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生誕100年の日に マザー・テレサを想う

              『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』番外編
 
 マザー・テレサを敬愛する人びとにとって、2010年8月26日は、特別な一日となった。この日が生誕100年に当たり、その前後、日本でも全国各地でさまざまなイベントが開かれている。

 1979年にはノーベル平和賞を受けた。あまりにも当然の受賞だった。オバマ大統領をふくめ各国の政治家がこの賞を受賞しているが、そのほとんどには見え見えの政治的な意図がある。真に平和賞に値するのは、世界でもマザーくらいしかいないのではないか、とぼくは思っている。

 海外では生誕100年を記念するどんなイベントが行われるか、ざっと調べてみた。ニューヨークからの報道によると、この都市を象徴するエンパイア・ステートビルで記念ライトアップが予定されていた。

 アメリカのカトリック連盟が、国内のスラム街にも足跡を残したマザーの生誕を祝う意味で、マザーの象徴ともいえるベールの色と同じ青と白のライトアップを申請したという。

 しかし、その後の報道では、ビルの所有会社が計画を拒否した。その理由はちょっと意外だった。「特定の宗教家をたたえるライトアップはしない」というのだ。

 エンパイア・ステートビルでクリスマスに明かりがともされるのは、誰でも知っている。あれはキリスト教という「特定の宗教」ではないのか。また、イスラム教のラマダン(断食月)にもライトアップされたりする。

 だた、会社側は「特定の宗教家や宗教団体の要請は受けられない」と頑ならしい。カトリック連盟は、当日、ビルの前で大規模な抗議集会を開くという。せっかくの生誕記念が、なんだか騒々しいことになってしまった。あの物静かなマザーを偲ぶにはふさわしくない。

 ぼくは、1987年にニューデリー特派員となってから、マザーが大統領や首相をはるかにしのぎ、インド国民の絶大な信頼と敬慕を集めていることを知った。

 高齢のマザーは、体調を崩して入退院を繰り返していた。あるとき、親友のプラメシュが、「カルカッタ(現コルカタ)へ、マザーを見舞いに行って、それを記事にしたら」と言ってきた。現地はベンガル語だが、プラメシュはそれを話せるといい、ガイド兼通訳としていっしょに行ってもらうことにした。

 マザー・テレサの知名度はグローバルだから、健在のうちに記事にしておくのは、確かにいいアイデアだった。

 さて、カルカッタを訪れ情報を収集すると、マザーの容態は重く、部外者で直接病室を訪れて見舞いを許されたのは、当時のラジブ・ガンジー首相夫妻だけだとわかった。さすがに、国家的VIPだった。

 そこで、プラメシュは一計を案じた。ぼくの新聞社のレターヘッド(社用便箋)に、滞在ホテルで借りたタイプライターでぱんぱんぱんと文章を打っていった。

 <心貧しき者は、幸いなり。天の国はそこにあるのだから。悲しむ者は、幸いなり。その者はなぐさめられるのだから。……>

 有名なマタイの福音書の一節だった。そして、日本の国民もマザーの回復を心から願っていることを、末尾に記した。

 「ほら、ここにサインしてよ。それでOKだ」

 ぼくたちは、花束も用意して、厳重な警戒の病院を訪れた。プラメシュの読みは当たった。本来なら、マザー側近と医療関係者以外、病室のある廊下へさえ立ち入りが禁じられていたが、病室前まで通された。そこで、ネクタイを締め正装したぼくが手紙と花束をわたし、その様子をプラメシュが写真にとった。

 1989年9月のことだった。翌年1月、ニューデリーのオフィスに、カルカッタの「神の愛の宣教者会」というところから封書が届いた。開くと、微笑むマザーの写真付きのカードに、手打ちの英文タイプで見舞いへのお礼の言葉がつづられていた。

 末尾に、青のサインペンで「God bless you. M.Teresa」とあった。オフィスの書架にあるマザー・テレサの本を調べると、直筆のサインの写真があり、カードのサインと完全に一致した。

 カルカッタでは、孤児と貧しい家庭の子どもたちのためにマザーが設立した「シシュ・バワン」の修道女に取材していた。「もし、あなたがマザーと言葉を交わせば、今マザーにとって最も大切なのは自分なのだと、心から感じるでしょう」

 お礼の手紙は、ぼくにその言葉を思い出させた。マザーは10月に退院していたが、まだ、体調も完全ではないだろうに、外国人のぼくにまで、丁寧なことばを投げかけてくれた。

 権力も美貌も金も、なにも持たない。そのマザーは、愛だけでインドと世界の人びとをとりこにし、時には動かしてきた。マザーのものすごい力の源泉は、ただ愛だけだった。

 1997年9月5日に亡くなった。内面には、苦しみや悩みがあり、生身の人間だから欲望だってあっただろう。それを信仰に基づく愛に変え、他者、とくに恵まれない人に注いだ一生は、やはりノーベル平和賞の本来の精神そのものを体現している。

 しかし、マザーはひとつだけ罪を作ったかもしれない。それは、われわれ凡人がときに、こう悩まされることだ。どうしてマザーのような行動が自分にはとれないのだろう、と。

 --毎週木曜日に更新--

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