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2010年5月

草食系男子と我田引サイダー

 この就職氷河期のなか、息子が大学を卒業して就職した。慶賀に堪えないと言いたいところだが、本人はそうでもないらしい。一番の理由は意外だった。

 「ジュノンボーイが入って来たって噂になって、なんだかやりにくいんだよね」。他部署の人たちにまで、一方的に顔と名前を覚えられたそうだ。こちらはどこの誰か、まだ全然わからないのに、親しそうに声をかけられたりして戸惑うのだという。

 噂の発信源は突き止めたらしい。「ジュノンボーイっぽい子が入った」ってある人が言ったのが、「ジュノンボーイの新人が来た!」と尾ひれがつき、先輩の女性たちは「審査、どこまでいったんだろうね」などと、すっかり噂が“定着”しているようだ。

 「直接、ほんとかどうか訊かれれば、『単なる噂です』って否定できるんだけど、陰でこそこそ広まってるんでどうしようもないんだ」

 かみさんは、そんな息子をつかまえて小言を言う。「だから、草食系って言われるんだよ」。ぼくは「いっそ、『ジュノンボーイじゃないけどジャニーズにいました』って言ってやったら」と発破をかけておいた。

 草食系男子という言葉は、メディアが勝手に作って騒いでいるフィクションだと思っている人もいるようだ。しかし、20歳過ぎの息子と娘を持つ身としては、草食系男子と肉食系女子はまぎれもなく、この平成の世に実在している、と断言できる。

 わが家のジュノンボーイは、誰からでも「もてるでしょぉ」と言われているが、実際にはそんなことはない。大学時代には彼女もいたが、傍で見ていると、若者独特の身を焦がすようなパッションというものが、およそ感じられなかった。

 なんとなくつきあって、なんとなくいっしょに暮らしたり、なんとなく別れたりする。ガツガツしたところがまるでない。肉食恐竜には、生きた獲物だけ狙うハンターと、ハンターが食べ残した腐肉をあさるスカベンジャーがいる。息子にはせめてスカベンジャーくらいにはなって欲しいが、本人はのほほんと生きている。

 ぼくは高校、大学と生物を研究するクラブにいて、サンショウウオの生態を調べていた。草食系男子のなかでもうちの息子は、観察するところ、草食のシマウマやキリンなどよりサンショウウオに近い。清流の底にほとんどじっとしていて、餌を取りに積極的に動くこともせず、たまたま口の辺りに来た餌をぱくっとやって、またじっとしている。

 『失楽園』や『愛の流刑地』などで知られる恋愛小説界の大御所、渡辺淳一センセイは、草食系男子の増加は「歴史の必然かもしれない」と分析している。

 「平和で文化が発達した社会では、男性は強さという男らしさを発揮する機会がない。そんな男性をほめてくれる女性もいないので、男性は自信を失い、内にこもり気味の草食系にならざるを得ない」

 しかし、その仮説にはすぐにはうなづけない。そうなら、日本以外の平和で文化が発達した国にも草食系男子が増殖しているはずだ。しかし、たとえばドイツなどヨーロッパで、そんな社会現象を聞いたことはない。

 お隣韓国でも、そんな新種族はいない。もっとも、この国の場合は、すぐそこに北朝鮮というとんでもない危なっかしいハンター恐竜がいて、徴兵制もあり、男子が草食化する平和などないのだろうが。

 アサヒ飲料は、「20代の若者男子の消費行動に関するアンケート」を行った。同時に、30~40代の男性にも同じことを聞き、20代のころの自分はどうだったかを答えてもらっている。

 「なりたい自分のイメージ」について、30~40代は「かっこいい」が1位だったが、20代は「自然体である」「中身がいい」「さわやか」「人間性がいい」がキーワードとして並んだ。

 炭酸飲料に抱くイメージについて、20代はコーラには「濃い」「強い」という印象を抱いているのに対し、サイダー飲料には「さわやか」「自然な」という印象を持っていたという。

 そこで、アサヒ飲料の雑誌広告は言う。「この結果から見える、イマドキ男子がなりたい人間像・自分像は、サイダーのように純粋でさわやかな男子、いうなれば『サイダー男子』である」

 お金の使い道について、30~40代は「飲み会など交際費」「デート代」「車」が上位を占めたが、20代は「貯金や貯蓄」がトップだった。堅実と言えば堅実、若者らしさがないと言えばない。

 炭酸飲料を選ぶ基準としても、かつての男子が求めたのは「キツイ」「パワフル」だったが、今や「品質」「安心・安全」が来るという。

 だから、というわけか、「安心・安全・自然」をコンセプトとする三ツ矢サイダーの売り上げは、2004年から6年連続で増加しているそうだ。

 これじゃ、我田引水というか、我田引サイダーだ! なんだか、株の不正取引みたいになってしまっちゃった。

 草食系男子、たまには吠えろ!

