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2010年9月

愛検ポチが吠え、検察は変わるか

 新聞業界には<撃ち合い>という言葉がある。ある大事件が持ち上がりマスメディアがスクープ合戦をすることだ。

 2010年9月21日付の朝刊で、朝日新聞が「検事、押収資料改ざんか」というスクープを放った。郵便不正事件をめぐり、大阪地検特捜部の主任検事が、証拠として押収していたフロッピーディスク(FD)の文書の日付けを書き換えたというものだった。

 最高検は、その日のうちに前田恒彦検事を証拠隠滅の疑いで逮捕した。翌22日朝、読売が「『改ざん』検事正も把握」と特報して、撃ち合いがはじまった。

 問題は、前田検事の単独行動か上司らも承知して隠していたのかだから、読売はカウンターアタックを1本決めたようなものだ。

 これら2本のスクープで、前田検事がFDを都合のいいように改ざんし、しかもその事実を上司が知りながら隠していた、という事件の基本構図が明らかになった。

 日本のマスメディアは、記者クラブ制度にすがり検察批判をすることはまずなかった。小沢一郎氏の政治とカネの問題でも、検察に尻尾をふってリーク情報をもらい、垂れ流ししていた。ぼくは、そんなマスメディアを<愛検ポチ>と呼んでいる。

 そのポチが、今度ばかりは検察に咬みついた。最高検がスピード逮捕したのは、ことの重大さを認識したため、というより、あわてふためいたからかもしれない。

 証拠隠滅罪が成立するためには、隠滅する「意図」が立証されなければならない。つまり、故意ではなく過失の場合は罪に問えない。そのことに触れたのは、ぼくがチェックする限り読売だけだった。しかし、読売もふくめ、事件発覚1週間ほどは、どのマスメディアも意図の有無が事件の核心をにぎることをあまり意識してはいない報道ぶりだった。

 何が罪になるのかをはっきりさせなければ、事件の進展もくそもないはすだが。

 FDが改ざんされたのは事実だろう。郵便不正事件の被告側弁護士から朝日が入手して大手情報セキュリティー会社に解析してもらったという。

 だが、前田検事は当初、「うっかり書き換えてしまった」と述べているとされた。したがって、意図をどれだけ物的証拠や証言で裏付けられるかがミソとなる。

 産経は、9月23日付朝刊で「激震特捜検事の犯罪」というタイトルの企画記事を掲載した。すでに犯罪と決めつけている。しかし、この時点では故意だったかどうかは不明で、推定無罪つまり有罪が確定するまでは無罪を前提として扱う、という原則からフライングしている。

 しかも、その記事では、「自ら描いた構図に合うよう証拠の改竄をもくろんだのか、それとも単なるミスなのか。経緯をたどるほど、前田容疑者の『意図』は見えにくくなる」と、竜頭蛇尾の内容に終始している。さらに、こうつづく。

 「検察側主張に沿った証拠とするためにFDを改竄したのなら、なぜ捜査報告書も同じように改竄しなかったのか。検察幹部の1人は『ブツ(証拠)をいじるなら捜査報告書自体も変えたはずだ』と首をかしげ、改竄の意図はなかったのではないかと推測する」

 これでは、タイトルと本文が自家撞着となる。郵便不正事件では、無罪となった村木厚子・元厚生労働省局長を、メディアが検察に盲従し「犯罪人」として報道したことが問題となっていた。またも、産経は同じ過ちを犯している。

 さすがに、朝日は「改ざん 隠された真実」、読売は「堕ちた正義」というタイトルで連載を始めていて、産経よりずっと慎重だ。

 その後、最高検の捜査は進み、前田検事の問題当時の直属の上司ふたりが、故意の改ざんと知りながら上層部への報告を怠ったかどうか、が新たなポイントとなってきた。

 検察の暴走ぶりをメディアでほとんど唯一追及してきたのは、週刊朝日だった。その9月28日発売号は、「暴かれた検察の大罪」と大見出しをつけ、いわば勝利宣言をした。そして、FD改ざんも氷山の一角であることを指摘している。

 最高検が、当事者3人だけを尻尾切りにして幕を引こうとしてするなら、マスメディアは徹底的に叩かなければならない。検察が独善的になって暴走したのは、マスメディアが検察と馴れ合い、チェック機能を働かせてこなかったからだ。

