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インどイツ物語ドイツ編(26)【空を飛んだウサギ=後編】

      95-96年冬

 そのうち、ベルリンへの転勤話が持ち上がった。こじんまりとしたボンの街のたたずまいも悪くないが、ドイツで断トツの大都会に住んでみるのも悪くはない。同じ国の中だから海外への引っ越しより楽とはいえ、ボンで後任者に事務を引き継ぎ、ベルリンで前任者から引き継ぎを受けなければならない。家も探さなきゃいけない。

 日本から持ってきた段ボール箱がまだそのまま放ってあるというのに、新たに真新しい段ボールが床を占領し始めた。正月気分もゆっくり味わえないうちに、引っ越しのXデーが迫ってくる。

 ベルリンの新居は、年末に家族で飛んでいって大慌てで決めてきた。大きな庭があるメゾネット式の素敵な家だ。

 さて、何が大変かといって、ラブの輸送問題が一番のネックだった。すっかり家族の一員になった「初孫」を、今さら他人に譲るなどと言えば、子どもたちがわめき立てるに決まっている。

 9年ぶりの厳冬とかで、引っ越し荷物といっしょにトラックに積み込めば、冷凍ウサギになってしまう。家族といっしょに飛行機に乗せるしかない。運送屋さんが家具の運び出し作業をやっているさなか、オフィスにいる助手のザビーネに電話した。

 「ルフトハンザ航空に、ウサギを運ぶにはどうすればいいか聞いておいてよ」

 あとで、片づけのためオフィスへ飛んで行ってザビーネの報告を受けると、4、5か所も電話をたらい回しにされた挙げ句、やっと確かなことが分かったという。

 「離陸2時間以上前に、空港の別棟にある貨物窓口へ行ってチェックインして下さいって。専用の檻に入れて運ぶそうです」

 「えーっ、ウサギは貨物なの?」

 「重さが5キロ以内の犬や猫なら機内に連れて入っていいし国内線は運賃もかからないけど、ウサギはだめです」

 ラブはハイジャック犯扱いか。ぬいぐるみみたいにかわいいのに。

 「ウサギはネーゲティーアで、万一、機内で逃げ出したらケーブルをかじる恐れがあるからだそうです」

 そう言えば、わが家のリビングルームで遊ばせておいたら、テレビゲームのケーブルをばらばらになるほどかじったことがある。おかげで優士は、日本にいる大の親友ユウタ君に電話してケーブルを送ってもらわなければならなかった。でも、ネーゲティーアってなんだ。大独和辞典を開くと「げっ歯類。ウサギ、リス、ナズミなど」とある。

 輸送料は檻代込みでざっと300マルク、2万円以上かかるという。お金もかかるが、それより2時間も前に空港に行く時間がない。当日の午前中、後任者に引き継ぎをした後、午後2時40分発の便で飛ぶことになっていた。

 ラブちゃんをどうやってベルリンまで連れて行くか。妻が発信源となり、ボンの友人たちの間でもすっかり関心を集めてしまった。

 ボンでの最後の晩、Kさん一家が、わが家のほかに2、3の家族も呼んで盛大なさよならパーティを開いてくれた。大変なごちそうで、文字通り死にそうになりながら胃袋へ詰め込んだ。話題はラブのことに集中した。

 「そりゃ、こっそり持ち込んだ方がいいでしょう。お金ももったいないですよ」という声が圧倒的だ。やっぱり強行突破か。

 ルフトハンザは1994年10月に民営化され、すっかり親切になった。「お客様は神様です」なんて国が地球上にあることさえ知らなさそうなこの国で、最近は地上職員も搭乗員もにこやかに「ダンケ・ゼーァ!!」などと言うようになった。しかし、法律や規則には世界でも最もうるさいドイツ人だから、ラブがもし見つかったらややこしいことになる。

 「エックス線のチェックが問題でしょうねえ」

 「骨の形がくっきり見えたら、こりゃなんだってことになるよね」

 酒の肴の話題として結構盛り上がった。

 今や、空港のエックス線装置のディスプレーはカラー化されかなり鮮明だ。そこに背骨がはっきり映し出され、ぼんやりと長い耳が見えたら・・・。セキュリティー・チェックのおじさんはどんな顔をするだろう。想像すればちょっと楽しいが、同時にぞっとさせられる。

 作戦の当日がやってきた。子どもたちは、前夜、Kさんのうちに泊めてもらっていた。妻はホテルからKさん宅へ直行し、ぼくはオフィスであわただしい引き継ぎを終えてKさん宅へ向かった。

 ラブちゃんを運ぶ箱は、ごそごそ動き回らないよう小さ目のものにし底にビニールを敷いた。プラスチックの餌入れに乾燥飼料を入れ、粘着テープと紐でふたを閉じた。万一見つかっても「これなら逃げ出さないからだいじょうぶ」と言い張るつもりだ。

