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インどイツ物語ドイツ編(4)【ボンの神さま】

    94年春

 突然静かになったかと思うと、机につっぷして涙を流している。赤ん坊のときは別として、外面のいい優士が人前で泣くのは、たぶん初めてだった。「だいじょうぶ、何も心配ないからね」。やさしいアメリカ人の女の先生が語りかけてくれる。

 欧米の学校は9月から新学年がはじまるため、ぼくたちがドイツへきた3月下旬には、第2学期も終わりに近かった。ボンに正規の日本人学校はなく、どうせ外国語で勉強するなら、と世界中の子どもたちが英語で勉強するアメリカ系インターナショナル・スクールを選んだ。

 学校は、アメリカの国防総省が直接運営している。東西冷戦のさなかには、ドイツとその周辺国に30万人もの米軍が駐留していた。その数は1995年までには10万人に減るが、この学校も冷戦の遺物だった。

 ボンへきて3日目、一家で編入のための面接にでかけた。先生は、まず、いろいろな紙を示して、色の名前を答えさせた。「赤」「レッド」、「緑」「グリーン」とこちらがいちいち通訳しなければ、先生には正解かどうかわからない。紫の色を見せられたとき、優士はすこしためらった。横で舞が答えてしまい、調子を少し崩された。基本図形の名前や3桁までの数字の読み方、ひと桁の足し算あたりまではほとんどできた。面接といいながらこれは本格的な試験じゃないか。優士はかなり緊張している。ふた桁の足し算がつづいて、ついに顔を伏せてしまった。

 日本で通っていた幼稚園は遊びと体力づくりが主で、いわゆるお勉強は習ったことがなく無理もない。こんなテストがあると知っていれば、特訓してやるのだったが。

 妻の日記から拝借すると、初登校の前夜、こんなやりとりがあったという。

 「あした学校に行きたくない」と優士が泣き出した。「神さまに早く英語がわかるようお願いしておくからね」となだめると、「ぼくもお願いする」。舞もつられて「英語の幼稚園には行きたくない。さくら組になりたい」と泣く。舞も日本の幼稚園の年中組で退園し、年長組に入れなかった。

 登校初日の朝起きて、優士はまた泣き出した。「おなかが痛い。学校へ行きたくない」「神さまにお願いしてあるからだいじょうぶ」。「ぼくも泣かないようお願いした」。車に乗るまでぐずぐず言っていたが、乗ったら落ちついた。退校時間に妻が車で迎えに行くと「ぼく泣かなかったよ。涙が出そうになったけど、神さまにお願いして、がまんしたよ」。「おとなりのゲーリー君とお友だちになった」と意外に元気だった。「赤とか青を英語で答えたら、みんなワーとほめてくれた」。

 その後も、優士は寝る前になると、かってに自分の神さまを創り上げていった。「神さまって世界中の言葉がわかるのかな。ぼくもお願いして英語が日本語に聞こえるようにしてもらいたい」。「ジャングルジムとシーソーは英語でも同じ呼び方するんだよ。お父さんにも教えてあげてね」と、少し調子がでてきたようだ。

 初登校の翌々日、児童は休みで保護者との個別懇談会が行われると知り、ぼくは午前中の仕事をほうり出して学校へいった。「新年度の9月からは担任を変わらなければなりませんが、ユーシを離したくない」。先生が、目をうるませ、抱き締めるようなしぐさをしながら言う。言葉がわからなくても友だちに声をかけていたのはとてもいいことです。お友だちとボーリング・ゲームで遊んでいて、自分の番になったら「Can I play?」(やっていい?)と聞いていました。お友だちが英語でどう言うか、ちゃんと耳を傾けています。

 数字も20まで、アルファベットもLまで書けました。

 先生は、教室の隅にある教材のコンピューター・ゲーム専用機を見せてくれた。画面に並ぶアルファベットのカードを2枚ずつ当てていく。トランプの「神経衰弱」と同じで、「ユーシは百戦百勝」と言う。「20年以上教師をしていますが、あんなに頭がいい子はほとんどいなかった・・・」。

 帰り道、おれの息子だからなあ、と口元がゆるむ。「きょうは、ドイツへきて一番いい日だった」と夜、妻に叫んだ。

 優士は猛然と算数の勉強をはじめた。同級生が半年以上かけて習ったことを2、3週間でやってしまった。そして、ぱったり鉛筆を握らなくなった。日本から送ったアニメのビデオやテレビゲームに熱中し、妹と組んでのいたずらか、きょうだいげんかで日々が過ぎていく。やっぱりおれの息子だからなあ、とため息がでる。

 〔短期集中連載〕

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