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壁崩壊から20年の後に

 2009年11月9日、ベルリンの壁が崩れてから満20年となる。

 ぼくの一家は、壁が崩れて5年後、旧西ドイツの首都ボンで暮らし、その後、旧東ドイツの首都ベルリンに住んだ。かつての西ドイツ市民と東ドイツ市民の両方に接したわけだ。

 第二次世界大戦の結果によるドイツの分断は、冷戦の悲劇を生んだ。同時に、もともとひとつの国民がまったくちがう政治体制の下で生きたときどうなるか、文化人類学上の壮大な実験という側面もあった。そして、ぼくたちが知りえた限りでは、東と西ではやはり市民性にかなりのちがいがあった。

 1996年10月、ベルリンに駐在していたぼくのところに、新聞社の大阪本社からある取材依頼がきた。ノーベル医学生理学賞の候補にノミネートされている京都大学の名誉教授がドイツへ行くので、万一の受賞にそなえて取材体制をとって欲しい、というものだった。

 名誉教授は、学会でオーストリアへ行った後、夫人とともに旧東ドイツの都市ワイマールへ来るという。受賞となれば世界的ニュースだから、ぼくはAP通信の写真部に連絡し、カメラマンを派遣してもらう手はずを整え、ワイマールへ向かった。

 名誉教授夫妻の滞在ホテルはわかっていたので、同じホテルの部屋を確保し、名誉教授に部屋から電話を入れた。「わざわざ取材に来てくださったんですか。でもたぶん、受賞はしませんよ」と言っていたが、可能性はある。夫妻といっしょに昼食をとったり、市内をぶらついたりしながら、名誉教授の研究に対する考え方やエピソードなどを聞き出した。

 夫妻は英語はできたが、ドイツ語はできなかった。行く先々でぼくがドイツ語の通訳を買って出ると、「どこで習ったんですか」と聞かれた。大学で専攻したと答えると、「きれいな発音ですね。きちんと基礎を叩き込まれたおかげでしょう。研究もそうですが、基本がとても大切です」と言った。

 自身の研究モットーとして「ホームランを狙うときには狙う。そうでなければ、ホームランは打てません。狙わなければだめです」ときっぱり言った。弟子たちにも、繰り返しそう指導しているという。ぼくは、かつての巨人軍の原辰徳選手の言葉を思い出した。「ホームランを狙って、結果としてヒットになることもある」と。そして、ずっと後に、イチロー選手も「ホームランは狙って打つ」と言った。

 ノーベル賞委員会の発表の時間が近づくころ、ホテルのロビーでソファに腰かけ、夫妻とおしゃべりをしていた。AP通信のワイマール支局から長身の男性カメラマンがやってきた。地元の出身という青年だった。ほかに報道陣はいない様子で、受賞が決まれば独壇場になる感じだった。

 そろそろ時間かなと思っていたとき、カメラマンの携帯電話が鳴った。彼はちょっとだけ話してすぐに電話を切った。それから2、3分してぼくの携帯が鳴った。大阪本社からで、受賞を逃したという連絡だった。ぼくは夫妻にそのことを告げた。名誉教授はとくに気落ちする様子もなく、淡々としていた。

 ぼくはその日のうちにベルリンへ帰ることにしていたので、夫妻に別れを告げた。カメラマンといっしょにホテルを出ると、彼がこう言った。「私の携帯に落選の知らせがあったんですけど、同じ日本人同士であるあなたからそれを伝えたほうがいいと思って、そのままにしておきました」

 それは、旧東ドイツ市民の人情だった。

 カメラマンは、ぼくが乗る列車の時刻まで、まだ時間があると知ると、支局に誘ってくれた。オフィスはこじんまりしていて、記者ひとり、カメラマンひとりだけという。記者にも紹介してくれて、3人でおしゃべりをした。旧東ドイツの地方では方言がかなりきついが、ふたりとも、ぼくが聞き取りやすいよう標準語で話してくれた。カメラマンは「ちょっと待っていてください」と席をはずし、地元名物のお菓子を買ってきてくれた。帰りがけ、カメラマンは食べ残したお菓子を「列車の中で食べてください」と、紙に包んでくれた。

 ぼくがドイツ駐在を通じてもっとも心温まった体験だった。ああ、西ではこんなことはないかもしれないな、と思った。

 ベルリンの壁が象徴した東西冷戦は、社会主義と資本主義の戦いだった。そしてたしかに、西側は冷戦に勝ったが、社会主義が100パーセント悪く、資本主義が100パーセント良かったわけではない。東側陣営では、共産党が独裁体制を敷き、市民の自由は束縛されていた。東ドイツには悪名高い秘密警察『シュタージ』が情報網を張り巡らし、市民を監視していた。その半面、人びとが過度の競争社会にさらされることはなく、ゆったりと暮らしていたのも否定できない事実だった。

 壁が崩れ、冷戦が終わって20年となる今、考えさせられることは多い。日本社会でも格差は広がり貧困率は高まる一方だ。つい最近、政府は、2007年の「相対的貧困率」が15.7パーセントだったと発表した。約6人にひとりが貧困という計算になる。自民党政権時代には、その統計をひた隠しにしていた。

 ふた昔以前と今のどちらがいいか、日本で世論調査をすれば、かなりの率で「昔のほうが良かった」というひとが多いだろう。冷戦に勝ったおごりなのか、再統一ドイツや日本をふくむ各国で、資本主義は暴走をつづけ、市場原理主義が人びとの暮らしと心を荒廃させている。

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