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2011年9月

華麗なる花園に包まれ、姉は逝った

 祭壇を目にした瞬間、これはすごい、と思った。純白の大輪を咲かせ「ユリの女王」と呼ばれるカサブランカや青紫のリンドウなど華麗な花々がびっしりと、微笑む姉の遺影を取り囲んでいる。

 姉は、生命のもっとも美しい形である「花」が大好きだった。京都で小学校の教員をしていた40歳のとき、体調をくずし退職に追い込まれた。2年後、郷里の出雲へ帰り、難病で特定疾患のパーキンソン病と診断された。

 手が振るえ、スムーズに動けなくなり、言葉もしだいに不明瞭になっていった。脳内物質ドーパミンの不足などが原因とされている。意識はしっかりしているのに体が思うようにならない。

 それでも、姉は前向きに生きようとした。花の写真を撮るため、アナログの軽い一眼レフカメラを買ったのは、発症してからだった。体が不自由になり、もともと鋭かった感性が、いちだんと研ぎ澄まされた。

 季節季節のもっとも美しい花をさがし、シャッターを切った。その作品をはがきにして京都時代の同僚教師に送ったところ、月替わりの卓上カレンダーとして不特定多数の人たちに買ってもらうことを勧められた。

 作品は、年を追うごとに評判を呼び、NHKをはじめ数々のメディアに取り上げられた。最盛期には800部もさばけた。結局、病態が悪化して撮影もままならなくなるまでの10年間、毎年発行した。その陰には、母と妹の献身的な介護があった。

 2011年8月7日、島根大学付属病院に肺炎で緊急入院した。どうにか快復し退院予定だった9月12日、一転、呼吸困難で危篤となった。退院の世話をするため滋賀県から帰省していた妹は、そのままHCU(高度治療室)に泊り込んだ。

 ぼくは、翌13日に、東京から空路かみさんと飛んで帰った。「ちーちゃん、どっか痛い?」と聞くと、姉はかろうじて「大丈夫」と答えた。82歳の母も毎日のように病床を見舞ったが、とても徹夜する体力はない。妹とぼくは交代で付き添いをした。

 HCUには最新鋭の医療機器が整えられている。モニター画面の左下には赤い字で血圧が、画面右の上から緑で心拍、青で酸素、白で呼吸のデータが表示され、刻々と数値が変わっていく。数値が下がると、黄色のランプが点滅しアラームが鳴る。さらに数値が悪化すると、赤いランプになりアラームの音も激しくなる。泊り込んでいても、その音でほとんど仮眠できない。

 呼吸の数値が「0」になると、主治医や看護師が飛んできてアンビュバッグと呼ばれる手動の呼吸補助器で回復させる。それによって、かろうじて姉は生きつづけていた。14日午後、高齢者施設に入っている父を病室に連れて行った。その日午前には意識も薄く言葉が出なかった姉が、家族の前で奇跡的に目をあけた。「一杯(だけ)飲んでね」と、アルコールで体を壊したことのある父を気づかった。母と妹にも感謝の言葉を口にした。

 家族は「延命治療はしない」ことで合意していた。家族の体力が限界に近づいた15日夜、ぼくは主治医とふたりきりで話し合った。「自然な形で寿命を終わらせてやってください」「わかりました。これ以上、アンビュバッグを使うのは控えます」

 不思議なことにそれでも数日間、姉の呼吸が止まることはなく、仕事が気にかかるぼくたち夫婦は、空路でいったん自宅へ帰った。その前に、地元の人から万一の場合のしきたりを聞いておいた。兄が海外出張中で、ぼくが喪主代行をすることになっていた。

 妹から泣き声で電話が来たのは20日夕だった。結局、妹ひとりで姉を看取った。享年59。全国には10万人以上のパーキンソン病患者がいる。大学病院が研究のため病理解剖することを望み、ぼくたちは快く応じた。