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ホルモンヌが街を闊歩する

 群馬県某所に稀代のホルモン焼き屋「X亭」がある、といううわさを聞いたのは2006年春のことだった。ぼくはすぐにスケジュールを調整し、上州へと車を走らせた。そのころ、ホルモンはそう普及していたわけではなかった。

実は、半世紀以上、ぼくは本物のホルモンの味を求めて生きて来た、と言っても過言ではない。ついに、美味いホルモンが食えるぞ! ついついアクセルをふかしそうになる足を抑えて、その店を探し回った。しかし、カーナビもなく、ついに見つけることはできなかった。

 ぼくのホルモン道が、数少ない蹉跌をきたした夜だった。

 ホルモンに魅せられたのは、わずか5歳のころだった。雪のちらつく日、父はなぜか兄や姉は家に残し、ぼくだけを連れて街にでかけた。たしか、書斎で使う電気スタンドを買うのが目的だった。買い物がすんだ帰り道、父は駅裏の路地を入ったある焼肉屋に入っていった。路地がYの字になった三角地帯にあるカウンターだけの小さな店で、10人も座れば満員という感じだった。

 カウンターにはガスコンロがあり、ジンギスカン鍋で肉を焼いた。ぼくが見たことも聞いたこともない肉の部位を、父は慣れた様子で注文した。それが、後で思えばホルモンだった。その店は、いわゆる在日の人がやっていたのだと思う。

 1950年代末のそのころ、ホルモンなどというものは下賤とされ、ふつうの人が食べるような肉ではなかった。だが、今で言うB級グルメだった父は、ゲテモノとされるものを試すのが好きだった。

 父は焼酎をあおりながら、焼きあがった得たいの知れないものをうまそうに口にした。焼酎だって、そのころ地元では下賤の酒とされていた。ぼくもまねてひと切れを口に入れた。なんともいえない歯ごたえがあり、噛めば肉汁がしみ出してくる。

 世の中にこんなうまいもんがあったのか。

 誰でも、そんな幼児体験があるだろう。ぼくの場合はそれがホルモンだった。4人きょうだいの中で、父を独占して街へ連れて行ってもらったことのうれしさも、隠し味だったのにちがいない。その日から、美味いホルモンを探し求めるぼくの道は始まった。

 だが実際には、10数年も空白があり、大学生時代、京都の鴨川べりの薄汚れた焼肉屋で食べるまで、あの幼児体験は再現しなかった。

 さらに時が経ち、1990年代半ばに、もつ鍋ブームがやってきた。OLのグループなどがもつをうまそうに食べている。嗚呼、この時代が来るまでに半世紀もかかった。専門店だけでなく、スーパーにもホルモンが売られるご時世になった。それにしても、いままで、これほどの量のホルモンはどうやって処分されていたんだろう、と素朴な疑問が浮かんだ。

 もつ鍋ブームは2年もつづかなかった。街にあふれていたもつ鍋屋が、次々と姿を消していった。食材としてのホルモンはどこへ行ったのだろう。だれがどうやって処分しているんだろう。

 それでも、ホルモン愛好家は地下に潜るように生きのびていた。2008年12月、『悶々ホルモン』という本が出版された。20歳代の女性ライターがホルモンに目覚め食べ歩いた、まさにホルモン道の記録だった。

 その宣伝コピーには「ホルモニアン」という造語が使われている。このころから、ホルモンは日本で復権したように思えた。まさに雨後のタケノコ状態でホルモン焼き屋が街に現れた。わが家の生活圏だけでも10軒以上ができた。既存の焼肉屋も「ホルモン」をアピールするのぼりを立てたりするようになった。

