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2011年8月

悪質なのはそっちだろ 悪質会員撲滅をうたうサイト

 「オタク、何なんですか?」。やっぱり、本物のオタクは相手をオタクって呼ぶんだ。とても新鮮で、思わず笑ってしまった。

 「公式☆サイト」という発信者名のメールがとどいた。怪しげだが、ちょっと気になって開いてみた。

 <おめでとうございます!以前ご登録いただきました【懸賞トラベル.net】主催のプレゼントキャンペーンにて、○○様は見事B賞の当選権を獲得されました!>

 <このご案内はスポンサーサイトの協力により配信されています>。いかにもありそうなことが書かれている。

 一瞬、そんなサイトに登録したかな、と考える。<A賞はヨーロッパ・ファーストクラスの旅 mari_ko**様 B賞は現金50万円で○○○○様(ぼくの実名)>。C賞は現金5万円で、そこにも実名らしき漢字名が載っている。

 登録した覚えのない懸賞で現金50万円とはやっぱりおかしい。それにA賞はハンドルネームで、B賞、C賞の当選者だけ実名なのはなんだ。とは思いながらも、人間というのはお金に弱い。こんなメール無視しようと考えつつ、リンクされたサイトへ飛んでみる。

 プロフィール欄があり、ぼくがあらかじめ登録したことになっている年齢がなんと99歳で、その他の項目は<非公開>になってる。いい加減な話だが、送り手はきっと、どこかで入手したアドレスと名前を使って特定多数にこんなメールを送りつけているのだろう。

 当選番号というのが記載されており、それを返信メールのフォーマットに記入して送るよう要求している。現金50万円なんてうそに決まっているが、こんなメールを送りつけていったい何をしようとしているのか。

 試しに返信してみると、<小切手を郵送しますので、振り出し用の銀行支店名をお知らせください>ときた。面倒くさいなとは思いながらも、適当な支店名を入力して送ると、今度は、年齢、性別を聞いてきた。それにも適当に答えると、<年齢・性別、確認致しました。賞金は、米ドルにて振り出されます>。

 日本のサイト業者が日本の銀行振り出しの小切手を米ドル建てにするとはなんだ。日本円で送るよう指定すると<【日本円】確認致しました。送金小切手を受取通貨にて作成致します>ときた。

 この間、1日にメール1往復というペースだから、相手もかなり気長ではある。そうしたら、まったく同じメールアドレスからこんなメールがとどいた。

 <送信者:霊能師・北原みこ 「お悩みをお持ちですね」>。よけいなお世話だ。一連のメールは、占いサイトへ引き込む手口だったのか。すると、さらに同じアドレスから、こんなメールがきた。<送信者:【保証人不要・審査なし・無利息】担当:上杉>。今度はサラ金の案内か。ところが、次のメールでは様相が一変した。

 <送信者:大人の関係 手っ取り早く会って楽しみませんか?熟女が無理と言われてしまえばそこまでですけど、私の体でも抱けるのであればお返事下さい>

 売春斡旋まがいのサイトなのか。こういうメールの一方で、例の賞金をめぐるメールも相変わらず送ってくる。もうわずらわしいから無視していると、こんなメールがきた。

 <【当選番号:71240】○○○○様は現在、送金保留状態となっております>。そして、<ポイントが足りません>と言ってきた。

 ポイントって何のことか、と最初のメールまでさかのぼって調べると、270ポイントとなっていて、メールを送るたびにその数字が減っている。そして、ポイントは銀行振り込みかクレジット決済など7つの方法で購入することができるとある。

 これで、ようやく狙いがわかった。「賞金を入手するためには、ポイントを買ってさらにメールのやりとりをする必要がある」ということらしい。賞金50万円というのに惑わされてポイントを購入する人もいるのだろうか。ポイントを追加、追加で買わせてメールのやりとりをし、結局は賞金を払わないのなら、新手の詐欺だ。

 相手のサイトをよくチェックすると、ほんとかうそか、ある有限会社名と都内の住所、代表者名、電話番号などが掲載されている。面白いからサイトにある電話番号にかけてみた。すると、電話に出た男性は会社名を名乗った。ほんとにそんな会社があるんだ。