 21日午後には台風15号が首都圏を直撃する見通しで、家族も親戚もぼくたちが帰れるかどうかを案じたという。深夜ニュースで台風情報を見て、急きょ、予約したのよりひとつ早い便にネット上で変更した。幸運にも空席がわずかに残っていた。羽田空港へ駆けつけると、ぼくたちのフライトよりあとの便はすべて欠航だった。

 出雲空港までは揺れながらもなんとか飛んだ。宍道湖の湖畔が窓外に見え、もう大丈夫だと思った瞬間、機体は急上昇した。「強風のため、上空で旋回します。最悪の場合は羽田へもどるか伊丹空港に降ります」。機長の声が冷酷に聞こえた。でも、一瞬のタイミングをとらえて強行着陸した。その瞬間、機内では拍手が起きた。

 姉が所属していた写真クラブのY会長が、たまたま葬儀社の社長だった。Yさんは、通夜の席にススキなど季節の草花をあしらったすばらしい花篭を持ってきてくれた。葬儀ばなれした華麗な祭壇も、Yさんの指示だった。

 故人の生涯を振り返るナレーション用の長文原稿は妹が書き、その夫の毎日新聞編集委員が手を入れて、葬儀当日の午前2時半に完成した。「カレンダーになった花の写真は、木佐さまのお母さまと妹さまが写真集として発行されることになりました。……写真集は完成まであど10日ほどというところでした」

 Y社長と友人代表のOさんは、完璧な弔辞をメモも見ないで述べてくれた。数え切れないほどの供花も飾られ、葬儀場は花園と化していた。「ちーちゃんに見せたいほどだね」。会葬者は200人を超えた。ぼくは最後にお礼のあいさつをした。

 「19年間の闘病生活を支えたひとつ目の柱は家族です。とくに母と妹は想像を絶する介護の日々を送ってきました。ふたつ目は地元の方々、親戚の皆さま、ご友人です。たとえばご友人は、姉を励ますためのコンサートを開いてくださり、400人以上が入場料を払って参加してくださいました。3つ目は花の写真です。それは単なる趣味ではなく、生きる証でした。4つ目は書道です。病気になり引きこもりがちだった姉を、母が自分の通う書道教室に引っ張り出しました。そのお仲間にどれほど優しくしていただいたことか」

 葬儀が終わり、5人の僧侶に控え室でお布施を渡した。「祭壇もナレーションも、弔辞も最後のあいさつも素晴らしかった。これだけの葬儀は記憶にないですよ」。妹はぼくにこっそり言った。「大成功だったね」

 なかでも町内会の機能には驚かされた。葬儀社との連携、受付、会計、駐車場の整理などてきぱきと役割りを果たした。香典はノンブルをふり10通ずつ輪ゴムでとめ、帳簿に会葬者名を順番に書いて渡してくれた。

 通夜から葬儀、お斎まで、誰も一滴のアルコールも飲まずにこなしたのも特筆すべきことだった。母は、遺族、親族、友人、町内会、葬儀社、そして会葬者が一体となった事実に感動、感謝していた。「なでしこJAPANみたいだったね」

 --毎週木曜日に更新-- (先週は、葬儀のため休載しました)

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日本郵便の大震災便乗商法は、やっぱりえげつない

 ♪ピンポーン♪ 「郵便で~す」。ネットで注文した新刊書がとどいた。クレジットで支払いはすんでいるので受け取るだけだが、配達の人はなんだかもじもじしている。「まだ、何か?」「あのう、震災の寄付金つき切手があるんですが、10枚1シート買っていただけません?」

 先週も、かみさんが郵便物を受け取ったときおなじことを言われた、という話を思い出した。わが家には仕事で使う切手のストックがあるので、断ったそうだ。

 この寄付金つき特殊切手というのには、ちょっと引っかかるものがある。

 日本郵便(JP)は、東日本大震災を受け、2011年6月21日から8月26日まで、寄付つき切手を売り出した。額面80円のものに寄付金20円を上乗せして100円で売る。つまり、JPとしてはまったく腹を痛めず“お客様”にだけ寄付してもらうのだ。

