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ある竹とサバの奇跡的ハイブリッドに、この季節を思う

 「ああ、あれが食べたいわねぇ」。2010年も6月に入り、初夏の日差しとなった。

 この季節に、かみさんが「あれ」というのは、ひとつしかない。ネマガリタケの味噌汁だ。

 わが人生を振り返ってみると、2年か3年に一度、「うん、これはじつに美味い!」というものに出会ってきた。ネマガリタケの味噌汁もそのひとつだった。

 1978年5月の終わりごろだったと思う。新聞社の長野支局に配属され、駆け出し記者となってひと月が過ぎたときだ。地元出身の先輩記者、坂東さんが大鍋を手に言った。「おい、うまいもの食わせてやるからな」。毎年恒例のイベントらしい。ぼく以外の先輩記者たちは、それが何かを知っていて、「お、もうそんな季節か」と集まってきた。

 坂東さんは、支局の机の上に、太さが2~3センチほどの細いタケノコを取り出し、簡単そうに皮をむいていった。それをキッチンで斜め切りにし、大鍋に沸かしたお湯の中にいれた。他に、タマネギも切っていれた。そして、ぼくはびっくりしたのだが、サバの水煮の缶詰を開け、大鍋のなかへ無造作に汁ごと放り込んだ。最期に味噌をいれ、たまじゃくしでさっとかき回した。「さあ、できたぞ」

 タケノコとサバの水煮の組み合わせなど、聞いたことがなかった。半信半疑ですすってみると、ショックを受けるほど美味い。具のネマガリタケをかじると、なんとも言えない風味がある。よく口にするモウソウダケのタケノコのように灰汁を抜く必要もないのだという。

 季節感、旬という言葉そのものを食べているような感激があった。

 北信濃に赴任して、最初に味わった地元のものはコゴミだった。ワラビをずんぐりむっくりにしたような山菜で、おひたしや天ぷらで食べる。ぼくにとっては、それが最初の信州の味だった。そして5月に入ると、リンゴの白い可憐な花が咲き、やがてネマガリタケの季節がめぐってくる。毎年、毎年、坂東さんが味噌汁を作ってくれた。

 長野市が広がる盆地一帯を、長野県人は「善光寺平」と呼ぶ。そのほぼ中心で生まれ育ったうちのかみさんは、子どものころからネマガリタケとサバ水煮の味噌汁に親しんできたものと思っていたら、そうではなかったという。

 かみさんは、地元で就職し、同僚の男性グループに「タケノコ狩り」に連れて行ってもらったとき、初めて知ったのだそうだ。男性たちは、大鍋を山に持ち込み、キャンプ用のコンロにかけて、その場で味噌汁を作ってくれた。その野趣と、タケノコとサバ水煮のハイブリッドに、かみさんもすっかり魅せられたのだった。

 実は、ネマガリタケは、かみさんの実家の裏庭にも自生していた。しかし、家で食べるときは、いつもふつうの煮物にしていたので、そんな簡単で衝撃的な料理法は知らなかった。

 ネマガリタケは、鳥取県以北の本州の日本海側や東北地方、北海道、樺太、千島、朝鮮半島に分布しているという。ぼくの郷里、島根県はぎりぎりで分布地図にははいっていない。だから、知らなかったのだ。

 このタケノコは、一般にはチシマザサ(千島笹)と呼ばれているそうだ。稈(かん)の根元が弓状に曲がるので、別名としてネマガリダケ(根曲竹)があるのだという。「姫たけのこ」「笹たけのこ」などとも呼ばれるらしい。稈は農作物の支柱や竹細工に利用され、まあどこにでもある竹の一種だ。

 皮付きのまま焼いて皮をむいて食べたりすることもあるといい、それはそれで美味いのだろう。でも、サバ水煮と合わせたほどのインパクトはあるのだろうか。

 ぼくがネマガリタケと初めて出会ってから16年ののち、ドイツのボンのスーパーで、細いタケノコを見つけた。これぞあのネマガリタケだろう、と思って迷わず買った。日本人外交官の数家族をわが家に呼び、ホームパーティのメインディッシュとして、サバ水煮との味噌汁を出した。

 かみさんとぼくは、あの味、あの季節感を知っている。しかし、ドイツ産のタケノコは、姿形は似ていても、風味は信州産にはおよばなかった。やっぱりだめかぁ。それでもぼくたち夫婦は、来客に、信州での衝撃的な味との出会いを盛んに説明し、せめて雰囲気だけでも想像してもらおうと努めた。

 「特に山菜なんかは微妙な味を楽しむのだから、日本産の繊細なものじゃなきゃだめなのねぇ」。かみさんが、故郷を懐かしんで言った。

 しかし、ドイツ産の山菜も結構いけるものがあった。ベルリンへ引っ越し、春になったとき、わが家の庭隅にコゴミそっくりの植物があるのを、かみさんが見つけた。

 「だめ元でおひたしにしてみるね」。鰹節と醤油をかけて恐る恐る食べると、コゴミそのものだった!

 不覚にも、信州の春を思い、ぼくは目が潤んだのだった。

 ネマガリタケとサバ水煮の奇跡的ハイブリッドは、いつ、誰が、どんなきっかけで考案したのだろう。その味噌汁を口にするたび、どこの誰とも知らない人に、「ありがとうーッ」と言いたくなる。

 

 注)ネマガリタケは、長野県飯山市の『道の駅 千曲川』から取り寄せることができます。5月下旬から6月下旬。1袋の量はまちまちですが、500gで約500円、プラス送料です。ファクス:0269-62-1889。支払いは同封の郵便振替用紙で。

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