« サッカーW杯は戦争でしょ 岡田JAPANの歴史的勝利を信じて | トップページ | 虹色のところてん――大麻臨場(下) »

おめでとうは4年後に 岡田JAPANの快進撃

 ブルーの入浴剤をお湯に入れゆっくり浸かり、沐浴した。白星を願う真っ白なタオルで体を拭き、ブルーのパジャマを着る。そして、ブルーの応援タオルを手に、リビングのテレビの前に座った。

 岡田JAPANは、W杯決勝トーナメント一回戦で、パラグアイと120分の死闘を演じた。PK戦ではひとりがはずし、あと一歩で歴史的勝利を逃した。

 ぼくは、岡田JAPANに“Congratulations!”という言葉を用意していた。この言葉は、ぼくにとって、単に「おめでとう」ではなく、忘れられない思い出がある。

 ふた昔前、ニューデリーに駐在していたとき、北インドの地方都市ラクノウへ出張した。その地に住む著名な大学教授を訪ねると、教授はいきなり思いもかけない言葉を口にした。

 “Congratulations!”

 インドの知識人に会うと、よく、第2次大戦後の日本の驚異的な経済発展を賞賛されることがあった。この教授も、その「成功」を祝福してくれているのだろうと思った。しかし、話し始めると、教授はまったくちがう意味を込めていた。

 何と、1904年から翌年にかけて行われた日露戦争、つまり85年前の日本の勝利に対して「おめでとう」と言ったのだった!

 確かに、インド人は、少なくともぼくたち日本人とは時間の観念がちがう。数世紀前のことでも、つい最近起きたかのように話したりする。それは輪廻転生を信ずる宗教観とも通じるものなのかもしれない。

 教授は言った。「あなたがた日本人があのロシアを破ったのは、われわれインド人にとっても実に痛快な出来事でした。アジアが初めてヨーロッパを打ち負かしたのですから」 日露の戦勝が特にアジア諸国に与えた衝撃は大きかった、と習ったことがあった。しかし、自分自身がそのことで祝福されるとは思ってもみなかった。

 実は、ぼくの祖父は陸軍士官学校卒の職業軍人で、激闘が繰り広げられた「203高地」の戦いの英雄だった。それがきっかけで体を患い、ぼくが生まれるよりずっと前に他界していたが、家には大日本帝国からもらった勲章が誇らしげに飾ってあった。

 そんな事情もあり、教授の「おめでとう」には、少しとまどいながらも、悪い気はしなかった。

 2010年のW杯南アフリカ大会で、もし、岡田JAPANがベスト8以上の結果を残せば、それは日露戦争に匹敵するのじゃないか、と密かに思っていた。「武器を持たない戦争」とも呼ばれるサッカーW杯で、ノーマークの日本がそれだけの成績を挙げれば、まちがいなく世界を驚かせただろう。

 紙一重の差でベスト16に留まったが、2002年の日韓W杯のときとは意味がちがう。地の利のない完全アウェイでの戦いの結果だった。日本サッカーは一歩進んだ。

 デンマーク代表と言えば、戦いのあと、聞き捨てならないことがあった。エースのFWベントナー選手が、自国内の大衆紙『B.T.』にこんなコメントをしたのだという。

 「おれに言わせれば、(本田と遠藤の)FKは決まってはならないものだった。GKトーマス・セーレンセンはあれを止めなきゃ。あの後、すべてが厄介なことになって、おれたちはそれにうまく対処できなかった」

 言わば“戦友”である選手を、メディアに名指して批判するなど、スポーツマンシップ以前の問題ではないか。

 W杯を観戦していると、お国柄というか、その国の歴史や文化、国民性が実によく表れる。誰だって大きな勝負で負ければ、他人に責任を押しつけたくもなる。しかし、愚痴を言うTPOがあるだろう。

 わがサムライたちは、決してそんな態度は示さなかった。パラグアイとのPK戦ではずしてしまった駒野選手に対しても、長谷部、松井、中澤各選手をはじめみんなでなぐさめ、かばっていた。それが日本の文化、国民性であり、今大会で示したチームワークの源泉だった。

 あのPK戦では、スタンドから、日本の選手が蹴るときには声援が、パラグアイの選手が蹴るときにはブーイングが飛んだという。日本人サポーターはわずか500人ほどだったとされるから、第3国の観客が日本びいきだったことがうかがえる。ある南アフリカ人は、フジテレビの取材に、「日本の戦いぶりは一体感があってすばらしいから応援した」と答えたという。

 試合を実況したスペイン民放ラジオも、前半は「退屈な試合だ」と連発していたが、後半には「がんばれニッポン。がんばれ本田」とすっかり日本びいきになったそうだ。

 日本が、なぜ、世界No.2の経済大国になったのか、改めてその秘密をうかがい知ったアフリカの人もいるだろう。

 日本人選手らの一体感、ひたむきさ、チームワークは、日本人にとってはお馴染みだった。つまり高校球児みたいだった。それが各国の人びとを感動させた。

 日本のサッカーには、高校生のように伸び代がいっぱいある。だから、“Congratulations!”は、4年後のブラジル大会まで取っておこう。

|

« サッカーW杯は戦争でしょ 岡田JAPANの歴史的勝利を信じて | トップページ | 虹色のところてん――大麻臨場(下) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/540025/48764326

この記事へのトラックバック一覧です: おめでとうは4年後に 岡田JAPANの快進撃:

« サッカーW杯は戦争でしょ 岡田JAPANの歴史的勝利を信じて | トップページ | 虹色のところてん――大麻臨場(下) »