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インどイツ物語ドイツ編(2)【もだえる洗濯機】

     94年春

 浴室の方から、道路工事でも始まったような騒音が聞こえてきた。

 「ちょっと、早くぅ」。妻の叫び声がつづいた。あわてて入っていくと、タイル張りの床を洗濯機が激しく振動しながら動き回っている、妻はその上に覆いかぶさっていた。

 「早く乗ってぇ」。洗濯機と一緒にもだえながら妻が叫ぶ。わけが分からないまま、妻の上にかぶさり、洗濯機を押さえつけようとした。それでも、まるで止まらない。暴れる洗濯機はしだいに壁ぎわから遠ざかり、固定したホースが引きちぎれそうだ。

 「スイッチを切ろよ。スイッチを!!」

 「それが、どうすれば切れるか分からないのよ!!」

 ネグリジェ姿の舞が「なにやってるのぉ」と入ってきた。「遊んでるんじゃないんだよ。プラグをひっこ抜いてっ。そこにあるだろ、そこ!!」

 洗濯機といっしょにもだえながら、あごでコンセントを指すと、舞は「うん、分かった」と引き抜いた。

 道路工事の掘削機が止まったように、とつぜん浴室が静まりかえった。壁の大鏡に、白い箱の上で折り重なった男と女が映っている。間の抜けた姿にがっくりし、洗濯機から降りてタイルの上にしゃがみこんだ。

 「おもしろかったー。もう一度やってみようか」。舞がプラグを差し込もうとする。

 「馬鹿なことやめてよ」。妻は肩で息をしながらたしなめた。

 「どうしたのぉ」。優士が寝ぐせで逆立った髪のまま現れた。「洗濯機を回したら、途中からいきなり暴れだしたのよ」。妻は浴槽の縁に腰を下ろしため息をついた。

 「しつけが悪いね」。生意気な優士のせりふにも、妻は力が抜けて反応する気もない。「こんなに洗濯物がたまってるのに、どうすればいいの」。

 洗面台の時計を見るとまだ午前7時前で、階下の住人から文句を言われそうだった。

 たかが洗濯機だが、指折り数えれば、前日、引っ越しから41日目にしてやっと備えつけが完了したところだった。ないないづくしの新居で、“文化的生活”に必要な電化製品を少しずつそろえ、いちおう最後のものがこれだったのだが。

 ボンへ着いた翌日、前任者との仕事の引き継ぎもそこそこに家探しを始めた。取材助手のクラウディア嬢が不動産会社にアポイントをとってくれていたので、半日で3軒を見て回ることができた。子ども連れでのホテル暮らしをいつまでもつづけたくはない。その日のうちに、3番目に下見した新築のマンションに決めた。

 ライン川に近い5階建ての最上階だった。ゆったりした玄関ホールがあり、ホールの端にある螺旋階段をあがるとホビールーム用の屋根裏があった。玄関ホールから廊下に続くドア、廊下とキッチンやリビングを仕切る壁は全面ガラス張りで、やたら明るい。キッチンとバスルーム以外はすべて明るいグレーのカーペットが敷き詰めてある。廊下の脇にはまっすぐ伸びる階段があり、もうひとつの屋根裏へつながっている。そこには子どもの遊び場にできそうな空きスペースがあり、両側に小部屋と広いバス・トイレがしつらえてあった。

 ワンフロア全部がわが家で、日本のトレンディドラマにでも出てきそうなメゾネット式マンションだった。

 「おもしろーい。優士君、隠れんぼしたらなかなか見つからないよね、きっと」。舞がはしゃいだ。子どもたちがとくに気に入ったのは、ふたつの階段と屋根裏だった。

 次の日、クラウディア嬢を伴ってもう一度訪れ、入居契約書にサインした。改めて各部屋を回ると、リビングのバルコニーの下には緑が広がり、その向こうにライン川が見える。真正面には桜の木が枝を伸ばしている。日本種とちがい花は地味目のピンクで、景色を一変させるような華やかさはない。でも、ほとんど満開で、わが家を歓迎してくれているようだった。

 その翌日の早朝、ホテルをチェックアウトし、ドイツ人が「コンビ」と呼ぶワゴン型タクシー2台に手荷物を積み込んで引っ越した。子どもたちはさっそく隠れんぼを始めた。よくよく見ると、廊下の天井に小さなライトが数個ついているだけで、備えつけの照明はいっさいない。天井にむき出しのコードがのぞいているだけだった。水道と電気、暖房は使えるのが救いだった。

 「夜になったら、トイレもキッチンも真っ暗でどうするの」。妻がもっともな心配をしている。「雨露はしのげるけど、これじゃほとんどホームレスだなあ」。

 飛行機のチェックイン手荷物でどっさりもってきたようでも、仕事用のパソコン一式や着替え、当座の食器、日用品、食料くらいにすぎない。

 オフィスに顔を出し仕事の引き継ぎもそこそこに、マイカーを持っているクラウディア嬢に頼んでボンの中心部にある市場(マルクト)へ出かけた。

 何がなんでも照明器具を買わなければ、トイレだって月明かりでしなければならない。まだ「うんのつき」などとジョークを飛ばす元気はなかった。

 ボン大学の近くにある照明専門店へ飛び込み、フロアスタンドを物色した。ふつうスタンドと傘は別々に買うのだという。店のおじさんは傘用の布地サンプルを持ち出して、「3、4週間でできます」とのんきなことを言う。「今夜いるんですけど」と、ディスプレー用の傘をそのまま売ってもらった。