 「○○○さんはいますか?」。代表者名をあげると、「いまはいません」という。懸賞について、「うちは出会い系の会員サイトで、懸賞なんかやっていません」と否定する。「出会い系のメールと同じアドレスから懸賞関係のメールがとどくんですけど」。一瞬の沈黙のあとバカなことを言う。「それはアドレスが勝手に使われているんでしょう」

 いろいろやりとりをしたあと、「あなた、○○○さんでしょ?」と代表者名を出すと「はい」と認めた。そして「オタク、何なんですか?」ときたのだ。

 「メールのやり取りをくり返し、ポイントを買わせて、結局、賞金を払わないなら立派な詐欺になりますよ」。そう言うと、相手は絶句した。犯罪の可能性があるなんてほとんど意識しないまま、こんな手の込んだシステムを作って運営しているのだろう。

 サイトにこんな表示があり、思わず笑ってしまった。<当出会い系コミュニティーでは悪質会員撲滅運動を実施しております>

 --毎週木曜日に更新--

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ドイツ人はビールを決して注ぎ足さない

 2011年夏、なでしこJAPANのW杯ドイツ大会優勝に沸く日本へ、ヨーロッパからもうひとつ大変なニュースが入って来た。でも、一部のネットニュースが伝えただけで、マスメディアは見向きもしなかった。

 『アサヒ スーパードライ』が、125年の歴史をもつ世界で最も権威のある国際ビール品評会で、最高の賞<チャンピオンビール>に輝いた。もちろん、日本のビールメーカーとしては初の快挙だ。

 この品評会は、イギリスで数年に一度、不定期で開かれる「ブルーイング・インダストリー・インターナショナル・アワーズ」(BIIA)といい、スーパードライは、42か国796銘柄の中から「樽詰めラガー」部門のチャンピオンとなった。

 ぼくはビール党ではないが、ビールを飲むとすればスーパードライを好む。ドイツに住んでいるときも、あのコクのあるスーパードライの味が懐かしかった。チェコやドイツ、ベルギーといったビールの本場の味と決定的にちがうのは、スーパードライにはコーンスターチが入っているからだそうだ。これは、アサヒビール本社に電話して確認したことだ。

 ドイツには、ビール純粋令というものがある。1516年、バイエルン公国のヴィルヘルム4世が制定したとされる。要するに「ビールは大麦、ホップ、水のみを原料とすべし」と定めたものだ。純粋令はやがて、ドイツ全土に広がった。統一後の1993年、ドイツ政府はビール純粋令をビール酒税法の一部として改めて法制化した。つまり、法律によってビールの質を確保しているわけだ。

 そういうなかにあって、ドイツ人に言わせれば“不純物”であるコーンスターチ入りのビールが世界的に認められたのはすごいことではないか。

 ドイツで暮らしていて痛感したことだが、ソーセージやシュニッツェルなど地元料理には、純粋令に沿って作られたビールが確かに合う。だが、寿司をはじめとする日本食がヨーロッパでもブームとなるなか、それに合うのはやはりスーパードライのようなコクのある味と舌ざわり、喉越しなのだ。だから、スーパードライの快挙は、ある意味、日本の食文化の勝利ともいえる。

 ドイツのビールを飲んで、「こんなものか」といまひとつピンとこなかった非ビール党のぼくとしては、今回の受賞に溜飲がさがる思いがする。やったね、アサヒ!

 それにしても、ドイツ人のビールの飲み方へのこだわりは、ぼくたちの想像を超える。ビールにまつわるエピソードにはこと欠かないが、たとえば、ミュンヘン大学神学部生のマーティン君を思い出す。ぼくが新聞社のボン支局で使っていた美人助手ザビーネ嬢の幼馴染で、ミュンヘンへ初めて出張したとき、現地に知り合いがだれもいないので紹介してもらった青年だ。

 「神学部とは立派だね」と感心していうと、彼は、「そんな大層なことじゃないんです」と照れた。ドイツ北西部生まれの彼は、憧れの古都ミュンヘンに住んでみたくて、進学のときミュンヘン大学を志望した。ところが、成績がいまいちで入れる学部は神学部だけだったという。

