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インどイツ物語ドイツ編(9)【絶品の平和カレー】

    94年夏

 「いくら日本製のカレーのルーを入れても、とろっとならないわ」。妻がぶつぶつ言いながら鍋を引っかき回している。「きっと、ドイツのジャガイモが煮込んでもとけないせいよね。……これで終わり」。皿に盛りつけはじめた。

 日本の北方四島より緯度が北にあるボンでなんでこんなに暑いんだ、と7月のある朝、夕食はカレーを頼んでおいた。猛暑=インド=カレーと実に安直な連想だったが、献立を考えるストレスを除いてやるだけでも妻孝行になる。

 ドイツの新聞によれば、前日は37度、その日は38度までいった。もともとこの国で暑さ対策など考えてもいないから、超がつきそうなわが高級マンションでも、クーラーはおろか扇風機もない。それでも何とかしのげるのは、緑が豊かで窓を開いておけばさわやかな風が通り抜けるためだ。湿気がうんと低いのがいいのだろう。

 ずっと前日本で、「インド人はなぜ辛いカレーを食べるのか」といったテレビの実験番組を観たことがあった。インドの夏なみの温度に上げた実験室で激辛カレーを食べると体温がさがる。逆に「甘ったるいジャパニーズ・カレーなど食べる気になれない」と、被験者が答えていた。

 さて、わが家のカレーはとビールで口を清めてからひと口食べ、うなってしまった。

 「どうしたの、なんかヘン?」。妻が真顔で心配している。「いや、なんでこんなにうまいんだぁ。これ、絶品だぞ、絶品!」

 エビとイカが入っている。どっちもボンのスーパーで買ったものだというから、鮮度などいいわけがない。「エビの方は、前にお澄ましにいれて大失敗だったものの残りよ」。

 そう言われて思いだした。ゆでて冷凍したエビを椀ダネにしたら、なんとも言えない変な味で、さすがに「もったいながり屋」の妻も、さっさと捨ててしまったことがあった。

 「でも、あのエビでこんなカレーができるなんてなぁ」

 素材の取り合わせと料理法の相性なのだろう。

 「隠し味もさんざんいれたのよ。日本の辛口と甘口のルーに、醤油に砂糖にケチャップに中濃ソースにコショウ。それに、長野から奪還したインドのカレー粉が効いたんでしょう」

 妻は、世紀の傑作をものにした巨匠のようにご機嫌だ。4年前にインドから日本へ帰国したとき、おみやげにカレー粉とダージリン紅茶をあちこちに配った。だが、カレー粉の方は「平均的日本人主婦には使いこなせない」とかであんまり評判がよくなかった。妻の実家でも使いかけのままだったので、ドイツへくる前、勝手に取り返してきたのだ。

 隠し味と言えばちょっと聞こえがいいが、じつは料理の味がびしっときまらないとき、妻はほとんどやけくそで手あたりしだいに調味料をいれるくせがある。もちろんカップで計るなんて細やかなことはしないため、仮に傑作ができても根本的な課題が残されてしまう。

 二度と同じ味は再現できない。

 とはいえ「やっぱり猛暑にはインド・カレーか」と変に感心しながら、「絶品、絶品」を連発してスプーンを往復させた。そこへ、妻が「ゆでかたはこれくらいでいいかしら」とパスタを持ってきた。

 ナポリ・サミットの取材でイタリアへ出張したとき、地元ナポリ県が報道陣にくれた特産品セットにはいっていたものだ。「もうちょっとゆでたほうが」と指示して、「味付けは」と聞かれ、何も考えないまま「カレーをかけてみようか」と答えた。

 これがまたいける。

 ナポリの食文化のレベルは、「同じヨーロッパなのにドイツやイギリスはどうした」とはっぱをかけたくなるほど高かった。さすがにおみやげのパスタもちがう。

 日本のカレールーでドイツのエビ・イカを煮込みイタリアのパスタにかける。ちょうど半世紀前に崩壊した日独伊三国同盟を思い、「これぞ枢軸カレーだ」と勝手に名付けた。

 すると、妻が「パスタの横のライスは、確かカリフォルニア産よ」と言う。そう言えば、インドのカレー粉も効いている。「大戦も冷戦も遠くなり、みんな仲良しの平和カレーか」。

 ダイニングには、ベルリンのロシア人コミュニティーでロシア革命当時から作られているというウォッカも置いてある。ビールが終わったら飲もうかとも思ったが、やめておいた。ちょっと甘口なのが絶品カレーに合いそうもない。

 銘柄は、冷戦を終わらせた人物と同じ『ゴルバチョフ』という。

 〔短期集中連載〕

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