« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月

日刊ゲンダイの活造り

 魚介類は鮮度がいいほど美味い、と思っている人は少なくない、でしょ。その最たる料理が活造りだろう。ピチピチしたままの魚を食べるというのは、日本人にとって、なんとも言えない贅沢感がある。でも、鯛などは、活造りにしたら実はうまくもなんともない。活き締めにして丸1日置くと、やっと深みのある本来の味になる。

 活造りは何も魚だけの話じゃない、とぼくは思っている。まな板の上にピチピチの何かを乗せ、さばいていくそのプロセスこそ快感、美味だ。

 そこで、検察vs.小沢バトルで独自の視点から報道して、ちょっと名を馳せた日刊ゲンダイを俎上に乗せることにしよう。味は保証しないけれど…。

 2010年4月20日、<<問題なのは選挙民の水準と意識>>という無署名の記事が載った。

 沖縄の普天間基地問題をめぐり、<いつの間にか「鳩山首相退陣」という政局問題にスリ替えられてしまった>と書き出している。

 <そもそも冷戦が終わって20年も経つのに、なぜ大々的な米軍基地が沖縄に必要なのか。なぜ日本人の税金で米兵を養わなければいけないのか。「在日米軍の抑止力が大事」という人がいるが、何を抑止するのか>と疑問を投げかける。それはそれでいい。

 <すでに中国や台湾の脅威はないし、北朝鮮は戦闘機を飛ばす余力もない>

 北朝鮮の空軍機はあまりにも旧式で燃料も不足しており、日本に飛んでくる恐れはまずない。しかし、中国の脅威がないと断言する根拠はどこにあるのか。

 フィリピンでは、1994年までに、アジア最大のスービック米陸軍基地とクラーク米空軍基地を完全に撤去させた。その結果、何が起きたか。1995年、中国はフィリピンが領有を主張していた南沙諸島のミスチーフ環礁を軍事力で占領し、さらに97年、スカーポロ環礁の領有も主張して軍事施設を建設した。

 中国の胡錦濤政権が、近海防衛型から外洋展開型が可能な海軍へと軍拡路線を走っているのはよく知られるところだ。沖縄など南西諸島はすでに勢力圏で、小笠原諸島とグアムを結ぶ線まで活動範囲を広げている。日刊ゲンダイの、そうした現実をいっさい無視したふりには、中国共産党のポチ?、と言いたくなる。

 <戦後50年、アメリカ支配の自民党政権の中で繁栄してきた日本の大マスコミに「目を覚ませ」と言ったところで、連中はグルなんだから、ナンセンスである>と批判する。それはまあそうなのだろう。

 そして、<大事なのは、読者、視聴者が賢くなることしかない。自分の頭でモノを考えて自立する。押し付けられる情報を取捨選択する能力が必要なのだ>と書く。ごもっともではあるが、筆はエスカレートし<自分でモノを考える能力がない。ないからテレビのみのもんた程度の発言に左右される>と言いたい放題だ。

 記事は評論家の塩田潮氏の言葉を引く。<「政権交代というのは、それまでの50年のシステムを変えることだから、時間がかかる。与党の経験がない民主党議員が右往左往するのは仕方ないことなのです」>。それは確かにそうで、新政権をわずか半年で判断するのは早計すぎる、と言えなくもない。

 それでも、次のような一文をみると小沢応援団の本質があらわになる。<小沢一郎という傑出政治家による政権交代で、呪縛のない民主的政治が目の前に出現した>

 <傑出政治家>という評価は意見の分かれるところで、そう考えるのは自由だ。しかし、<呪縛のない民主的政治>というのはどこの国の話かッ! 小沢幹事長が、小沢氏ら民主党執行部への批判を繰り返しているとして生方幸夫副幹事長の解任を決めながら、世論の反発にあって撤回した事実を忘れているのか。民主党の議員たちは、ぼくの友人をふくめ、この花の季節にも「物言えば唇寒し秋の風」と口をつぐんでいる。そんな呪縛のある恐怖政治のこと、国民はみんな知ってるッーのに。

