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激変するインドにあって、変わらないインド

               ―― 『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』番外編

 姉の四十九日の法要で帰省した折、地元・出雲にいる高校の同窓生11人が集まって宴を開いてくれた。その際、ぼくがかつてインドに駐在し、2009年にはインド体験記の本を出したこともあって、いまや新興国となったかの国の社会情勢について、いろいろな質問をされた。

 ひと言でいえば、インドは激変したし、同時に、まったく変わっていない部分もたくさんある。

 2008年8月に、家族を連れてインドを再訪したときのことだ。1週間の滞在を終え、ニューデリーの空の玄関口、インディラ・ガンジー国際空港へ着いた。使い切らなかったインド・ルピーのお札を日本円に再両替しようと、銀行の支店へ寄った。

 「あと2,000円出してくれれば、ちょうど1万円になるよ」と、窓口の行員は言った。インド時間の深夜で、日本時間では未明のことだ。疲れ切っていたので、両替証明書をもらうこともせず、言われるままに2,000円を出して1万円札を受け取った。

 そして搭乗し機内で少しほっとしたとき、ひょっとしたら、と思った。携帯電話の電卓で計算すると、ぼくが使い残したインド・ルピーはほぼ1万円相当で、2,000円など払う必要はなかった。やられたっ。ぼくをまんまとだましたのは、民間ではなく国立銀行の行員だった。

 彼らは、そうして稼いだ金をプールしておいて、みんなで仲良く山分けするのだという。あいつらの手口は熟知していたはずなのに、スキを突かれてしまった。インド暮らしから20年近くが経ち、銀行員がダマシなど決してしない日本で平和ぼけしてしまったのかも知れない。

 昔ながらのインドがそこにはあった。いま思い出しても、あれほど簡単な手口でやられるとは悔しくてたまらない。

 国立銀行員があんなことをするなんて、国の恥以外のなにものでもない。だが、公務員の年収は少なく、経済発展にともない急増する民間の中流層との格差が広がるなか、あの手この手で“生活費”を稼ぐのだ。

 そのため、汚職も依然としてはびこっている。2011年8月には、社会活動家アンナ・ハザレ氏(74)が、ニューデリーで、強力な汚職取り締まり機関の設置を求めて断食をした。その広場には市民数万人が連日群れをなし、政府はたじたじとなった。

 たとえば、パスポートひとつ作るのにも役人に賄賂を贈らなければ動いてくれない。それを断じて拒否したあるインド人研究者は、日本での学会に参加できなかった。かつてぼく自身、日本から船便で送った家財道具を通関する際にも、税関吏に多額の賄賂を要求された。外国からの郵便物を受け取る際にさえ、小銭を要求されたことがある。

 市民みんなが役人のえげつないやり方に腹を立てているから、ハザレ氏への支持者も膨れ上がる一方なのはよくうなずける。

 ハザレ氏が断食に打って出たのは、2010年以降、携帯電話の新規周波数割り当てをめぐり前通信大臣が逮捕され、スポーツの国際大会開催をめぐる汚職疑惑でも政府高官が逮捕されたのがきっかけだった。

 断食は、イギリスからの独立を求めて闘ったマハトマ・ガンジー以来の非暴力抵抗運動の手段であり、インドの市民へのアピール力は絶大なものがある。ハザレ氏や側近も、そうした影響力を充分に知っており、断食の場にマハトマ・ガンジーの巨大な写真を掲げた。

 ハザレ氏は、4月にも、断食をして政府に汚職防止機関の設置を約束させた。しかし、政府の法案では、新機関の捜査対象から首相が外されたことなどに反発し、8月16日、再び断食に入ろうとした。

 そのとき警察当局はハザレ氏を逮捕したため、抗議デモが燃え上がり、3日後には政府も釈放を命じざるをえなかった。ハザレ氏は断食をつづけ、政府も議会も世論に屈し、ハザレ氏の求める強力な機関を設置することになった。

 ハザレ氏は、28日、断食を終えて蜂蜜入りのココナッツジュースを飲み、「インド国民の勝利である」と宣言した。集まった群衆は、音楽が鳴り響くなかで「現代のガンジー」に喝采を浴びせた。歓喜はインド全土に広がったという。

 作家でありニュース週刊誌『オープン』の編集長でもあるマヌ・ジョゼフ氏は、ニューヨーク・タイムズへの寄稿でこう評価している。

 「ドラマチックでしかも予測できた結末だった。インドのほとんどのメディアは革命だとみなしている。あるメディアは『インドの春』と呼んだ。気象庁によれば、インドに春という季節はないが」

 インドの春というのは、もちろん、中東・北アフリカの独裁政権が民衆によって次々に倒された「アラブの春」をもじったものだ。そのアラブの春も、1968年に起こったチェコスロヴァキアの変革運動「プラハの春」から来ている。

 ハザレ氏が導いた運動は、確かに革命と呼ばれてもおかしくない。でも、汚職防止機関のメンバーに役人が賄賂を渡して罪を見逃してもらう、という事態もありそうなのがインドなのだが。

 --毎週木曜日に更新--

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