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祇園精舎に鐘は鳴り響いていたか

 <祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり>

 高校時代に、このあまりにも有名な『平家物語』の冒頭を習ったとき、素朴な疑問を抱いた。鐘の音が「諸行無常」と響くのは詩的表現として受けいられるとしても、だいたい、祇園精舎に鐘があったのだろうか、ということだ。

 読売新聞の2010年10月15日の夕刊に、その祇園精舎についての記事が載っていた。『天竺はるか』という3回シリーズの2回目で、大阪社会部と写真部の記者が、現地に行って報告している。

 読売新聞に祇園精舎の現地記事が掲載されるのは、ぼくが書いてから22年ぶりじゃないだろうか。

 今回の記事によると、インド北部ウッタルプラデシュ州シュラーヴァスティーの台地にあるサヘート遺跡にある精舎跡が、現在では史跡公園となり、各国から訪れた仏教徒が集っているという。記者たちが訪れたときには、多くのスリランカ人が白装束で端座し祈りをささげていたそうだ。その写真も載っている。

 ぼくが、他の日本人ニューデリー特派員たちとともに、州都ラクノーまで空路を飛び、そこでタクシーをチャーターして現地へ向かったのは、1988年1月のことだった。そのころのタクシーにはエアコンなどという気のきいたものはなく、窓を開けっぱなしにして石ころ道を飛ばした。

 早朝にホテルを出発し、6~7時間もかかってようやく着いたと記憶している。作業着を身に着け長靴をはいた網干善教・関西大学教授(当時)が出迎えてくれた。網干教授は、奈良県明日香村の高松塚壁画古墳を発掘したことで知られる高名な考古学者だが、現場ではただのおじさんに見えた。

 サヘート遺跡は、関西大学が創立100周年記念事業として企画し、インド文化省考古調査局と合同で、1986年から3年計画で発掘作業が行われていた。インドが国内の遺跡の発掘を外国調査団に許可したのは、1947年の独立後初めてのことだった。

 ぼくたちが期待を胸に訪れたのは、その最終段階にあたるときだった。網干教授が日本側調査団長を務めていた。周辺には店も飲み屋もなく、気候も厳しい過酷な条件のなかで、学生たちとともに禁欲的な自炊生活をしていた。

 ぼくたちは、もちろん、祇園精舎そのものの遺跡を目の当たりにすることを望んでいた。

 祇園精舎は、古代インド・コーサラ国の大富豪、須達(スッダ)が、紀元前5世紀ごろ、釈迦のために建てた僧院とされていた。精舎は釈迦の入滅後も繁栄したが、7世紀に『西遊記』三蔵法師のモデルとして知られる唐の僧・玄奘が訪れると、数百あったはずの伽藍の多くは倒壊しており、僧徒の数も少なく、かつての繁栄は遠いものとなっていた。

 さらに後世、僧院は荒れ果てて土と埃に埋まり、その上にまた僧院が建設されることが何度か繰り返されていた。

 日印共同発掘調査団は、ぼくたちが訪れたときまでに、紀元1世紀とみられる四角のレンガ造りの人工池、4、5世紀ころのものとみられる大仏塔(ストゥーパ)の基壇と仏像数体(部分)のほか、各年代の土器など計約4万点を発掘していた。人工池に下りる階段も出てきて、池は沐浴に使われていたことがうかがえた。

 これらの作業によって、イスラム教徒が侵入する12世紀までのあいだ、サヘート遺跡では、諸王朝のもとで仏教の盛衰が繰り返されたことが裏付けられた。

 調査は、発掘作業員約200人を動員して大規模に行われていたが、発掘面積は遺跡全体の3%ほどにすぎなかった。

 ぼくたち考古学の素人の質問は、一点に集中した。「それで、祇園精舎の跡は出てきたんですか?」

 網干教授は、ゆっくりと答えた。「玄奘が書き残している柱が発掘されれば、そこが祇園精舎だと確認できますが、その層は、まだまだずっと下の地中に埋まっています」

 話は飛んで、この秋、高松塚古墳を訪ねる機会があった。網干教授が世紀の大発見をした古墳の現地は、遺構を完全に埋め、2段に土が盛られ芝生が表面に張られていた。

 その近くに『高松塚壁画館』があり、原寸・原色で再現された極彩色の壁画を見ることができる。フロアの奥には、壁画が四方を取り囲んでいた石槨が再現され、「盗掘口部」から内部をのぞき見ることもできる。

 館内は、もちろん、ビデオや写真の撮影は厳禁されている。しかし、ちょっと小太りでいかにもオタクっぽい20代の終わりころの青年が、上着の中にカメラを隠して壁画や石室を片っ端から撮影している。しかも、フラッシュまで炊いている。

 係り員に告げると、撮影をやめさせようと飛んでいった。青年は大慌てで館内を飛び出し、全速力で逃げた。ったく! ネットにでも、自慢げに載せるのか。

 ところで、ぼくは、かつて記事には書かなかったが、網干教授へのひとつの質問を鮮明に覚えている。「祇園精舎に鐘はあったんですか?」

 教授は、さりげなく答えた。「いや、あの時代には鐘なんてまだありませんでしたよ」

 諸行無常の声は、日本の詩人の頭のなかでだけ響いていたのだった。

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» 超うめーww [FUL]
狙い目は不倫女だぞ!! 昨日もパイ乙揉んで熟まんパコパコしたら7マンくれたしwwwww [続きを読む]

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