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インどイツ物語ドイツ編(13)【白雪姫と70人の小人たち=前編】

     95年早春

 傘張り浪人なら日銭もかせげるけどなぁ。

 食卓で黙々と写真を台紙に張り付けているネグリジェ姿の妻に、愚痴をこぼしてしまった。夜なべで<ボン日本語補習校>の記念アルバムをかねた文集作りを始めて、1週間ちかく経っていた。

 2月の半ばとはいえ、春の兆しはない。その日は曇りから雨になり、一転晴れ上がったあと、ひょうが降った。夜になると街路は凍てついたが、部屋の中はヒーティングが効いている。

 表紙に使う予定の絵を取り出した。補習校の校庭で子どもたちがサッカーや縄跳びをしている。犬を散歩させている近所のおじさんもいる。バックに大きく描かれたカギ型の校舎に、子どもたちのにぎやかな声がこだましている。小学生の女の子の絵だった。

 小学部と中学部、高校部から成る全校の生徒が描いた応募作の中から、学校の新年会で、先生と保護者、子どもたち全員の投票によって最優秀作に選ばれた。せっかくだから、他の優秀作4点も裏表紙などで使うつもりだった。

 子どもたちの作文は、低学年から順に並べてページをふり、ワープロで目次を作った。巻頭に、1年間の行事と各クラスの写真をレイアウトして張りつける作業を、妻に手伝ってもらった。

 ようやく編集後記を書くことろまでこぎ着けた。その前に、すべての作文をじっくり読んだ。

 <ぼくは、しんねんかいのとき、おはなしあてっこあそびをしました。ぼくは、力たろうをよみました。
 1分たっておなべがなりました。10人ぐらい手をあげました。ぼくは、りょうのすけくんのおにいちゃんをあてました。「力たろう」「あたり」とぼくは、いいました。
 ・・・ぼくのおとうさんは、しゃしんをとっていました。おかあさんは、あんまりみませんでした。>

 優士は、1年間でここまで日本語が書けるようになった。

 日本語補習校の新年会では各クラスが歌や合奏、劇などを発表した。1年生は自分で選んだ物語を朗読し、その題名を当ててもらう出し物をした。持ち時間が終わり先生がお鍋をカーンと鳴らすと、ハイ、ハーイと手が上がった。講堂や体育館はなく、一番広い教室にびっしり椅子を並べて発表会場をしつらえた。

 ぼくは、文集に使う写真をとるのに忙しく、妻は発表会の中休みに開く「飲食バザー」の準備で発表を見るどころではなかった。

 日本語補習校は、ドイツの現地校やアメリカン・スクールで学んでいる日本人の子どもたちに日本語を勉強させるため、毎週土曜午後、ボン市立成人学校の建物を借りて開かれる。ほかに、ドイツに生まれ育った日独ハーフでドイツ語を母語としている子どもたちなどもやってくる。校舎は、ボン南部バートゴーデスベルクの静かな住宅街にあった。

 「どうせ新年会をやるなら、パーッとやりましょうよ」。年末の企画会議でぼくが提案すると、先生方や保護者代表も乗ってきた。前回までもおとそ代わりの缶ビールは用意したそうだ。今回は、各家庭から料理を持ち寄って「大人にも楽しい新年会」にすることにした。

 同じようなメニューだけが集まってもこまる。毎週発行する「お知らせ」にアンケート欄をつけ、どんな料理を作ってもらえるか調べて調整することにした。味つきゆで卵、揚げたて海老せんべいなど美味しそうなものがたくさん提案された。ビールのおつまみにもなるぞっ。

 一律1マルク(70数円)の小口に分けて売り、収益は補習校の備品用にすることにした。

 補習校からみてライン川の対岸には、グリム童話『白雪姫と七人の小人たち』の舞台となった七つの山(ジーベンゲビルゲ)がある。補習校で毎年発行する文集のタイトルも『七つの山』といった。

 補習校は運営委員会がすべての責任をもって運営している。優士の入学から3か月ほど経ったころ、ぼくは保護者総会で4人の委員のひとりに選ばれ、行事委員を引き受けた。いわゆるイベント屋、宴会部長で、文集の編集長を兼ねる役割だ。

 「1階のトイレに紙がないって。買い置きもないんだって。どうするのぉ」

 ある開校日、補習校の事務室に妻が飛び込んできた。

 「運営委員には校長を首にする権限だってある。けど、じっさいにはトイレットペーパーの心配なんかのほうがよっぽど大切だものねえ」。委員仲間のひとりがため息をついた。

 4人の運営委員は、毎週、ひとりずつ交代でその開校日の責任者をつとめる。学校に一番乗りして入り口の鍵を開けることから日課が始まる。一般保護者の当番ふたりの助けを借りて事務室から廊下に長テーブルを出し、資料や前週の忘れ物を置く。水道水はそのまま飲めないので、子どもたちのためにミネラルウォーターのボトルとコップも並べる。

 先生たちがつぎつぎとやってきて教材のコピーをとるころになると、狭い事務室はラッシュアワーとなる。

 妻は、コージ君やフミト君のママたちと井戸端会議をはじめ、トイレットペーパーのことなどすっかり忘れている。ぼくは棚の隅に1巻だけ残っていたのを見つけ、だまって手渡した。

 「いっけなーい。あの子まだがんばってるかしら」。妻は廊下の一番奥にあるトイレへ向かってダッシュした。

 ――つづく

 〔短期集中連載〕

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