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改めて生と死を考える

 妻の母が危篤に陥った、という電話が長野市で暮らす跡取りの義弟から入った。妻とぼくは、関越道、上信越道を飛ばして帰った。横川、軽井沢の峠辺りは霧が立ち込め、すごい吹雪だった。愛車はノーマルタイヤをつけているので、冷や冷やしながらいつもの半分のスピードで走り、夜7時半にどうにか病院へ着いた。

 義母は脳梗塞で倒れ、1年半ほど前から病院や自宅、高齢者施設で過ごしていた。2010年3月5日、急性腎不全で緊急入院し、7日の午後に容態が急変した。

 義母は、口に酸素マスク、腕に血圧計、胸に心電図のパッドをつけ、点滴を受けながらベッドの上であえいでいた。尿を出すためのチューブも挿入されていたが、ほとんど出なかった。医師が義弟らに説明したところによると、尿の毒素が体内に回り、心臓へ達したら最期を迎える。今夜がヤマかもしれないし、体力があれば1週間先になるかもしれない、ということだった。

 血圧を上げる薬のせいで血管が収縮するため、手足が冷え切っていた。妻や義姉は、必死で手足をさすってあげた。

 お見舞いのため帰省した2009年11月、施設のベッドで眠っている義母に妻が大声で呼びかけると、わずかながら目に涙を浮かべて反応があった。しかし、義弟の話では、それからほどなくして症状が悪化し、反応はまったくなくなったという。

 病室で、最新医療機器が送り出す情報を映すモニター画面を見つめていると、生とは何か、人間の尊厳とは何かを考えずにはいられなかった。

 モニター画面では、心臓はまだ規則正しかったが、血圧が乱高下し、酸素の供給値が突然「0」になったりした。看護師がときおり体温を測ると、34度台で推移していた。ベッドに横たわっているのは、生ける屍でしかなかった。

 医療の発達していない昔日なら、義母はすでに、満81歳で静かに命の灯火を消していただろう。

 いたたまれなくなって病室を抜け出し、携帯電話の使用が許されているエリアから、ぼくの実家へ、状況報告の電話をかけた。母は「私がそんな容態になったら、延命措置なんてして欲しくない。お迎えが来たら自然に逝くのが一番だわ」と言った。ぼくもまったく同感だった。

 妻の父は、以前このブログで書いたように、2008年秋、脚立から転倒して脳挫傷を負い、1か月余り入院して亡くなった。救急車に乗せられたときには自分の名前を言ったそうだが、病院へ着くころには完全に意識を失っていたという。それから一度も意識を取り戻すことはなかった。

 義父の容態が一段と悪化したとき、看護師はぼくたちに言った。「人工呼吸器を着けますか? その場合、植物状態がずっとつづくかもしれません。入院費も相当かかります。そして、一度着けたら、法律によって私たちは取り外すことができなくなります。よくお考えください」

 義弟や義姉や妻は、究極の選択を迫られた。父がまだ生きていて、医学的に生きつづけさせることができるならそうしてあげたい。しかし、意識もなくただ生物学的に生きていることに何の意味があるのか、という迷いもあった。

 看護師長は、ぼくをこっそり呼んでこう言った。「医療関係者としては、ご家族のご判断に任せるしかありません。でも、私の個人的な意見を言わさせていただくなら、人間に寿命というものがあり、自然に任せるのが一番いいと思います」

 義父は、人工呼吸器を着けることもなく命を終えた。

 少し距離を置いたところで、植物状態になったときの医療費などを気にしていたぼくは、本人も家族もこれでよかったんだ、と心から思った。

 義母は、ぼくたちが飛んで帰った翌日の午前10時過ぎに逝った。結果としては、どうにか尊厳が保たれた。

 葬送のセレモニーについては、基本的には葬儀社に任せた。祖母が大往生したときにきめ細かく動いてくれた担当者を指名した。

 問題は檀那寺だった。義父のとき、M寺の住職は、とんでもないことにお布施と戒名代で120万円もふっかけてきた。何事も丸くおさめようとする義弟は、値切ることもなく貯金をはたいて差し出した。3か月後に祖母が亡くなると、今度はさすがに50万円に下がった。

 親戚のあいだでは、M寺の強欲ぶりがひとしきり話題になった。そして3年連続の葬儀となる義母の場合はいくら要求するのか、みんなで注目していた。今回は20万円だった。住職は、檀家の足元を見て適当に額を決めているとしか思えない。

 医学は進歩したが、人の寿命を尊重し尊厳を守るという点においては、明らかに後退している。そして、他の仏教国にはない戒名などというものでぼろ儲けをする葬式仏教も、いくところまでいった感じがする。

 通夜から葬儀にかけて、春の嵐が吹き荒れた。

 (このブログは、原則として毎週木曜日に更新します)

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