« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月

祇園精舎に鐘は鳴り響いていたか

 <祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり>

 高校時代に、このあまりにも有名な『平家物語』の冒頭を習ったとき、素朴な疑問を抱いた。鐘の音が「諸行無常」と響くのは詩的表現として受けいられるとしても、だいたい、祇園精舎に鐘があったのだろうか、ということだ。

 読売新聞の2010年10月15日の夕刊に、その祇園精舎についての記事が載っていた。『天竺はるか』という3回シリーズの2回目で、大阪社会部と写真部の記者が、現地に行って報告している。

 読売新聞に祇園精舎の現地記事が掲載されるのは、ぼくが書いてから22年ぶりじゃないだろうか。

 今回の記事によると、インド北部ウッタルプラデシュ州シュラーヴァスティーの台地にあるサヘート遺跡にある精舎跡が、現在では史跡公園となり、各国から訪れた仏教徒が集っているという。記者たちが訪れたときには、多くのスリランカ人が白装束で端座し祈りをささげていたそうだ。その写真も載っている。

 ぼくが、他の日本人ニューデリー特派員たちとともに、州都ラクノーまで空路を飛び、そこでタクシーをチャーターして現地へ向かったのは、1988年1月のことだった。そのころのタクシーにはエアコンなどという気のきいたものはなく、窓を開けっぱなしにして石ころ道を飛ばした。

 早朝にホテルを出発し、6~7時間もかかってようやく着いたと記憶している。作業着を身に着け長靴をはいた網干善教・関西大学教授(当時)が出迎えてくれた。網干教授は、奈良県明日香村の高松塚壁画古墳を発掘したことで知られる高名な考古学者だが、現場ではただのおじさんに見えた。

 サヘート遺跡は、関西大学が創立100周年記念事業として企画し、インド文化省考古調査局と合同で、1986年から3年計画で発掘作業が行われていた。インドが国内の遺跡の発掘を外国調査団に許可したのは、1947年の独立後初めてのことだった。

 ぼくたちが期待を胸に訪れたのは、その最終段階にあたるときだった。網干教授が日本側調査団長を務めていた。周辺には店も飲み屋もなく、気候も厳しい過酷な条件のなかで、学生たちとともに禁欲的な自炊生活をしていた。

 ぼくたちは、もちろん、祇園精舎そのものの遺跡を目の当たりにすることを望んでいた。

 祇園精舎は、古代インド・コーサラ国の大富豪、須達(スッダ)が、紀元前5世紀ごろ、釈迦のために建てた僧院とされていた。精舎は釈迦の入滅後も繁栄したが、7世紀に『西遊記』三蔵法師のモデルとして知られる唐の僧・玄奘が訪れると、数百あったはずの伽藍の多くは倒壊しており、僧徒の数も少なく、かつての繁栄は遠いものとなっていた。

 さらに後世、僧院は荒れ果てて土と埃に埋まり、その上にまた僧院が建設されることが何度か繰り返されていた。

 日印共同発掘調査団は、ぼくたちが訪れたときまでに、紀元1世紀とみられる四角のレンガ造りの人工池、4、5世紀ころのものとみられる大仏塔(ストゥーパ)の基壇と仏像数体(部分)のほか、各年代の土器など計約4万点を発掘していた。人工池に下りる階段も出てきて、池は沐浴に使われていたことがうかがえた。

 これらの作業によって、イスラム教徒が侵入する12世紀までのあいだ、サヘート遺跡では、諸王朝のもとで仏教の盛衰が繰り返されたことが裏付けられた。

 調査は、発掘作業員約200人を動員して大規模に行われていたが、発掘面積は遺跡全体の3%ほどにすぎなかった。

 ぼくたち考古学の素人の質問は、一点に集中した。「それで、祇園精舎の跡は出てきたんですか?」

 網干教授は、ゆっくりと答えた。「玄奘が書き残している柱が発掘されれば、そこが祇園精舎だと確認できますが、その層は、まだまだずっと下の地中に埋まっています」

 話は飛んで、この秋、高松塚古墳を訪ねる機会があった。網干教授が世紀の大発見をした古墳の現地は、遺構を完全に埋め、2段に土が盛られ芝生が表面に張られていた。

 その近くに『高松塚壁画館』があり、原寸・原色で再現された極彩色の壁画を見ることができる。フロアの奥には、壁画が四方を取り囲んでいた石槨が再現され、「盗掘口部」から内部をのぞき見ることもできる。