 <もともと封建時代から羊のようにおとなしい日本人は天皇制の下で「民主主義」を学べず、さらに自民党時代の学校教育で教えられたことは、権力を疑ったり批判したり、個性を出すことはよくないという従順さ。支配階級の計算通りに、ヨコ並びで、画一的な愚民に飼いならされてきた>

 その指摘はあながちまちがってはいないだろう。だが、<権力を疑ったり批判したり>することを許さないのが小沢一郎その人だ、という認識が、この筆者にはないところがスゴイ。

 とはいえ、記事の中には傾聴に値する指摘があった。軍事問題評論家・前田哲男氏のコメントだ。

 <「日本の米軍基地をめぐっては、日米間で官僚、軍需産業、学者、軍人と、それぞれのレベルでがっちりタッグが組まれています。…あえて波風を立たせたのが鳩山首相。…日本のメディアは報じませんが、世界を見れば、第2次大戦後、政権交代で49の外国の基地のうち40が撤退に追い込まれている。…米国内には沖縄の海兵隊不要論まであります。日本の報道はあまりに偏りすぎですよ」>

 ぼくも異議はない。この<日米タッグ><撤退基地とその後><基地不要論>を徹底追求して報道すれば、日刊ゲンダイの株も赤マル急上昇するだろうに。

| | トラックバック (0)

ニュー毎日新聞に、明日はあるか

 大変だろうけど一縷の望みを持ってガンバッテね、としかいいようがない。

 毎日新聞が、2010年4月から、共同通信の加盟社となった。それによって毎日の何が変わり、日本の新聞界にどんな影響を与えうるか。今回の“変身”をきっかけに、新しい形の新聞として飛躍する可能性もないわけではない。

 毎日の何が変わるかは、共同通信とはどんな役割を果たしているか、朝日や読売などの全国紙はどんな取材体制を敷いているか、を知る必要がある。

 共同は加盟する新聞社などの分担金で運営されており、国内、海外のニュースを取材して、記事や写真、映像を新聞社や放送局に配信する社団法人だ。1945年に、日本各地の地方紙と全国紙の日経、産経、それにNHKが「加盟社」となって発足した。加盟社は理事会の構成員で経営についての発言権を持っている。加盟社とは別に、受ける配信ニュースの量が少ない民放などは、分担金の少ない「契約社」であり発言権を持たない。

 朝日、読売などは契約社として共同から海外ニュースの配信サービスだけを受けている。両社は海外に独自の支局網を持っているが、それだけでは十分な体制が取れないため、補足的に共同の記事を使うことがある。毎日も同じだった。

 ぼくは新聞社の国際セクションで働いていたので、共同の記事を“活用”する裏技をよく知っている。通信社には締め切りというものがなく、だいたい新聞社の海外特派員より早く記事を送る。新聞社のデスクは、それを参考にして紙面作りを考えるとともに、共同の記事を記事作りのモデルにするようファクスで海外支局に流したりする。パクリはしないものの、大いに参考にする――というのが実態だ。

 朝日や読売の紙面に共同の記事が使われることはそう多くはないが、実は、舞台裏でずいぶん役に立っているのだ。共同の分担金は部数などによって決まり、大新聞が共同に支払う額は、海外ニュース分だけとはいっても半端じゃない。そのため、あるとき、国際報道の舞台裏を知らない役員が「経費削減のため、共同との契約を打ち切ってしまえ」と言い出した。それを特派員あがりの役員が必死になって説得した、という笑えない話もある。

 今回、毎日は共同から海外だけでなく国内ニュースの配信も受けることになった。その最大の理由は経営難にある。2008年度の決算では、経常利益、営業利益とも15年ぶりの大幅赤字となり、やむをえず、国内の地方にある記者ひとりだけの通信部を約20か所廃止し、その穴埋めとして共同の記事を使うことにした。