 ぼくは2010年1月7日、「これでは、愛検ポチだ」というタイトルで、検察に尻尾を振りチェックできないマスメディアを揶揄した。しかし、善良な市民の一部からお叱りを受け、アクセス数も一時期は激減した。日本ではお上=検察を盲信し、マスメディアの報道を頭から信じる傾向がかくも強いのか、と改めて思い知らされた。

 今回の騒動で、検察の威信は地に落ちた。愛検ポチという言葉の意味を理解する人も増えただろう。

 これまでは、地検の特捜部長と副部長以外の検察官や検察事務官などに取材したクラブ記者は、地検への出入りを禁止されることになっていた。今回の事件では、現場の検事らにも直接取材している跡がうかがえる。

 FD改ざん事件によって、検察とマスメディアの関係が生まれ変わり、悪名高い司法記者クラブも解体されることになればいい。そうすれば、前田検事は、検察改革の最大の“功労者”ということになる。

 --毎週木曜日に更新--

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戦略を誤った小沢サン vs.マスメディアの闘い

 民主党代表選が、2010年9月14日に行われた。あの選挙で戦ったのは誰と誰だったのだろう。そりゃ、菅直人首相と小沢一郎氏だろう、というのはあまりにも表面的な見方だ。官僚vs.小沢、検察vs.小沢、アメリカvs.小沢などの側面があった。なかでも目立ったのが、マスメディアvs.小沢だった。

 メディアには大きく分けて3種類ある、とぼくは思っている。国民世論に大きな影響力を与えるのがマスメディアだ。これには、5つの全国紙とNHKや民放キー局がある。電通など大手広告代理店も陰に控えている。

 次のカテゴリーは中規模のメディア、すなわちミディアムメディア(ミディメディア)だ。週刊誌、月刊誌、夕刊紙、ネットメディア、キー局系列以外のラジオ局、CSテレビなどがある。これらの影響はあくまでも限定的で、マスメディアほどの力はない。

 3つ目のカテゴリーは、小規模のミニメディアだ。ミニコミ誌など無数にある。

 テレビや新聞の代表選報道を冷静に見ていたひとは、マスメディアがものすごい小沢バッシングを展開していたことに気づいただろう。

 アメリカのメディアは、たとえば大統領選で誰を支持するか社説で明言する。しかし、日本のメディアは選挙に際しそうしたことはしない。だが、ちょっとあいまいな形で特定の候補を応援したり、ネガティブキャンペーンをしたりする。

 民主党代表選は、そのネガティブキャンペーンの典型的な例だった。マスメディアとひと口に言っても、左の朝日から右の産経まで政治路線はかなりちがう。しかし、代表選では“大本営発表”かと思えるほど足並みがそろっていた。

 これは、戦争の過去を持ち出すまでもなく恐ろしい現象だ。マスメディアの問題点を知るには、ミディメディアに注目すればいい。ラジオの文化放送では、フリーのジャーナリスト江川紹子さんが鋭く指摘していた。「政治とカネ、政治とカネと、大新聞やテレビは枕詞みたいにして小沢さんを糾弾している」

 週刊ポスト、週刊朝日など雑誌のミディメディアも、東京地検特捜部が主役となりマスメディアが囃し立てた小沢氏の政治とカネ問題に疑問を投げかけた。明らかな“小沢応援団”の日刊ゲンダイは、正面から援護射撃した。

 ジャーナリストの上杉隆さんもミディメディアで言う。「なぜ、検察は小沢さんを狙い撃ちにしたのか。そして、記者クラブメディア(マスメディア)は、なぜ小沢さんだけをバッシングするのか」

 小沢一郎氏が政権を取れば、検察をふくむ官僚機構に手を突っ込みかきまわす。明治以来の官僚支配が崩れるとの危機感から、検察は小沢氏の政治資金を徹底的に洗い出し、摘発しようとした。

 陸山会の資金にからむ捜査は1年半にも及んだが、ついに小沢氏の直接的関与は立証できなかった。起訴された元秘書らも、公判では無罪を主張し争う姿勢をみせている。

 松本サリン事件で濡れ衣を着せられた河野義行さんは、興味深いコメントをあるミディメディアのインタヴューで口にしている。小沢氏の政治とカネ報道についてどう思うか聞かれこう答えたのだ。

