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特オチなんか怖がるな

 かつて、ドイツ人の新聞記者に日本の新聞事情を説明したことがある。もちろん、ドイツの新聞と共通点も少なくないが、決定的にちがうのは「特オチ」という言葉だった。それには触れないほうがよかったな、と一瞬思ったが遅かった。たった一つの言葉でも、それは日本の新聞界の本質にかかわる大問題で、外国人に説明するのは容易じゃない。予想通り、相手にさんざん突っ込まれて汗をかいた。

 特オチというのは、特ダネの反対で、他のどの新聞にも載っているニュースをある1紙だけが落としてしまうことだ。ドイツには、そういう概念はない。ドイツに駐在しているとき、オフィスで国内紙7、8種類を取っていたが、各紙はとても個性的で、紙面の作りも扱う記事も多彩だった。日本でなら当然すべての新聞の1面トップになる大ニュースでも、平気で掲載していない新聞がある。「その記事を読みたければ、どうぞ他の新聞を買ってください」という姿勢だった。だから、新聞記者は、仮に他のすべての新聞に載っている記事が自分の新聞にだけ載っていないからといって、責任を問われたりすることはまずない。それよりも、特ダネを追っかけるべきだというのが、基本姿勢だった。

 インドの新聞事情もほぼ同じで、扱う記事も論調もそれぞれだった。植民地時代に日本の新聞制作手法がそのまま持ち込まれた韓国などは知らないが、記者が特オチに戦々恐々とする国などまずないだろう。

 日本で、特オチという概念が生れたのは、他の新聞に載っていることは原則として全部載せ、なおかつ特ダネを追求する、という方針が新聞業界に定着しているからだ。これは、日本独特の“横並び文化”そのものだ。

 しかも、特オチをしないというのはいわば守備重視で、攻撃重視の特ダネ競争とは矛盾する一面がある。サッカー岡田JAPANは、全員攻撃全員守備をモットーにしているが、それは90分間だからどうにかできる戦術だ。守備重視かつ攻撃重視を365日やろうと思えば、どこかに無理が生じる。

 2009年10月19日の朝日新聞夕刊で、久しぶりにこの「特オチ」という言葉に出会った。『新聞ななめ読み』というコラムで、筆者はNHK放送記者出身の池上彰さんだ。そこで触れられていたのは、新聞週間に当たり、朝日が10月11日朝刊で6ページにわたって組んだ特集の中のある記事だった。

 昭和40年(1965)、東京の裁判所や検察庁を担当する司法記者クラブが、クラブの申し合わせにそむいて抜け駆け報道した毎日新聞を除名した。それを受け、東京地検の次席検事が「検察は記者クラブ加盟社だけを相手として定例記者会見を行っている」と、毎日新聞を締め出した。その結果、毎日新聞は特オチをすることになり、記者クラブに「全面降伏」して担当記者3人を交代させた。この出来事をきっかけに、検察が「捜査妨害」を名目にした「出入り禁止」措置をとり始め、報道各社をコントロールするようになった。

 池上さんは、「こうなると、検察幹部の顔色をうかがう記者が出てきてしまうかも知れません。この話は、業界ではよく知られたことですが、一般読者向けに、はっきり書いたことは、画期的なことです」と評価している。

 池上さんは、ニュースを分かりやすく解説するジャーナリストとして知られ、テレビなどでもおなじみだ。だが、広く浅くなんでも取り上げるだけに専門知識や洞察力に欠けるきらいがある。ある分野に通じた専門家や記者が首をかしげることも少なくない。

 今回取り上げた朝日の特集記事も、内外から批判の強い閉鎖的な記者クラブのあり方や、当局幹部と記者との関係について朝日自ら鋭く切り込んでいるわけでもなく、はっきり言って特に褒めるような内容ではない。

 検察と報道機関の関係を検証するなら、昭和40年などと古いことを持ち出す必要はない。2009年3月、民主党の小沢一郎氏の公設第一秘書が西松建設からの献金疑惑で逮捕された事件では、朝日新聞をはじめ大新聞が、連日、東京地検からの見え見えのリーク情報を記事にして、表向きの特ダネ合戦を演じた。記者発表されたわけでもないのに、東北地方を舞台にしたまったく同じ内容の出来事が、あたかも独自取材で得た情報のように、朝日と読売の同じ日の朝刊に載ったりした。別の日には他の新聞がおなじことをやっていた。

 衆議院の解散、総選挙を控え、この西松建設事件は「民主党にダメージを与えるために検察当局が恣意的に捜査権力を乱用した国策捜査だ」という批判が根強かった。検察は、その批判をかわすため、いかに小沢氏側と建設業界が癒着していたかを物語る情報を新聞にリークし、世論を一定の方向にリードしようとしていたとしか考えられない。

 司法記者も新聞社も、それを承知で踊っていたわけだ。特オチが怖いから検察幹部と仲良くやっていく。その代償として、検察にメディアはなめられる。ほとんどの司法記者が「検察幹部の顔色」をうかがっているのだ。池上さんは、そこのところが分からないのか、朝日におもねっているのか、核心に触れなかった。

 政権が交代し永田町や霞ヶ関の論理が変わったのだから、マスメディアもそろそろ変わるべきだろう。世界の常識に従い、社の方針として、特オチをしたかしないかの減点法ではなく、いかに真の特ダネを報じたかの加点法に切り替えるだけでいい。

 あえて「特オチ宣言」をするメディアはないだろうか。その社が特ダネを連発すれば、横並びの文化だから、他社も追随し、特オチという言葉などすぐ死語になるだろう。

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