 別の店で羽毛布団を3枚買い、何とか夜をすごす準備ができた。通りがかりの銀行で1000ドルをマルクに両替したが、すでにそれは飛んでいった。

 家中に照明がついたのは約2週間後だった。デパートや家具インテリア専門店を回り、財布と相談しながら14個買いそろえた。そして「電気マイスター」を呼びひとつずつつけてもらう。

 「シャンデリアみたいに好みのちがうものならともかく、トイレにも風呂にも照明がついてないないなんて」。

 マイスターの仕事ぶりを観察しながら愚痴をこぼすと、ドライバーをくるくる回しながらあっさり言った。「この家はまだいいよ。キッチンに何もない家だってあるんだから」

 ずいぶん後になって聞いたことだが、日本人の科学者Tさん一家は、やはりライン川の近くに中古の家を借りたが、流し台も何もなかった。注文品が届いて配管工事が終わるまで、奥さんは洗面所の水道と電気コンロ1台で炊事をしていたという。しかも、半年もの間だ。

 わが家の子ども用ダブルベッドも一筋縄ではいかなかった。郊外の大型家具店で本体部品とマットレスを注文し、届いた日の夜、子どもたちといっしょに組み立てた。ふたりは喜んで寝たのだが、やがて優士が起きてきてわけの分からないことを言う。

 「舞がベッドに頭をはさんでウンウンうなってる」。

 マットレスの角が大きくくぼみ、舞の頭がベッドの木枠との間にすっぽり入っていた。

 翌日、クラウディア嬢に相談すると、にやっと笑って言った。

 「ホルツロストも買いました?」

 「何、それ?」。

 辞書には「ベッドのマットレスを支えるスノコ状の台」とあった。

 さて、洗濯機はもともと前任者が「水漏れするけど、しばらくなら使える」とただで譲ってくれたのがあった。東京へ帰った後、奥さん手書きの使用マニュアルをファクスで送ってくれたのだが、とても2、3年はもちそうになかった。新品を買うことにし、ボン南部バートゴーデスベルクのデパートで注文すると、6日後に届いた。トイレや浴室など水回りを専門に扱う「衛生設備マイスター」でなければ取り付けられないという。配達日に合わせてよこすよう店員に頼んでいたのだが、現れたのはそれから5日後だった。

 妻によれば、マイスターは「機体が水平になっていないとバランスが悪く、振動でずれてくる」と、ドイツ語を話さない妻を相手に身ぶり手ぶりで講釈を垂れた。水準器を使い、本体の脚とタイルの間にプラスチックの調節マットをはさみ、「これでよし」と引き上げていった。

 水洗いのテストしたときは問題がなかったが、翌朝、実際に洗濯物を入れ脱水まできたところで暴れだした。

 ドイツでシャワーを浴びれば、髪がバリバリになる。そんな硬度の高い水で汚れを落とすためには、それなりの装置が要る。洗濯機の水の温度はたいてい最高90度まで設定でき、水圧も高く、1回の洗濯に2時間はかかる。平均的な日本人とドイツ人では、体格、力ともに大きな開きがある。この洗濯機も重さは日本製の倍以上はありそうだった。

 したがって、凶暴性は想像を絶した。

 古い洗濯機は、デパートの配達の際、お金を払って持ち帰ってもらった。何とかこの新品を手なづけて使うしかない。タイルが滑りやすいからかもしれないと、屋根裏にあったカーペットの切れ端を敷いてみた。今度はカーペットごと動き回る。やむなく、本をどっさり詰めたダンボール箱をカーペットの両端に一つずつ置くと、ようやく暴れ方がおとなしくなった。

 しかし、いつまでもそのままにはしておけない。トイレやシャワーの調子が悪く近所の「衛生設備マイスター」を呼んだ時、洗濯機をついでに診てもらった。

 「ああ、これじゃだめだね」。マイスターはあっさり言うと、連れてきていた見習いのお兄さんに何か命じた。2、3分の作業の後、マイスターがダイヤルを脱水に合わせてスイッチを入れると、洗濯機はすっかりおとなしくなっていた。洗面台の上にずっしりとした金属製の枠がはずして置いてある。

 「これ? 運搬するときのモーター部のガードだよ」。最初のマイスターが、取り外すのを忘れたまま帰ったのだ。ドライバー1本で素人にも簡単にはずせる。なにがマイスターだ。プロ意識のなさに腹が立った。しかし、2番目のマイスターにはもっと腹が立った。後日届いた請求書には、「洗濯機“修理代”」として信じられない額が記載されていた。

 〔短期集中連載〕

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