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幻のCM――新春も思い出し笑い

 日課のウォーキングをするとき、いつもラジオを聴いている。近所のスーパーの家電売り場で、ある週末の目玉商品だったポケットラジオだ。AM、FMが聴けて、わずか680円だった。

 音楽がかかっている分にはいいいが、思わず笑ってしまう話が流れると、ちょっとまずいことになる。歩きながら噴き出したり、にたにたしたりしているアブナいおじさんになってしまう。

 2009年を振り返って、No.1の傑作は、ある秋の日に文化放送で聴いたエピソードだった。放送ではさらっと話されただけだったが、妄想をふくらませて再現ドキュメントを書いてみる。

 ホームセキュリティでおなじみのセコムが、長嶋茂雄氏を起用して新しいCMを制作したときのことだ。大手広告代理店と協議して、長嶋氏には、簡単でしかもインパクトの強いキャッチコピーを口にしてもらうことになった。コピーライターが頭をさんざんひねった挙句、すっと出てきたのが、あのキャッチコピーだった。

 「セコムしてますか」

 ある録音スタジオへ、長嶋氏を丁重に迎えた。CMディレクターは、とても簡単なセリフだから、その場での打ち合わせで十分だと思っていた。

 「よろしくお願いします。こう言っていただけますか。『こんにちは、長嶋茂雄です。セコムしてますか』。これだけです。お名前を言っていただいたあとに、ちょっとひと呼吸入れていただければベストだと思います」

 気さくな長嶋氏のことだから、「はいはい、いいですよ。じゃ、よろしくお願いします」と、スタジオへ入っていった。

 CMディレクターや広告代理店の担当者、セコムの宣伝担当者らは、ガラス越しにスタジオをみるモニター室に陣取った。

 「はい、それでは、本番いきます」

 CMディレクターは、1回で決めてもらえるだろう、と考えていた。長嶋氏は、マイクに向かって、例のちょっと甲高い声で話しはじめた。

 「こんにちは、長嶋シゲルです。・・・」

 一瞬の間があいたのち、モニター室がちょっとざわめいた。「長嶋さん、いま、シゲルって言ったよな」。「ま、ちょっとした言いまちがいでしょう。さすがの長嶋さんも、野球場とは勝手がちがってスタジオだから、緊張したかもしれないね」

 CMディレクターは、テイク2でOKになるだろう、と高をくくっていた。

 「それでは、もう一度お願いします」

 長嶋氏は、軽くうなずき、口を開いた。

 「こんにちは、長嶋シゲルです。・・・」

 モニター室には、なんとも言えない沈黙が落ちた。自分の名前をまちがえるなんて。CMディレクターは、真っ青になっていた。まさか、名前を言いまちがえていますよ、とは言えない。天下の巨人軍終身名誉監督に、カンペを出すわけにもいかない。なんと言ったって、自分の名前を言うだけのセリフなんだから。

 「どうします」「うーん、困りましたね」

 モニター室は、ざわめいた。

 「じゃ、もう一回だけ、お願いします」

 長嶋氏は、マイクに向かった。

 「こんにちは、長嶋シゲルです。セコムしてますか」

 もうだれもが、今日は無理だ、と目を閉じた。モニター室に控えていた数人が、スタジオの厚い扉を開け、ぞろぞろと入っていった。

 「今日は、ちょっとうまくいかないみたいですね。大変恐縮ですが、日を改めて録りなおしさせていただきたいのですが」

 一行は、長嶋氏を丁重にお見送りした。

 後日、長嶋氏は、何事もなかったように、いつもの快活さでスタジオにやってきた。しかし、CMディレクターらは胃がきりきりと痛んでいた。

 万一、今日もだめだったらどうすればいいのか。日本のスーパースター、プロ野球界の至宝に、自分の名前を言いまちがえていますよ、とは言えない。カンペを出すわけにもいかない。といって、CMの話を白紙にもどすことなどありえない。CMディレクターらは、この数日、何度も何度も煩悶を繰り返していた。青白い顔のCMディレクターは、祈る気持ちでキューを出した。

 「こんにちは、長嶋茂雄です。セコムしてますか」

 CMディレクターは、腰の力が抜け、椅子から崩れ落ちそうになった。

 狙い通り、そのCMは大ヒットとなり、語り草となった。

 しかし、関係者のだれも口にしなかったことがある。もし、あの“長嶋シゲル”編でCMを流していれば、セコムの売り上げは3倍にはなったかもしれない。

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