 日曜日の昼下がりとあって、友人知人が次々と見送りに集まってくれた。8家族、大人と子ども合わせて30人ほどにもなった。

 ボンで暮らして1年と10か月。これほどの数の人と親しくなれたのは、不思議な“集客力”のある妻とふたりのちびっこ外交官の功績だった。

 あわただしさと作戦決行前の緊張で、感傷に浸っている場合じゃない。

「元気でねー」「遊びにきてねー」という声が飛び交う中、タクシーに乗り込んで空港へ向かった。「すごい見送りだね」と運転手のお兄さんが驚いている。

 ケルン・ボン空港、正式には西ドイツの初代首相の名をとってコンラート・アデナウアー国際空港という。1昨年だったか、コール首相がつけたのだ。

 ラブちゃんの箱はチーママ舞が持っている。「君たちはここで待ってて」

 搭乗手続きをする間、子どもたちをロビーの少し離れたソファーに座らせた。チェックインカウンター前で、箱がガサゴソ動いたりしたらまずい。子どもたちが日本語で「ウサギが・・・」などとしゃべってもたぶんだいじょうぶだろう。カニンヒェンというドイツ語は知らないはずだが、何かの拍子に「ラビットが・・・」などと言い出せばやばい。ルフトハンザのお姉さんの耳がウサギみたいに伸びて、「その箱は?」となりかねない。もっとも、ラブちゃんの耳はあまり長くはないが。

 搭乗券を4枚受け取り、子どもたちといっしょにセキュリティ・チェックのゲートに向かう。

 妻に目配せすると、光線の具合か、少しひきつったように見える。

 ぼくは真っ先に長年愛用のフライト・バッグをエックス線装置のローラー・ベルトに乗せ、さっさとゲートを通り抜けて荷物の受け取りカウンターに回った。エックス線装置のカラーディスプレーに、子どもたちのナップザックの影がくっきり映っている。

 妻もゲートをくぐり、ぼくの横に立ってディスプレーをちらっちらっと見ている。ローラーの上をころがる箱の角が現れた。底に丸いものがある。硬質プラスチックの餌入れだ。続いて大きめのスポンジ・ボールのようなものが映る。

 あれだ。骨なんかまったく映っていない。影からは生き物にも見えない。

 何事もなく、箱はローラーの上を滑りでてきた。妻と目配せしたが、まだ安心してはいけない。急いで箱を受け取り、子どもたちをせき立てるように搭乗ロビーに入った。

 「ラブちゃん、おりこうだったわね。体をうまく丸めてたから、あれじゃ何だか分からないわよね」

 ソファーに座りながら、妻が「勝利インタビュー」に答える監督のような調子で総轄をはじめる。確かに、耳をピンと立ててでもいたら、その場で牽制タッチアウト、ゲームセットになったかも知れない。

 「それにしても、背骨くっきりなんて誰が言ったんだ。夕べ、みんな本気でそれを心配してくれたけど」

 考えてみれば、胸のレントゲン撮影じゃあるまいし、空港のエックス線がそんなに強いわけがない。言い出したのは、確か東大工学部出身の俊英Tさんじゃなかったか。

 機内でスチュワーデスのお姉さんに見つかる恐れが残っていたから、まだ気は抜けない。勝負は下駄をはくまで分からない。そうは思うのだが、緊張感はほとんど消えていた。

 優士はロビーの端に置かれた無料サービス品の棚からチョコバーを持ってきて食べている。舞はリンゴをかじりはじめた。

 「私も取ってこようっと」。妻はセルフサービスの紅茶を入れ、リンゴを3、4個、コートのポケットに入れて持ってきた。「だって、ラブちゃんの餌にもなるでしょ」。主婦はいつでもたくましい。

 機内はエンジン音でかなりうるさく、ラブちゃんがガソゴソいわせても聞こえはしない。チーママ舞の座席の下にそっと置かれた「持ち込み手荷物」は、何事もなく空を飛んだ。

 「早く開けてラブちゃんを見たーい」。ベルリン・テーゲル空港で預け入れ手荷物がベルトコンベアーで運び出てくるのを待ちながら、舞が両足でピョンピョン跳ねて叫ぶ。

 「まだ、もうちょっと。荷物を受け取って外へ出てしまえばOKだから」

 出迎えの人たちで混雑する到着フロアで公衆電話を探し、Kさん宅にかけた。携帯電話は支局用だから後任に引き継いでいた。

 「愛兎秘密空輸作戦ニ成功セリ。アレス・グーテ(いずれまた)!!」

 〔短期集中連載〕

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