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インどイツ物語ドイツ編(24)【折り鶴にまた会う日】

      95年秋

 ボン中央駅で短距離特急(インターレギオ IR)に乗り込み、2時間ほどの旅にでた。北ドイツの大学町ミュンスターへの週末の家族旅行だった。ドイツ鉄道(DB)の特急には、3人がけの席が向かいあうコンパートメントがある。窓ぎわに、おばあさんがひとりで座っていた。10月下旬のよく晴れた日で、市街地を抜けると窓の外には緑に輝く牧草地がつづいた。

 コンパートメントに家族だけのとき、たいてい優士と舞がけんかを始め、乱闘寸前の大騒ぎとなる。知らない人がいれば、ふたりともおとなしい。
 「おばあちゃん、おんなじだね」。

 舞が袖を引っ張り耳もとでささやいた。何のことか、すぐには分からなかった。自分と老女の服のことらしい。どちらも落ちついたえんじ色の上下だった。

 ドイツの高齢の女性には、近所への買い物のときにさえ、派手な服を身につけ濃いめの化粧をする人が多い。ハイヒールをはき、ころびそうになりながら行く人もいる。窓際にぽつんといるおばあさんは、化粧も控えめだった。

 「かわいいお嬢さんね。もう、学校へ行っていますか?」

 なまりのない品のいいドイツ語で話しかけてきた。デュッセルドルフにいる友だちに会いに行くところだという。

 「私にはもう、ひ孫がいるんですよ」

 そういえば、と手提げのなかから写真を一葉取り出して見せてくれた。優士や妻ものぞきこむ。目のまん丸い栗色の髪の坊やだった。子どもたちがアメリカンスクールへ通っていることを知ると、ゆっくり英語で名前を聞いた。ふたりとも恥ずかしがって、小さな声でちょこっと名乗った。

 「グーテン・ターク!」

 舞はわざとドイツ語のあいさつをつけ加えた。こんにちわ。日常では、単に「ターク!」とも言う。

 さようならの正式な言い方は「アウフ・ヴィーダーゼーエン」。そのまま訳せば「再会を期して」となる。重々しい響きを持ち、心は茶道の「一期一会」につながる。ドイツ語の中でぼくが一番好きな言葉だった。子どもたちに、最近、その本来の意味を教えてやった。あまりに長たらしく、人はふだん「ヴィーダーゼーエン」だけ口にする。

 1980年代半ばごろから、由来不明の「チュース!」という軽い別れのあいさつがはやっている。最近は、イタリア料理ブームのせいか、若い世代は「チャオ!」とも言う。

 優士と舞は、妻がいつも持ち歩いている千代紙をもらって折りはじめた。

 おばあさんはドイツ語にもどり、「オリガミ」という言葉をまじえた。

 「息子の友だちに日本人の夫婦がいました。奥さんの方は確かユキかユケといいました。東洋の人の名前は覚えにくいものです。そうそう、シュネー(雪)のことだと言っていました」

 ユキさん夫妻に折り紙のことを聞いたのだろう。

 赤い地の千代紙から、きのうの夕焼けを思いだした。厚くひだを寄せた茜雲が、地平線は金色に、頭の上は赤銅色に染まっていた。きょうも郷愁をそそる夕焼けが見られるのだろうか。

 「アジアへ行ったことがありますか?」

 脈絡もなく聞いてみた。おばあさんは軽くため息をつき、窓の外に目をやった。牧草地を区切るポプラ並木が通り過ぎていく。

 「若いころはヒトラーの時代でした。戦争が終わってからは貧しくて、3人の子どもを抱え苦労しました。少しお金ができたときには、夫が病気で倒れました。私ももう79歳です。あなたの国へ行くこともないでしょう」

 優士が、今、おばあちゃんヒトラーって言ったの?、と小声で聞いた。現代史でもっともいまわしい人物の名前を、こんなところで耳にした。列車の中だけに、強制収容所へ家畜のように送り込まれたユダヤ人たちを連想する。

 ドイツ人とりわけ戦中派は、戦時中という言い方をあまりしないように思う。戦争に突入するずっと前から、ヒトラーが率いる時代はあった。戦争はあの鼻ヒゲの独裁者が起こした。自分たちはむしろ被害者だった。無意識にもそう思いたいのだろうか。あまりにもむごい過去ゆえに、そう思わなければ、戦後のドイツの人びとは生きていけなかったのかもしれない。

 列車はデュッセルドルフの市街地へ入り、スピードをゆるめた。妻にうながされ子どもたちが赤い折り鶴を差しだした。おばあさんはほほえんで両手の掌に受け取り、ていねいにお礼をのべてハンドバッグにしまった。

 列車が止まり、ぼくがコンパートメントのドアを開いてあげた。おばあさんは、ぼくたち家族の健康と幸せを祈る言葉をゆっくり、はっきりとのべた。列車がふたたび動きだすのではないかと心配するほどだった。

 そして、「アウフ・ヴィーダーゼーエン!」と言って降りていった。

 舞が「もう会うこともないのにね」とつぶやいた。

 〔短期集中連載〕

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