 そして、翌2009年半ば、「ホルモンヌ」という言葉がメディアで使われだした。パリジェンヌを連想するように、これはホルモンを愛好する女性を意味する。ある日、夕方のテレビニュースでは、ホルモンヌ主催の合コンを放映した。女性陣は、レバ刺しやマルチョウ、コプチャン、シビレなど“通”好みのメニューを次々と注文する。男性陣は、わけもわからず、おそるおそるそれを口にする。「ぼくにはちょっとこれは…」と顔をしかめる青年もいる。

 世は肉食系女子の時代。ホルモンヌは、まさにそれを体現している。ホルモンも食えない男に用はない、といった感じが勇ましい。たしかに、そんな男は馬草でも食っていればいい。

 さて、2010年春、上州のX亭に4年を経てもう一度挑戦する決意を固めた。今度はネットで場所をきちんと確かめ、地図を頭に叩き込んでから出かけた。

 何の変哲もない通り沿いにぽつんとあった。思ったよりずっと小さい。20席くらいだろうか。店長とおぼしき人はBIGINのヴォーカル比嘉栄昇さんに似ている。本人も意識しているよいうで、比嘉さんのトレードマーク、ハンチング帽をかぶっている。

 焼肉の本場韓国でも、牛肉から豚肉へと流行はシフトしているが、X亭もそうだった。地元ブランド上州豚の梅トントロ、梅ガツ芯にはたまげた。ほどよい酸っぱさの梅肉を豚肉に和えて食べるのだった。

 わがホルモン道は、また奥の深さを知った。しかし、このブームもいつかは消えるのか。

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ちゃぶれ! 岡田JAPAN

 サッカーJ2横浜FCのキング・カズこと三浦知良(43)の携帯電話が鳴った。表示画面にちらっと目を走らせたカズは、見知らぬ番号にちょっと不信感を抱きながらも、通話ボタンを押した。

 「岡田武史です。本来なら直接会って話すべきことなんだけど、時間がないので電話で失礼するよ」

 カズは、その声を聞いただけで用件を悟った。12年ものあいだ口をきいていなかったが、W杯南アフリカ大会に出てくれということだろう。岡田(53)は、ちょっと緊張した様子だった。

 「1998年のフランス大会の時には、直前になってメンバーからはずしてしまい申し訳なかった。戦術構想から、ぎりぎりのところで選出できなかったんだ。今思えば、おれも若かったかもしれない」

 岡田は、何か言い出そうとしたカズの声をさえぎるように、ひと息でつづけた。

 「南アにいっしょに行ってくれないか。チーム主将として、直前合宿から試合本番まで、若いやつらを引っ張っていって欲しいんだ」

 カズは、岡田のややせっかちな話し方をむしろ快く感じながら、ついにこの日が来たか、と深い感慨を覚えた。

 W杯予選では通算27得点を挙げ、リーグ年間最優秀選手賞1回、ベストイレブン2回、1993年にはアジア年間最優秀選手賞を受賞しながら、ついにW杯出場の夢はかなわなかった。それでも、現役選手でいる限り、自分では目標をW杯出場に置いて日々を過ごしてきた。消えかけていた夢が、いま実現しようとしている。

 岡田は、カズがどう返答するか確信しているように、たたみかけた。

 「いろいろ言いたいこともあるかもしないが、いまはぐっとこらえてくれ。日本のサッカーのために、最後の最後にもう一度だけ力を貸してくれないか。いまの代表に欠けているのは、本当のプロ意識、ぎりぎりのところでの闘争心なんだ。それを吹き込んでくれ」

 カズは、「わかりました」とだけ答え、電話を切った。――

 2010年5月10日午後2時過ぎ、しかし、ぼくの<思い>は白昼夢となった。岡田代表監督は、南ア大会の選手23人を発表した。そこにカズの名前はなかった。

 岡田監督は、ぼくがカズに託してもらいたかった役割を、GK川口能活(34)に任せた。けがのため今シーズンは公式戦にまったく出ていないが、そのガッツは日本代表に好影響をもたらすだろう。試合で使わないことを前提にした選手選考は異例中の異例で、批判の声も聞こえるが、岡ちゃんはそこまで追い込まれたということだろう。

