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あの日あのとき、何をしていたか

 2011年3月11日午後2時46分は、多くの人にとって、そのときどこで何をしていたか、一生忘れられない記憶となった。

 大震災からひと月あまりも過ぎ、落語家・春風亭昇太師匠の独演会へ行くと、ご本人がまずジーンズ姿で「前説」に登場し、そのときのことを語った。496席の9割以上が埋まっており、自粛ムードの時節にしてはお客さんがよく入っている。

 昇太師匠は、あの日、長野県下諏訪町の蕎麦屋の2階で開かれるミニ落語会に行くため、主催者から新宿発午後2時の列車のチケットをもらっていた。しかし、ちょっと早めに11時の電車に乗って下諏訪に向かった。

 「目的は、えへへ、趣味の城を見に行くためですよぉ」。観客らがどっと笑う。お城マニアぶりは、『笑点』ですっかりおなじみだ。「落語会の主催者は、ぼくを“釣る”のに城の話を持ち出せば何とかきてくれるという魂胆で」。地元の人が駅で迎えてくれて、その城址に向かった。

 「案内してくれるなら、季節というものを考えればいいのに、まだ雪がどっさりあって、城めぐりという雰囲気じゃなかったんです」

 早々に落語会場へ着くと、なんだかざわざわしている。安否を尋ねる携帯メールもたくさん入ってくる。東北で大きな地震があったという。昇太師匠はその時刻、城跡へ向かう車のなかで、しかも諏訪地方は震度2だったからまったく気づかなかった。

 「午後2時の電車に乗っていたら、山梨県の大月あたりで立ち往生していたところでした。あの偉大な噺家・三遊亭小遊三師匠を生んだ町でね」。客席は爆笑する。

 下諏訪町は地震に関係ないから、集まった30人ほどの人を大いに笑わせた。首都圏の電車は不通とかで、講演後、地元でホテルをとってもらった。じゃあ打ち上げでもしますか、ということになり、落語会関係者と居酒屋へ繰り出した。

 その後、久しぶりに会った東海大学の後輩と2次会へ行った。「海」を省略すれば東大だからたいしたもんだ。後輩が連れて行った店は不思議な構造だった。

 店を入るとすぐにカウンターがあり、バーかと思えば、その左手奥には畳敷きの座敷があり居酒屋だ。さらに首を左へ回すと、ソファーが並びなんとクラブの作りになっている。その3種の店が仕切りもなくワンフロアに集まっており、なんとなく落ち着かない。師匠はちょっといやな予感がしたが、まあ飲めればいいやと、畳の席に座った。

 日本酒を飲んでいると、胸を“寄せて上げて”むりやり谷間を作りミニのワンピースを着たクラブのママさん風が乗り込んできた。「地震騒ぎでお客さんもさっぱり来ないから、ご一緒させてもらっていいかしら」。フロアつづきだから、居酒屋もクラブも関係ない。

 そのうち、ママさん風は「お店の若い子たちも呼んでいいかしら」ときた。春風亭昇太、今さら断るのもなんなので、ああいいよ、と言うと、自称「若い子」がどやどやとやって来て、昇太師匠の両側に座った。

 左から注がれ、右から注がれしているうちに、なんかまずいことになったなぁ、と内心ぼやいた。むりやり場を盛り上げて、ではお勘定となったとき、請求書を見てびっくりした。これはていのいいぼったくりバーではないか。

 その日、東北では大津波にいっさいがっさいさらわれた人が無数にいた。昇太師匠は“寄せて上げて”の夜の蝶に、財布の中身をむしりとられたのだった。まあ、そのくらいですんだから幸運というべきか。

 「このごろでは、地震のときになにしてた? が挨拶代わりになってますよね」。昇太師匠は『笑点』司会の桂歌丸師匠のケースを披露した。ちょうど、横浜の歯科クリニックで治療をしてもらっていた。歯を削っているところでぐらっと来た。あわや流血だ。

 横浜は震度5強のなかでも特に強い揺れだった。歌丸師匠はほうほうのていで外へ逃げ出した。道路もぐらぐらしているので、立っておられず四つんばいになって地震がおさまるのを待った。周囲にいた人たちは、不謹慎にも師匠の姿を見てげらげら笑っている。

 ふと我の姿を見ると、年寄りがよだれかけをつけたまま四つんばいになっていた!

 昇太師匠は、人情噺より滑稽噺を得意とする。「前説」だけで、客席を津波ならぬ爆笑の大波に巻き込んだ。このところ沈んでいた気持ちが、独演会で上向きになれた。

 さて、ぼくはあのとき何をしていたか。オフィス兼自宅にいてトイレへ立とうとして、あ、めまいでもしたのかな、と思ったら大きな横揺れがきた。

 リビングでかみさんが「神さまぁ、神さまぁ」と泣きそうな声を出して、高級食器棚を押さえている。いつも沈着冷静、泰然自若のかみさんが、取り乱した姿をはじめて見た。

 揺れはしだいに強くなり、こりゃ首都圏直下型か、と思った。揺れはほんとに長くつづいた。食器棚のワイングラスや皿が音を立てて割れる。ドイツで大枚はたいて買って帰ったお気に入りだったのに。本棚が倒れ床に本が投げ出された。家は激しくきしみ、ガラスの家族写真立ても砕け散った。

 テレビをつけると、東北の想像を絶する光景が映し出されていた。巨大地震が3つもつづけざまに起こり、6分以上も揺れた、とあとで知った。

 百円ショップで買ったコップ類は、1脚も壊れず生き残った! 人生、そんなもんだ。

 --毎週木曜日に更新--

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