インどイツ物語ドイツ編(15)【痛恨のフラメンコ】
95年春
バルセロナ市街地の中心にある大寺院の石畳の路地を歩いていると、名曲『アルハンブラの思い出』が聞こえてきた。ふたりの青年がギターを弾き、観光客が聴き入っている。いかにもできすぎたシーンだが、やはりスペインに来たという実感がわく。
あさってには、そのアルハンブラ宮殿へ行く予定だからなおさらだった。ぼくはちょっと感動して、青年の足元に置かれた帽子に多めのチップを入れた。
しかし、後から思えば、その直後から流れが変わった。ちょうどミサが行われている大寺院に入ると、優士が突然戻してしまった。午前中は本場の『スペイン村』や五輪スタジアムなど目いっぱい歩き回った。スペイン人風にシエスタ(午睡)をとって夕方でかけたのだが、暑さに当たったのだろう。幸い少し汚しただけだったので、ティッシュペーパーで床を拭き取り、優士を寺院正面入り口の石段で休ませた。
家族をそこに残し、ひとりで寺院内の博物館を探し歩いた。聖母マリアがキリストの遺体を抱く『ピエタ』像があるはずだった。日本の中学の美術教科書に載っているのは、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの作品のはずだが、ここの像もひと目みたかった。母性を究極の姿で表したものだ。
少し胸を高ぶらせ博物館をやっと見つけた。だが、入り口には「本日閉館」の掲示があり、他の観光客も舌打ちしている。
タクシーで動物園へ向かった。世界でただ1頭の白いゴリラがいるといい、子どもたちはずいぶん楽しみにしていた。ところが、正門前で優士がまた戻してしまった。再び通路わきに座り込んで休ませているうち閉館時間になった。
「きょうは仏滅かなぁ」と言いながら、子どもたちに売店で白ゴリラのぬいぐるみを買ってやり、タクシーでバルセロナ随一の繁華街ランブラス通りに行った。
カタルーニャ広場からコロンブスの塔までつづく1.2キロの歩行者天国で、花屋があり鳥を専門に売る店があり、大道芸人、カフェテリア、レストランが並んでいる。通り沿いには、世界的に有名なリセウ大劇場、サンジュゼップ市場、レイアール広場などがあり、南の終端にはアメリカ大陸に白人として初めて到達したクリストファー・コロンブスの像がある。
午後8時からのフラメンコ・ショーを予約してあった。今のうちにと、歩行者天国わきのレストランの屋外テーブルに座り、夕食を食べた。日が暮れ初めて涼しくなり、優士も元気を取り戻している。ほっとひと安心してビールを飲んだ。
だが、ついてない時はついてない。ほろ酔い気分でごった返す歩行者天国を散歩し、カラースプレーで絵を描く大道芸人の腕に感心している時だった。
若い男がぼくの足元にしゃがみ込み、「マネー、マネー」と言いながら、靴と足の間に指を突っ込んでくる。変だな、コインでも落としたのかなと思ったが、次の瞬間あることがひらめき、「危ないっ!」とズボンの右ポケットを押さえた。
もう、財布は抜かれていた。「スリだっ!」と妻に叫んで、すぐ右後ろにいた男の手首をつかんだ。男はニヤニヤしながら「何も持っていないよ」とばかりに両方の手のひらを振って見せる。
「えーっ、誰が?」。妻は、その場からすーと立ち去ろうとする別の男の腕を取りかけた。そいつもニヤニヤしながら行ってしまった。
「あの帽子をかぶった男よ。私見たわ」。太った若い女が雑踏の中を指さし、小走りに追いかけようとする。思わず一緒に走り出した。「どこだ?」「あの男よ、ほら、帽子をかぶった!」
妻と、何が起こったかわけの分からない子どもたちもついてくる。10メートルほども雑踏をかき分けたところで気づいた。
みんなグルだっ!
太った女も雑踏の中に消えている。自分がつくづく間抜けに見えた。少なくとも3人の男が周りを取り囲んでいた。ひとりがしゃがんで靴に指を突っ込み、こっちの注意を引く。その瞬間にもうひとりが財布を抜き取り、別の仲間に手渡す。グルの女がスリを追いかけるふりをして、その間に一味はとんずらする。
スリやかっぱらいの手口は、かつて特派員として飛び回ったインド亜大陸で知り尽くしていたはずだった。ニューデリーの中心にあって観光客が集まるコンノート広場も“名所”のひとつだった。
金持ち日本人などをねらう連中は、たとえばウンチを少し観光客の靴の上に置いて「汚れてる。大変だ、大変だ!」と騒ぐ。ひとりが親切にも話しかけながら靴を拭くそぶりをしているすきに、もうひとりがバッグやポケットを探る。
同じスリでも、日本の達人のように単独プレーで鮮やかにやられるのなら、その技をほめてやってもいい。だが、こんなテクニックもくそもない子どもだましの手口にやられたのが悔しい。
インド時代のような緊張感がなくなってしまったのか。南ヨーロッパもスリの巣と知っていたのに。スリにやられたことがないというわが「栄光の記録」が絶たれてしまった。
ランブラス通り沿いのレストランの小舞台で繰り広げられるフラメンコ・ショーは、うわの空だった。深紅のドレスのダンサーが床を踏みならす響きも、激しいギターの音色も、間抜けなニッポン人へのあざ笑いの声に聴こえる。
途中で席を立った。タクシーを拾おうにも1ペセタもない。500マルク、約3万2,000円分をその日午後に両替したばかりだった。幸い、ホテルへはどうにか歩いて帰れる距離だった。ホテルにはある程度のマルクが残してある。
「あの取ったお金で、連中は今ごろ宴会でもしてるんでしょうね」
ホテルへの道すがら妻が言った。
「今度来る時は、新聞紙のダミーの札で膨らました財布をポケットに入れておこう」
「その時、バーカってスペイン語と英語で書いた紙を入れておいたらいいわね」
同感だ。ちくしょう、スリグループめ。
〔短期集中連載〕
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