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<よすみちゃん>は、卑弥呼のお友だちか

 <よすみちゃん>が、全国約7,800の博物館、美術館の情報を集めたサイト「インターネットミュージアム」のマスコット人気投票で1位になり、2011年9月18日、表彰式が行われた。

 <よすみちゃん>は、コバルトブルーの勾玉の頭と4足ヒトデのような体を持つ。島根県出雲市が昨年オープンした「出雲弥生の森博物館」のマスコットキャラクターだ。

 弥生の森は、約1,800年前の弥生時代の終わりごろから500年間にわたって古墳がつくられた西谷墳墓群の地を史跡公園として整備したものだ。

 ぼくは、偶然、表彰式の日にそこを訪れた。博物館では、四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)西谷3号墓の10分の1のジオラマを中心に展示されている。

 この墳丘墓は、台形の盛り土の四隅が足のように伸びた出雲独特の古墳で、見方によっては、ヒトデともこたつに布団をかけた形ともいえる。日本の古代史をテーマとする書物を読むと、必ずといっていいほど、この墳丘墓のことが出てくる。おなじ型の古墳は、山陰や吉備(岡山県)、長野県、福島県などで計約100基が見つかっている。古代出雲王朝の勢力圏または交流圏と考えるのが自然だろう。

 だから、博物館のキャラクターとして<よすみちゃん>が誕生したわけらしい。

 とくに、西谷3号墓は最大級で、前代未聞の珍品とされるコバルトブルーのガラス製「異形勾玉」が、発掘された。時代は、まさに邪馬台国で卑弥呼が女王となったのと同時代かそのちょっと前の紀元2世紀後半とされる。博物館のジオラマには、想像される当時の光景が人形などによって再現され、具体的なイメージを描くことができる。

 それを感心して見ていると、若い女性スタッフが勾玉の希少価値などについて説明してくれた。シルバーウィーク初日だったが、来館者は少なかった。墳丘墓からは、2体の被葬者が並んで発掘されたという。ぼくが2、3質問すると、「ちょっと待ってください」と、30代らしき男性学芸員を連れて来てくれた。

 中央展示室の壁際には、3号墓の被葬者について「男王」「女王」と説明書きがある。管玉などの副葬品から考えると、古代出雲に君臨した王と考えられなくもない。だが、遺骨などは残されていないようで、なぜ「男王」「女王」と断定できるのかわからない。

 学芸員は言う。「ひとつの木棺には鉄の短剣が副葬されていたので、男性と考えられます。もうひとつの棺からは何重にもなった首飾りなどが出土し、女性と考えています」

 しかし、ジオラマの説明板には、『魏志』倭人伝によると卑弥呼を政治面で補佐した男性がいたことが記述されており、この墳丘墓に埋葬されたふたりも夫婦ではなく女王とその補佐役と考えられる、との趣旨で書かれている。

 たしかに、『魏志』倭人伝には「男弟有りて国を治めるを佐(たすく)」とある。

 それでは、「男王」ではなく「男性補佐」として展示説明したほうがより良いのではないか。その点をつくと、学芸員は言葉を濁し明確に答えられなかった。

 それにしても、この時代の古墳で男女ペアが埋葬されているケースはとても珍しいはずだ。仮に、女王と補佐だとすれば、まさに、邪馬台国の統治形態そっくりとなり、考古学的な価値は計り知れない。とりわけ、卑弥呼の墓の可能性が高いとされる奈良県桜井市纒向遺跡の箸墓古墳(はしはかこふん)は宮内庁が発掘を許可していないだけに、西谷3号墓のペア被葬者がきわめて貴重なモデルケースとなるはずだ。

 少なくとも、この古墳が卑弥呼とほぼ同時代のものであることは確認されている。それなのに、博物館のパンフレットなどでは、「邪馬台国」や「卑弥呼」にはいっさい触れていない。何がアピールポイントなのか、博物館の関係者にはわかっていない。せっかく、税金で立派なハコモノを作ったのに、これではもったいないではないか。

 さらに、1984年から85年にかけ、358本の銅剣、6個の銅鐸、16本の銅矛が出土した簸川郡斐川町大字神庭の荒神谷遺跡からもほど近い。この世紀の大発見と四隅突出型墳丘墓との関係はどうなのか、時間と空間と歴史的関係性を整理して展示してほしいものだ。

 想像をたくましくすると、仮説が浮かびあがってくる。――弥生時代、出雲地方には有力な一族が現れ、現在の鳥取県や北陸地方、さらには関西、信州、関東、東北南部にまで勢力を拡大した。そして、少なくとも弥生時代の終わりごろ、その出雲王朝は女王をかつぎ、邪馬台国と同様、政治の補佐をする男性をつけた。ふたりが亡くなると、紀元前後から出雲の伝統となっていた四隅突出型の墓を造り並べて埋葬した。しかし、王朝は何らかの理由で急速に衰退し、その記憶が神話として記紀や出雲国風土記に書き残された――。

 博物館の発掘記録ビデオによると、「男王」の木棺を埋めた上部に4本の柱を立てた直径約40センチの穴があった。ジオラマでは、柱を立てる様子が再現されてもいる。

 それはまさに、信州諏訪の御柱そのものの光景だ。御柱祭では山の斜面に巨木を滑らせて落とす「木落し」があまりにも有名だが、そうして山奥から運ばれた巨木は諏訪大社の四隅に立てて柱とされる。信州の他の神社でも、こうした神事が根強く残っている。

 博物館の展示やパンフレットでは、そうしたロマンあふれる比較考証にも触れられていない。わが郷里の出雲人よ、奮起せよ。せっかくの出雲ならではの文化遺産をもっとアピールしないでどうする!

 --毎週木曜日に更新--

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