 「いったん疑われたら、メディアは『やってないというなら、お前がそれを証明しろ』とくるんです。しかし、やっていないことは証明できません」

 マスメディアの洪水のような政治とカネ報道によって、国民の多くは小沢氏を「限りなく黒に近いグレー」と信じ込んでいる。だが、小沢氏の立場から言えば、答えはひとつしかない。「検察があれだけお調べになっても何もなかったのですから、何もないとしか申し上げられません」

 マスメディアが小沢バッシングをつづける理由は、検察とは別のところにもある。小沢氏は「私が首相になったあかつきには、即刻、政府のすべての記者会見をオープンにする」と明言し、事実上、記者クラブを解体することを宣言していた。これに対し、記者クラブの加盟社で情報を独占するマスメディアが、猛然と小沢排除に出たのだ。

 それどころか、週刊ポストによれば、ある民放の社会部記者が、代表選の直前、自社の実施した世論調査のデータを持って民主党議員の事務所を回り、「世論はこうですよ」と暗に菅首相に投ずるよう働きかけていたという。マスメディアは末期症状かも知れない。

 ぼくの長年の友人でもある民主党国会議員は、代表選の最後の演説を聞いて小沢氏に1票を入れたそうだ。政治路線からみれば友人は菅首相に近い、とぼくは思っていたのだが。「小沢さんの演説は自身の政治哲学をしっかりと述べ、いたずらに情に訴えることをせず、国民の生活を守る政治をリードしたいという気持ちのこもった素晴らしいものだった」

 民主党国会議員の5割、地方議員、党員・サポーターの4割が小沢氏に投票した。それでも、マスメディア全部を敵に回したのが敗因だろう。

 小沢氏は戦略を誤ったのではないか。マスメディアと対決するのは、政権を取り磐石の基盤を作ってからにすべきだった。まだ、小沢氏復権の可能性は大いにありそうではあるが。

 とはいえ、ぼくは別に小沢支持ではない。外交政策など首をかしげるところが多い。

 --毎週木曜日に更新--

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オオサンショウウオが死に、鬼デスクは怒る

 「この記事、取材が甘い!!」。電話の向こうで、鬼デスクが怒っている。なにも、ぼくが叱られたわけじゃないが。

 島根県出雲地方のローカル紙のある記事を、郷里の母が、ぼくのところへファクスしてきた。それを読んで妹に電話すると、妹のところにも送られてきていた。

 なにしろ、妹は、毎日新聞記者を夫に持ち、旦那の原稿にさえダメ出しをする自称"鬼デスク"なのだ。記事の内容があまりに不備で、ちょっと頭にきたようだった。

 <山高のオオサンショウウオ死ぬ>。見出しは、こうつけられていた。でも、山高ってなんだ?「長年、県立出雲高校の生徒たちを見つめてきた名物のオオサンショウウオが8月11日に死んだ」

 なんだ、わが母校のニュースじゃないか。ひと月も前の話で、ネタ元は、高校新聞部が発行する『鷹の沢新聞』だという。オオサンショウウオと聞いては他人事じゃない。なにしろ、ぼくは生物部の部長兼サンショウウオ班の班長だった。

 オオサンショウウオは特別天然記念物で、文化庁の特別許可がないと飼育できない。生きた餌しか食べないため、ぼくたちはせっせとカエルやヘビを取ってきて水槽に入れてやった。思いのほか敏捷で、パクッと食べる。体長が1メートル近くもある世界最大の両生類だから、一度にカエル20匹くらいは平気でたいらげる。でも、満腹すると水底でじっとしていて、そうしょっちゅう餌をやらなければならないというわけでもなかった。

 一見、グロテスクだが、妙に愛嬌がある。特に、4本の足が可愛らしかった。

 ぼくたちが在校生だった1970年代初頭、3匹を飼っていた。4歳年下の妹も、やはり生物部に入り世話をした。今回の電話で初めて聞いたのだが、妹たちは、3匹にマリ、ルミコ、サオリと名づけていたという。天地真理、小柳ルミ子、南沙織のアイドル歌手から取ったそうだ。

 とにもかくにも、オオサンショウウオは出雲高校のシンボル的存在だった。それが亡くなったとなれば、卒業生にとってはちょっとした事件なのだ。

 「それにしても、まだ生きていたのか」というのが、率直な感想だった。だが、何匹亡くなったのか、誰が死体を発見したのか、死因はなにかなど、記事を読んでもわからない。だから、鬼デスクが怒ったのだった。

 記事にはこう記されている。「出雲高校には、1957(昭和32)年ごろから飼育されてきた記録がある。ただ、死んだオオサンショウウオが、一代目なのか二代目なのかは不明。(中略)いずれにしろ、出雲高校に50年以上にわたって飼われてきたオオサンショウウオ。その死だけに、鷹の沢新聞を読んだ卒業生を中心に話題は広がった。『残念です…。青春の思い出のひとつでした』」

 ぼくは、出雲高校に電話を入れた。K教頭によると、夏休み中のことであり、死んでいるのを発見したのは教師だったそうだ。最近は1匹しかおらず、それが何らかの理由で亡くなったのだという。

 「特別天然記念物だから、県教育庁文化財課に連絡をとり、文化庁への報告など手続きをとっている最中です」

 では、残りの2匹はいつ死んだのか。そのときも、きちんとした手続きを踏んだのか。

 「わたしも昨年この学校にきたばかりで、以前のことはよくわかりません。昭和32年に公式の飼育許可を取っていますが、それ以外に記録がないんです」。K教頭も電話口で困惑していた。

 文化財保護法によって、オオサンショウウオを新たに入手するときは文化庁の許可を得、死んだときには届け出なければならないはずだ。そうした手続きが行われないまま、飼いつづけていたことになる。ぼくも元関係者のひとりとしてちょっと責任を感じてしまう。

 前身の今市高等女学校で1942~46(昭和17~21)年に学んだ母は証言する。「オオサンショウウオはそのころから飼われていたよ。たしか2匹」。つまり、少なくとも68年間は飼われてきたことになる。また、鬼デスクが怒りそうだ。

 しかも、調べてみると、国が特別天然記念物に指定したのは1952年だった。高校が許可を取ったのはその5年後だから、その間、許可申請もしないまま飼っていた可能性もある。今回、最後の1匹の死によって、過去のずさんさが明るみに出てしまった格好か。

 まあ、それはいい。ローカル紙のコメントにあったように、「青春の思い出のひとつ」だから、そっとしておこう。

 ところで、「山高」ってなんだ、という疑問が残る。K教頭は言った。「命名のいきさつはよく知りません。ただ、最近では生徒たちも地元のひとたちもそう呼ぶことがあるらしいです。ちょっと問題のあるネーミングだというひとも中にはいますが」。

 出雲高校は小高い丘の上にある。ぼくが高校を受験したころ、中学の先生が、「山の学校」とか「山の高校」とか、隠語みたいに呼んでいた。それが定着したのかもしれない。卒業して38年も経てば、通称も変わるんだなぁ。

 オオサンショウウオは骨格標本になるらしい。ありし日の面影を偲びながら、冥福を祈ることにしよう。ね、鬼デスク。  合掌。

  --毎週木曜日に更新--

 (その後の母からの電話によると、昔も「山高」という呼び方はあったという。それが使われなくなり、いつからか復活したのはなぜなのだろうか)

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就活をめぐる笑えない喜劇を知った

 就職状況は、想像を絶するくらいひどいようだ。先月、東京都内の私立大学で教授をしている友人に会った。その言葉には、正直びっくりした。

 「文部科学省は、この春の大卒の就職率が60.8%だと発表したが、うちの大学じゃとてもそんな数字は出ない。だいたい43%くらいだよ」

 就職できない6割ちかくもの卒業生は、フリーターをして食いつなぐか、時には引きこもってニートになってしまうという。

 言うまでもなく、不況が長引き企業が採用しないのが最大の理由だ。しかし、ぼくは前々からそれはおかしいと思っている。

 たとえば、大卒をひとり採用したとして、40年間は雇用しつづけることになる。いま不況だからといって、雇用のスパンはそれよりはるかに長い。不況で他社が新規採用をしぶっているなら、人材がそれほど余っているわけで、このときこそ磨けば光るダイヤの原石を確保するチャンスではないのか。

 ぼくがニューデリー特派員の任期を終えて東京本社にもどってきた1990年の体験を思い出す。ときはバブル景気の真っ只中で、つまり就職は売り手市場だった。

 そのころ何が行われていたか。ぼくの新聞社では、採用内定を出した学生が他社に取られないよう、現職の中堅・ベテラン社員がマンツーマンで<引き抜かれ防止対策>を担当していた。

 内定学生に、数日に1回は電話を入れてご機嫌をうかがい、ときどきは飲みに誘っていた。飲食費は、もちろん会社の人事部がもつ。

 その事実を知ったぼくは、内定学生のお守り役をしている先輩記者に言った。

 「こんなに景気がよくて、どこの企業も大量採用する時代には、ろくな人材はいないんじゃないですか。こんなときこそ、採用枠をうんと減らして、不況になったら思い切ってたくさん採ればいいのに」

 「それはそうかもしれないが、他社が採ると、じゃ負けじとうちも、となるんだよ」。先輩は自嘲気味にそう言った。

 バブル期に大量採用された社員たちは、案の定出来がいまいちで会社のお荷物になっている、という社内のうわさをずっと後に聞いた。

 もちろん、人材というのは大学や入社試験の成績だけで見極められるものではない。なかには、学歴はそうよくなくても非常に優秀な記者になるケースもある。その原石を見極めるのが、人事部なり面接者の腕ではないのか。

 いまの空前の不況に、思い切った人数を採用している会社は、きっと伸びるだろう。人件費を捻出するのが苦しくても、原石をたくさん確保できれば、会社の資産になる。

 もうひとつ、大学の新卒者しか採用しないというのも、日本の企業文化の悪弊にちがいない。なぜ、新卒にこだわるのか、さっぱりわからない。社風に染めるため、へたに社会経験などないほうがいい、と人事関係者は思い込んでいるのだろうか。

 ぼくがドイツで特派員をしているとき、いろいろな学生アルバイトを使った。ひとりの例外もなく、使えそうな学生は20歳代半ばだった。ドイツの大学生は、在学中に民間企業などでインターンを経験し、海外留学する者もかなり多い。だから、大学は7、8年かけてゆっくり卒業するのが当たり前になっている。その分、社会経験も豊富で、企業にとっては即戦力になる。

 ぼくが大学を出た1976年のころは、いまほどひどくはなかったかもしれないが、かなりの不況で、大手マスコミの採用も「若干名」というところばかりだった。

 しかも、大学の主任教授は「学生は勉学に励むべきだ」と厳しい姿勢で、ゼミを休んで就職活動をするなど許してくれなかった。大学としての就職支援もなかった。

 だからということでもないが、ぼくは卒業時に就職も進学もせず、ある社会福祉施設で非常勤の講師をして食いつないだ。

 幸い、大手の新聞社はどこでも、27、28歳くらいまでなら受けることができる。だからこそ、ぼくもなんとか採用してもらった。同期入社には、もちろん新卒もいるが、それはむしろ少なく、中には「2浪3留」などという猛者もいた。新聞記者など、ばりばりの現役より社会経験や挫折経験があったほうがいい、と会社も知っているのだ。

 一般企業が新卒者にこだわるのはおかしい、とさすがに政府関係者も気づいたのか。2010年8月末、菅直人内閣は「卒業後3年以内の既卒者の正規採用やトライアル雇用(試験的採用)を行う企業に奨励金を出す」とする緊急雇用対策を打ち出した。

 ある大学では、<既卒者>にならないためにあえて留年する学生の授業料を、通常の3分の1に減額するなどしている。企業側もいい加減、「新卒に限る」という悪弊を見直すべきではないか。

 都内の私立大の教授をしている先の友人は「いまじゃ、研究者というのは死語で、実態は就職予備校の講師だよ」と嘆いていた。教授陣や就職課の担当者が椅子を並べて、おなじ学生を何度も模擬面接するのだという。ぼくには、悲劇というより喜劇に思える。

 そんな、マニュアルずれした新卒者など、企業のほうで払いのけるくらいでなくちゃ。

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有名レストランもバカ社長でこける

 「あんな社長の下で、やってられませんよぉ」

 そのお嬢さんは、ビールをがぶが飲みし、怪気炎をあげた。友人宅のホームパーティに呼ばれ、座が盛り上がったころに、レストランで主任を勤める娘のW子さんが帰宅した。

 W子さんのレストランは、豪壮な作りで、都内でも有名だ。さぞかし儲かっているんじゃないかと話を振ると、「とんでもないですよぉ。経営がめちゃくちゃだから、倒産寸前っていうか、身売り話まで出てるんですぅ」

 経営不振の張本人は、たったひとり、バカ社長だという。

 「すごく腕のいい料理長がいたんです。現場のことなんてなんにもわかっちゃいない社長があれこれ口を出すものだから、料理長が『調理場のことは任せてください』って直言したんです。料理人のみんなは、内心『やったね』って喜んだんですけど、社長は料理長に『明日から来なくていいから。おまえの代わりなんかいくらでもいるんだ』って逆切れして、はいおしまいですよ」

 腕がよくて、大勢の料理人たちをうまく束ねる料理長の代わりが簡単に見つかるわけもなく、翌日から、調理場は大混乱に陥った。

 「うちの店は、作りが超一流で立地もいいし、ふつうに商売やっていればお客さんは来てくれるんですよ。それなのにバカ社長が、よせばいいのに張り切って次々といろんな企画を思いつきでやろうとするから、悪循環に陥ったんです」

 ホームパーティは、W子さんの独壇場となった。ぼくも、話が面白そうなので、ビールをどんどん勧めて口を滑らかにしてあげた。すると、愚痴が出てくるわ出てくるわ、座は大いに盛り上がった。

 「売り上げがじり貧になってあせった社長は、有名なグルメ雑誌に大々的な企画広告を出すことにしたんです。メインのお客の役はプロのモデルさんに頼み、その他の客は店の従業員がエキストラをすることになったんです。しかも、このくそ暑いのに、中庭のテーブル席を使うって社長が言い出して譲らないんです」

 モデルさんも従業員も汗だくで、写真撮影に臨んだ。しかし、広告では涼しそうな屋外テーブル席の雰囲気を出さなきゃならない。汗を必死でふきとり、なごやかな食事風景を演出した。

 しかし、肝心の社長は撮影現場に姿を現さない。なにをやっているのかと思ったら、調理場でカレーライス作りに奮闘しているのだという! 社長はプロの料理人ではなく、素人の下手の横好きで、カレーを作って人に食べさせるのが趣味だった。

 やっと午前の撮影が終わり、一同がレストランへ入ると、すでに盛り付けたカレーライスがテーブルにずらっと並んでいた。カレーの上には、コロッケとソーセージも乗っている。みんな、それを見て呆然とした。

 猛暑でふらふらになっているから、冷麺でも食べたいところなのに、社長がわざわざ作ったものを残すわけにもいかない。マネージャーなど、「死にそうだよ」と言いながら、「おいしいですねぇ。お代わりいただきます」とごまをすって無理やり食べていた。

 だいたい、なんでそんな無能な人が社長になれたのか。

 「社長はもともと出入りの業者だったんです。レストランの先代経営者には一人娘しかいなくて、その人が支配人をやっていたそうですが、若き社長が惚れちゃって、支配人に告白したらしいんです。そのころ社長はものすごく太っていたから、支配人は半ばからかうつもりで『スマートになったら、結婚してあげてもいい』と言ったそうです」

 社長は、猛然とダイエットを始め、すっかりスマートになってプロポーズをした。支配人も今さら断れなくなって、他に婿養子になってくれる男性もいなかったから、それを受け入れて社長にした、という。

 だが、社長のバカさかげんは半端じゃなかった。食材を卸す出入りの業者に「どうやれば経営がうまくいくかなぁ」と質問してメモを取る。だが、そのメモを実行に移したことはない。それどころか、前に質問したことをすっかり忘れ、同じ業者に何度も同じことを聞いてメモを取るのだそうだ。

 あるとき、各店や企業が対抗する消防隊の訓練試合があり、よせばいいのに社長も参加した。しかし、ホースに引っかかってころぶなどあまりのドジぶりに、消防署の幹部は「あの人、社長に言って首にしたほうがいいんじゃないですか」と言った。そこで、レストラン消防隊のひとりは答えた。「あれがうちの社長なんです」。嗚呼!

 最近、レストランの買収話が持ち上がり、従業員たちは小躍りした。しかし、今の経営陣がそのまま残るのが条件とわかって、みんなしょぼんとなってしまった。

 どんな組織でも、大将の良し悪しで力が決まる。あの東京ヤクルトスワローズだって、借金が19もあったのに、監督が交代したら3か月足らずで、勝率5割に復帰した。

 どこかの国の民主党は、円高、株安の国難というのに、代表選挙などと言って空騒ぎしている。国の大将が、こうも軽く選ばれる国民は悲しい。

 W子さんは嘆く。「スワローズがうらやましいゎ。うちだってトップが変われば高級レストランとして余裕でやっていけるはずなのに」

 --毎週木曜日に更新--

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