 まあ、敬虔な神学生ではないわけだが、それはさておき、ビールの飲み方へのこだわりには感心させられた。日本人なら、瓶ビールを飲むとき、グラスに向けて注ぐのがふつうだが、マーティン君はまず、グラスを瓶にかぶせた。そして、瓶とグラスを両手でそれぞれに持ち、一気にひっくり返す。ビールが3分の2ほど入ったところで止め、泡がおさまるのをじっと待つ。そのあと、ビールをさらに注いでグラスを一杯にし、それからぐっと飲むのだ。

 ビールのうまさを泡で閉じ込めるには、この方法が一番という。

 ぼくが試しにやってみると、ビールが大量にこぼれてしまい、マーティン君に笑われた。ドイツ人は、この注ぎ方を、ある年齢になったら大人に教えてもらって練習するのだそうだ。

 日本人は、誰かといっしょにビールを飲むとき、さあもうちょっといかが、と注ぎ足しあう。その話をマーティン君に話すと、一笑に付された。「ビールの旨さをぶち壊す飲み方じゃないですか」。まあ、あれはあれで日本の交際文化なのだが。

 ある夏の日、マーティン君が帰省のとちゅうでボンへ寄るという。ザビーネ嬢に「歓迎宴を開こうじゃないの」とぼくが提案し、彼女の恋人も入れて4人でライン河畔のビアレストランへ行った。

 ジョッキ生ではなく、あえて瓶ビールを注文し、みんながどうやって注ぐのかチェックした。やはり一番うまいのはマーティン君で、ザビーネ嬢の恋人も上手なほうだった。ザビーネ嬢は「ふだんあまり飲まないから」と、ぎこちなかった。

 からっとした夏のドイツの野外で、ビールを飲むのは最高だ。でも、今年は冷夏で最高20度前後と肌寒く、夏を待ち焦がれていたビール党には残念な状況だそうだ。

 ぼくがいたころ、ドイツで日本食ブームはまだ起きておらず、日本のビールを飲んだ記憶がない。いま、マーティン君らがコーンスターチ入りのスーパードライを飲んだら、どんな感想を持つだろう。

 --毎週木曜日に更新--

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日本の花火をクールジャパンの平和な核弾頭に

 新潟県長岡市の大花火大会は、いきなり「フェニックス」ではじまった。幅が2.8キロにもおよぶ超ワイド、圧倒的スケールのスターマインだ。

 もともと、この花火は、2004年の中越大地震からの復興を祈願して制作されたそうだ。不死鳥とは、よくも名づけた。

 素晴らしいのは、これを打ち上げるためのコスト約1000万円をはじめ、花火の作品群を打ち上げるためのコストが、一般市民や地元の企業、団体の寄付、協賛によって行われているという事実だ。花火の迫力だけでなく、毎夏、それだけのお金が集まっていることにも感動する。いかに、長岡市民が、フェニックスをはじめとする花火を誇りにしているか。

 夏休みをとって、かみさんと新宿発の花火バスツアーに参加した。関越道を走りつづけて5時間近くかけ、長岡市へ着いた。市内はすでに渋滞しており、臨時バス駐車場へたどり着くまでさらに時間がかかった。

 信濃川河川敷の観覧席へは、約1キロ歩かなければならない。ぼくたちの観覧席は、6人用のマス席で、50代のおばさん4人グループといっしょだった。おばさんたちは、凍らせたゼリーやビール、オードブルのおつまみなどを大量に持ち込み、早くも宴会ムード満開だ。まったく、よくしゃべり、よく食べる。

 花火が打ち上がるまでには、まだまだ時間があるが、することもないので、引換券で受け取った特製弁当を開く。見た目、原価は300~400円くらいか。ツアー代金から考えると、かなりのぼったくりに思える。とはいえ、何とか花火大会が開かれるだけでも幸運だった。

 わずか3日前、新潟・福島を豪雨が襲った。テレビニュースで見ると、信濃川も大洪水で、とても花火どころじゃないと思えた。翌日になっても水が引いた様子はなく、長岡市観光課に電話してみた。