 サッカーの熱狂的サポーターとして知られるSMAPの木村拓哉さんは、「ユニホーム姿のカズさんがいるだけでチームに元気が出たと思う。落ちてビックリ」と代表漏れを嘆いたという。やっぱり、ぼくと同じことを考えている人はいたんだ。

 当のカズはまだあきらめず、日本代表に帯同するサポートメンバー入りを熱望している。「代表で何かできることがあれば。僕は(予定を)空けときますから」。特に果たしたい役割は主力選手の精神的支援で「ずっと代表に入っている選手は責任感が強い。もう少し楽にプレーさせてやりたい」と語ったという。その意気や良し。

 W杯イヤーに入ってから、岡田JAPANは東アジア選手権で完敗し、2軍のセルビア相手にも0:3で惨敗した。サポーターはため息をつくことさえ忘れた。

 これまで一貫して、より攻撃的な4バックで戦ってきたが、岡ちゃんは「3バックを考える必要があるかも」とぶれた。全員守備で攻撃にはショートパスをつなぐチームコンセプトを死守してきたはずなのに、コンセプトとはひと味ちがう自己主張型のMF本田圭佑を軸にするべく路線を変えた。

 どっかで見たことがあるなぁ、と思えば、普天間問題で迷走に迷走を重ねる鳩山首相とそっくりだ。ふたりの日本人指導者がとっている行動には、重なるものがある。

 岡田JAPANの選手は、チャンスにもシュートを打たずパスを選択する。なぜだろう。なにやってんだ。ある解説者は言った。「日本のサッカーは、シュートをはずした責任は問うが、シュートを打たなかった責任は問わない。そこが、ヨーロッパや南米と決定的にちがう」

 これもどっかで聞いたような話だ。日本の企業文化そのものじゃないか。ぼくが勤めていた新聞業界もそっくりだった。特ダネを抜いた時のほめ言葉より、特オチをした時の叱責のほうが大きい。そんな環境で仕事をしているジャーナリストなど、海外にはいない。

 DF内田篤人は、あるインタヴューで、各選手に「W杯メンバーに選ばれたい」という意識が強すぎプレーが小さくなっていたことを認めた。リストラにおびえ上だけ見ている“ヒラメ会社員”そのものの姿だ。たとえば、ドイツ人なら、選考がかかっているからこそ思い切ったプレーでアピールしようとする。岡田監督が、ひと言「縮こまったプレーをする者はいらない!」と活を入れれば解決できる話じゃないか。

 とはいえ、勝負はやってみなきゃわからない。大会本番では、強豪の敵を思い切ってちゃぶって欲しい。ちゃぶらーよ、ちゃぶれ。ちゃぶれば、道は開ける!

 注)ちゃぶる:J1横浜Fマリノスの木村和司監督が使い出したサッカー用語。「相手をおちょくる」という意味を持ち、メディアやサポーターのあいだで少しずつ浸透しつつある。ちゃぶらーとして特に期待できそうな選手は、ひょうひょうと闘うMF遠藤保仁や、意表を突くテクニシャンのMF松井大輔などだ。

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痔になる笑い

 指きりげんまん、嘘ついたら針千本飲~ます。こうした約束での罰ゲームを、魚のハリセンボンを飲むことだと思い込んでいたタレントがいた。あのトゲトゲを飲まされれば、地獄の苦しみにはちがいないが、もっとすごい罰がある。お笑いコンビ・ハリセンボン近藤春菜さんを飲~ますのだ。想像しただけでも、あの脂肪で窒息死しそうだ。

 ぼくは長年、どうすれば面白い文章が書けるか、ずっと探求してきた。テレビを観るときにはお笑い番組を選び、プロである噺家や漫談家、漫才師などの話芸を観察する。

 日常生活でも「ワーッ!」と受ける人は、たいてい決まっている。が、あとで冷静に考えて、何があんなに面白かったかと振り返ると、「中身はほとんどなかった」と気づくことも少なくない。笑いは、会話の潤滑油であり、内容などどうでもいいのだ。

 だた、書き言葉となると、笑いを取るのはがぜん難しくなる。だから、プロの笑いを自分流に「字になるか、ならないか」で評価する。

 そして先日、ふと思いつき、インターネットで『笑点』の観覧に応募した。後で知ったのだが、毎回、応募者は定員の10倍以上だという。それでも幸運なことに、一発で招待券をゲットできた。会場は、東京ドームの南隣にある後楽園ホールだった。開場の1時間前に着いたが、すでに東京ドームのゲートまで観覧者の列が続いていた。中高年に混じって、小中学生やOLグループも結構いる。

