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山谷ブルースが、また聴こえるのか

 ♪♭♯ 今日の仕事はつらかった. あとは焼酎をあおるだけ. どうせどうせ山谷のドヤ住まい. 他にやることありゃしねえ♪――1968年、ぼくは中学3年生だった。岡林信康の歌うフォークソング『山谷ブルース 』が流行った。山谷もドヤもよくは知らなかったが、そういう人たちもいるのだと想像はした。反体制、日米安保条約反対が若者たちの間で叫ばれ、学生運動が盛り上がりつつあるころだった。

 その年、日本は国内総生産(GDP)がアメリカに次いで世界2位になったことを、のちに知った。高度成長期で、ホームレスや物乞いはみたことがなかった。

 ノーベル平和賞受賞者のマザー・テレサは、1981年に来日し、東京・山谷にマザーの精神を受け継いで開かれた在宅型ホスピス『きぼうのいえ』などを訪ねた。山谷で日雇いの肉体労働をする人びとの暮らしに触れ、「豊かな日本のなかの貧困」をみた。

 2010年1月16日から2月14日まで、その山谷を舞台にした映画『マザー・テレサと生きる』が、東京都写真美術館ホールで上映されるという。

 ぼくは、1986年初夏に、ドヤへ泊まったことがある。その年の4月、初めての海外出張で、日本テレビ系の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の取材クルーといっしょにフィリピンへ渡り、スラム街をたくさん取材した。日本でも知られるマニラ郊外の通称スモーキーマウンテンにも行った。ごみの山が自然発火し、いつも煙っぽい一帯だ。人びとはそこに掘っ立て小屋を作り、その日暮らしをしていた。フィリピンには3週間以上滞在し、スラムを生活レベルによって5段階に分けられるようになるくらいの経験をした。

 そのころの日本は豊かさの絶頂にあり、第3世界の現実とのギャップにはいささかショックを覚えた。東京へ帰り、同僚記者にスラムの暮らしぶりを話すと、「日本で第3世界といえば、山谷と大阪の釜ケ崎くらいだからな」と言われた。山谷へ実際に行って、フィリピンのスラムと比べてみようと思い立った。

 会社の連休を利用し、地下鉄日比谷線の三ノ輪駅で降りて山谷を探した。「山谷」はすでになくなった地名で街の表示に書いてあるわけではなく、地元の人に聞きながら歩いていった。少しでも労働者の街にふさわしいように、着古したジャンパーを着ていった。それでも、道を行く人に山谷地区への道を尋ねると、ちょっと変な顔をされた。

 台東区と荒川区にまたがり浅草の北隣りに位置するこの街には、約1.6平方キロのなかにドヤと呼ばれる簡易宿泊所が集まっている。迷わずいけば10分ほどの道のりを、20分近くかかって、山谷の中心という泪橋に着いた。午後の遅い時間で、ほとんど人通りはなかった。

 とくにあてもなく歩き回り、見た目にはフィリピンで知ったスラムとはかけ離れていることを知った。ごみが山となって散らかっているわけでもなく、路上で寝そべっている人も見かけなかった。

 日が暮れたころ、道路に面した立ち食いの寿司屋に人が集まっているのを目にして、立ち寄ってみた。5、6人も客が来れば埋まってしまう小さなカウンター越しに、おじさんが注文を受けて握ってくれる。店に不潔感はなく、寿司は意外なほどうまかった。隣りにいた30歳過ぎくらいの男性に「いっしょに飲みに行かない?」と誘ってみた。

 「あんたは刑事さんか。その手は労働者の手じゃない」と突き放された。後で知ったのだが、そのころの山谷は、事件の渦中にあった。日雇い労働者を斡旋して金をピンハネする暴力団組員と、それに反対する新左翼系の「山谷争議団」の衝突が続き、死者も出ていて、私服の刑事が一帯にもぐりこんでいたのだった。

 次に居酒屋へ入った。コの字型のカウンターがある店で、適当な肴を頼んで日本酒を飲んだ。隣りのおじさんが、店員に「ホヤをもう一杯」と空いた器をカウンターに置いた。ぼくはホヤを食べたことがなかったが、おかわりするほどうまいのなら、と注文してみた。

 「な、うまいだろ」。隣りのおじさんが声をかけてきた。「おれは岩手県の出身で、ホヤにはちょっとうるさいんだが、ここのはほんとにいけるよ」。妻子を家に残して半年ほどの予定で出稼ぎにきたが、つい居座ってしまい、もう2年半も地元に帰っていないという。「仕送りはちゃんとしてるよ。東京の建設現場で働けばいい稼ぎになるし、まだもう少しいようかなと思ってる」

 おじさんと盛り上がって、しこたま酒を飲んだ。そして、ドヤにそのまま泊まった。2畳の殺風景な部屋で、800円か1200円だったと思う。

 少なくとも、そのころの山谷は、第3世界でもスラムでもなかった。ただ、体を壊したりしたときに、どうやって生きていくのか、という問題はあっただろう。

 2002年のサッカーワールドカップ日韓大会をきっかけに、外国人旅行者が山谷の宿泊施設を利用するようになったとされる。ここ数年は、就職活動をするリクルートスーツ姿の学生が目立ち、とくに2、3月には採用試験を受ける学生が次々とくるという。インターネットで、都内の安いホテルを探していて、山谷のことを知った若者が多いらしい。

 一方で、ドヤに住む労働者は高齢化が目立ち、生活保護を受ける人も多くなったそうだ。ウェブサイトの画像をみると、ホームレスの姿も少なくない。衰退するニッポンのひとコマとして、かつての第3世界が現出しているのだろうか。

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