 それと同時に、共同に加盟する12の地方紙から自社取材網のない地域の記事の配信を受けることになった。配信するのは青森の東奥日報、群馬の上毛新聞、徳島新聞、熊本日日新聞などだ。つまり、ニュー毎日は、全国に販売するという点では全国紙だが、国内の取材体制としては全国紙でも地方紙でもないユニークな形をとる。そうした体制の新聞は海外にはあるが、日本でうまく機能するかどうか。

 朝比奈豊・毎日社長は記者会見で、各地域面は従来通りの紙面作りをすることを明らかにした。その上で、注目すべきことを口にした。「記者クラブに拠点を置きながら、官公庁や企業の発表は共同通信を活用し、分析や解説に力を入れる脱発表ジャーナリズムを進めたい」

 他の新聞は「発表ジャーナリズム」だと決めつけたわけだが、特に社外から批判はなかったようだ。あ~あ、各紙が自他共にそれを認めているのが情けない!

 日本の新聞は、国内ニュースに関しては誰が書いても同じはずの発表モノや選挙の開票速報まで、独自に処理する。世界でもほとんど類例のないことだ。そういう仕事は馬鹿馬鹿しいので、ぼくはできるだけ避けることにしていた。

 ニュー毎日は、苦肉の策ながら、やっと悪しき慣習の一部を打破しようとしている。共同から国内の記事や情報を買うことで余った取材力のエネルギーを、調査報道や解説など本来注ぐべきところに注げば、活力ある新聞になれるかもしれない。

 そんな取材方針の大転換なのに、毎日の記者たちは他社の記者から聞いて初めて知った、というお粗末な裏話もあった。“没落した公家”の趣がある毎日らしいエピソードだ。

 新機軸には、弱点もあるにはある。増える一方の広域犯罪についての取材・報道で遅れを取る恐れは強い。ぼくは駆け出しだった1980年、富山・長野連続誘拐事件を取材した。2月に富山県で女子高生が誘拐・殺害され、次いで3月に長野県で信用金庫に勤めるOLが誘拐・殺害され、同一犯の凶行だとわかった事件だ。

 このとき、ぼくのいた長野支局の先輩記者と横浜支局時代に机を並べていた記者が富山支局にいて、電話一本でツーカーのやりとりができ、都道府県ごとに管轄する警察や地方紙を大きく出し抜いてスクープを連発できた。まさに全国紙の威力だった。

 ニュー毎日の経営状況をみれば、国内取材網をさらに縮小しそうだ。そうなれば、広域事件では、地方紙同様、お手上げとなるだろう。警察庁が「日本版FBI」の創設を狙っている時代に、苦しいことは苦しい。

 しかし、そこには目をつぶってでも、ニュー毎日には個人的に期待したい。ユニークな新聞形態でいい記事が続出すれば、横並びの島国のことだから、「それならわが社も」と新聞ジャーナリズムが変わるかもしれない、もんね。

| | トラックバック (0)

御柱祭 出雲→北陸→越後→信州の「神」逃亡ルートからのロマン

 寅年と申年に、奥山でモミの巨木を切り出し、里を曳いて急坂を滑り落とし、川を越え、神殿の4隅に立てる。巨木には2000人から3000人もの氏子が群れしたがう。長野県諏訪地方の御柱(オンバシラ)祭が、2010年4月2日から6月15日までつづいている。

 申年だった1980年、ぼくも長野県に住んでいたが、あの勇壮な祭をじかにみる機会はなかった。しかし、テレビで観るだけでも迫力は伝わる。猛スピードで坂を下る巨木に群がる男たちには、死さえ恐れぬヒロイズムが感じられる。人びとの巨木へと向かう衝動は何なのだろう。あの祭りは、観る者の心に消化しきれない何かを残す。