 ぼくは、最初にかみさんからこの寄付金つき切手の話を聞いたとき、すぐに、JPのライバル社・ヤマト運輸のケースを思い出した。ヤマトでは宅配便1個口につき10円を東北に寄付することを早々と決めた。それにひきかえ、JPのやり方はちょっと納得がいかない。郵便配達の人に、ぼくの意見を伝えると、「たしかにそうです。それじゃ」とすごすご帰っていった。

 8月下旬の報道によると、寄付つき切手7,000万枚を発行したが1,800万枚しか売れておらず、9月30日まで売り出し期間を延長した。

 ネットで検索すると、7月14日にJP職員らしき人物がこんな投稿をしている。

 <「震災の寄付金付きの切手を完売せよ」と支社の偉い人から命令が来ました。あくまでも寄付金は善意であると思いますが、会社側は善意を利用して商売を押し付けようとしています。全国規模の会社でこんな最低な営業方針を掲げる会社はないと思います>

 8月5日にも同様な投稿があった。

 <うちの支店長も同じようなこと言ってたわ。「完売しろ」ってさw。つかこの金額なら、自分で寄付した方がまだマシだ。寄付は10枚200円だからな、100枚で2,000円、切手で1万も売れるかよ。 抱き合わせ商法も良いところ>

 広島県のJP呉支店・郵政労働者ユニオン(労組)のPDFファイルには、こうある。

 <(8月?)25日の朝礼で、東日本大震災救援のための「寄付金付切手」の営業活動をする旨の周知が行われた。呉支店の割り当ては910セット。完売を目指し集配では携行販売も行うというもの。違和感を持った人も多かったであろう。今回の震災救援のために、多くの企業が「企業の社会的責任」から、こうしたことを行っているが、大半は商品の値段はそのままで、収益の一部を義捐金に回すというものである>

 JP職員だって、会社のやり方には疑問を抱き、うんざりしているわけだ。

 一方で、「寄付つき」という点に善意を刺激され切手を買った市民もたくさんいる。というか、JPはそれを狙ったわけだが。8月26日付けの朝日新聞『声』欄には、郵便局で寄付金切手をすすめられた読者の投稿が載っている。

 「震災地支援と聞けば年金生活者とはいえ、後へ引けない。10枚購入した。切手1枚からの支援も積み重なれば『輪』が広がり、力になるだろう。そう思うと小鳥や花、ハートをあしらった図柄に温かさを感じた」

 JP経営企画部広報室の報道用電話にかけて取材した。いま現在、何枚売れているのかを尋ねると「公表しないことになっております」。傷口に触れられたくはない、ということか。「期間の再延長はあるのですか?」「それはないと思います」

 「寄付の配布先を公募していますが、どのくらいの団体から申し込みがあったのですか?」「まだ、9月9日に公募を締め切ったばかりなので、公表できません」

 1997年2月に発行された別冊宝島の特集記事『郵便局のヒミツ』では「郵政OBが天下った団体に(寄付が)都合よく配分されていた」というくだりがある。まさか、もうそんなひどいことはないと信じたい。

 阪神淡路大震災のときには5,000万枚を発行し約4,728万枚が売れ、諸経費を除いた9億4,000万円が地元に配分された。この実績をもとに、JPは今回、7,000万枚を発行し14億円を寄付できると皮算用した。それが大惨敗だったわけだ。

 東日本大震災では、ヤマトをはじめ企業や各種団体、個人が争うように寄付をしている。JPもたとえば、80円切手1枚につき2円、50円の切手や葉書1枚につき1円でも寄付をすればいいじゃないか、と誰でも思う。その場合、寄付総額はどのくらいになるか。JPの切手葉書の年間売り上げを聞くと、「民営化後、公表しないことになっております」

 つまり、すべてがあきれるほど秘密主義なのだ。かつて小泉政権が鳴り物入りで強行した郵政民営化の実態がこれだ。

 さらに問題なのは、JPのこのひどい実態を、既存のマスメディアのどこも批判的に報じないことだ。上のノー天気な朝日の投稿をみればいい。

 わが家へ郵便配達に来たおじさんも、「ひとり10シート」のノルマを課せられているのだろう。失敗した震災便乗商法の尻拭いをさせられているわけだ。そのしょげた顔を思い出し、気の毒になった。

 --毎週木曜日に更新--

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日本サッカーのしあわせな日々

 小学校の遠足も、初デートも、本番までがいちばんワクワクする。ぼくは年に1回か2回、東京ドームの巨人戦に行くが、それより高揚するのは、やっぱりサッカーの国際公式戦の応援だ。

 アジア最大のサッカー場、埼玉スタジアム2002へ向かう電車のなかから、日本代表のユニフォームが目立ち、雰囲気は次第に盛り上がってくる。浦和美園駅から会場へつづく専用ロードは1.2キロある。

 埼スタへ来るのは、ちょうど10年ぶりだった。スタジアムのこけら落としで、トルシエJAPANがイタリア代表を迎え撃った。中田英寿とローマの王子トッティが、戦いの前にセンターサークルで握手を交わした。結果は1:1のドローだった。

 ロードをかみさんと歩いていると、「NAKAYAMA10」という背番号を見かけた。古い! ゴン中山こと中山雅史選手の栄光のユニフォームだ。2002年日韓W杯に出場した。そのユニフォームを着るおじさんは、歴代代表の思いを込めて、今日のW杯ブラジル大会3次予選の初戦、北朝鮮戦に臨むのだろう。おおっ、「NANAMI10」も歩いている。1998年W杯フランス大会の司令塔・名波浩選手だ。

 沿道には夜店が並び、B級グルメ王者・富士宮やきそばや缶ビールが売られている。やはりお祭りなのだ。左側フェンスには、日本サッカー協会のエンブレムや主力選手の大きなプレー写真が飾られている。サポーターはそれをバックに記念撮影する。女子大生らしきふたり連れから、スマートフォンのシャッターを押すよう頼まれた。「どっから来たの?」「横浜で~す」「そう。応援頑張ろうねっ!」

 前日まで、台風12号が関東を直撃しゲームができない恐れもあった。台風は四国のほうへそれ、スタジアム一帯は怪しい雲と風はあるものの、どうにかできそうだった。

 ぼくは、電車のなかで『サッカー少女 楓』を読んでいた。『キャプテン翼』の作者・高橋陽一先生が、なでしこJAPANの澤穂希主将をモデルに書いた漫画付き青春小説だ。本田圭佑選手と長友佑都選手の名前が出てくるが、今日は、けがで欠場している。あるスポーツ紙は「飛車角落ち」と書いていた。

 ピッチの芝生は、カクテル光線に青く輝いていた。各席に白い厚紙を折りたたんだものが置いてある。「これ、何?」。かみさんが広げると、開会セレモニーのときバックスタンドに三本足の八咫烏(やたがらす)のエンブレムを人文字で描く用紙だった。

 練習風景を見ながら、駅ビルのスーパーで買った弁当を食べることにした。メインは海老カツの太巻き8巻だ。“圧巻”の試合運びで“勝つ”ための験かつぎで選んだ。

 ぼくは同時に、ポケットラジオで巨人対ヤクルト戦を聴いていた。今日からの3連戦で3連勝すれば、巨人は一気に首位に躍り出る。

 オペラ歌手・秋川雅史さんの君が代が朗々と大スタジアムにこだまする。この前の日韓親善試合のときの歌手は声量がしょぼく、ネットでさんざんたたかれていた。君が代斉唱はこのくらい迫力がなくちゃ。ぼくは、久しぶりに君が代を声に出して歌った。

 戦いの火蓋は切って落とされた。北朝鮮は引いて守り、日本は軽々とボールを回している。かみさんの右隣りの2席は空いたままだった。開始から6分遅れて、サラリーマン風のふたりが汗を拭き拭きたどり着いた。座ったまま、背番号なしの青いユニフォームに着替え、いきなり大声で声援を送り始めた。こりゃ、相当気合が入っているなぁ。

 ザックJAPANは攻めまくるが、ボールがゴールのバーをたたいたりして、大歓声のあとのため息が繰り返された。

 気がつくと、ラジオ中継も巨人戦からサッカーに切り替わっている。その解説者はやたら辛口だ。本田選手に代わって入った柏木陽介選手や長友選手に代わる左SBの駒野友一選手など、けちょんけちょんに言われている。生で観戦していると、完全な代役とはいかないまでも、それほど悪くはないのに。中継の言葉で試合の印象はずいぶん変わる。

 0:0で迎えた後半、売り出し中の清武弘嗣選手、日本に一家で帰化した194センチのハーフナー・マイク選手が相次いで入り、攻めのリズムが良くなった。それでも、ゴールが割れず、5万5000の大観衆がイライラしていたロスタイム、清武選手のクロスを吉田麻也選手が頭でたたき込んで勝負をつけた。

 スタンドは爆発的に吠えた。ぼくも、2007年、巨人がセリーグ優勝を眼前で決めた瞬間以来の大声で叫んだ。そして、隣りのサラリーマン風ふたりとがっちり握手した。「どっから?」「新潟県の長岡です」。おおっ、わざわざやって来たのだ。

 昨年、岡田JAPANがW杯ドイツ大会でベスト16になったころから、日本のサッカーは急坂を駆け上がりだした。ザックJAPANはアジア杯で、なでしこJAPANはW杯で優勝した。男子は9月6日、3次予選の2戦目、ウズベキスタンとの厳しいアウェーの戦いも、しぶとくドローに持ち込んだ。なでしこは、疲れてはいても自信の試合運びで、ロンドン五輪への切符を手に入れるだろう。U17など若い世代の才能も、つぎつぎと芽を出し、18歳の宮市亮選手はザックJAPANに初招集されそうだ。

 試合応援は本番前、スポーツも頂点を極める前が楽しい。いま、日本のサッカーはもっともしあわせな日々を送っている。

 --毎週木曜日に更新--

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日本に新しい右翼の潮流が生まれつつあるのか

 平和ボケのうえに草食系がはびこる日本で、この2011年の夏、ちょっと珍しい社会現象が起きた。“きっかけはフジテレビ”だった! 7月下旬に俳優の高岡蒼甫さんがツイッターでこうつぶやいた。<8はマジで今見ない。韓国のTV局かと思うこともしばしば>。「8」はフジテレビのことで、韓流ドラマを盛んに放送し韓流スターをとりあげている姿勢を批判した、と受け止められた。

 J-CASTニュースによると、8月7日午後、東京・お台場のフジテレビ周辺に、「反韓流」「反フジ」などのプラカードや日の丸を掲げた人たちが少なくとも500人以上現われた。「韓流やめろ」などと約1時間に渡って騒ぎ、一帯は騒然となった。2ちゃんねるやツイッターなどの呼びかけを通じて集まった人びととされる。

 ある参加者は、「韓国の手から、フジテレビを取り戻すために我々は集まったのです!」と叫んだ。日の丸を掲げた男性は、「こうしたマスコミを直接攻撃するデモは画期的。政治家や外国を批難するデモよりも反響は大きいのでは」と主張した。デモ参加者の中には「韓流フジ潰れろ」「朝鮮人は半島に帰れ」などと過激な叫びを上げる人もいたという。

 この騒ぎは、マスメディアでは一切報道されず、J-CASTニュースなどのネットメディアや2ちゃんねるといったネットの上と、ごく一部のスポーツ紙、週刊誌でだけ伝えられた。

