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さすらいの渡世人ジャーナリストたち

 エジプトで30年間、独裁者の地位にあったムバラク大統領が、2011年2月11日、辞任に追い込まれた。反ムバラク・デモが18日間におよび、国内は首都カイロを中心に騒乱状態にあった。民衆革命がまたしても成功した。ここでもインターネットが威力を発揮した。

 騒乱の地には、世界中からジャーナリストが集結する。「不肖・宮嶋」として知られる報道カメラマンの宮嶋茂樹さんは、ラジオの電波もとどかないある島での“浦島太郎状態”から抜け出して事態を知り、あわてて空路カイロに入ったという。

 政権が崩壊の危機にあるとき、当局はピリピリとし綱紀も乱れる。週刊文春2月17日号の手記によると、案の定、宮嶋さんは税関でカメラやメモリーカード、充電器など根こそぎ没収された。「ムバラクがこけたら、ワシのカメラはこいつらの退職金代わりになる」「不肖・宮嶋……カメラマン生活27年、最大のピンチである」

 それでも、宮嶋さんには、先乗りしていた同業者たちから「このカメラ余っているから、このレンズ使ってませんから」とうれしい申し出があったという。

 各国のジャーナリストのあいだには、何と言うか、相互扶助の精神がある。フィリピンのマルコス独裁政権を打倒した1986年「ピープルパワー革命 」は、今回の「エジプト革命」以上にドラマチックだった。マルコス大統領はアメリカの手によって国外脱出し、ついに民衆が勝ったのだった。

 ぼくは、マルコス脱出までは、新聞社の東京本社で、現地からの原稿を電話やテレックスで受けたり、アメリカなどからの情報を特派員に伝えたりする仕事をし、革命成就直後の現地に入った。

 そのときが初めての海外取材だったが、陽気なフィリピンのジャーナリストらにずいぶん助けてもらった。民衆革命の種火を熾したのは『コブラ』という名前の集団だった、という特ダネを手に入れられたのも、地元記者の協力があったからだった。

 その翌年、ニューデリー駐在の特派員となってからは、同業者のありがたみがいっそう身にしみた。

 たとえば民族紛争で血生臭い争いがつづくスリランカへ入ると、当時はインターネットなどという便利なものはなく、いま全体の情勢がどうなっているのかさっぱりわからない。ひとり現場で取材活動をしていれば、テレビやラジオのニュースをチェックすることもできないからだ。

 そんなとき、現場で知り合った地元記者たちが親切に教えてくれる。場合によっては、その記者のオフィスに行き、英文の外電を直接読ませてもらうこともある。ジャーナリストって一宿一飯を提供する渡世人みたいなもんだな、とつくづく思った。

 アフガニスタンの首都カブールでは、地元メディアなどというものは機能しておらず、各国から来た特派員同士で助け合った。

 ぼくは、英語のうまいアフガン人のガイドMさんを雇い、チャーターしたタクシーで取材していた。そこへ、「同行させてくれないか」と言ってきたのが、ニューヨーク・タイムズのジョン・バーンズ記者だった。聞けば、長年モスクワ駐在をしていたそうで、アフガンへ来たのは初めてという。彼は「好漢」という言葉がぴったりの男だった。

 「ああ、いいよ」とこちらも気軽に応じた。車中、現地情勢や各国での取材経験を話しながらあちこちを回った。

 ガイドのMさんは、驚くほど人脈が豊富なうえ、ジャーナリズム・センスがあり、政府高官から街の市場を仕切るボスまで、つぎつぎと取材のアレンジをしてくれる。バーンズ記者とぼくは、いながらにしていい情報をどっさり手に入れることができた。約10日間、ふたりでずっと、銃声や砲声が24時間聞こえるなか、取材活動を共にした。

 特派員たちは丘の上のホテルが定宿で、暇なときはレストランに集まって世間話をした。ある日、ジョンが「キサはすごくいいガイドを雇ってる。ほんとにうらやましいよ」と言った。

 すると、イギリス人のロイター通信ニューデリー支局長が言った。「いいガイドっていうのは、強い通貨の国の特派員につくもんだよ。かつてはイギリスのポンドに群がった。その次は米ドルだろ。そして、今は日本円というわけだ」。日本経済がバブルの最中にあったころのことだ。

 それから歳月を経て、日本の新聞にジョンの名前を発見した。旧ユーゴスラヴィア紛争をめぐる記事で、ピューリッツァー賞を取ったのだった! きっと、いいガイドや同業者を確保できたのだろう。

 エジプト革命は、同じ北アフリカのチュニジアで起きた政変に触発されて起きた。中東は激動の時代に入ったが、北東アジアに飛び火することはないのだろうか。

 「民衆の蜂起はやばい」と思う中国の共産党独裁政権は、エジプト情勢について事実上の報道規制をしているという。極寒の2月を迎えた北朝鮮では食糧不足が深刻で、優遇されているはずの兵士たちまで餓死し、核開発を担う部隊が空腹から作業をボイコットする事態まで起きているようだ。

 中国や北朝鮮も騒乱の季節を迎えれば、またジャーナリストが勇んで集結するのだが。

 --毎週木曜日に更新--

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