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インどイツ物語ドイツ編(8)【ナポリタンを追え=後編】

    94年夏

 ぼくが、イタリアのナポリでスパゲッティナポリタンについて取材してから数年後、ある日本の新聞が、その起源について伝えた。

 横浜市山下町にあるホテルニューグランドの第2代総料理長・入江茂忠さんが最初に考案したという記録が残っているそうだ。

 ネット上の百科事典ウィキペディアによると、いきさつはおよそ次のようだった。

 ホテルニューグランドは、戦後まもなくGHQに接収され、7年間、アメリカ軍に使われた。当時のアメリカ軍では、スパゲティをトマトケチャップで和えた物が、一般的な兵営食であるとともに缶詰の戦闘食になっていて、ホテル駐在の兵士たちも軽食や夜食としてよく食べていた。

 そのため、接収が解除された後のホテル倉庫には、保存の利くスパゲティーの乾麺と瓶詰ケチャップが大量に残されていた。そこで入江さんは、当時の日本では珍しかった両者を組み合わせた料理をホテル再出発の看板にしようと思い立った。

 そのパスタ料理は、かつてナポリの屋台でトマトソースのスパゲティーが人気だったことに因み「スパゲッティナポリタン」と命名された。ただ、入江さんのレシピでは、トマトケチャップが一切使われず、一般的なナポリタンとはちがうトマトソースのスパゲティとなり、現在まで伝えられているという。

 しかし、第1次世界大戦で、地中海に派遣された日本艦隊がイタリアに寄港してトマトベースのパスタを知ったという説や、大正時代には日本海軍ですでに今のナポリタンと同様の料理が出されていたとの説もあるそうだ。

 昭和30年代に国産スパゲッティが開発され、デモンストレーション用に調理が比較的簡単なトマトケチャップ和えのスパゲッティ、つまりナポリタンが選ばれた。学校給食や喫茶店、列車食堂などでも提供され、全国的に定着していった。

 ナポリタンは、こうして日本の子どもたちの心のフードとなったが、ナポリとは関係なかった。

 ぼくが、ナポリでスパゲッティナポリタンを追った前年、優士が5歳、舞が3歳の秋だった。埼玉県大宮市の氷川神社へ七五三のお参りに行ったとき、「大阪焼き」とのれんを出した露店があるのに驚いた。お好み焼き屋なのだが、本場の大阪でこんな呼び方をするわけがない。

 つまり、そんなものだ。

 ドイツで暮らしているころ、ヴッパータールにいる日本人医師のクリニックへ、家族連れで健康診断にいった帰りのことだ。駅前の中華料理店で、メニューをにらんでいた妻が「スキヤキ・ア・ラ・東京」というのを発見した。だめもとで注文すると、牛肉、筍、カリフラワー、白菜をこってりの油と醤油、砂糖で炒めてあった。その後、各地の中華料理店で「スキヤキ」のメニューを見ても、挑戦する気にはなれなかった。

 ナポリにナポリタンはなかったが、決して日本独特の呼び名でもなかった。その後、ぼくのフィールドワークによって、次々と使用例が見つかった。ドイツのハノーファー、ベルリン、スウェーデンのストックホルムにもあった。

 チェコのプラハで発見したときには、思わず「ヤッター」とテーブルをたたいて隣の学生グループを驚かせた。ドイツ語を少し話すそのイタリア料理店のマスターに聞いてみた。

 「ずっと前からこう呼んでいたの?」

 マスターの答えは、そっけなかった。

 「共産党の時代に、こんなレストランがあったはずがないでしょ」

 ミュンヘン国際空港2階のレストランには「スパゲッテイ・ナポリ」というのがあった。トマトケチャップ和えのスパゲッティにはちがいないが、これは死ぬほどまずかった。

 ナポリにナポリタンがないのなら、フランクフルトにもフランクフルト・ソーセージはないのだろうか。日本のスーパーでもおなじみだが、個人的体験としては、やはり縁日の「フランクフルト焼き」ののれんがなつかしい。

 フランクフルトへ出張に行ったとき、同行していた助手のクラウディア嬢に聞いた。ドイツのヤングの間で流行っているというメキシコ料理店でタコスや激辛のオムレツをほうばりながらの会話だった。小学生のころからテニスで鍛えている彼女は、体育会系のさっぱり目で言った。

 「そんなの、たぶんないでしょ」

 ところが、じっくり取材してみると「フランクフルト・ソーセージ」は、あるないの問題どころではなかった。その由緒正しさは並ではない。

 フランクフルト・ソーセージ何とか連合会というのがあり、その会長が胸を張って言った。

 「アメリカで開かれた世界でもっとも権威のあるソーセージ品評会で金賞を取ったことがきっかけで、一躍、世界中に知られるようになりました。豚の腸に豚のひき肉を詰めたもので、太さは20ミリ以上36ミリ未満と厳格な規格があります。もちろん、フランクフルトで作られたものに限る名前で、レストランでは必ずペアで提供することになっています」

 日本の屋台でおなじみの「フランクフルト」は、本場ものとは似ても似つかない。

 ところで、ドイツ第2の都市ハンブルク、つまり英語読みでハンバーグに、ハンバーガーやハンバーグ・ステーキはあるのだろうか。

 一説によると、1850年ごろ、ハンブルク湾からアメリカへ向かう移民船で、積み込んだ薫製の肉があまりにも硬く、たたいて食べたのが起源だという。

 でも、ハンバーグ・ステーキのことをアメリカではふつうジャーマン・ステーキと呼ぶ。

 ハンブルクへ初めていったとき、地元在住の日本人Mさんに胸の疑問をぶつけてみた。Mさんは、世界的な刃物の本場ゾーリンゲンを抱えるドイツに、なぜか日本から刃物を輸出する仕事をしている。ゾーリンゲンの刃物地場産業は、人件費が上がり後継者がいなくなって国際競争力を失った。中小メーカーがばたばた倒れ、かつての栄光はないという。彼はナイフ、フォークも扱っているというから、食べる方もまんざら無縁ではない。

 「うーん。ハンブルクのハンバーグ。そりゃ、食べる人は食べるでしょうけど、決して名物ではないですね」

 ヨットの浮かぶアルスター湖の脇を通ってハンブルク中央駅まで歩いていくと、駅のまん前に例のアメリカ系ハンバーガーの店がどんとあった。じっと看板を見たが、「本家」や「元祖」の文字はさすがになかった。

 ハンブルクで一番うまかったのは、牛の生肉を香辛料や調味料とあわせてたたき、ハンバーグ状にしたタルタルステーキだった。

 さて、ナポリタンとは何語なのか。なぜかドイツ語の大きな辞書には載っていた。その意味は「小さな板チョコ」だという。由来はわからない。

 所変われば品変わる。サミットの取材が終わりナポリを去るとき、空港のルフトハンザ航空のチェックインカウンターで聞いてみた。「このチケットで、フランクフルトからケルン・ボンまで、どうやって行くか知ってる?」

 「・・・・・・?」

 「列車で地上を行くんだよ、列車で」

 濃紺のルフトハンザの制服で決めたお兄さんは、自分の会社のことなのに「まさか!」と言った。

 〔短期集中連載〕

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