 さらに、21日にもフジテレビ周辺で同様のデモが行われ、主催者発表では約6000人も参加した。動画サイトでの生中継には、デモ開始前から約2万人の視聴者が集まり、ツイッターでも刻々とコメントが寄せられた。

 前回はデモの許可を得ておらず「散歩」と称していたが、この日のデモは主催者が、東京都公安委員会からのデモ許可証をネット上にアップして「正当性」をアピールした。

 スポーツ報知は、「代表となった30代の男性会社員によると、今後はテレビ局を管轄する総務省への抗議活動も検討しているという」と伝えた。

 デモ主催団体の代表はJ-CASTニュースの取材に対し、「デモはあくまでフジの『偏向報道』や韓流のごり押しに対する抗議。『反韓』『嫌韓』という主張ではありません」と答えた。

 スポーツ紙など中規模メディア(メディメディア)をのぞき、テレビ、大新聞のマスメディアがこの騒ぎを報道しなかったため、マスコミの悪弊を指摘する声が相次いでいる。

 ごもっともだ。欧米では一般的に、言論を多様にしメディアを相互チェックさせるため、新聞と放送が系列化する「クロスオーナーシップ」を制限・禁止する制度が設けられている。しかし、日本では事実上それがないため、ある種のテーマについて、マスメディアがそろって沈黙したり偏向報道してしまう現象が起きる。

 ぼくもマスメディアの記者出身だから、その点はいやというほどわかっている。「国民の知る権利」などとことあるごとに叫ぶくせに、肝心のことになると横並びで沈黙する。日本社会の病理としか言いようがない。今回の対フジ抗議デモもその典型ではある。

 でも、もうひとつの重い問題は、まったくと言っていいほど指摘されていない。いくら主催者が「『反韓』『嫌韓』ではない」と主張しても、なら、日の丸を掲げた参加者をたしなめたのか、ということになる。「朝鮮人は半島に帰れ」と叫んだ人物もいたというが、それが本音なのではないか。参加者の中には中学生くらいの少年や幼い子どもを連れた母親、カップルの姿もあったと伝えられるものの、彼らはことの重大さをわからないままノリで参加したのだろう。

 うちのかみさんは以前から韓流ドラマが大好きで、ぼくも次第に取り込まれていった。高句麗を建国した大王を描く『朱蒙(チュモン)』、その孫の物語『風の国』などは、すごく面白かった。いまNHKのBSで放映している、奴婢から李朝の国王側室にまで上り詰める女性の話『トンイ』も、実によくできている。

 韓流を最初にわが国で流行らせたのはフジかもしれないが、NHKをふくめいまではどの局でも複数の番組を放映している。韓流ドラマは面白く、韓流ミュージシャンのクオリティも高いから使うのではないか。

 この夏のデモは、言ってみれば、“文化侵略”に対するバックラッシュという側面がある。主催者の人びとがどれだけ意識しているかは別にして、「韓国の文化が大和の国でわがもの顔に振舞っているのが気に食わない」のだろう。たとえば、アメリカのドラマや音楽がテレビでどんどん流れても、同じようなバックラッシュが起きただろうか。

 日本の既存の右翼は、諸外国に比べると勢力がものすごく弱い。2005年に中国で反日暴動が起きたときでさえ、日本の右翼はほとんど動かなかった。仮に、かつてヒトラーが侵略・占領したポーランドでいま反独暴動が起きれば、ドイツの極右は大騒ぎをするだろう。なにしろ、5000人くらいならすぐ動員できる団体が複数あるのだから。しかも、極右が議会にどんどん進出している。その一因は、ほとんどイスラム教徒のトルコ系移民が200万人以上もいる現実にあるとされる。

 お台場での反韓流デモは、日本にも新しい形の右翼勢力が台頭する可能性をほのめかすものだ。わが国で右翼が大きな政治勢力を持つとすれば、アジア系移民を大量に受け入れ“異文化流入”が顕著になったときだろう。

 --毎週木曜日に更新--

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