 2000年4月、信州から遠く離れたぼくの郷里、島根県の出雲大社で、巨大な柱の根元が発見され、考古学上の大ニュースとなった。直径1メートル以上のスギが3本、金輪で締められていた。かつては出雲大社が、世界最大の木造建築である奈良・東大寺大仏殿の約45メートルを上回る約48メートルの高さを持つ掘っ立て柱建物だった――そう記す平安時代の文献や、本殿の平面図「金輪造営図」を裏付ける大発見だった。

 その速報に触れ、ぼくはすぐに諏訪の御柱祭を連想した。古代、出雲でも無数の人びとが集い巨木を切り出して神殿に立てたのだろう。出雲には柱立ての神事の記録さえないが、遠く諏訪に伝えられ今に残っているのではないか。

 インターネットで調べると、古事記に出雲と諏訪を結ぶ記述があるという。アマテラスオオミカミの孫ニニギノミコトの降臨に先立ち、タケミカヅチノミコトが使者として出雲へ赴き、オオクニヌシノミコトに出雲王朝の支配権を譲渡するように迫った。これに対し、オオクニヌシの息子であるタケミナカタノミコトが「国譲り」に反対し、タケミカヅチと格闘した。負けたタケミナカタは出雲を追われ諏訪まで逃れて、その地を征服し、土着の神と交わって王国を築いたという。それが諏訪大社の起源とされる。

 巨大柱の発見のあと、出雲地方のある自治体で教育長をしている高校時代の友人が上京し酒を酌み交わした。そのときに、出雲大社と諏訪の御柱祭をめぐるぼくの仮説を話してみた。

 そして、2000年の10月、出雲大社ではさらに、古代神殿の中心にあったと思われる「心御柱」の根元も発見された。いわゆる大黒柱そのものであり、シンノミハシラと読む。出雲と諏訪は、読みこそちがえ「御柱」というキーワードでもつながる。

 教育長の友人からは、こんなメールが来た。「子どもたちに地元の神話と伝承を教える体験学習として、出雲大社に柱を立てる“御柱祭”のイベントをしたいと思っています。ついては、古代における出雲と諏訪の関係について、諏訪側の情報を集めてもらえませんか」

 ぼくはそのころ、経済人や市民が田中康夫さんを長野県知事選に当選させ「革命」とも呼ばれた出来事について取材するため、信州へよく出張していた。そのついでに諏訪を訪れ、在野の考古学者、宮坂光昭さんの自宅を訪れた。

 奥さんの手料理でもてなされ、「以前は御柱祭の年には冠婚葬祭を控え、祭にお金と精力を注ぎ込んだものです」と聞かされた。現代でも、祭の期間には、まったく見知らない人が来ても料理と酒を惜しげもなくふるまうのだという。御柱祭は、全国的にみてもまれにみるスケールでのハレの行事なのだった。総参加者は20万人ともいう。

 宮坂さんは出雲との関係については否定的だった。「現在の諏訪大社の神事には、出雲系のタケミナカタを祀るものはほとんどありません」

 諏訪市博物館で学芸員に聞くと「出雲大社での大発見には個人的には注目していますが、諏訪大社との関係はよくわかりませんね」と言った。

 友人の教育長は、出雲での“御柱祭”として、地形的にみて、切り倒した木を川に浮かべて平野部まで運び、そこから里曳きをして出雲大社へ向かうルートを考えた。それを実行に移すには、少なくとも3市町の協力が必要だった。各首長に働きかけて準備を進めたのだが、平成の大合併に伴う混乱で、話は立ち消えになってしまった。

 それでも、ぼくは自分の仮説を温めつづけていた。今回2010年の御柱祭をテレビで観て、改めてネットで調べてみた。すると、2009年11月の筆者不詳のある記事で、ぼくと同じことを想像した人がいることがわかった。