 館内は、もちろん、ビデオや写真の撮影は厳禁されている。しかし、ちょっと小太りでいかにもオタクっぽい20代の終わりころの青年が、上着の中にカメラを隠して壁画や石室を片っ端から撮影している。しかも、フラッシュまで炊いている。

 係り員に告げると、撮影をやめさせようと飛んでいった。青年は大慌てで館内を飛び出し、全速力で逃げた。ったく! ネットにでも、自慢げに載せるのか。

 ところで、ぼくは、かつて記事には書かなかったが、網干教授へのひとつの質問を鮮明に覚えている。「祇園精舎に鐘はあったんですか?」

 教授は、さりげなく答えた。「いや、あの時代には鐘なんてまだありませんでしたよ」

 諸行無常の声は、日本の詩人の頭のなかでだけ響いていたのだった。

| | トラックバック (1)

チレはチレでも美味いチレ

 ぼくたちは、祖国のことをふつう日本語で「日本」と呼ぶ。チリのひとたちは、チリ語で「チレ」と呼ぶのだという。

 そのチレを心から誇りに思ったチレ人もたくさんいたことだろう。鉱山の落盤事故で地下約700メートルに閉じ込められた33人は、全員無事70日ぶりに救出された。

 自分たちが生きていることが地上に伝わるまで、実に17日もかかった。その間、どんな心理で頑張ったのだろう。

 伝えられるところによると、チレの国民性は冷静沈着で、忍耐力、結束力があるという。もちろん、作業員それぞれは性格も考え方もちがい、最初はまとまるのも難しかったが、次第に結びつきが強まるようになっていった。

 わずかの食料をルールを決めて分け合い、3班編成にして交代で警戒、休息、睡眠をとっていたそうだ。

 なかなかできることじゃない。国民性が命の危機に際して、最大限に発揮された。

 ふと、岡田JAPANを思う。サッカーW杯の直前、絶不調で4連敗し危機に陥ったが、本番までに一体感を高め、アウェイでベスト16という最高の結果を出した。

 チレ人にも日本人と同じようにサムライの血にも似たものが流れているのかもしれない。だから、世界中の人びとを感動させた。

 さて、話は卑小になるが、チレはチレでも、食べるほうのチレについて書いてみたい。

 ホルモンや肉類の刺身に目がないぼくは、あるとき、先輩ジャーナリストに秘中の秘の店をおしえてもらった。それから数年、ついにその隠れた名店へ行く機会が生まれた。

 新宿1丁目にその店はある。JR新宿駅から、ぼくは歩いて新宿御苑方向へ歩いていった。ちょっと下町のような一帯に、さりげなく赤ちょうちんを掲げている。

 6、7人かけられるカウンターと4人用のテーブルがふたつ、奥には12~13人で一杯になる座敷があるだけの小さな店だった。時間が早かったので、客はほとんどいなかったが、席はすべて予約済みという。それでも「1時間半だけならいいですよ」と言われた。予約の電話は鳴り止まない。繁華街でもないこんな場所で、これだけ流行っているとは。

 テーブルの上にコンロが置かれているわけではなく、焼肉屋ではない。それでも、カウンターの上や壁には、びっしりと肉・ホルモン類の値段表が張られている。

 マッコリの「虎」というのをボトルで頼んだ。なんでも高麗時代(918~1392年)の製法を守った伝統の酒といい、米のみを原料とし添加物はいっさい使わず、辛口だ。

 この店に来たからには、これを頼まなければ意味がないという刺身盛り合わせの「小」を注文した。

 ガツ、レバー、センマイ、チレ、ミノ、タン、ハラミの七種類がきれいに盛り付けられている。それで1500円というから、その安さは特筆に値する。

 今ではほとんどの焼肉店にレバ刺しがあり、はまるひとははまる。ひと口食べれば鮮度がすぐわかる一品だ。

 センマイは牛の4つある胃のうちの3つ目で、ひだがビラビラと千枚も重なっているような印象を持つことから、この名がついたそうだ。これの刺身も、近年はポピュラーになってきた。見た目はちょっとグロいが、こりこりと歯ざわりがいい。