 「決行するかどうか、いま協議しているところです。雨は小降りにはなっていますが、まだどうなるかわかりません。河川敷の観覧席も水没していますし」

 そのときは絶望的にも思えたが、水は引き、どうにか間にあった。突貫工事でヘドロを取りのぞき、砂や石灰をまいて会場を設営しなおしたそうだ。

 ツアーの添乗員さんが、ぼくたちの観覧席に来て言った。「団体客のキャンセルがありました。ここは混みあっていますから、席を移られてもいいですよ」

 かみさんとぼくは、4人組に別れを告げ、さっそく移動した。「1マス2万円」と長岡市のウェブサイトにはあったが、それをふたりで独占することができた。ひとり1万円の超特等席だ。夕方になって、空の色、雲の形が刻々と変わる。ぼくたちは仰向けに寝そべって大空を見上げた。野外で寝そべるなんて、何十年ぶりだろう。視界をさえぎるものはなにもなく、時おり、コウモリが飛んでいく。

 正規の開会の前に、<メッセージ花火>というのがあった。個人がポケットマネーを出し、誰かへのメッセージを込めて打ち上げてもらう。場内アナウンスを聞いていると、兄の霊に向け弟妹が連名で5号、7号、10号を上げた。亡き母への花火もあった。グレープの歌『精霊流し』のように、いとしい人が空の上から見ているのだろう。こんな企画も悪くない。

 フェニックスはそのあと炸裂した。前夜には、宮城県石巻市で長岡の花火師らがミニ版のフェニックスを打ち上げたのだという。石巻市に持ち込まれたのは、もちろん東日本大震災からの復興を祈ってのことだ。そのため、長岡市でもこの夜、本番1発目に選ばれた。

 デザイン的にもっとも素晴らしかったのは、19番目に打ち上げられた「天地人花火」だった。2009年の大河ドラマ『天地人』を記念して、長岡にゆかりのある戦国武将、直江兼続の生涯をテーマに作られたものという。七色の光線がリズムよく飛び交い、同時に打ち上がる大中小の花火の炸裂音が腹に響く。ド迫力、華麗、あまりにも華麗な作品だった。

 地元の企業40社が名を連ねて、この花火に協賛していた。長岡市の花火大会は2日間にわたり、計2万発が打ち上げられる。人口28万3000人というから、そう大きな市ではない。花火大会による経済効果が期待されるとはいえ、ひとつの地方都市でこれだけの規模、質のイベントを毎年挙行できるのは、やっぱりすごい。

 森民夫市長のスピーチによると、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六・連合艦隊司令長官が長岡市の出身で、その縁からハワイのホノルル市と交流を深めており、来年3月、その地で長岡花火を打ち上げるという。4月には、ワシントンDCポトマック河畔の桜祭りでも打ち上げるそうだ。どんどん世界に進出すればいい。

 ぼくは、ドイツのボンに住んでいるとき、わが家のすぐ近くで行われたライン川花火大会に、たくさんの在留邦人家族を呼んだ。大いに期待していたのに、「え、これだけ?」というしょぼいレベルだった。アジアの2、3の国でも花火大会を見たことがあるが、質も量も日本の花火には遠くおよばなかった。

 外国人が、日本の花火大会を見れば、大感激するのはまちがいない。日本の繊細な技術力や美的センス、チームワークがもっとも華麗に凝縮されているのが花火だ。

 政府は、外国人観光客の誘致に力を入れている。各地の花火大会を<クールジャパン>の目玉に加え、日本ファンの度肝を抜けばいい。まさに、“平和の核弾頭”として。

 --毎週木曜日に更新--

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ビール+焼酎 君は日の丸を背負って戦ったことがあるか

 すべては1本のまちがい電話からはじまった。ぼくが、新聞社のドイツ・ボン支局に駐在していたときのことだ。

 受話器をとると、日本人女性の声だった。ちょうど暇な時間帯だったので日本語で雑談をした。その女性Sさんは、長年、フランクフルトにあるドイツ人経営の会社に勤務しているという。特派員をしていてもドイツ企業の実態はあまり知らないので、どんな勤務をしているか、同僚と飲みにいったりすることはあるのか、など思いつくことを聞いてみた。

 「ドイツでは、会社の同僚と酒を飲んだりすることはまずないですね」。誰かの誕生日などに、缶ビールを買ってきてオフィスで乾杯し、30分ほど歓談してそれでおしまい、ということはあるそうだ。