 また、出雲と同様、諏訪地方にもかつては旧暦10月を「神無月」ではなく「神在月」と呼ぶ風習があったことも知った。諏訪大社上社の祭神であるタケミナカタが、出雲で“勘当”されたため全国の八百万の神々とはちがいこの月に出雲には行かないためそう呼ぶ、との説があるらしい。諏訪市博物館に問い合わせると、神在月という呼称も「今では巷ではほとんど聞かれない」という。諏訪の人びとは、出雲の記憶を忘れているのか。

 だが、タケミナカタを祭る神社が出雲から北陸にかけての日本海側に点在し、それを結んでいくと出雲、北陸、越後、信州へとつづく逃亡ルートが再現できるらしい。古代、出雲と諏訪が深く結びついていたことはまずまちがいない。

 巨大柱を立てる文化の伝播ルートも、いつか考古学上の大発見によって裏付けられるかもしれない。そうすれば、そもそもなぜあれほどまでに大騒ぎをして柱を立てるのか、という御柱祭最大の謎が解けることになる。

| | トラックバック (0)

豚と桜――春爛漫の土曜日に

 動物園でぜひ見たい動物のトップ人気はジャイアントパンダで、2位がゾウ、3位がライオンだという。朝日新聞がインターネットで約4000人にアンケートした結果だ。しかし、ジャイアントパンダってそんなに可愛いだろうか。

 1972年に上野公園へ日本初のパンダがやって来たとき、GFにせがまれて見に行った。パンダよりも人間を見に行ったようなもので、ものすごい混雑のなか、やたら笹を食べている姿が印象に残った。ぬいぐるみにすれば可愛いが、実際には白い毛も薄汚れていたりした。見た目とちがって獰猛で、骨付き肉をバリバリ食べるのも中国にはいるそうだ。なんだかな~。パンダ小屋のとなりにいたレッサーパンダのほうが、よほど愛らしかった。

 個人的にはどんな動物がいいかというと、それはブタだ!。さいたま市の大宮公園に併設された入園無料の動物園は、ゲートを入ったほぼ正面の檻でミニブタが展示され人気を集めている。

 2010年の正月、久しぶりに家族4人がそろったので、大宮公園に隣接した氷川神社に初詣した。息子が「小さな動物園があって面白いよ」と言うので、みんなで行ってみた。ブタのお家では、ちょうど飼育係りのお姉さんが餌やりをしていた。「ネロ」というブタの名前が表示されていたが、2匹いたので、もう1匹の名前をお姉さんに聞いた。「ダイキチ(大吉)といい、今日からここにお目見えです」

 ブタを堂々と展示している動物園が、他にあるだろうか。わがファミリーはとても気に入った。

 ジャイアントパンダの一番人気が報じられた2010年4月3日の土曜日の昼、約1200本のソメイヨシノが咲き誇る大宮公園へ花見に出かけた。動物園も年に一度の大盛況だったが、ネロと大吉は陽だまりで寝ていた。そのマイペースぶりが実に良かった。

 大宮公園は広大な敷地を持ち、上野公園のように場所取りをしなくても、行けばすぐにシートを敷いて花見ができる。中央には鉄柱が立っていて、その天辺にスピーカーが取り付けられ、迷子のお知らせなどを流している。公園にはにぎやかにぼんぼりが張り巡らされ、昼間だというのに電気がついている。このエコの時代に、と思いながらよく見ると、鉄柱に太陽光パネルがありそれが電気を供給しているらしい。

 公園内には無数に露店が出ている。焼きソバ、イカ焼き、お好み焼きといった定番に混じって、タイのスープ「トムヤムクン」やトルコ発祥の「ドネル・ケバブ」など今風の店もある。

 ドネル・ケバブは、200万人以上のトルコ移民が暮らすドイツで一番うまいファーストフードで、わがファミリーも大ファンになった。本来はマトン肉をぎっしり重ね合わせてぐるぐる回しながら電熱で焼いて削ぎ切りにし、サラダ野菜といっしょにドレッシングをかけて半円状のトルコパンに詰めたものだ。しかし、日本ではマトンの臭いが不人気なのか、ほとんどの露店はチキンで代用しており、ヨーロッパの味にはほど遠いのが残念だ。

