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2010年1月

国民注視バトル民主党VSメディアのツボ

 格闘技などよりよほど面白いバトルが展開されている。小沢VS検察の戦いは、民主党VSメディアに飛び火した。

 民主党は、「陸山会」の土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部がメディアに意図的なリークをし、世論を誘導していると非難する。2010年1月18日には、党役員会で、元検事をふくむ弁護士資格を持つ議員らが「捜査情報漏えい問題対策チーム」を設置することを決めた。こんな組織が作られるのは前代未聞だろう。

 いっせいに咬みついたメディアのなかで、突っ込みどころ満載なのが、例によって朝日新聞だ。22日の朝刊2面『時時刻刻』には、首を傾げさせられる記事が載った。

 「元特捜幹部は『世の中が思い描くようなリークは特捜部にはない』と断言する。『守秘義務と知る権利とのバランスの中で、個人の良心から、表情の変化で感触を与えるくらいはする。だが、それはリークでも何でもない』」

 もし、本当に元特捜幹部がこう語ったのなら、なぜ匿名にしなければならないのだろう。現職でもなく名前を隠すような内容ではないし、発言内容が事実なら堂々と実名で語ってもらったほうが、はるかに説得力を増す。しかも、このコメントは、「元検事『リークはない』」と見出しにもなっているのだ。

 ぼくも、10か月間だけだが、司法記者クラブに所属し、特捜部を取材する社会部記者たちと机を並べていたことがある。そのときに見聞したことから考えても、こんな発言を本気でする元特捜幹部がいるとは信じられない。朝日の取材の主旨を斟酌してリップサービスしたのか、あるいは発言そのものが“作文”ではないのかとさえ疑われる。

 やはり『時時刻刻』に、社会エディターの署名入り記事も載っている。社会エディターというのは朝日独特の肩書きで、他社で言えば社会部長に当たる。

 「『当局のリークで書いている記事もあるのかい?』事件取材に携わっていると、そんな質問を受けることがあるが、いつも自信を持って『ありません』と答えてきた。今回も答えは同じだ」

 こういう書き出しで始まる記事を読んで、ああそうですか、と納得する読者はよほど純粋な人だろう。

 記者たちが、夜討ち朝駆けを繰り返して必死で特ダネ競争をしているのは理解できる。その過程で、検察側から情報が漏れてくる。問題は、その情報を漏らす検察側の意図だ。どうして、メディア側に検察の意図はない、と断言できる根拠があるのだろう。

 小沢一郎・民主党幹事長とカネをめぐる一連の報道でも、誰が得をしたかを考えればすぐにわかることだ。報道によって作られた世論の空気がなくて、与党の最大の権力者に検察が迫れただろうか。

 小沢幹事長は、特捜部の事情聴取を受けた23日夕、すぐに記者会見を開いて事情を説明した。国民がじゅうぶん納得できるような内容とは言えないものではあった。それでも、山口二郎・北海道大学教授は、翌24日の朝日朝刊にコメントを寄せ、小沢氏が自ら説明したことに一定の評価を与えたうえで、こう語っている。

 「検察のやり方にも不満がある。水谷建設が関係した福島県前知事の汚職事件の判決では、必ずしも検察の描いたシナリオ通りに事実が認定されていない。今回の裏金疑惑も検察の見立てに過ぎない可能性がある。メディアには検察の過去の歴史に目を向け、フェアな報道を期待したい」

 つまり、メディアが検察の意に沿った報道に傾いている現実をやんわりと批判しているのだ。「検察による意図的なリークはない」と言い切った新聞が、ちゃっかりこういうコメントも載せている。いかにも朝日らしい、と言えばそれまでだが。

 そして、朝日らしさの極めつけは、26日朝刊の読者欄『声』に掲載されたこんな投書だ。

 「検察の情報のリークと思われる報道も問題だ。秘書逮捕時、既に国民は小沢氏が犯罪者だと信じてもおかしくない状況がつくられている。検察の思惑で政治が動かされれば民主主義は崩れる。それを追及する存在こそマスコミだ。反権力のはずが検察情報を垂れ流し、その結末について責任をとらないなら問題は深刻だ。マスコミの良識に期待したい」

 80歳の会社役員という読者の意見は至極真っ当だが、その投書と社会エディターの記事とは、どう考えればいいのか。この投書をあえてトップにすえた『声』の担当部署と社会部の社内バトルを思わせる。

 NHKは、25日、視聴者からの問い合わせ電話に「(東京地検からの)リークはあり得る」と回答した視聴者コールセンター勤務の70歳代の男性を解雇した。朝日は、NHKよりはましなのだろうか。

 民主党の「捜査情報漏えい問題対策チーム」は、特捜部から捜査情報が漏れたと思われる新聞の記事を集め、捜査が終わった段階で国民に示して判断を求めるという。党のウェブサイトを使うのだろうか。チーム責任者の元検事、小川敏夫参院議員は、「テレビニュースは録画漏れの恐れなどがあるので対象外。雑誌は捜査情報の漏洩どころか、根拠のない記事が多いので対象にはしない」としている。さて、記事の一覧が公表されたら、そこから見えてくるものがあるかもしれない。

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JR最凶線の怪

 うーん、うむぅ、と新聞を読んでいて思わずうなってしまうことがある。記事を書いた記者は、その記事の深い意味に気づいていないらしいケースのことが多い。

 JR東日本は、痴漢の被害が多い埼京線の一部車両に、2009年末、試験的に防犯カメラを設置した。電車の防犯カメラは、全国で初めてだそうだ。いまどき、全国いたるところの商店街にも防犯カメラはあるから、そう違和感もないが、埼京線の場合は目的が目的だけに、メディアが飛びついて報道した。

 ぼくも、半年だけ、ラッシュアワーに埼京線で通勤したことがある。朝、上り線の最後尾車両は、殺人的な混雑となる。後ろの車両に乗っていたほうが、新宿駅の乗り換えに便利なためだ。1分でも余裕を持って、中ほど以前の比較的混雑が穏やかな車両に乗ればよさそうなものだが、みな殺気立って後ろのほうに乗ろうとする。

 ぼくは、いつも中ほどの車両に乗ることにしていたが、それでも大変なすし詰め状態にはちがいない。車内放送では「痴漢に気づいたらすぐに通報してください」とくり返している。万が一にも痴漢にまちがわれないよう、手の位置に細心の注意を払って立ちつづけなければならない。

 周防正行監督が脚本も手がけた映画『それでもボクはやってない』は、ぼくがいわゆる“JR最凶線”の殺人列車で通勤していたころより2年後の作品だ。電車内で痴漢に間違えられた青年が、無実を訴える姿を、日本の裁判制度の問題点を浮き彫りにしつつ描いている。よくぞこんな作品を作ってくれた、と思ったが、現実は何も変わらなかったようだ。

 ただでさえスタミナを浪費するラッシュアワーに、痴漢をする男の気が知れない。

 一方で、やってもいないのに痴漢にまちがえられたら人生が破滅する。駅員に突き出され、痴漢行為を否定すれば警察に通報され、逮捕・起訴されるのがふつうらしい。痴漢を認めれば、前科者となる。

 それでも、勤め人である以上、ラッシュアワーの電車に乗らなくてはならない。今日もどこかで、冤罪の悲劇が生まれているのだろう。

 ぼくは、一度だけ、試しに上り線最前列の女性専用車両をホームからのぞいてみたことがある。おなじ電車とは思えないほどすいていて、ゆったり新聞を広げている女性もいた。これなら、いっそ女装して・・・と思ったわけでもないが、なんだか不公平というか逆差別というか、釈然としない気持ちになったことを覚えている。

 読売新聞は、2009年12月上旬、埼京線を利用する女性乗客50人にアンケートを実施したという。防犯カメラの設置に賛成したのは34人で、反対は6人だった。その他の10人ははっきり答えなかったのだろう。反対意見としては、「頭の上から撮っても無意味」「監視されているようで気分が悪い」などの声があったそうだ。

 思わずうなってしまったのは、記事の最後にコメント抜きでさらっと触れられていた数字を知ったときだった。

 「回答者50人のうち、痴漢被害の経験があるとした女性は41人で、埼京線車両内で起きたと回答した人は36人だった」

 サンプル数が少ないから統計学的な意味はあまりないだろう。それでもこの数字が意味するものは小さくない。まず、8割が痴漢にあったとしている点だ。仮にこれがほんとなら、やはり大変な被害規模ということになる。ほんのちょっと誰かの手がお尻に触れただけでも、「あ、痴漢だ」と身構えるということはないだろうか。

 埼京線で痴漢に遭ったとする女性が7割を超えているのは、埼京線の利用者に聞いたから当然ではある。

 ぼくがうなったのはそういう点ではない。女性の8割もが痴漢を体験しているにもかかわらず、女性専用車両がラッシュアワーでも割りとすいているという事実だ。もし、痴漢という行為が男性の人生を棒に振らせるほどの大罪なら、一度でも痴漢にあった女性は、「現代の駆け込み寺」女性専用車両に殺到すべきではないか。

 痴漢が犯罪であることは言うまでもないが、一方で、痴漢にあった女性が人生を棒に振ったという話は聞いたことがない。触れられたことがトラウマとなって、健全な男女交際が出来なくなった女性のケースは果たしてどれくらいあるのだろうか。

 埼京線の痴漢防止カメラの話をくり返し報道するほど、メディアがネタに困っているなら、ぜひあちこちのカウンセラーなど専門家に取材をしてもらいたいものだ。

 読売新聞のアンケートの数字を、うちの21歳の娘はこう“分析”してみせた。

 「満員電車で通学通勤している女の子で、痴漢にあったことがないなんていうのは恥だからね。見栄をはって痴漢の経験があるって言ってる人もいるんじゃないの。それに、ほんとに触れられるのがいやなら、ちょっと早起きして女性専用車両に乗ればいいじゃん」

 報道では、都内の高校2年の女子生徒が、埼京線の下り線先頭車両で4、5人の男に取り囲まれ下着を下ろされそうになったという。こういう狙い済ました極めて悪質な例はどれほどあるのだろう。

 痴漢被害の絶対的な解決法はなくもない。奇数号車両を「男性専用」に、偶数号車両を「女性専用」にすればいい。

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山谷ブルースが、また聴こえるのか

 ♪♭♯ 今日の仕事はつらかった. あとは焼酎をあおるだけ. どうせどうせ山谷のドヤ住まい. 他にやることありゃしねえ♪――1968年、ぼくは中学3年生だった。岡林信康の歌うフォークソング『山谷ブルース 』が流行った。山谷もドヤもよくは知らなかったが、そういう人たちもいるのだと想像はした。反体制、日米安保条約反対が若者たちの間で叫ばれ、学生運動が盛り上がりつつあるころだった。

 その年、日本は国内総生産(GDP)がアメリカに次いで世界2位になったことを、のちに知った。高度成長期で、ホームレスや物乞いはみたことがなかった。

 ノーベル平和賞受賞者のマザー・テレサは、1981年に来日し、東京・山谷にマザーの精神を受け継いで開かれた在宅型ホスピス『きぼうのいえ』などを訪ねた。山谷で日雇いの肉体労働をする人びとの暮らしに触れ、「豊かな日本のなかの貧困」をみた。

 2010年1月16日から2月14日まで、その山谷を舞台にした映画『マザー・テレサと生きる』が、東京都写真美術館ホールで上映されるという。

 ぼくは、1986年初夏に、ドヤへ泊まったことがある。その年の4月、初めての海外出張で、日本テレビ系の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の取材クルーといっしょにフィリピンへ渡り、スラム街をたくさん取材した。日本でも知られるマニラ郊外の通称スモーキーマウンテンにも行った。ごみの山が自然発火し、いつも煙っぽい一帯だ。人びとはそこに掘っ立て小屋を作り、その日暮らしをしていた。フィリピンには3週間以上滞在し、スラムを生活レベルによって5段階に分けられるようになるくらいの経験をした。

 そのころの日本は豊かさの絶頂にあり、第3世界の現実とのギャップにはいささかショックを覚えた。東京へ帰り、同僚記者にスラムの暮らしぶりを話すと、「日本で第3世界といえば、山谷と大阪の釜ケ崎くらいだからな」と言われた。山谷へ実際に行って、フィリピンのスラムと比べてみようと思い立った。

 会社の連休を利用し、地下鉄日比谷線の三ノ輪駅で降りて山谷を探した。「山谷」はすでになくなった地名で街の表示に書いてあるわけではなく、地元の人に聞きながら歩いていった。少しでも労働者の街にふさわしいように、着古したジャンパーを着ていった。それでも、道を行く人に山谷地区への道を尋ねると、ちょっと変な顔をされた。

 台東区と荒川区にまたがり浅草の北隣りに位置するこの街には、約1.6平方キロのなかにドヤと呼ばれる簡易宿泊所が集まっている。迷わずいけば10分ほどの道のりを、20分近くかかって、山谷の中心という泪橋に着いた。午後の遅い時間で、ほとんど人通りはなかった。

 とくにあてもなく歩き回り、見た目にはフィリピンで知ったスラムとはかけ離れていることを知った。ごみが山となって散らかっているわけでもなく、路上で寝そべっている人も見かけなかった。

 日が暮れたころ、道路に面した立ち食いの寿司屋に人が集まっているのを目にして、立ち寄ってみた。5、6人も客が来れば埋まってしまう小さなカウンター越しに、おじさんが注文を受けて握ってくれる。店に不潔感はなく、寿司は意外なほどうまかった。隣りにいた30歳過ぎくらいの男性に「いっしょに飲みに行かない?」と誘ってみた。

 「あんたは刑事さんか。その手は労働者の手じゃない」と突き放された。後で知ったのだが、そのころの山谷は、事件の渦中にあった。日雇い労働者を斡旋して金をピンハネする暴力団組員と、それに反対する新左翼系の「山谷争議団」の衝突が続き、死者も出ていて、私服の刑事が一帯にもぐりこんでいたのだった。

 次に居酒屋へ入った。コの字型のカウンターがある店で、適当な肴を頼んで日本酒を飲んだ。隣りのおじさんが、店員に「ホヤをもう一杯」と空いた器をカウンターに置いた。ぼくはホヤを食べたことがなかったが、おかわりするほどうまいのなら、と注文してみた。

 「な、うまいだろ」。隣りのおじさんが声をかけてきた。「おれは岩手県の出身で、ホヤにはちょっとうるさいんだが、ここのはほんとにいけるよ」。妻子を家に残して半年ほどの予定で出稼ぎにきたが、つい居座ってしまい、もう2年半も地元に帰っていないという。「仕送りはちゃんとしてるよ。東京の建設現場で働けばいい稼ぎになるし、まだもう少しいようかなと思ってる」

 おじさんと盛り上がって、しこたま酒を飲んだ。そして、ドヤにそのまま泊まった。2畳の殺風景な部屋で、800円か1200円だったと思う。

 少なくとも、そのころの山谷は、第3世界でもスラムでもなかった。ただ、体を壊したりしたときに、どうやって生きていくのか、という問題はあっただろう。

 2002年のサッカーワールドカップ日韓大会をきっかけに、外国人旅行者が山谷の宿泊施設を利用するようになったとされる。ここ数年は、就職活動をするリクルートスーツ姿の学生が目立ち、とくに2、3月には採用試験を受ける学生が次々とくるという。インターネットで、都内の安いホテルを探していて、山谷のことを知った若者が多いらしい。

 一方で、ドヤに住む労働者は高齢化が目立ち、生活保護を受ける人も多くなったそうだ。ウェブサイトの画像をみると、ホームレスの姿も少なくない。衰退するニッポンのひとコマとして、かつての第3世界が現出しているのだろうか。

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これでは、愛検ポチだ

 太陽暦が日本で採用されたのは、明治6年(1873)という。その1月1日を、日本人が特別な日とするようになったのは、おそらく、明治の中ごろかもしれない。

 新聞各紙も、元日紙面には大いに力を入れる。できればスクープで飾りたい、と狙う。読売新聞は、2010年の最初の1面トップを“スクープ”で埋めた。しかし、それを読んで暗澹たる気持ちになった人もいるだろう。読む人が読めば、みえみえの検察リークだったからだ。

 民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」が、2004年に購入した土地の代金を政治資金報告書に記載していなかった問題をめぐる新事実だ。その会の事務担当をしていた石川知裕衆院議員が、土地代金の4億円を小沢氏から現金で受け取った、と東京地検特捜部の事情聴取に供述している、という。

 小沢氏とカネをめぐっては、西松建設違法献金事件で、秘書や元秘書が立件されているが、小沢氏本人への事情聴取は見送られていた。特捜部は、小沢氏を事情聴取する姿勢で、小沢氏も応ずるようだ。さらに、18日に召集される通常国会で野党がどんな追及をするのか。民主党政権の最大の実力者が直接からんでいるだけに、ニュースにはちがいない。

 これが検察の意図的なリークだとわかるのは、スクープのはずなのに、朝日新聞もまったく同じ内容で報じているからだ。両紙とも、石川議員が特捜部の事情聴取に小沢氏から現金を受け取ったと供述していることが「――関係者の話でわかった」という書き方まで同じなのだ。ちなみに、他紙は元日には報道していない。

 読売は、別の現金4億円を2005年にも陸山会の口座に入金しながら収支報告書への記載がなく、このカネも小沢氏から受け取った可能性が高い、としている。この情報は、朝日にはなく、読売のほうが少し詳しい。

 両紙がいう「関係者」というのが、石川議員の周辺というのは内容からしてありえない。新聞と情報源の常として、「このネタは元日付けで書いてね」と念を押して情報提供されたとみられる。つまり、関係者というのは特捜部の幹部だろう。

 公式発表ではない捜査状況を、複数の新聞がまったく同じ内容で同じ日に書くということは、ふつう、同一のニュースソースから情報を得た場合しかない。

 検察が、公式には明らかにできないことを一部のメディアを選んでリークするのは、常套手段だ。国家権力による情報操作であり、世論誘導でもある。検察がこんな情報をリークしたのは、小沢氏を追い込むために他ならないだろう。

 民主党の山岡賢次国対委員長は1月4日のテレビ番組で、小沢幹事長の政治資金問題を巡る特捜部の捜査について「マスコミや国民をあおって、ムードをつくるのは違法で、アジテーター(扇動者)だ」と批判した。

 意図的なリークを受けた場合、それをどう扱うかは新聞社の見識にかかわる。読売はうれしそうに尻尾を振ってトップにすえた。朝日はさすがにちょっとためらったのか、トップには連載企画「日本 前へ」を置いて、1面左に記事を配置した。ただ、どちらにせよ、今回も検察の意のままになった。

 同じ捜査当局でも、警察の場合、これほど露骨なリークは皆無に近い。それは、メディアと当局との関係性のちがいからくるものだろう。東京地検特捜部の取材は、司法記者クラブが独占的に担当している。1987年、文書によって、特捜部長と副部長以外の検察官や検察事務官などに取材した場合は、出入りを禁止されることになった。禁止内容のもっとも重いのは、「最高検、東京高検、東京地検への出入り禁止」だ。

 メディアは、政権をゆるがす疑獄などがあった場合、検察に取材できなければ特オチの連続となり、メディアの評価や経営に響くので、自然、検察側の言いなりになる。警察の場合は、原則として取材制限はなく、したがって、報道管制のような状態にはなりにくい。

 メディアには、権力を監視する第4の権力としてのレーゾンデートル(存在理由)があったはずだ。それが、権力のひとつの殿堂である検察の言うがままになっていれば、ボデーブローのように効いてきて、市民の信頼を失っていく。

 読売は1000万部、朝日は800万部などと公称しているが、それが嘘っぱちなのを、人びとはとっくに知っている。わが家へ朝日を配達してくれる販売店員によると、各紙の部数の落ち込みは空前らしい。よく知られているように、関東ではやはり読売が強く、朝日や毎日をやめて読売を取る家はけっこうあるという。そして、いつのころからか、読売をやめる人は、新聞の定期購読そのものをやめるパターンが定着しているそうだ。

 販売店員に「もう、朝日さんを取るのやめようかな」と言ってみたら、「ああ、そうですか」とあっさり引き下がった。以前なら「そんなこと言わないで。読売さんが巨人戦のチケットなら、うちは映画のチケットをサービスしますから」と粘りを見せたところだ。もう、販売網の第一線にも、斜陽産業としての無気力がまん延しているのか。

 テレビ・ラジオやインターネットの単発ニュースで十分という人が増えている。数字など詳しいデータや、掘り下げた解説、毅然とした報道姿勢など新聞の役割に期待する人が減りつづけている。というか、新聞がそれに応えていないのだろう。

 検察なんかに尻尾を振らないさっそうとした新聞像というのは、初夢にすぎないようだ。

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