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インどイツ物語ドイツ編(23)【悲しみの午後=後編】

      95年晩夏

 追悼のプロフィールで初めて知ったのだが、フェルドマン先生は20年以上、いつも小学1年生を教えてきたのだった。優士が先生のクラスにいたのは、4月に転入して夏休み前に学校の年度が終わるほんの3か月足らずだった。

 初登校の日に、しくしく泣いていたのが、今では「アメリカン・スクールは楽しいよ。日本になんか帰りたくない」と言うまでになった。フェルドマン先生が最良のスタートを切らせてくれた。

 牧師さんは、壇上で銀のグラスに入った葡萄酒を飲み干し、大きなコインのような白いものを食べた。

 <最後の晩餐で、イエス・キリストはパンを手にとり、それを祝福し、それをちぎり、弟子たちに分け与えました。その行いは惜しまず分け与えたマリー・アンヌ・フェルドマンの生涯を思い起こさせます>

 参列者たちは、中央の通路に列をつくり、ひとりずつその白いものを受け取って食べている。子どもたちといっしょに列の後ろに並んだ。葡萄酒はキリストの血、パンはキリストの肉とされる。パンになぞらえた白いコインに味はなかった。歯ざわりは、日本の「えびせん」とそっくりだった。

 クルティエ先生が演壇に立った。英語のうまく話せない子どもたちに特別授業をするESL(第2言語としての英語)コースの担当で、優士のもうひとりの「最初の先生」だった。フェルドマン先生とは年ごろも近く、とても仲がよかったらしい。追悼ミサがあることを電話で妻に連絡してくれたのもクルティエ先生だった。ESLコースはクッキーを焼いたり工作をしたり、とても楽しい授業で、子どもたちはこの先生が大好きだ。

 <マリー・アンヌはとても話じょうずでした。ドイツが東西に分かれていたころ、国境近くでパーティーをして大騒ぎし、気がついたら鉄のカーテンの向こう側に入りそうになっていた。フランスに行ったとき「完全なるグルメの店」を求めて3つ星レストランを車ではしごした。そんな話は何度聞いても聞き飽きませんでした。

 食事といえば、彼女の料理のすばらしさを否定する人はだれもいないでしょう。ただ、糖尿病だったので、自分ではほとんど食べられませんでしたが。なぜ、彼女はそんな病気になったのでしょう。分かち合うこと、与えることが好きだったからです>

 故人を知っている参列者は、どっと笑った。食いしんぼうだったフェルドマン先生のふくよかな顔を思い浮かべたのにちがいない。そして、笑いながら目頭を押さえていた。クルティエ先生は、悪友の結婚式でスピーチでもしているように話そうと努めていた。目の縁は赤くはれていたが。

 <彼女は、分かち合うこと、与えることが好きでした。彼女が立てたあの20フィートもあるクリスマスツリーのように大きい心を持っていました。そのツリーのように、彼女も1,000個ものライトで輝いていました。電気は、ややこしく絡まりあったコードとスイッチを通ってきていましたが>

 また、どっと受けた。そして、すすり泣きがつづいた。絡まりあったコードで輝くクリスマスツリーのようなフェルドマン先生。そのイメージは、一瞬、体中にチューブをセットされた末期癌の病床を連想させた。

 <彼女は毎晩、何時間もかけ、連絡カードにそれぞれの子どもについてコメントを書いていました。そのハードワークぶり、子どもたちを思う心にいつも感心しました。

 お昼の時間に子どもたちがランチルームで騒いでいても、彼女がドアのところに黙って立ち、両腕で胸を抱くようにして見つめるだけで、シーンとなるのでした。私たちは、「フェルドマンの凝視」と呼んでいました。

 彼女は魔術師でした。学校生活のスタートに、フェルドマン先生と出会えた実に幸運な子どもたちが何100人といます。マリー・アンヌはその子どもたちの中で生き続けています>

 再び賛美歌を歌い、ミサが終わった。礼拝堂の地下室でささやかな追悼パーティーが開かれるという。それは失礼することにして、最前列にいたクルティエ先生にあいさつに行った。

 「ユーシ、マイ。きてくれて本当にありがとう」。先生は子どもたちの頭をなでた。「ユーシは、もうすぐESLコースに来なくてもよくなると思いますよ」。先生は、むしろこちらを励まそうとしてくれた。優士はその言葉を聞き取ってうなずいている。

 チャペルの玄関に、椿に似た葉で大きな輪のリースがあった。クレヨンや、はさみ、ものさし、絵筆、セロテープが取り付けてある。8月末から新しい学年で使うはずのものを同僚の先生たちがフェルドマン先生に送り届けるためにリースにくくりつけたという。

 クルティエ先生は、スピーチの中でこんな軽いジョークも飛ばしていた。「天国で新1年生たちが待っていました。マリー・アンヌは新学年に間に合いました」

 外は、まだ蒸し暑かった。やっぱり子どもたちを連れてきてよかったな、と妻に語りかけた。人が死ぬ、ということを子どもたちはどれだけ分かっているだろう。いますぐには理解できなくても、きっとこの蒸し暑い日の午後のことを覚えている。大人たちが泣いていた。みんなで賛美歌をうたっていた。白いコインのようなせんべいを食べた。クルティエ先生は、目を赤くしながらも微笑んでいた。

 人は生まれ、いつかは死んで行く。人の死は悲しいけれども、避けられないものだから、こうやって儀式をして、亡くなった人の魂をなぐさめ、残された人たちの悲しみをなぐさめる。そして、その人たちもいつかは亡くなり、新しく生まれる人がいる。いつか、それが分かる日がくる。

 道路脇にとめていた車に乗りオフィスへ帰ろうとしたとき、妻が「日本式だけど」と言いいながら、黒服に清めの塩をかけてくれた。「どうして、そんなことをするの」と子どもたちが聞いてくる。ほんとうなら今夜は、どこかのレストランでささやかなお祝いをするはずだった。これまで、この日をきちんと祝ったことは一度もなかったのだけれども。

 きょうは9回目の結婚記念日だった。

 〔短期集中連載〕

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