« 改めて生と死を考える | トップページ | 釜山からの帰り、JR日暮里駅で愕然とした »

日本の戦争は終わってはいない――フィリピン残留日本人孤児

 第二次世界大戦より前にフィリピンに渡った日本人とフィリピン人女性とのあいだに生まれながら、戦禍で現地に取り残されたままだった吉見政江さん(76)の戸籍が、NPOによって熊本県天草市で発見され、日本国籍を取れることになった。戸籍は「昭和20年にルソン島マウンテン州で死亡」として抹消されており、戸籍訂正の手続きを行う。

 吉見さんは、2009年、日本の裁判所に戸籍作成を申し立てていたが、「日本人の可能性が低い」として却下されていた。却下後に、戸籍が見つかったケースは初めてという。

 吉見さんのような境遇の人は、一般に「フィリピン残留日本人孤児」と呼ばれているが、その問題は、日本ではあまり関心を引かない。吉見さんの戸籍発見のニュースも、2010年3月5日に毎日新聞が報じただけだった。

 しかし、ぼくにとっては忘れられないテーマとなっている。1986年4月、フィリピンへ出張し、ネグロス島の中心都市バコロドで市場を取材しているときだった。日本では見かけない鮮魚やニガウリ(ゴーヤ)など地物の野菜が売られ、活気にあふれていた。

 「日本人、ですか?」中年の女性に日本語で声をかけられた。その女性は、市場に日本人の記者が来ていることを知り、あわてて飛んで来たという。日本語は不自由そうなので、英語で会話した。

 「私は日本人ですが、戦争が終わってからも、ずっとフィリピンで暮らして来ました。何とか日本に帰れる方法はないかと思いながら、誰に頼んだらいいかもわからないまま、40年も経ってしまいました」

 ネグロス島は、首都マニラから遠く離れたところにある。そんな島に日本人がいるとは、思いもせず驚かされた。ぼくは、予定していた取材をいったん中止し、その女性の話をじっくり聞くことにした。今ではその人の名前は忘れてしまったが、顔だちはいかにも日本人のおばさんという感じだった。

 大戦前フィリピンに渡った日本人男性を父に持ち、「日本の戸籍を持っていたはずだった」という。日本語は父との会話で覚え、戦前にあった日本人学校で本格的に学んだ。だが、日本軍に徴用された父は戦死し、やがて日本軍が負けると、現地日本人への差別や迫害の恐れがあり日本人であることを隠して生きてきた。日本語を話す機会もなくなった。しかし、戦争が終わって長い時間が経ち迫害の恐れも少なくなってから、親しい友人らには、日本国籍を持っていていずれは日本人として生きていきたい、と話していたという。

 その女性は「私と同じ境遇の人は他にもかなりいるはずです。日本の新聞に書いて、政府などを動かしてください」と涙を浮かべて語った。

 ぼくは、出張を終え東京へ帰ると、すぐに、フィリピンにも残留したままの日本人がいるという原稿を書いた。しかし、アジア担当デスクはそのニュース価値がわからず、しばらくはそのままになっていた。新聞社も縦割り組織で、海外のことでも日本や日本人がらみの話は、ぼくの所属していた外報部(現国際部)ではなく社会部の管轄とされていた。

 それでも、ぼくが強く迫ったので、預かりになっていた原稿は、3週間ほど経ってからやっと紙面に載った。

 ぼくは、その前年、外報部に移る前に中国残留日本人孤児の取材をしたことがあり、そのフィリピン版だと考えていた。

 中国残留孤児は、第二次大戦末期の1945年8月、ソ連軍侵攻と日本の関東軍の撤退による満州国(中国東北部)における混乱で、家族にはぐれたり置去りにされたりして日本へ帰れず、中国人の手によって育てられた子どもたちのことをいう。その数は8,000人とも1万人を超えるとも言われている。1981年から日本の厚生省(当時)が中心となって中国残留孤児・訪日肉親捜しが始められた。

 フィリピンのケースは、20世紀初頭から第二次大戦前にかけてフィリピンに渡った日本人移民男性の子、つまり二世が多いとされる。戦争直前にはダバオなどを中心に在留邦人が約3万人いた。また1939年の国勢調査では、日比混血児が2358人、うち日本国籍を取得したのは740人だった。

 NPOのフィリピン日系人リーガルサポートセンターによると、残留日本人孤児の支援を始めたのは2006年だった。以降、123の就籍申し立てを行ったうち、48件しか認められていないという。フィリピン国内には現在、約500人の残留孤児がいるが、多くが70歳以上で戸籍取得が難しくなっている。

 フィリピン残留孤児(二世)の父親の多くは大戦中、日本軍に徴用され、敗戦に伴い強制収用・送還された。戦火の中で死亡した父親も多いとされる。現地に取り残された妻子は山岳地帯に隠れ住んだりした。日本人の父とのつながりを裏付ける資料を自ら捨てた人も多く、戸籍取得が難しい原因となっている。父親の身元が判明し戸籍に名前が記載されている二世はすでに日本国籍を取得しているが、約800人は証明できるだけの資料がなく、すでに死亡した人などを除く約500人が就籍による日本国籍取得に望みを託している。

 ぼくが1986年に書いた記事はスクープだったが、翌年のインド赴任を控え、続報を書く余裕もなかった。他のメディアや政府は何の反応もしないまま問題が放置された。すでに高齢となった孤児の人たちのことを思うと、心が痛む。

|

« 改めて生と死を考える | トップページ | 釜山からの帰り、JR日暮里駅で愕然とした »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/540025/47841009

この記事へのトラックバック一覧です: 日本の戦争は終わってはいない――フィリピン残留日本人孤児:

» 優良イーブックで英語上達 [英語が短期間で上達する学習法]
英語に関する優良イーブック及び英語学習に役立つYouTube動画・面白動画を紹介しています。 [続きを読む]

受信: 2010年3月18日 (木) 14時07分

« 改めて生と死を考える | トップページ | 釜山からの帰り、JR日暮里駅で愕然とした »