 第2次大戦後かららしいが、ドイツ人、とくに旧西ドイツの人たちは個人主義を徹底してきた、と聞いたことがある。定時になると、さっさと仕事を切り上げ、家に直帰して家族と過ごしたり、自分の趣味の時間を持ったりする。飲みにいく相手は友人や趣味仲間がほとんどだそうだ。

 そういう話をしているうち、Sさんとすっかり打ち解け、「じゃ、今度、そっちへ出張したらお会いしましょう」と連絡先を聞いた。

 それから2、3か月後、フランクフルトへ取材にいく用ができた。夕方、Sさんに滞在ホテルへ来てもらった。

 「ビールのとってもおいしいところがあるから、ご案内しますね」。Sさんは、初対面のあいさつもそこそこに、タクシーをつかまえ、どこか目的地を運転手さんに告げた。

 20分くらい走っただろうか。そこは、ビールの醸造元だった。ビアレストランが併設されており、できたてを味わうことができる。店は細かく仕切られ、コの字型の長いすの中央にテーブルがあって、日本の居酒屋を思い出させる。

 店は混んでおり相席になった。いずれも巨漢の中年ドイツ人4人で、うちひとりは女性だった。

 Sさんとぼくは、簡単な自己紹介をした。先客はいずれも大ジョッキでがんがんやっている。「いける口ですか?」。Sさんはぼくにちょっと聞いてから、大ジョッキふたつとフランクフルトソーセージを注文した。

 本場のフランクフルトソーセージは、1人前が必ずペアになって皿に乗せられてでてくる。権威のある国際コンクールで優勝して、一躍、有名になり、世界中でソーセージの代名詞になったが、ヨーロッパ以外で本物を口にすることはめったにない。日本で「フランクフルトソーセージ」と俗に呼ばれているものは、本場物とは似ても似つかない。

 相席のドイツ人たちは、ぼくが日本から来て間もないことを知ると、ドイツのビールとフランクフルトソーセージについて、口々に講釈をはじめた。もちろんドイツ語だ。醸造用語などはむずかしいが、話の内容はだいたいわかる。

 最初から気になっていたのだが、巨漢のドイツ人たちは、ジョッキを傾ける合間にぐい呑みそっくりのものを口に持っていく。

 「あれ、なんですか?」。Sさんにこっそり聞いてみた。「ああ、あれは、焼酎を飲んでいるんですよ。ビールだけじゃアルコール度数が低くてそうそう酔わないから、ああやって焼酎をちびちびやるんです」

 ドイツ人客のひとりが、ぼくのジョッキが空きそうになるのを見ていった。「独日友好のために、1杯おごります!」。ぼくも中3からアルコールには親しんでいて、いささかの自信があり、受けて立つことにした。

 おごってくれた人のジョッキが空になるのを待ちかまえて、ぼくはいった。「日独の友情のために、1杯ごちそうします」

 それからは、他のドイツ人やSさんも巻き込んで、おごり、おごられの大宴会となった。ぼくはSさんに日本語でいった。「ぼくらはいま、日の丸を背負ってるんだから、最後まで戦い抜きましょう!」

 ドイツ式に、焼酎も注文した。これは効くぅーッ。無味無臭にちかく日本でいう焼酎甲類だ。酔いが回り、ドイツ語で会話するのが時々刻々おっくうになってくる。完全アウェイのなか、乾杯をくり返し、ジョッキとぐい呑みを何杯も空けていった。国の威信をかけるとはこういうことかッ。

 「あなたも、やりますねぇ」。巨漢たちは、もちろん降参はしないが、こちらをほめてくれた。Sさんは完全にできあがり、日本語で何か咆哮している。

 ぼくは巨漢軍団にお礼と別れの言葉をいい、精算をし、Sさんの肩をかかえた。思い切り戦った快さを胸に、滞在ホテルへと“凱旋”していった。

 Sさんは、ロビーのソファにぶっ倒れ、30分後、むっくりと起き上がっていった。「ここ、どこ? でも、私たち頑張ったのよね」

 ボンの郊外には、アーデンドルフという陶芸で知られた村がある。そこを家族で訪れたとき、ぐい呑みを見つけ、いくつか買った。東日本大震災でドイツ製ワイングラス類は壊れたが、ぐい呑みは生きのび、いまもリビングの来客用高級食器棚にある。

 --毎週木曜日に更新--

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