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平成ニッポンに龍馬はいない

 わが家から少し離れたところに、江戸時代の宿場町を継ぐ古い商店街がある。ウォーキングでそこを歩いていると、坂本龍馬の例の全身写真をプリントしたのぼりが立っていた。

 ここは寺田屋か、と思ったわけではないが、のぼりをよく見ると、下に「司牡丹」と書かれていた。そこは酒店の前だった。ぼくはすぐに納得した。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』にこんなくだりがあったのを、覚えていた。

 「『ささ、一つ、一つ』と、馬と為は注いでまわる。酒は、土佐の佐川郷で吟醸される司牡丹である。土佐人ごのみの辛口で、一升半のんでからやっとほのかな甘味を生じ、いよいよ杯がすすむという酒豪用の酒である」(文庫版第2巻233ページ)。

 馬と為は、龍馬の同志、おどけの甲藤馬太郎と唄上手の川久保為之介のことだ。

 「司牡丹」は、高知市の西に位置する佐川町で醸造されている。佐川出身の維新の志士、明治新政府の宮内大臣も務めた田中光顕伯爵が、この酒を愛飲し、「牡丹は百花の王、さらに牡丹の中の司たるべし」と言って「司牡丹」と命名したという。田中は、海援隊長・坂本龍馬とともに暗殺された中岡慎太郎亡き後の陸援隊副隊長を務めた。つまり、司牡丹の名は明治に入ってからつけられたもので、司馬の記述は、厳密に言えば誤りと言える。

 しかし、司牡丹を造っている竹村家の屋号は黒金屋と言い、慶長8年(1603年)から佐川の地で酒造りをしていた。また、龍馬の本家・才谷屋も、質商、諸品売買などと併せて酒造りを営んでいた。古文書などから、黒金屋と才谷屋には深い交流があり、姻戚関係があった可能性もあるという。

 龍馬が、黒金屋の酒を飲んでいたのはおそらくまちがいない。

 ぼくは、のぼりにつられるように酒店へ入り、迷うことなく司牡丹を買い込んだ。2キロの帰り道、重い一升瓶を抱えて歩いたのだった。

 司牡丹の味を覚えたのは、なんとドイツのボンに住んでいるときだった。日本の銘酒を冷蔵のままパリまで空輸し、パリからヨーロッパの主な日本食品店に届ける会社があった。値段は日本で買うより3倍以上はしたが、たまに飲む日本の味はたまらなかった。

 さて、龍馬は、2010年11月28日に死んだ。NHK大河ドラマ『龍馬伝』のことだ。全48回の平均視聴率は、関東地区で18.7%だったという。前作『天地人』より約2ポイントも低い。

 日本近代史のスーパースターを当代屈指の人気俳優・福山雅治さんが演じた割には、ドラマを観る人が少なかった。福山さん自身、最終回前夜、パーソナリティをしているニッポン放送の深夜ラジオ番組で、「視聴率がなぁ」とため息をついていた。

 司馬遼太郎は、単行本で全5巻、文庫版で全8巻の分量を費やし、龍馬の33年の生涯を書ききった。それを、各45分、全48回のドラマで描くのには無理があるのかもしれない。

 幕末という時代の状況はあまりに複雑で、『太閤記』や『赤穂浪士』のように分かりやすい物語にはなれない。大ざっぱに言えば、天皇親政を実現しようとした勤王派と、徳川幕府を支持する佐幕派に分かれていたが、竜馬はそのどちらとも言えない。

 事実、幕臣・勝海舟に師事して世界情勢を学び、幕府の海軍操練所で訓練を受けていた。その龍馬が、幕府を倒すというドラマなのだから、ある程度予備知識がないと訳がわからなくなる。

 豊臣秀吉のように天下を武力で取るよりも、戦をすることなく天下を明け渡させるほうが、よほど難しい。龍馬は、幕末の時点で世界に例をみない無血での政権返上、<大政奉還>を成し遂げた。そして、新政府の構想を練り、薩摩藩の西郷隆盛や長州藩の桂小五郎などに送った。だが、龍馬は無私の人であり自らの名を要人リストに連ねようとはしない。

 そういう裏方の革命家だっただけに、龍馬の桁はずれのスケールと深さ、幕末の老若男女を魅了した独特の力を知っていなければ、ドラマの面白さも半減するだろう。ドラマより小説向きの物語かもしれない。

 それにしても、龍馬が幕末・明治維新で果たした決定的な役割りは、いつ世人の知るところとなったのだろう。

 司馬遼太郎は、単行本第5巻の「あとがき」で、不思議なエピソードをつづっている。

 明治37年(1904年)、日露戦争の前夜、陸軍は互角に戦えるとしても、日本海軍はロシア海軍に太刀打ちできないのではないか、という悲観論が広がっていた。時の皇后(昭憲皇太后)も神経を病むほど深憂されていたが、日露断交当日の2月6日、夢をみられた。

 白装束の武士が現れ、「南海の坂本竜馬」と名乗った。皇后はその名前を知らなかったが、武士は「海軍のことは当時より熱心に心掛けたるところにござれば、(中略)勝敗のことご安堵あらまほしく」と語った。翌日も同じ武士が夢に現れた。

 「司牡丹」と命名したあの田中光顕・宮内大臣がその件を聞き、龍馬の写真を皇后に届けると、「まぎれもない。この人である」と言われた。この話は「皇后の奇夢」として東京都下のすべての新聞に載り、龍馬を一躍スターダムに押し上げた。

 翌年、日本軍連合艦隊はロシア・バルチック艦隊を圧倒して殲滅し、戦争に勝利する。

 平成のいまの日本に、龍馬が欲しい。よみうり時事川柳にこんな句が選ばれた。

    【秀】幕末に例えど悲し龍馬居ぬ

 注)司馬遼太郎は「竜馬」と書き、大河ドラマなどでは「龍馬」と表記されている。

 --毎週木曜日に更新--

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