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釜山からの帰り、JR日暮里駅で愕然とした

 韓国では、これでもかというくらい生ニンニクを食べる人が多い。最初に訪れたのは24年前で、一番印象に残ったのは、日本でまだ一般的ではなかった韓国料理のうまさだった。

 ユッケを注文すると、生のニンニクがどーんと添えられており、生肉と合わせて食べる。それもスライスではなく、皮をむいた丸ごと出て来ることもある。プルコギや魚の刺身も生ニンニクといっしょに食べる。試すと、これがくせになる。

 しかし、人びとがニンニク臭いかと言えば、そうでもない。ニンニクの品種がちがうのか、粒は大きく、味は深く、しかも日本のに比べてあまり匂わなかった。

 自分で人体実験してわかった、もうひとつの秘密がある。大量の生ニンニクを食べ慣れると消化酵素が適応するのか、あまり口から匂わなくなるのだ。

 そのころの韓国は、街を行く人の衣服の質が日本と決定的にちがっていた。ちょっと田舎に入ると牛車が道路をのんびり動いていたりして、発展途上だなぁという感じはぬぐえなかった。

 そしてこの2010年の冬、釜山に行ってきた。韓国訪問は20年ぶり3回目となる。今回印象に残ったのは、少なくとも都市部が大いに発展していることだった。釜山には、地下鉄ができていた。切符の自動販売機は、韓国語、英語、日本語、中国語の表示をワンタッチで選べる。

 市の中心部にある西面(ソミョン)駅で切符を買おうとしていると、おじいさんから日本語で話しかけられた。日本から訪れる人たちのために、案内ボランティアをしているという。日本に長らく住んでいたといい、ネイティブの日本語だった。

 駅のアナウンスも4か国語で行われていた。地下鉄の車両は東京メトロなど日本とほとんど変わらず、運賃は日本より4割くらい安い。車内の電光掲示板は韓国語と英語だった。

 南浦洞(ナンポドン)駅で降りると、今度は初老女性の日本語ボランティアがいた。徐英梅、日本名・松本エイ子さんといい、名古屋で育った元在日コリアンだった。

 日本では、高知市へ旅行したとき、坂本竜馬の生家などを案内する歴史ボランティアにお世話になったことがある。だが、駅のコンコースに長時間立って外国人にサービスするという例は知らない。徐さんは、発展した釜山を日本人に見せることに誇りを持っていた。高齢者に生きがいをもってもらい、観光にも役立てる一石二鳥のボランティア制度だった。

 南浦洞駅を出てすぐの海に面したチャガルチ市場一帯が、釜山最大の観光スポットとなっている。日本の植民地から独立した1945年ごろ、砂利地帯(チャガルチ)に海産物の露店を出したのが始まりとされている。

 無数の干物販売店が集まった一角も面白かったが、中心は2006年にリニューアルされた水産市場、その名も『チャガルチ市場』で、大型ビルの1階フロアに、生簀を備えた鮮魚店が100数十軒びっしりと並んでいた。ビルの2階はレストランになっており、1階で買った魚介類をすぐに味わうことができるという。

 ある魚屋でアワビとサザエを2個ずつ、ホヤ、イカ、ヒラメを1匹ずつ買った。いずれも生簀から揚げた活魚だ。それらの刺身や焼き物にキムチとライスが付いて、ふたりで食べて約4000円だった。日本のわが家の近所には、北海道・函館直送の活魚専門店があるが、活イカ一杯で2000円はする。その相場からすれば、信じられないほど安い。

 驚かされたのは、ほとんどすべての店員が、商売にはじゅうぶんな日本語会話ができることだった。地下鉄駅の4カ国語表記・アナウンスや日本語ボランティアといい、鮮魚店員の会話能力といい、国際観光都市としてやっていこうという意気込みはすごい。

 韓国は、官民挙げて「2010-2012 韓国訪問の年」という外国人観光客誘致キャンペーンを展開している。2009年の782万人を2012年までに1000万人以上にするのが目標という。釜山など地方都市のイベントや食べ物について、韓国観光公社や旅行会社、各地方自治体がPR活動を繰り広げている。

 日本でも、前原誠司・国土交通大臣を本部長とする観光立国推進本部が設立されたらしい。だが、ほとんどの国民はあずかり知らず、まったく盛り上がっていない。

 それに比べ、韓国の“官民挙げて”というのは、いつも徹底している。最近のいい例がバンクーバー冬季五輪だろう。金5個、銀4個、銅1個と計10個のメダルを獲得した。選手団は総勢82人で、うち選手が45人ともちろん役員・スタッフより多かった。

 日本は205人もの選手団を送ったが、選手は94人と半数に満たず、銀3個、銅2個の計5個にとどまった。JOCの役員たちが大挙して現地入りしたあおりで、選手に直接つくべきコーチやトレーナーがはじき出された。多くの役員が国費を使って物見遊山に行ったとしか思えない。

 それでもメディアはほとんど批判しない。民主党政権の事業仕分けは脚光を浴びたが、スポーツ行政の無駄遣い、非効率が槍玉に挙げられないのはなぜだろう。

 観光でもスポーツでも、韓国と日本には迫力のちがいがある。でもそれは、島国ニッポンに暮らしているだけではぴんと来ない。

 釜山から成田へ空路帰り、京成電鉄で日暮里まで来てJRに乗り換えた。切符の自販機にローマ字表記さえないのに、愕然とした。

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