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2011年6月

脱原発スピーチ作家の後出しじゃんけん

 有事には、国や個人の品格が表れる。東日本大震災、東京電力福島第1原発事故では、日本の政治が三流、下劣であることを改めて浮き彫りにした。そして、個人はどうか。

 作家の村上春樹氏は、2011年6月9日、スペインのカタルーニャ国際賞の授賞式で、<非現実的な夢想家として>というタイトルのスピーチをした。原発問題が語られたが、その立ち位置には品性のなさ、ずるさがうかがえる。

 毎日新聞ウェブ版は、スピーチテキストの全文を掲載した。村上氏は、倫理や規範といった「簡単には修復できないものごと」について語る。「具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです」

 「何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです」とし、原子力政策を推し進めた政府の責任にも言及する。

 「しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです」

 「これは我々日本人が歴史上体験する、(原爆投下につづき)二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです」

 「原子力発電に危惧を抱く人々に対しては『じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね』という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも『原発に頼るのも、まあ仕方ないか』という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、『非現実的な夢想家』というレッテルが貼られていきます」

 「原子力発電を推進する人々の主張した『現実を見なさい』という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な『便宜』に過ぎなかった。それを彼らは『現実』という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。... 」

 「それは日本が長年にわたって誇ってきた『技術力』神話の崩壊であると同時に、そのような『すり替え』を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう」

 「我々日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です」

 そして、村上氏はこう主張する。

 「我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、『効率』や『便宜』という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく『非現実的な夢想家』でなくてはならないのです」

 一見、格調が高く、高い倫理に基づいたスピーチにも思えるが、根本的な疑問がわく。

 なぜ、村上氏は「我々日本人」という主語を使うのか。スピーチの最後には「言葉を専門とする我々=職業的作家たち」という表現が出てくるが、職業作家としての村上春樹自身が、原発問題をこれまでどう考え、どう表現したり行動したりしてきたかは、ついに語られない。

 これとまったく対照的なスピーチがある。2010年のノーベル文学賞を受賞したペルー出身の作家マリオ・バルガス・リョサ氏(75)は、2011年6月20日に来日し、東京都内で記者会見した。リョサ氏は「私はこの事故が起きるまで、完全に安全な原発が建設できると考えていたが、フクシマ以後考えを改めた」と打ち明けた。ここには、明確に「私」がある。

 日本のマスメディアは、村上スピーチを評価して取り上げ、そこには批判的視点はまったくなかった。ブログなどで絶賛、心酔している<善良な日本人>も散見される。

 これは、第2次大戦に破れ、国際社会から悪者にされた日本人がとった言動を彷彿とさせる。戦後、日本では<一億総懺悔>という言葉が流行った。「日本人みんなが悪かった。だからざんげしよう」というわけだ。その一方で、「日本人はたしかに悪かったが、私はそんな一般の日本人とはちがう」と、日本人でありながら日本と日本人の戦争責任を追及する<反日日本人>がたくさん生まれた。彼らは「私の責任」ではなく「一般の日本人の責任」を追及してきた。そこには、自己保身、自己愛の心理作用が如実に表れている。

 原発をめぐる村上氏の立ち位置は、そうした<反日日本人>と変わらない。後出しじゃんけんなのだ。「フクシマ以後考えを改めた」と打ち明けたうえで、では具体的にどうすればいいかを語るべきなのは、村上氏ではないか。

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国王スキャンダルにみるスウェーデンの本当の顔

 北欧スウェーデンが、カルル16世グスタフ国王(65)をめぐるセックススキャンダルで揺れている。その空騒ぎぶりをみると、いかにもかの国らしい。

 現地の報道内容には一致しないところもあるが、総合すると、およそ次のようないきさつがあった。

 あるとき、グスタフ国王が複数の友人らと首都ストックホルムのストリップクラブへ行き、踊り子ふたりのレスビアンショーなどを愉しんだ。その様子を、恐らくはクラブ関係者が撮影し、金銭あるいは政治目的で利用しようとした。

