忌などの法事のようなものだろう。縁結びのための会議という表向きの目的とは別に、裏があったことになる。

 梅原氏は、出雲大社を参拝し、オオクニヌシについて誤った説を唱えたことを詫び、新しい論考を改めて一冊の書物にすることを誓ったという。その書物が待ち遠しい。

 出雲の一部には、未婚のカップルが出雲大社にいっしょに参ると結ばれない、という言い伝えがある。ぼくは結婚後に妻を連れてお礼参りに行った。

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『わが闘争』を売るひと、売らせないひと

 ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーの口述著書を劇画にした『わが闘争』が、日本のイースト・プレス社から2008年11月に出版され、2009年8月までに、4万5000部が売れているという。これをどう考えればいいか。

 朝日新聞夕刊2009年9月2日付けによると、イースト・プレス社は、古典作品を漫画化する「まんがで読破」シリーズの一冊として刊行した。編集者が原作をもとにして校正とセリフを考え、制作会社に作画を依頼した。ヒトラーの生い立ちからナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)の結党、反ユダヤ主義の主張などが描かれている。

 原作の著作権は、第二次世界大戦後、連合国によってヒトラーの活動拠点だったドイツ南部バイエルン州の当局に移管された。朝日新聞は「著作権者のバイエルン州が、ナチスの犠牲者への配慮から戦後一貫して出版を認めてこなかった」とだけ書いている。

 だが、発禁となっている本当の理由は、そんなきれいごとではない。出版すれば、ドイツをはじめヨーロッパ各国にいるネオナチ組織の聖典となって、政治的な大問題となりかねないからだ。バイエルン州の州都ミュンヘンのキオスクに立ち寄れば、いくつかの極右新聞が売られていることに気づく。ドイツには、それぞれ数千人の動員力を持つ極右・ネオナチ組織が複数ある。当局は、彼らを刺激しないように細心の注意を払っている。

 日本にも右翼団体はいるが、組織力、動員力でヨーロッパの極右とは比べものにならないほど弱い。たとえば、2005年4月、中国の成都、北京、上海など各地で反日活動が破壊行為をともなう暴動に発展した。この際、東京の中国大使館前で行われた抗議デモの参加者は、約200人にすぎなかった。そのほとんどは、右翼団体ではなかったようだ。

 ナチス・ドイツがかつて侵略したポーランドで、今、反ドイツ暴動でも起きれば、ドイツの極右・ネオナチは、報復行動に出る可能性が高い。戦後、ドイツで行われてきた世論調査のデータを振り返ると、どんな時代でも、国民の10数パーセントは右翼的な思想をもっていたことがわかる。中国共産党や日本の左翼の用語を使えば、ドイツとは今でもそれほど「右傾化」した国家なのだ。

 日本のキオスクで右翼の新聞を売ることなど想像できるだろうか。売ろうとする者も買おうとする者も皆無に近いだろう。右翼と言えば、大音量でがなりたてる街宣車を思い出す。日教組の集会などに抗議するのがせいぜいで、本当に政治力のある右翼団体などほとんどいないのが実情だ。俗に右翼とみられていても、実態は暴力団が、法律の規制をくぐるために政治団体を名乗っているケースが多い。

 戦後のドイツ(統一前の西ドイツ)と言えば、ナチスの過去を清算し平和国家になったというイメージが国際社会に定着している。しかし、それは国家的トリックによる偽りの精算だった。ぼくは、かつてヨーロッパで徹底取材し、その内幕を『<戦争責任>とは何か 清算されなかったドイツの過去』(中公新書)に書いた。

 『わが闘争』の発禁がつづき、ナチスの紋章であるカギ十字(ハーケンクロイツ)の使用が禁止され、ナチ遺跡も封印されている。それは、ドイツが真摯に過去を反省していることの証ではなく、それだけ右に旋回しやすい国情だから、必死で予防線を張っているということにすぎない。

 日本で漫画の『わが闘争』が刊行されたことについて、イギリスのBBCやアメリカのCNNなどが報道したという。朝日新聞によると、フィナンシャル・タイムズ・ドイツ版に記事を書いた東アジア特派員は、「漫画化はリスクはあるが、新しい発想。多くの人が手に取り、批判的に検証することは意義がある」と一定の評価をしている。

 ぼくも、昭和36年(一九六一)に黎明書房から発行された『わが闘争』の日本語訳全3巻を熟読し、著書で引用する箇所はドイツ語原文と照合し直接訳出したことがある。訳書には、1889年4月20日に生れたヒトラーの赤ん坊時代の写真や直筆のサインなども掲載されている。「訳者序」にはこう綴られている。

 「狂気の天才に活動の場を与えた国民大衆の側の責任、ヒトラーのことばの魔術に幻惑されるような政治的、あるいは精神的な幼稚さの責任について、(日本語訳の読者は)他山の石として考えてほしい」

 訳者平野一郎氏は、さすがにドイツの戦前の実情をよく理解していた。翻訳作業が進められたとみられる1950年代末から60年代初めは、西ドイツで国家的トリックが仕掛けられていた時期に当たる。ヒトラーとナチ党員だけを悪者としスケープゴートにした“精算”の虚実を、平野氏は少なくともうすうすは気づいていたのだろう。

 日本で今、漫画版の『わが闘争』がどんな意味を持つか、どれだけの影響力があるかはよくわからない。しかし、40年近く前の訳者の意図と漫画版刊行の意図とはそうちがわないだろう。

 平野氏はこんな言葉も書いている。

 「戦争経験なき世代こそ、この書を読むべきではないだろうか。この書をくもりなき目で読み、客観的に判断することが、この世代にとって必要であり、戦後の教育を受けたものなら、十分な判断力をもって読むことができるのではないか」

 しかし、平和ぼけ国家・日本の戦後教育は、1961年の時点で考えられていたほど立派ではない。ヒトラーの亡霊がさまようことは本当にないのだろうか。

 ぼくは、拙著『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』の第1部第9編に「商人とのわが闘争」というタイトルをつけた。日本の隠れネオナチじゃないかって?それは読んでから考えてほしい。

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