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甲子園サイクルヒットと愛犬ワンスケ

 やった、サイクルヒットだ! ラジオで夏の甲子園大会の実況を聴きながら犬小屋を作っていたぼくは、その瞬間に、のこぎりで左親指を切ってしまった。

 2010年8月18日、読売新聞朝刊で「歴史を刻んだ選手たち」というコラムを読み、35年前の夏の日がまざまざとよみがえった。

 コラムでは、1975年の第57回大会で史上ふたり目のサイクルヒットを達成した高知・土佐高校の3番センターだった玉川寿さん(51)が取り上げられている。

 その年、ぼくは大学の4年生だった。卒論のめどもたち、週に一回のゼミも中断し、まずまず暇な夏休みだったため、半年ぶりに帰省していた。

 愛犬が子犬を産んだので、新しく犬小屋を作ってやることにした。祖父や父が本格的な大工道具をそろえていたから、のこぎりや釘には事欠かなかった。

 愛犬は、ぼくが高校2年のとき、友人からもらい、一畑電車に乗せてつれ帰った。白と黒のまだらの日本犬系雑種で、メスだった。まだ、やっと乳離れをしたくらいの子犬だったが、とても元気だった。

 ワンスケと名づけた。家族は「メス犬なのにスケというのは変だ」と言ったが、ぼくは「犬女」という字を当てていた。ワンの犬、スケ番つまり女番長のスケだ。

 ぼくは学校があるので、日ごろ世話をしてくれたのは祖母だったが、ワンスケは家族のなかでぼくに最もなついていた。絶対服従といってもよかった。散歩に連れ出し、ヤマタノオロチ神話で知られる斐伊川の土手を走ると、とてもうれしそうにはぁはぁ言いながらついてきた。

 いっしょにじゃれあって、めちゃくちゃにいじっても決して怒らなかった。ぼくが調子に乗って、尻尾を持って振り回しても、うれしそうにきゃんきゃんいって、もっともっと、とせがむほどだった。

 なぜか、スイカが好物だった。

 ぼくは大学に入り、実家を離れることになった。ワンスケがどれだけ悲しむか、と思ったが、意外にも、出立のときには、軽く尻尾をふるだけで吠えもしなかった。

 あれだけ可愛がってやったのに、冷たいじゃないか。ぼくはなんだか拍子抜けした。しかし、それはワンスケならではの別れのあいさつだと後で知った。

 大学が休みに入って久しぶりに帰省すると、電車の駅から歩いて実家までまだ200~300メートルはあるというのに、ワンスケの思い切り大きい鳴き声が聞こえる。ぼくが家に近づくにつれて、声はますます大きくなった。

 庭の夏みかんの木に繋がれているから、ぼくに走り寄ることはできないが、後ろ足で立ち上がり、前足をくるくる回すようにして吠えている。

 ぼくはかばんを地面に置き、鎖をはずして、尻尾をにぎってぐるぐる回してやった。ワンスケは、きゃんきゃん、きゃんきゃん、とてもうれしそうにしている。

 ワンスケは、ほんとに耳と頭のいい犬だった。家のなかでの家族との会話で「ワンスケ」という言葉を出すと、必ず聞きつけて「ワン」と吠える。暇ならいっしょに遊んでくれ、といったそぶりを示す。

 ぼくが、友だちのところへ遊びに出かけるときは、尻尾をちぎれるほど振って「連れて行って!」と懇願する。「今日は、電車に乗っていくからだめだよ」などとなだめるのが大変だった。

 しかし、休みが終わってぼくがふたたび出立するときには、尻尾をゆっくり振るだけだった。ぼくがどこへ行こうとしているのか、しっかりわかっているのだった。

 そんなことを繰り返し、大学最後の夏になった。ぼくが犬小屋を作る作業を、ワンスケは横でおとなしく見ていた。

 読売の記事で確認できたことなのだが、そのときは、土佐高校と京都の桂高校が対戦していた。玉川選手は3回に右中間へ2ランを放ち、5回にはセンター越えの3塁打、7回にはレフトへ2塁打を打ち分けていた。

 そして、8回に第5打席を迎えた。アナウンサーはヒットが出ればサイクルヒットが完成することを紹介し、球場の興奮を伝えている。土佐高校の応援団だけでなく、テレビ・ラジオを通して全国の高校野球ファンが固唾を呑んでいたと思う。

 そして、玉川選手は、内角のストレートを思い切り引っ張り、ライト前へころがした。

 ぼくは、「やった!」と「痛いっ!やってしまった」と言うのが同時だった。

 指に絆創膏を張り、なんとかワンスケの新居を仕上げた。子犬を入れてやると、4匹のうちの1匹がキーキーと悲鳴をあげている。犬小屋の床の一番奥に換気用の2センチほどの隙間を作っておいたのだが、そこに足をはさんで鳴いているのだ。

 ぼくは、右手を突っ込んで子犬を引っ張り出そうとした。すると、ワンスケが思い切り噛み付いてきた。あれだけ絶対服従だった飼い犬に手を噛まれた。親犬の母性本能が、ぼくとの友情を上回ったのだ。

 ワンスケは、数年後に死んだ。妹が父に手伝ってもらって埋葬した。

 しかし、妹はぼくにそれを知らせることを、長いあいだためらっていた。

 --毎週木曜日に更新--

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