 その動きを知った国王の親友アンデルス・レットストレーム氏は、2010年11月、マフィアのボスであるミラン・セヴォに接触し、「クラブオーナーが写真を公表しないよう働きかけてくれ」と頼んだ。一部報道では、多額の現金で買い取ることを申し出たが、法外な額をふっかけられたため交渉は不備に終わったという。

 そして半年後の2011年5月19日、国王のストリップ鑑賞と親友の裏交渉の事実が国内メディアによって報道され、大騒ぎとなった。

 民放のTV4は、クラブオーナーに取材したさい、国王がレスビアンショーをみている写真を確認した、と報道した。それによりスキャンダルの信憑性が一気に増した。

 5月23日、レットストレーム氏は各メディアにメールを送り、マフィア組織と接触したことを認めた。そこで問題は、国家元首である国王がストリップクラブに行ったというスキャンダル疑惑にとどまらず、マフィア組織と国王の関与疑惑に発展した。

 国王はすぐに関与を否定する声明を発表したが、メディアからの質問は拒否したため、疑惑は高まる一方となった。

 5月30日、国王はTT通信のインタヴューに応じ、「問題のクラブや、国家元首として行くのが“不適切”な他のいかなる場所へもへ行ってはいない」と語った。さらに、「そんな写真は存在していない」とし、「(マフィアと交渉したとされる)レットストレーム氏の行動にも関与していない」と全面否定した。だが、メディアも多くの国民もその発言をほとんど信じなかった。

 英字メディア、ザ・ローカルによると、スウェーデンでは先ごろ、暴露本『カルル16世グスタフ いやいやながらの君主』がベストセラーとなった。この本のなかで、国王は、有名女性歌手と1年あまり愛人関係にあり、世界各都市でストリップ劇場を訪れていたなど、セックスがらみのスキャンダルが暴露され、国民の顰蹙を買っていたところだった。

 今回のストリップ写真問題の渦中5月28日に公表された世論調査によると、「国王はその地位にとどまるべきだ」と考える人は44%で半数を下回った。また、41%は「娘のヴィクトリア王女に譲位すべきだ」と答えた。1年前の世論データでは64%が国王を支持し、譲位待望論は17%にとどまっていた。今回は、君主制そのものへの支持も、2010年3月の74%から66%にダウンした。

 「どうしてそんなに大騒ぎするの。スウェーデンはポルノもずっと前から解禁されているしフリーセックスの国なのに。国王だって男だから、ストリップくらいいいのでは」

 日本では、こんな感想を抱く人も多いかもしれない。国王の親友が犯罪組織のボスと接触していたという事実をのぞけば、「まあ、そんなこともあるでしょ」と。

 しかし、スウェーデンは、下半身問題に、ある意味日本よりずっときびしいお国柄だ。わざわざ国王の親友が“証拠写真つぶし”を試みたところにもそれがうかがえる。

 ぼくは、1996年の夏、1週間ほどストックホルムを取材で訪れた。人口78万人しかいない、日本でいえば大きな地方都市ほどの規模で、数日歩き回ればだいたいのことが分かる。そして気づいたのだが、この都市には猥雑さや隠微さといった、世界のどの都市にでもあるはずのものがない。リトル銀座はあるが、歌舞伎町も吉原も新宿2丁目もない。

 海があり、石畳の道路があり、洒落て風格のあるビルがたたずんでいる。ある日本の旅行ガイドブックによると、<ヨーロッパで日本人女性観光客に人気No.1の都市>だ。

 でも、ぼくには“隙”のなさがなんだか気に入らなかった。歩いた限り、「ちょっと一杯」といった居酒屋さえみつからず、息がつまりそうだった。滞在最終日の夕食を、ある日本食レストランでとった。カウンターに座り、1970年代の初めにストックホルムへやって来て、以来住みつづけているという日本人の板前さんと話した。

