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これでは、愛検ポチだ

 太陽暦が日本で採用されたのは、明治6年(1873)という。その1月1日を、日本人が特別な日とするようになったのは、おそらく、明治の中ごろかもしれない。

 新聞各紙も、元日紙面には大いに力を入れる。できればスクープで飾りたい、と狙う。読売新聞は、2010年の最初の1面トップを“スクープ”で埋めた。しかし、それを読んで暗澹たる気持ちになった人もいるだろう。読む人が読めば、みえみえの検察リークだったからだ。

 民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」が、2004年に購入した土地の代金を政治資金報告書に記載していなかった問題をめぐる新事実だ。その会の事務担当をしていた石川知裕衆院議員が、土地代金の4億円を小沢氏から現金で受け取った、と東京地検特捜部の事情聴取に供述している、という。

 小沢氏とカネをめぐっては、西松建設違法献金事件で、秘書や元秘書が立件されているが、小沢氏本人への事情聴取は見送られていた。特捜部は、小沢氏を事情聴取する姿勢で、小沢氏も応ずるようだ。さらに、18日に召集される通常国会で野党がどんな追及をするのか。民主党政権の最大の実力者が直接からんでいるだけに、ニュースにはちがいない。

 これが検察の意図的なリークだとわかるのは、スクープのはずなのに、朝日新聞もまったく同じ内容で報じているからだ。両紙とも、石川議員が特捜部の事情聴取に小沢氏から現金を受け取ったと供述していることが「――関係者の話でわかった」という書き方まで同じなのだ。ちなみに、他紙は元日には報道していない。

 読売は、別の現金4億円を2005年にも陸山会の口座に入金しながら収支報告書への記載がなく、このカネも小沢氏から受け取った可能性が高い、としている。この情報は、朝日にはなく、読売のほうが少し詳しい。

 両紙がいう「関係者」というのが、石川議員の周辺というのは内容からしてありえない。新聞と情報源の常として、「このネタは元日付けで書いてね」と念を押して情報提供されたとみられる。つまり、関係者というのは特捜部の幹部だろう。

 公式発表ではない捜査状況を、複数の新聞がまったく同じ内容で同じ日に書くということは、ふつう、同一のニュースソースから情報を得た場合しかない。

 検察が、公式には明らかにできないことを一部のメディアを選んでリークするのは、常套手段だ。国家権力による情報操作であり、世論誘導でもある。検察がこんな情報をリークしたのは、小沢氏を追い込むために他ならないだろう。

 民主党の山岡賢次国対委員長は1月4日のテレビ番組で、小沢幹事長の政治資金問題を巡る特捜部の捜査について「マスコミや国民をあおって、ムードをつくるのは違法で、アジテーター(扇動者)だ」と批判した。

 意図的なリークを受けた場合、それをどう扱うかは新聞社の見識にかかわる。読売はうれしそうに尻尾を振ってトップにすえた。朝日はさすがにちょっとためらったのか、トップには連載企画「日本 前へ」を置いて、1面左に記事を配置した。ただ、どちらにせよ、今回も検察の意のままになった。

 同じ捜査当局でも、警察の場合、これほど露骨なリークは皆無に近い。それは、メディアと当局との関係性のちがいからくるものだろう。東京地検特捜部の取材は、司法記者クラブが独占的に担当している。1987年、文書によって、特捜部長と副部長以外の検察官や検察事務官などに取材した場合は、出入りを禁止されることになった。禁止内容のもっとも重いのは、「最高検、東京高検、東京地検への出入り禁止」だ。

 メディアは、政権をゆるがす疑獄などがあった場合、検察に取材できなければ特オチの連続となり、メディアの評価や経営に響くので、自然、検察側の言いなりになる。警察の場合は、原則として取材制限はなく、したがって、報道管制のような状態にはなりにくい。

 メディアには、権力を監視する第4の権力としてのレーゾンデートル(存在理由)があったはずだ。それが、権力のひとつの殿堂である検察の言うがままになっていれば、ボデーブローのように効いてきて、市民の信頼を失っていく。

 読売は1000万部、朝日は800万部などと公称しているが、それが嘘っぱちなのを、人びとはとっくに知っている。わが家へ朝日を配達してくれる販売店員によると、各紙の部数の落ち込みは空前らしい。よく知られているように、関東ではやはり読売が強く、朝日や毎日をやめて読売を取る家はけっこうあるという。そして、いつのころからか、読売をやめる人は、新聞の定期購読そのものをやめるパターンが定着しているそうだ。

 販売店員に「もう、朝日さんを取るのやめようかな」と言ってみたら、「ああ、そうですか」とあっさり引き下がった。以前なら「そんなこと言わないで。読売さんが巨人戦のチケットなら、うちは映画のチケットをサービスしますから」と粘りを見せたところだ。もう、販売網の第一線にも、斜陽産業としての無気力がまん延しているのか。

 テレビ・ラジオやインターネットの単発ニュースで十分という人が増えている。数字など詳しいデータや、掘り下げた解説、毅然とした報道姿勢など新聞の役割に期待する人が減りつづけている。というか、新聞がそれに応えていないのだろう。

 検察なんかに尻尾を振らないさっそうとした新聞像というのは、初夢にすぎないようだ。

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