 大宮公園の花見といえば、例年ならカラオケをがんがん鳴らしてうるさいグループや酔っ払って大騒ぎをする若者たちがいたりするものだが、今年は全体的になぜかおとなしかった。

 遅い午後に帰宅すると、読売新聞の夕刊が届いていた。一面のコラム『よみうり寸評』には、江戸時代の学者、貝原益軒をめぐる桜のエピソードが取り上げられていた。益軒はその著書『大和本草』に「日本のような桜は中国にない」と書いているという。「長崎に来た中国人に聞いた話と根拠も挙げている。時代を考えれば致し方ないが、もちろん中国をはじめ世界各地に桜はある」と寸評子は言う。そして、益軒の間違いから、桜が日本の「国花」とみなされるようになり、特に明治に入ると桜を日本の象徴にすべく植樹が盛んに行われるようになった、と説明する。「今、各地に桜の名所があるのも貝原の間違いが遠因と言えるだろう」

 確かに、世界各地に桜はある。だが、「日本のような桜」が果たしてあるのだろうか。広い中国の大地のどこかには、同じような桜があるかもしれない。しかし、寸評にはその例が挙げられておらず、益軒が本当に間違ったかどうか、説得力がない。

 わがファミリーがドイツのボンに初めて降り立ったとき、滞在したホテルの前庭には桜が咲いていた。なんだか感激し、子どもたちとその前で記念写真を撮った。ライン河畔に借りたマンションの庭にも桜はあった。

 だが、それは決して「日本のような桜」ではなかった。花はソメイヨシノのような淡いピンクでも、シダレザクラのような鮮やかなピンクでもなく、ちょっとくすんでぼやっとしたピンクだった。日本の桜と決定的にちがい、花が1か月以上も咲きつづけた。

 日本人がなぜこれほどまでに桜を愛し、国の花とし、古くから詩歌や絵画のテーマとして来たか、寸評子はわかっているのだろうか。一気に咲いて風景を一変させ、ぱっと散る。だからこそ「日本の桜」なのだ。

 海外の桜としては、ワシントンDCポトマック河畔のが有名だ。ベルリンの壁の跡でも、パキスタンの各地でも、ぼくは「日本のような桜」を見たことがある。それらはみな、日本から贈られた桜なのだった。

| | トラックバック (0)

たかがビッグマック、されど……

 プロ野球セ・リーグの開幕試合を観に、2010年3月26日、東京ドームへ行った。3700円の1階指定席のチケット3枚を、あるルートからタダで入手したので、妻と息子も誘った。リーグ3連覇中の巨人とヤクルトがぶつかり合う。

 人工芝がカクテル光線に輝くフィールドで、小学生の鼓笛隊やマスゲームが繰り広げられ、華やかに開幕した。観客の99%は巨人ファンだが、ほとんど皆、巨人の完封勝ちではなくホームラン合戦を期待していた、と思う。

 今季から東京ドームの巨人戦では日本マクドナルドがスポンサーになった。両チームに本塁打が出ると、「ツインアーチ」と銘打って、1700円以上のチケットで入場した観客には、ビッグマック1個と交換できるクーポン券が手渡される。

 ぼくたちはタダで入場したが、もちろんチケットは正規のもので、クーポン券をもらった。仮にツインアーチが出なくても、クーポンを使えば310円のビッグマックが200円になるという。

 うちのかみさんなど、「ヤクルトもホームランを打って、なおかつ巨人が打ち勝つ!」と気合が入っている。

 「マクドナルドも本気で巨人ファンにアピールするつもりなら、両チームホームランじゃなくて、巨人の複数本塁打でビッグマックがもらえるようにすればいいのに」。息子の指摘も、試合前の打撃練習を観ているときは、もっともだと思ったのだが。