 「そうなんですよ。この国はヘンに整っていますね。フリーセックスとか言ったって、それは日本人が想像しているような、誰とでも寝るといったことではないですからね」

 当然と言えば当然だが、愛し合っているか、少なくとも気に入った相手としか深い関係にはならない。一方で、街には、男性が発散できる風俗産業が、少なくとも表向きはないという。「もてる人はいいですけどね。この国は男性天国どころか、ある人たちにとっては地獄かもしれない」と板前さんは言った。

 国王が訪れたというストリップクラブが、合法か非合法かはわからない。ただ、マフィアのボスが登場するところをみれば、怪しげな場所であるのはまちがいない。

 グスタフ国王のモットーは「スウェーデンのために、時代と共に」だそうだが、きれいごとの国にうんざりしているのは、国家元首その人かもしれない。

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なぜ、日本には<反日日本人>がたくさんいるのか 前編

 100人いれば100通りの歴史観がある、という。その通りだ。同じ国の人間でも、過去の見方、考え方は人それぞれに異なる。でも、それがじつは自分自身の考えではなく、ある機関にコントロールされたものだったらどうなるか。

 2011年5月30日から6月14日にかけ、最高裁はいわゆる「君が代論争」に終止符を打った。学校の卒業式で国旗に向かって起立し、国家を斉唱するよう教師に命じた校長の職務命令は憲法に違反しない、という判断を計3回にわたって示した。

 日の丸に敬意を払わない、君が代を歌わない。生徒にとっても保護者にとっても学校生活でいちばん重要な儀式に、こんな教師がいたらたまらない。国旗・国家法が成立した1999年から11年間に、この問題で懲戒処分や訓告を受けた教職員は、全国でのべ1239人もいるという。

 こんなばかげた国は他にない。なぜ、そんな<反日日本人>としか呼べないような教師がたくさんいるのか。

 マスメディアは最高裁判決を大きなニュースとして伝えたが、反日教師がいる本当の理由を指摘したものは見当たらなかった。日の丸・君が代を軍国主義や戦前の天皇制絶対主義のシンボルとみなし、平和主義や国民主権とは相容れないと考えている人びとがいる、という程度しか触れていない。

 日の丸・君が代裁判の原告である元東京都立高校の教師(64)は、敗訴が確定したのを受けこう語っている。「日の丸を愛することが国を愛することだという短絡的な思考は日本の文化を滅ぼす」。こんなばかげた言葉をわざわざ大きくとりあげているのは、やっぱり、左翼えせ平和主義からいまも脱却できない朝日新聞だ。だから読者離れがすすむ。

 この裁判から、少なくともふたつのことが言える。まず、日の丸・君が代に反対してきた勢力の大半は、公立学校の教師であるという事実だ。市民の血税で暮らしている身分なのに、その境遇に甘え、こともあろうに教育の場で個人の思想信条をアピールする不埒さに、彼らは気づいていない。反対なら職を辞したうえで態度を表明すべきだろう。

 学校教師というのは、はっきり言って、中途半端な知識層だ。深い学識もなく、柔軟な発想にも欠け、他者に洗脳されやすい傾向がある。

 そして、じっさいに「短絡的な思考」をしているのは誰のほうか、ということだ。

 ぼくが2001年に上梓した『<戦争責任>とは何か 清算されなかったドイツの過去』(中公新書)から、2点を簡単にふれておく。

 日の丸は、『続日本起』701年(大宝元年)正月条に記されているのが最初であり、のちに朱印船に掲げられるなど、次第に日本という国の象徴となっていった。君が代の歌詞は平安初期の『古今和歌集』に由来する。つまりどちらも1200、1300年の歴史を持つ。

 軍国主義や天皇制絶対主義のシンボルとなったとしても、長い時間のほんのわずかの期間にすぎない。学校で歴史を教えるときには、縄文、弥生時代までさかのぼるくせに、こと日の丸・君が代に限っては近現代史だけであれこれ言う。しかも、日の丸・君が代がとくに明治期以降、国民の一体化、近代化にどれだけ貢献してきたか、という視点がない。

