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『わが闘争』を売るひと、売らせないひと

 ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーの口述著書を劇画にした『わが闘争』が、日本のイースト・プレス社から2008年11月に出版され、2009年8月までに、4万5000部が売れているという。これをどう考えればいいか。

 朝日新聞夕刊2009年9月2日付けによると、イースト・プレス社は、古典作品を漫画化する「まんがで読破」シリーズの一冊として刊行した。編集者が原作をもとにして校正とセリフを考え、制作会社に作画を依頼した。ヒトラーの生い立ちからナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)の結党、反ユダヤ主義の主張などが描かれている。

 原作の著作権は、第二次世界大戦後、連合国によってヒトラーの活動拠点だったドイツ南部バイエルン州の当局に移管された。朝日新聞は「著作権者のバイエルン州が、ナチスの犠牲者への配慮から戦後一貫して出版を認めてこなかった」とだけ書いている。

 だが、発禁となっている本当の理由は、そんなきれいごとではない。出版すれば、ドイツをはじめヨーロッパ各国にいるネオナチ組織の聖典となって、政治的な大問題となりかねないからだ。バイエルン州の州都ミュンヘンのキオスクに立ち寄れば、いくつかの極右新聞が売られていることに気づく。ドイツには、それぞれ数千人の動員力を持つ極右・ネオナチ組織が複数ある。当局は、彼らを刺激しないように細心の注意を払っている。

 日本にも右翼団体はいるが、組織力、動員力でヨーロッパの極右とは比べものにならないほど弱い。たとえば、2005年4月、中国の成都、北京、上海など各地で反日活動が破壊行為をともなう暴動に発展した。この際、東京の中国大使館前で行われた抗議デモの参加者は、約200人にすぎなかった。そのほとんどは、右翼団体ではなかったようだ。

 ナチス・ドイツがかつて侵略したポーランドで、今、反ドイツ暴動でも起きれば、ドイツの極右・ネオナチは、報復行動に出る可能性が高い。戦後、ドイツで行われてきた世論調査のデータを振り返ると、どんな時代でも、国民の10数パーセントは右翼的な思想をもっていたことがわかる。中国共産党や日本の左翼の用語を使えば、ドイツとは今でもそれほど「右傾化」した国家なのだ。

 日本のキオスクで右翼の新聞を売ることなど想像できるだろうか。売ろうとする者も買おうとする者も皆無に近いだろう。右翼と言えば、大音量でがなりたてる街宣車を思い出す。日教組の集会などに抗議するのがせいぜいで、本当に政治力のある右翼団体などほとんどいないのが実情だ。俗に右翼とみられていても、実態は暴力団が、法律の規制をくぐるために政治団体を名乗っているケースが多い。

 戦後のドイツ(統一前の西ドイツ)と言えば、ナチスの過去を清算し平和国家になったというイメージが国際社会に定着している。しかし、それは国家的トリックによる偽りの精算だった。ぼくは、かつてヨーロッパで徹底取材し、その内幕を『<戦争責任>とは何か 清算されなかったドイツの過去』(中公新書)に書いた。

 『わが闘争』の発禁がつづき、ナチスの紋章であるカギ十字(ハーケンクロイツ)の使用が禁止され、ナチ遺跡も封印されている。それは、ドイツが真摯に過去を反省していることの証ではなく、それだけ右に旋回しやすい国情だから、必死で予防線を張っているということにすぎない。

 日本で漫画の『わが闘争』が刊行されたことについて、イギリスのBBCやアメリカのCNNなどが報道したという。朝日新聞によると、フィナンシャル・タイムズ・ドイツ版に記事を書いた東アジア特派員は、「漫画化はリスクはあるが、新しい発想。多くの人が手に取り、批判的に検証することは意義がある」と一定の評価をしている。

 ぼくも、昭和36年(一九六一)に黎明書房から発行された『わが闘争』の日本語訳全3巻を熟読し、著書で引用する箇所はドイツ語原文と照合し直接訳出したことがある。訳書には、1889年4月20日に生れたヒトラーの赤ん坊時代の写真や直筆のサインなども掲載されている。「訳者序」にはこう綴られている。

 「狂気の天才に活動の場を与えた国民大衆の側の責任、ヒトラーのことばの魔術に幻惑されるような政治的、あるいは精神的な幼稚さの責任について、(日本語訳の読者は)他山の石として考えてほしい」

 訳者平野一郎氏は、さすがにドイツの戦前の実情をよく理解していた。翻訳作業が進められたとみられる1950年代末から60年代初めは、西ドイツで国家的トリックが仕掛けられていた時期に当たる。ヒトラーとナチ党員だけを悪者としスケープゴートにした“精算”の虚実を、平野氏は少なくともうすうすは気づいていたのだろう。

 日本で今、漫画版の『わが闘争』がどんな意味を持つか、どれだけの影響力があるかはよくわからない。しかし、40年近く前の訳者の意図と漫画版刊行の意図とはそうちがわないだろう。

 平野氏はこんな言葉も書いている。

 「戦争経験なき世代こそ、この書を読むべきではないだろうか。この書をくもりなき目で読み、客観的に判断することが、この世代にとって必要であり、戦後の教育を受けたものなら、十分な判断力をもって読むことができるのではないか」

 しかし、平和ぼけ国家・日本の戦後教育は、1961年の時点で考えられていたほど立派ではない。ヒトラーの亡霊がさまようことは本当にないのだろうか。

 ぼくは、拙著『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』の第1部第9編に「商人とのわが闘争」というタイトルをつけた。日本の隠れネオナチじゃないかって?それは読んでから考えてほしい。

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