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神田川のほとりで

 京都へ日帰り出張したおり、賀茂川のほとりを歩いてみた。東日本大震災が起きるより前のことだ。北大路橋を渡り出身大学のキャンパスへ向かった。近道の南門があるが、あえて正門から入った。実に、35年ぶりだった。

 キャンパスにはいろいろな建物が増えていて、記憶よりせまい気がした。各クラブの部室が立ち並ぶ通称BOX街にも行ってみた。クラブ名はところどころ変わっているが、場所も建物も昔のままだった。

 わが「生物愛好会」というサークル名みたいな正式クラブのボックスも、かつての位置にちゃんとあった。学園祭の準備で大騒ぎをしたり、合宿や新入生歓迎コンパの打ち合わせをしたりした日々がよみがえる。

 再び賀茂川を渡って、ぼくの下宿屋があったところを訪ねることにした。途中、「李白」という中華料理店がいまもあった。あのころ隣にも中華の店があったが、いまはない。

 たしかこの辺に銭湯があったはず、と歩いていると、車数台をとめるガレージになっている。でも、柱には「若葉湯」の看板がかかっていた。持ち主が、銭湯を閉めた後にも、記念として残したのだろう。通いつけた銭湯の名もすっかり忘れていたが。

 大学2回生の夏のとても暑い日、ぼくは銭湯が開くのを待ちかねるように入っていった。ゆっくりと汗を流し、大型扇風機で涼んでから出てゆくと、玄関先で彼女が待っていた。驚いているぼくに彼女は言った。

 「こんな日は、きっと銭湯に飛び込んでいるんだろうと思って待っていたの」
 「でも、ぼくが入ってるってよくわかったね」
 「貴方の下駄がそこにあったから」

 そのころの男子学生の流行ファッションは、Tシャツとベルボトムのジーンズに下駄履きだった。ぼくは下駄に印をつけていた。

 彼女は、相当長い時間、炎天下で待ち続けていたようだった。すでに日も傾き始めており、ふたりで賀茂川の岸辺を歩いた。同じようなカップルがいくつかいた。賀茂川はいつもそうだった。

 彼女は大阪から京都のある女子大に通っていたから、中距離恋愛だった。ぼくの下宿屋は男子学生専用だったし、彼女と同棲することもなかったが、そのころ学生のあいだで「同棲」と言えば、ちょっと秘めたような甘酸っぱいイメージがあった。

 ぼくが大学に入った1972年から、『週刊漫画アクション』(双葉社)に上村一夫さんの『同棲時代』が連載された。主人公は学生ではなくOLと無名のイラストレーターだったが、この漫画は学生たちのあいだで評判を呼んでいた。

 学生運動が挫折し、若者たちが日常の小さな幸せを求める時代になりつつあった。ぼくの母校でも政治的なアピールをするタテカン(立て看板)があり、ブント系など過激派の残党が拡声器で檄を飛ばしたりはしていた。しかし、それはもう名残りでしかなく、学生たちは内向きの暮らしに入っていた。

 翌1973年、フォークグループ『南こうせつとかぐや姫』が『神田川』をリリースし、爆発的なヒットとなった。結局、160万枚を売り上げた。

 あえてテレビを持たず、よくラジオを聴いていたぼくは、深夜放送でこの歌を知り衝撃を受けた。同棲経験はなくとも、そのころの日本の若者なら誰でも、ああそうだね、と思う歌詞とメロディだった。

 ♪貴方はもう忘れたかしら 赤い手拭いマフラーにして
  二人でいった横丁の風呂屋 一緒に出ようねって言ったのに
  いつも私が待たされた・・・

 京都を訪れたあと、以前に録画しておいたNHK-BS2の『ザ☆スター 南こうせつ』を見た。そこでは、『神田川』を作詞した喜多条忠さんが出演し、誕生秘話を語った。ぼくの彼女の友だちの家庭教師をしていたという人だ。こうせつさんと電話でこんなやりとりがあったという。

 「アルバムを作るので作詞して下さい」「締め切りはいつ?」「あの、今日です」

 喜多条さんはあわてて書いて、電話でこうせつさんに伝えた。こうせつさんはそれを書き取り、途中からメロディをつけ出した。

 電話を切って2、3分後、こうせつさんから電話がかかってきた。歌詞の1番と2番の行数をまちがえたかな、と思ったら、もう曲ができたという。こうせつさんは受話器を前に、その場でギターを鳴らしながら歌ってみせた。

 喜多条さんは「愛という言葉を使わずに激しい愛の歌を書いてみたかった」と言う。こうせつさんは「詞の言霊を自分のアンテナで読み取るんです」と言う。

 ♪窓の下には神田川 三畳一間の小さな下宿
  貴方は私の指先見詰め 「悲しいかい」って聞いたのよ・・・

 ぼくの下宿は6畳一間で6000円だった。その場所を訪ねると、瀟洒な一戸建てになっていた。道路向かいのネギ畑だった土地にも家が連なっていた。

 学生時代、ぼくは心のなかを流れる神田川のほとりで生きていたのだった。

 --毎週木曜日に更新--

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