 さらに重要なことがある。日本の軍国主義や侵略戦争を絶対悪とするのは、<反日日本人>のオリジナルではない、という事実だ。第2次大戦後、日本を占領統治したGHQは、戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画を実行した。それは、“War Guilt Information Program”(WGIP)と呼ばれている。まともな歴史家なら誰でも知っていることだ。

 <反日日本人>の日教組や教師は、みごとにその計画にはまった。ナンセンスな“反日闘争”で、戦後65年を過ぎた現在まで、教育現場を混乱させてきた。彼らは、GHQ占領政策をはじめ日本の歴史を、虚心坦懐に勉強しなおさなければならない。

 日の丸・君が代問題は、日本が第2次大戦に負けたことから由来している。それでは、2大敗戦国のもう一方であるドイツではどうか。

 ヒトラー時代の国旗『カギ十字旗』は、終戦後間もなく占領軍によって禁止された。ドイツでは、いまも刑法で使用が禁じられている。あの旗は、オーストリア生まれの成り上がり者ヒトラーが制定しただけに、ドイツ人はさっさと切り捨てた。現在用いられている黒赤金のドイツ国旗は、ヴァイマール共和国で正式に国旗とされたものを、戦後、復活させたのだった。

 だが、ドイツでも、国歌『ドイツの歌』は君が代とそっくりの問題を抱えていた。日本では『世界に冠たるドイツ』というタイトルで知られ、やはりヴァイマール共和国で正式に国歌とされた。ヒトラーはこれを引き継ぎ、第三帝国のシンボルとして国民を戦争などへ駆り立てた。終戦直後、連合国はこの歌を禁止したが、国民の支持は根強く、1952年、西ドイツの正式な国歌とされた。ただ、歌詞の1番と2番には問題があり、公式には3番だけを歌うことになっている。

 ドイツであれどこであれ、祖国の歴史と伝統を切り捨てることなどできはしない。<反日日本人>教師らは、目をもっと長い歴史や世界に向け、洗脳を解く努力をし、深く反省し、本来の教育に心血を注ぐべきではないか。

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続々・葬式仏教をぶっとばせ! 映画『ブッダ』から

 ふた昔前、ニューデリー特派員をしていてインド亜大陸を飛び歩いているとき、入国審査カードには必ず<宗教>の欄があった。「無宗教」と書きたいところだったが、あの地域で宗教をもたないということはありえなかった。そう書けば、まず、別室へ連れて行かれねちねち問い詰められただろう。

 それならば、「神道信徒」と書こうか、と思ったこともある。日本特有の神道は、英語でもいちおうShinto、 Shintoistという言葉はあるが、国際的知名度はゼロに等しい。第一、神道は宗教と言えるのかどうかもわからない。

 そんな怪しいことを書けば、入国を認める代わりにワイロを要求される恐れもないとは言えなかった。しかたなく「仏教徒」と書くことにしていた。実家は禅宗の臨済宗妙心寺派で、その家に生まれたのだから“立派な仏教徒”ではあるが、主観的には無宗教に近い。美術としての伽藍や仏像は大好きでも、仏教の葬式や法事はなんだか居心地が悪い。

 映画『ブッダ ー赤い砂漠よ!美しくー』を観ながら、そんなことを思った。手塚治虫の漫画が原作で、今回公開されたのは、釈迦の誕生から青年期までだ。全生涯は3部作になるらしい。

 手塚治虫はこんな言葉を残しているそうだ。「ぼくは、釈迦、つまりシッダルタをめぐる人間ドラマを描こうとしているんです。(中略)しかし、仏陀の生きざまだけでは、噺が平坦になってしまうでしょう。その時代のいろいろな人間の生きざまというものを並行して描かないと、その時代になぜ仏教がひろまったか、なぜシッダルタという人があそこまでしなければならなかったか、という必然性みたいなものが描けません」

 映画第1部では、釈迦が生まれた約2500年前のインド、とくにカースト制による厳しい差別が克明に描かれる。ここでは、むしろ主人公は、シャカ国の王子として生まれたシッダルタではない。奴隷の身分から将軍の養子となったチャプラという人物を中心に描かれる。

 カーストには、司祭階級のバラモン、貴族・武士階級のクシャトリア、平民のバイシャ、肉体労働者・奴隷階級のスードラ、そして、カーストに属さない最下層のアウトカーストに大別される。

 クシャトリアに生まれたシッダルタを描くための対比として、手塚治虫はスードラ出身のチャプラを登場させた。チャプラは、シャカ国を征服しようとするコーサラ国の将軍を助けたため、将軍の息子となった。

 戦でチャプラは大殊勲をあげたが、やがて本当の出生がばれてしまい、ついには母親とともに死へと追いやられてしまう。

 当時のインドは、そしてある意味ではいまも、出身カーストが絶対的な存在となっている。チャプラはカースト制に殺されたとも言える。

 ぼくは、2009年に上梓した『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』で、現代のインド社会、とくに個人的体験としてのカースト制を描いた。2500年前には、その厳しさは現代の比ではなかっただろう。

 カースト制はヒンドゥー教に基づくものだ。少年から青年へといたるシッダルタは、その宗教社会に根本的な疑問を抱き、従者もつけず修行の旅に出る。映画第1部はそこまでで終わる。

 第2部以降で、シッダルタは苦行ののち、身分差別を否定する新しい宗教、つまり仏教を広めることになる。

 仏教国のひとつである日本ではいま、『超訳ブッダの言葉』(小池龍之介著)などブッダ関連の書籍がよく売れているそうだ。日本にカースト制はないが、葬式仏教という言葉に象徴されるように、真に人びとを救う宗教あるいは思想に欠けるからだろう。多くの人たちは、既存の宗教に不信感を抱き、たとえば仏教の原点を探ろうとしているのだろう。

 日本の仏教をめぐっては、誤解も多い。正確に理解することもなく、仏教徒の家に生まれたから自分も仏教徒だ、といういわば惰性で生きている。

 それは、リーダーも例外ではない。2009年末、小沢一郎氏は「仏教では死ねばみな仏さま。ほかの宗教で、みんな神さまになれるところがあるか」と息巻き、キリスト教、イスラム教関係者などの反発を招いた。

 2001年に請国神社を参拝して論争をまきおこした当時の小泉純一郎首相も、「日本の国民感情として、亡くなるとすべて仏(神)さまになる」と宗教観を述べた。

 しかし、仏教学者の末木文美士氏は、これらの宗教観はすべて誤解によるものだとする。「人が死んで神となるのは、古くは菅原道真のように、恨みを呑んで死んでいった人だけで、一般の人が神となれるわけではない」

 こうも言う。「そもそも日本以外の仏教では、仏は特別な存在であるから、誰でも死んだら仏さまになるなどということはありえない」

 ブッダは、「死後のことは解答不能の問題だ。それについて思い煩ってはならない」と戒めた。葬式仏教、とくに戒名など日本の坊主が稼ぐためにでっちあげたものだった。

 『ブッダ』を観て、もう一度、仏教の原点に立ち返ろう。

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山の幸にこの季節を思う

 持病の腰痛が久しぶりにうずく、と思ったら、季節が曲がり2011年の梅雨入りをした。関東地方では例年より12日も早いという。

 雨のなか、かみさんと、毎週土曜日午前のルーティーンとなっているスーパーへの買い出しに出かけた。ぼくは、洋服などの買い物はめんど臭くてきらいだが、食いしん坊なだけに食品・食材のショッピングは大好きだ。

 夫婦で行くスーパーは、大中小あわせて20か所ほどもある。そのなかでもとくにお気に入りなのが、スーパーVだ。全国チェーンの大型スーパーは、いつ行ってもほとんどおなじ品揃えで、個性や季節感があまり感じられない。その点、スーパーVは野菜にしろ魚介類にしろ、行くたびに顔が変わっており、かなり遠くから車を飛ばしてくるファンも多い。

 その野菜売り場で、かみさんが「あ、姫竹を売ってる」と声をあげた。近づいてみれば、「青森産、天然物」と書かれている。太さが2~3センチ、長さ25センチほどで、10本前後入って298円だ。遠く青森から東北自動車道をトラックに揺られてきたのかと思えば、感慨深いものがある。大震災では高速道路も止まったが、少しずつ着実に復興しているのだろう。

 姫竹はチシマザサ(千島笹)が一般的な名前で、姫たけのこ、笹たけのこ、さらにはネマガリタケ(根曲がり竹)などとも呼ばれている。

 その姫竹を、サバの水煮、スライス玉ネギといっしょに鍋に入れ味噌汁にすると、奇跡のコラボとなる。この季節ならではの山の幸といつでも手に入る海の幸が出会い、風味豊かな絶品となる。

 その味を知ったのは、駆け出しの新聞記者として赴任した長野市だった。そのことは、2010年6月3日、「ある竹とサバの奇跡的ハイブリッドに、この季節を思う」と題して書いた。文末に取り寄せ方法を書いておいたら、ちょっとした反響があった。本編は、そのパートⅡだ。

 取り寄せの場合、約500グラムでプラス500円の送料がかかる。それに比べ、近所のスーパーで買うのはうんと安い。

 それにしても、タケノコとサバの水煮をあわせることを考えた人はすごい。長野市出身のかみさんによると、海のない山国信州では、サバの水煮をいろんな料理に使うという。カレーの出汁にもするそうだ。そんな風土から生まれた一品なのだった。

 個性的な品揃えで知られるスーパーVには、10年以上通っているが、姫竹が売られていたのは初めてだった。これを買った人は、どんな料理にするのだろう。「サバ水煮と玉ネギを入れて味噌汁でどうぞ」と、レシピがつけられていればパーフェクトなのだが。

 山の幸といえば、かみさんの友だちに奇特な人がいる。新潟県・越後湯沢出身のHさんで、10数年前から山菜採りにはまっている。春の訪れを待ちかねて毎週のように郷里へ帰り、さまざまな山菜を採ってきて、わが家へも届けてくれる。

 近ごろは山林の所有権もうるさく、どこでも勝手に山菜を取るというわけにもいかないようだが、Hさんはどうしているんだろう。「実家の裏山がスキー場でね。春になれば誰もいないから、どんどん採っていいの」

 Hさんは車を運転しないから、わざわざ上越新幹線で里帰りするのだという。かみさんは、感心して言う。「腰が悪くいつもコルセットをつけているのに、それで山菜を採るんだから、よっぽど好きなのねぇ」

 先々週は、ワラビとウドをどっさり持ってきてくれた。かみさんが「いつも、すいませんね」というと、「ううん、私は採るのが楽しみだから」とHさんは笑ったという。かみさんは、思わず「私は、もらうのが楽しみだわ」と答えたそうだ。

 天ぷらにするとタラの芽よりも美味で、“山菜の女王”とも呼ばれるようになったコシアブラをくれたこともある。かつては食用にされてはいなかったが、近年、独特の風味がとてもおいしいと注目されるようになった。

 Hさんも、「コシアブラを採るようになったのは、最近よ。それまでは知らなかったわ」と言う。

 皮がツルっと刀のさやのように剥けるため、地方によっては「刀の木」とも呼ばれている。分布は北海道、本州、四国、霧島山以北の九州というから、けっこうどこでも採れる。

 コシアブラという和名は「漉し油」を意味しており、樹脂を採って利用したことからきているそうだ。コシアブラの木は高さ15~20メートルほどと大きくなる。里山から高山の林地にまで自生しており、奥山では雪どけ時の7月なかごろまで採取できる。全部採ってしまうと枯れるので、必ず1芽は残すのがルールという。

 天ぷらのほか、和え物やおひたしやなどにしても良く、保存食として塩漬けにすることもできる。

 残念ながら、Hさんのご主人や娘さんは、山菜があまり好きではなく、したがってわが家が主要消費地となっている。新幹線代を考えると、大変な高級食材だ。

 スーパーVで買った姫竹は、さっそく夕食にかみさんが料理し、ぼくは大碗でおかわりした。Hさん、来年は姫竹もお願い。

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