 ミノは第一の胃で、焼肉のなかではもっともこりこりしていて、ぼくのお気に入りだ。でも、刺身で食べるのは初めてだった。

 ガツは豚の胃の俗称で、軽く湯通ししてあるかもしれない。これも鮮度が良くないと、独特の臭いがして、ちっとも美味くない。

 ハラミは、牛の横隔膜のことだ。カルビほどに脂こってりではないが、適当なサシが入っており、軽く焼いて食べるとうまい。その刺身も初体験だった。

 タンはお馴染みの牛の舌だ。すっかり名物となった仙台では、戦後、進駐軍のアメリカ兵が食べないゲテモノの舌を、なんとか食べられないかと工夫して、炒めたり焼肉の食材としたりしたといわれる。そのタンの刺身は、2、3度目の経験だった。

 さて、チリがオオトリに控える。その部位を聞くと、脾臓(ひぞう)だという。脾臓と聞けば、子どものころに読んだ武道マンガの「3年殺し」という技を思い出す。本当にそんな物騒な技があるのかどうかは知らないが、脾臓にある強度で蹴りを入れると、3年後にぽっくり死ぬというのだ。

 ぼくは、チリの刺身を口にして舌が“即死”した(笑)。ややもっちりとし、歯ざわりもいい。絶品という言葉しか思い浮かばない。

 食べなれたレバーやセンマイは当然として、7種すべて鮮度が抜群にいい。こんな生肉を仕入れるルートは、よほど特殊なのだろう。でなければ、他の星の数ほど増えている焼肉屋でも口にすることができるはずだから。

 41歳という2代目マスターが、フライパンを振って炒めてくれるシビレ、コブクロなどもすてがたい。でも、この店の王様は特製サラダかもしれない。ドレッシングには、醤油、砂糖、酢、ごま油、胡椒、それと少量の塩が入っていると読んだ。

 チリ万歳! チレ万歳!

 --毎週木曜日に更新--

| | トラックバック (0)

魔法の人心コントローラーを世界に

 <外国語 恥をかくほど 上手くなり>

 こんな川柳がある。言葉はしゃべらなきゃ身につかないし、そのためには恥もかかなきゃいけない。

 ふた昔前、パキスタンのカラチ国際空港ラウンジで、30~40歳くらいの白人女性に声をかけられた。「ジャーナリストですか?」。ぼくが取材ノートを取り出してメモを整理していたからだろう。

 その女性もジャーナリストで、アメリカの通信社の契約記者だった。ぼくが、日本の新聞社のニューデリー特派員だと自己紹介すると、相手女性はこう尋ねた。

 「regionは?」

 そのとき、ぼくはかなり疲れていて、正直、あまり英語で会話したくはなかった。しかし、答えないわけにもいかず、こう口にした。

 「仏教徒です」

 相手は、きょとんとした。一瞬、ぼくも、とんでもない聞き間違えをしたことに気づいて、言い直した。

 「いや、担当エリアは、インド亜大陸の8か国です」

 相手も、それで納得した。

 ぼくは、region(地域)をreligion(宗教)と聞き取ってしまったのだ。英語をスペルから学ぶ日本人にとって、このふたつの単語はよく似ている。当然ながら、発音はまったく異なるものの、“r”と“l”は日本人の脳みそをごちゃごちゃにする。

 先日、世界の面白ネタなどを集めているウェブサイト『らばQ』で、ぼくが恥をかいたのとまったく同じミスをした日本企業があったことを知った。

 その記事によると、DVDやゲームソフトなどには、世界の特定の地域だけで見られるリージョンコードというものが採用されている。日本で海外のDVDが再生できなかったり、逆に日本の製品を外国で見られなかったりするのは、そのコードがちがうためだ。

 そこで、どんなコードにも対応するDVDプレイヤーも作られている。そういう製品はマルチリージョンと呼ばれている。

 ところが、ある日本のメーカーが“region free”(どんな地域にも対応)と記載すべきところを“religion free”(どんな宗教にも対応)とやってしまった。

 すると、「とんでもない製品が誕生した!」と、もちろん皮肉を込めて話題を呼んだ。

 世界には宗教のちがいによる紛争があるが、日本製宗教フリーのDVDプレイヤーはそんな争いに終止符を打ってくれるのではないか、と盛り上がったそうだ。

 『らばQ』の記事には、ご丁寧に掲示板から拾った書き込み例が紹介されている。

 <オレにはこれが必要だ。今使ってる俺のDVDプレイヤーでは、彼女と背徳なことをしたら神に懺悔しなくてはならない。きっとマルチ宗教じゃないプレイヤーだとみんなそうなるに違いない>

 <変だな。キリストのドキュメンタリーを見ようすると、DVDプレイヤーがアラブのエラーメッセージを吐き出し始めて、そして激しく爆発する>

 <いやこれは本当にあるべきだ>

 たしかに、もしそんな製品が本当にあったらいい。

 キリスト教徒が人口の8割を占め、イスラム教徒は1%にも満たないアメリカでは、9・11テロ後、イスラムを敵視する空気が充満している。ニューヨークの同時テロ爆心地近くにモスク(イスラム礼拝所)を建てる計画が具体化し、キリスト教徒の国民が「とんでもない」と大騒ぎしている。

 なんと、『ニューズウィーク』誌の世論調査によると、保守系の共和党支持者の52%が、「オバマ大統領(民主党)は、世界にイスラム教を押しつけようとするイスラム原理主義と共鳴している」と考えているという。

 ヨーロッパも同じだ。イスラム教の女性の一部が、頭からすっぽりかぶり体を隠すブルカを法律で禁止するケースが相次いでいる。2010年4月、ベルギーでまず法制化され、フランスも9月につづいた。

 ブルカのなかに爆弾を隠しているんじゃないか、という恐れからだという。また、「夫や父親にかぶるよう強制されており、女性の人権侵害だ」という考えから、ブルカ禁止に賛成した人たちもいる。

 ぼくも、アフガニスタンに入ったとき、よく見かけた。当時はナジブラ共産主義政権下で、首都カブールではスカートをはいた女性とブルカ姿の女性が混在していた。

 ヨーロッパでのブルカ禁止は、反イスラムの臭いが強い。ブルカをかぶっている女性は、ベルギーで数百人、フランスで2000人ほどしかいないと言われているのだが。

 禁止法には当然、反発があり、イスラム過激派がエッフェル塔などに対し爆破予告をして緊張が走った。一神教同士だと、どうしてもこういうことになる。

 “region free”(どんな地域にも対応)で、かつ、“religion free”(どんな宗教にも対応)の人心コントローラーはできないものか。

  --毎週木曜日に更新--

| | トラックバック (0)

マッコリ元年に、まったり酔う

 東京・原宿の奥に隠れ家のような韓国レストランがある。人通りから完全にはずれ、車では行き止まりだから、ふらりと一見客が入るところではない。しかし、料理の値段を当てる日本テレビ系の人気バラエティ『ぐるぐるナインティナイン ゴチになります!』の会場ともなった名店だ。

 そこのメニューを開くと、韓国のどぶろく「マッコリ」が10種類以上も並んでいる。ヒアルロン酸マッコリなどというものまである。そのなかで、ぶどうマッコリを注文した。

 ひと口目は甘酒のような味がした。少し飲み慣れると軽くなり、すいすいと飲める。春雨と野菜を炒めたチャプチェが絶品で、マッコリにぴったり合う。

 この夏、わが家の地元で毎年開かれる花火大会に、名古屋の友人夫妻を招待した。手作り弁当をもって、河原土手にシートを敷いて宴を開いた。打ち上げ場所を目の前にした立ち入り禁止区域のすぐ脇で、花火はド迫力で上がっていく。

 クーラーバッグには、よく冷やしたマッコリを入れていた。土手での花火見物では、仮設トイレはあるが大混雑するから、ビールはあまり飲まないほうがいい。そこで、かみさんと話し合ってマッコリにした。

 夫妻は、打ち上げの迫力に息を飲みながら、マッコリを飲んだ。マッコリは初めてだそうだ。そういえば、ベルリンに住んでいるとき、この友人一家を韓国料理店に連れて行ったことがある。友人は韓国料理の初体験で、そのときは焼酎を飲んだ。

 わが家と名古屋の友人家族と韓国は、何かと縁があるわけだ。

 マッコリには特に肉料理が合う。弁当のメインメニューに豚のスペアリブを用意したところ、これが大うけで、マッコリもどんどんなくなった。

 友人は、名古屋へ帰った翌日、すぐマッコリを買いにいったという。

 日本ではこの2010年を、<マッコリ元年>と呼ぶ飲食店関係者もいるそうだ。3月には、韓国の大手焼酎メーカー眞露が『JINROマッコリ』を日本で発売開始した。前後して、二東(イードン)ジャパンがその名も『にっこりマッコリ』という製品を出し、巨人戦の東京ドームなどで大々的にキャンペーンした。

 新聞や雑誌でマッコリ特集が目につく。日本国内だけで、今では100種類以上も売られているそうだ。数年前からは、都内にマッコリバーなるものもできたらしい。そこでは、数十種類が飲める。

 もともとは朝鮮半島の農民が、農作業のとき一服するための自家製の酒だったという。乳酸菌がたっぷりで、「美容や健康にいい」とされる。

 日本でのマッコリブームの原点は、やはり2004年以降の韓流ブームらしい。ハングルの看板がやたら目立つコリアンタウン新大久保などで、女性客を中心に人気が出た。

 だが、それだけではない。ブームの陰には仕掛け人がいることが多い。

 実は、日本と同じでコメ余りに悩む韓国政府が、コメを使った製品としてマッコリに目をつけた。それと合わせた韓国料理を世界に広めようと「韓食世界化」の政策を打ち出し、官民あげてセールスに乗り出した事情がある。

 世界的な寿司人気が、今ではブームを通り越して定着し、日本食が世界で注目されるようになった。韓国の韓食キャンペーンは、それへの対抗策でもあるらしい。何につけ、日本に負けることは許されないお国柄だからだ。

 ぼくがマッコリと出合ったのは、もう四半世紀も前のことだ。新聞社でインド亜大陸地域を担当していたころのことで、社内にアジア記者会というのがあった。会社から毎月定額の会運営費を出してもらい、2、3か月に一度、外部の講師を招いて飲食しながらアジア情勢を勉強した。というのは建前で、じっさいには仲間うちだけで飲み食いすることもよくあった。

 上野から御徒町にかけては、在日コリアンが経営する焼肉店がひしめいている。ここは、近年コリアンタウンとなった新大久保とはちがい、ハングルの看板が目立つわけではないが、日本式の飲み屋街とはまた変わったたたずまいがある。

 アジア記者会でよく行ったのが、御徒町にあるT亭だった。2階か3階の座敷にあがり、ビールではなく「白」を注文する。白というのは、ビール瓶に入ったマッコリだった。

 その当時、日本ではマッコリの製造は大蔵省から認められておらず、白はそれぞれの店が密造したものだとされていた。その秘密めいた白を飲みながら、焼肉や肉刺しをほうばる。狂牛病もないころのことで、その店には、牛の脳みその刺身などという希少メニューもあった。

 そして今、近所のスーパーにさえ数種類の“合法的な”マッコリが並んでいるのをみると、時の流れを感じてしまう。

 マッコリはまったりとして実にいいが、強いて難点を言えば、アルコール度数がふつう6度しかないことだろう。スコッチのジョニーウォーカー黒ラベルと比べても、アルコール1ml当たりでは、マッコリのほうが高い。税率がドイツの約20倍とバカ高い日本のビールと同様、マッコリは、実はマル金、セレブの飲み物なのだ。

--毎週木曜日に更新--

| | トラックバック (0)

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »