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続々・葬式仏教をぶっとばせ! 映画『ブッダ』から

 ふた昔前、ニューデリー特派員をしていてインド亜大陸を飛び歩いているとき、入国審査カードには必ず<宗教>の欄があった。「無宗教」と書きたいところだったが、あの地域で宗教をもたないということはありえなかった。そう書けば、まず、別室へ連れて行かれねちねち問い詰められただろう。

 それならば、「神道信徒」と書こうか、と思ったこともある。日本特有の神道は、英語でもいちおうShinto、 Shintoistという言葉はあるが、国際的知名度はゼロに等しい。第一、神道は宗教と言えるのかどうかもわからない。

 そんな怪しいことを書けば、入国を認める代わりにワイロを要求される恐れもないとは言えなかった。しかたなく「仏教徒」と書くことにしていた。実家は禅宗の臨済宗妙心寺派で、その家に生まれたのだから“立派な仏教徒”ではあるが、主観的には無宗教に近い。美術としての伽藍や仏像は大好きでも、仏教の葬式や法事はなんだか居心地が悪い。

 映画『ブッダ ー赤い砂漠よ!美しくー』を観ながら、そんなことを思った。手塚治虫の漫画が原作で、今回公開されたのは、釈迦の誕生から青年期までだ。全生涯は3部作になるらしい。

 手塚治虫はこんな言葉を残しているそうだ。「ぼくは、釈迦、つまりシッダルタをめぐる人間ドラマを描こうとしているんです。(中略)しかし、仏陀の生きざまだけでは、噺が平坦になってしまうでしょう。その時代のいろいろな人間の生きざまというものを並行して描かないと、その時代になぜ仏教がひろまったか、なぜシッダルタという人があそこまでしなければならなかったか、という必然性みたいなものが描けません」

 映画第1部では、釈迦が生まれた約2500年前のインド、とくにカースト制による厳しい差別が克明に描かれる。ここでは、むしろ主人公は、シャカ国の王子として生まれたシッダルタではない。奴隷の身分から将軍の養子となったチャプラという人物を中心に描かれる。

 カーストには、司祭階級のバラモン、貴族・武士階級のクシャトリア、平民のバイシャ、肉体労働者・奴隷階級のスードラ、そして、カーストに属さない最下層のアウトカーストに大別される。

 クシャトリアに生まれたシッダルタを描くための対比として、手塚治虫はスードラ出身のチャプラを登場させた。チャプラは、シャカ国を征服しようとするコーサラ国の将軍を助けたため、将軍の息子となった。

 戦でチャプラは大殊勲をあげたが、やがて本当の出生がばれてしまい、ついには母親とともに死へと追いやられてしまう。

 当時のインドは、そしてある意味ではいまも、出身カーストが絶対的な存在となっている。チャプラはカースト制に殺されたとも言える。

 ぼくは、2009年に上梓した『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』で、現代のインド社会、とくに個人的体験としてのカースト制を描いた。2500年前には、その厳しさは現代の比ではなかっただろう。

 カースト制はヒンドゥー教に基づくものだ。少年から青年へといたるシッダルタは、その宗教社会に根本的な疑問を抱き、従者もつけず修行の旅に出る。映画第1部はそこまでで終わる。

 第2部以降で、シッダルタは苦行ののち、身分差別を否定する新しい宗教、つまり仏教を広めることになる。

 仏教国のひとつである日本ではいま、『超訳ブッダの言葉』(小池龍之介著)などブッダ関連の書籍がよく売れているそうだ。日本にカースト制はないが、葬式仏教という言葉に象徴されるように、真に人びとを救う宗教あるいは思想に欠けるからだろう。多くの人たちは、既存の宗教に不信感を抱き、たとえば仏教の原点を探ろうとしているのだろう。

 日本の仏教をめぐっては、誤解も多い。正確に理解することもなく、仏教徒の家に生まれたから自分も仏教徒だ、といういわば惰性で生きている。

 それは、リーダーも例外ではない。2009年末、小沢一郎氏は「仏教では死ねばみな仏さま。ほかの宗教で、みんな神さまになれるところがあるか」と息巻き、キリスト教、イスラム教関係者などの反発を招いた。

 2001年に請国神社を参拝して論争をまきおこした当時の小泉純一郎首相も、「日本の国民感情として、亡くなるとすべて仏(神)さまになる」と宗教観を述べた。

 しかし、仏教学者の末木文美士氏は、これらの宗教観はすべて誤解によるものだとする。「人が死んで神となるのは、古くは菅原道真のように、恨みを呑んで死んでいった人だけで、一般の人が神となれるわけではない」

 こうも言う。「そもそも日本以外の仏教では、仏は特別な存在であるから、誰でも死んだら仏さまになるなどということはありえない」

 ブッダは、「死後のことは解答不能の問題だ。それについて思い煩ってはならない」と戒めた。葬式仏教、とくに戒名など日本の坊主が稼ぐためにでっちあげたものだった。

 『ブッダ』を観て、もう一度、仏教の原点に立ち返ろう。

 --毎週木曜日に更新--

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