 ホールは立ち見の人もかなりいて、予定時刻より少し早めに「前説」の落語家が出てきた。「それでは声を出す練習をしましょう。サンプルをやります」と言って、自分で右拳を突き上げ「オーッ!」と叫んだ。会場の全員でいっしょにやるのかと思えば、一階席を「普天間チーム」、中段を「辺野古チーム」、上段を「徳之島チーム」と名づけ、対抗戦にした。注目の時事ネタだけに、会場は一気に沸いた。字にもなる笑いの取り方だ。こうして、笑い声を上げ、拍手をする練習はすんだ。

 司会の歌丸さんが、テーマソングに合わせて登場し、観客席の中央に座った。「いいお天気ですね。仕事する日じゃないよ」と軽くジャブで笑わせて、あいさつの収録はすぐに終わった。

 この日の「ハナ」は、漫才のオードリーだった。若林正恭さんが一方的にしゃべり、春日俊彰さんは時たま「ヘッ!」と言い、「トゥ~ス!」と声をあげるだけだ。お笑い芸人のあいだでは、「春日が口にすることは面白くもなんともない」という定説があるという。それでも、後楽園ホールの超満員の観客は大笑いしている。相方のしゃべりとの間や仕草、表情とギャグのひと言だけで笑わせる。つまり、高度ではあるが、字になるタイプの笑いではない。

 そこまでではないけど、書き言葉にしたら意外に面白くないのが綾小路きみまろさんだ。例の中高年ネタは、ライブやテレビで聞けば抱腹絶倒ものだが、試しに紙に書き出してみると恐ろしくつまらない。話が面白いというより、話し方が面白いのだ。

 それを知ってか知らずか、週刊ポストは『綾小路きみまろ 夫婦のゲキジョー』という2ページのコーナーを、よせばいいのに1年半もつづけている。ゲキジョーは「劇場」と「激情」をかけたのだろう。たとえば、こんな具合に始まる。

 <私が生まれ育った鹿児島では冠婚葬祭となると、夜を徹して芋焼酎での宴会が、焼酎だけにしょっちゅうで、小中学生の頃の私は「お酒を飲むと、大人ってこんなに陽気になるんだ」と、飲めや歌えの光景を眺めていました>

 「しょっちゅう」と「小中」に傍点がふってあり、「焼酎」とかけているのだとわかるが、しゃべりならともかく、読んだら白いシラケ鳥が南の空へ飛んでいく。

 それに比べ、同じ週刊ポストに1000回以上も連載されている『ビートたけしの21世紀毒談』は、たけしさんがしゃべったのを書き起こしたものだが、話芸と文芸のハイブリッドで思わず笑ってしまう。新党『たちあがれ日本』のネーミングを、バッサリ切る。

 <一番オイラが気に入っているのは、与謝野と平沼それぞれの頭文字をとって、「たちあがれ与平」っていう案だね。なんだか百姓一揆みたいで、元気そうじゃねェかってさ。選挙ポスターじゃ、2人してハチマキ巻いてクワしょってもらってね。元気そうってことなら、「たちあがれ前立腺」ってのはどうだい。もう党名ですらねェっての(笑い)>

 テレビ番組で、例外的に話芸をそのまま文芸にできそうで、ぼくにとっても大いに参考になるのがある。『人志松本のすべらない話』だ。いろんな芸人が体験談をしゃべる。それが、ほとんどの場合、起承転結か序破急になっている。

 ただひとつ、文章とちがっている点がある。芸人さんたちががやがやしながら作る番組のため、「オチ」つまり「結」のあとにも口を閉じないところだ。それさえ省けば、極上のお笑いエッセイとなる。

 笑点は、大喜利の収録で笑いの渦がつづいたのは言うまでもない。字になるものも、ならないものもあった。なかでも、泥棒ネタで受けをとる三遊亭小遊三さんの“毒”が、ワサビのように効いていた。

 さて、近藤春菜さんを丸飲みしたとして、それをそのまま下から出せばどうなるか。字にはならず、痔になるに決まっている。

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