 いよいよゲームがはじまった。重量打線の巨人は、タイムリーこそ出るが、どうも1発を期待できる雰囲気がない。それでも、5回裏1死1塁で、4番ラミレスが豪快に振り抜くと、ボールは一直線にレフトスタンドへ向かった。「入る、入る!」。ぼくも思わず「ビッグマック、半分ゲット!」と叫んだが、ボールはわずか2メートル弱左へそれた。

 スタンドからは「あ~ぁ ↓ 」というため息がもれた。

 巨人の先発内海は好投し、ヤクルト打線からも1発は出そうにない。後ろの席のおばさんたちも、「せっかくクーポンあるのにねぇ」と嘆いている。たかがビッグマックだが、それでも、その1個がかかっていると思うといつも以上に力が入る。小額のお金や賞品をかければ、トランプや麻雀が俄然面白くなるのと同じ心理だ。

 ビッグマックといえば、「ビッグマック指数」を連想する。ビッグマック1個を買うのに必要な労働時間を算出して、世界各都市の経済力を測る方法だ。2008年の東京の指数は「10分」で、世界一の経済力を示していた。2009年には大不況を反映して「12分」となり、少しだけ力が衰えた。それでもこの数字は、アメリカのシカゴやカナダのトロントと並んで、依然世界一だった。

 ロンドンは「13分」、ニューヨークは「14分」で、東京の経済力はまだまだ捨てたものじゃない。ちなみに、アフリカのケニアの首都ナイロビでは、ビッグマック1個を買うのに「2時間30分以上」も働かなければならず、世界の経済格差はかくもすごい。

 そんなことを思いながら、試合展開に一喜一憂していた。4:1で巨人がリードし、8回裏1死2塁で3番小笠原が打席に立った。いつものように目一杯スウィングすると、打球は快音を残しライトスタンドへ向かっていった。「今度こそいった!」。しかし、右に急旋回してまたもファールとなり、歓声がため息に変わって、そのままゲームセットとなった。

 勝利バッテリーと腰の手術から復帰しタイムリーを放った高橋由伸選手のヒーローインタヴューを聞きながら、マクドナルドの深謀遠慮に思い至った。仮に巨人の負け試合でも、両チームに本塁打が出てビッグマックがもらえれば、スタンドを埋め尽くす巨人ファンはわずかながらなぐさめられる。そこまで考えていたのか!? …… やるなぁマック。

 東京ドームの巨人戦には、年に1、2度、いつもかみさんを誘っていく。しかも、自腹を切って入場したことは一度もないのが、ささやかな自慢だ。

 ときには、1万円以上するネット裏のペアチケットを手に入れ、弁当と焼酎持参で試合を堪能したこともある。新聞社に勤めていた30代のころで、外報部(現国際部)の軟式野球チームに入っていた。春と秋に、産経、読売、日経、毎日、朝日の各新聞と共同、時事両通信社、それにNHKを加えた8社でトーナメントをするのが慣わしだった。

 ぼくは投手からライトまですべてのポジションを守ったことがあり、とくに捕手をすることが多かった。ある試合では三塁手を務め、7イニング21アウトのうち、じつに16アウトをサードゴロで取り、無失策だった。タイムリーも打って勝利に貢献し、チームオーナーの外報部長からMVP賞としてもらったのが、ネット裏ペアチケットだった。

 東京ドームへぼくたち夫婦がいくと、巨人の勝率は9割以上とべらぼうに高い。巨人軍のオーナーから感謝状をもらいたいくらいだ。

 さて、巨人VSヤクルトの開幕シリーズでは、第2戦、第3戦とも巨人は敗れたがツインアーチが出た。チックショウ!。でも、開幕戦のプラチナチケットをタダで手に入れ、なおかつビッグマックももらうなどとは、いくらなんでも野球の神様が許さなかった。

 近くマクドナルドで、観戦ゲームの祝勝会兼残念会を挙行する予定だ。ビッグマックを口にするのは、おそらく10年ぶりくらいになる。

| | トラックバック (0)

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »