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インどイツ物語ドイツ編(27)【ベルリンの信州味】

      96年春

 朝ゆっくり起きて窓の外に目をやると、気持ちよく晴れ上がっている。そういえば、日本ではゴールデンウィークに突入しているはずだった。

 「ベルリンのこの時期の天気は、だいたい信州なみかなあ」

 信州産の妻とブランチを食べながら話していた。昼間は暑くなっても夜になると一気に冷え込む。

 食卓には夕べの残りの海草サラダがあった。日本から持ってきた貴重な乾物だった。
 

 「これ食べるともっときれいになるよ」

 野菜類の苦手な舞に少しでも食べさせようと、妻は苦労している。

 「うそだ。お母さんはしょっちゅう食べてるのにちっともきれいにならない!!」

 優士がすかさず口をはさんだ。休みの日にかぎって朝6時前には起きだし、テレビゲームにかじりつく。そのせいで、1日中眠くてきげんが悪い。

 「きょうはお母さんの誕生日なんだから、うそでももう少し優しいこと言えば」

 うそでも、はよけいだったか。眠気ざましに優士と舞を裏庭に連れだした。大きな1軒家を上下左右の4世帯に分けたメゾネット式住宅で、わが家は2階、3階、屋根裏の半分を占めている。マンションながら家の中は3階建ての感覚だった。

 道路側の前庭には花壇があり、裏庭は子どもたちと遊ぶには十分な広さがあった。芝生の間に雑草がのぞき、踏み荒らしてもオーナーに文句を言われそうにないところがいい。野球のグローブをはめ、優士と硬式テニスのボールでキャッチボールをした。舞は庭の片隅にある砂場でお城を作っている。

 キッチンの片づけを終え下りてきた妻が、隣の庭を指さして声をあげた。

  「ねぇ、あれコゴミじゃない?」

 まさかこんなところに。駆け出しの記者として赴任した長野で、初めてコゴミを食べた。ゼンマイに似ているが、丈がやや低く緑が濃い。ゆでて削り節、しょうゆをかけると、季節感たっぷりの酒の肴になる。天ぷらや胡麻あえにすることもある。

 長野市にある妻の実家の庭でも、本格的な春がくれば必ず顔を出した。名前はおそらく、屈(こご)んだようなその姿からきているのだろう。ここ数年、東京近郊のスーパーでも見かけるようになったが、あれは栽培物のせいか風味がややおとる。

 「ゆう君、採ってきて」

 パリの花盗人の再現だった。あのときはルーブル美術館の庭で赤ジゾを失敬した。それにしても、妻はつねに食べ物を求め、あたりに目を凝らしているのだろうか。キャッチボールですっかり目のさめた優士は、身の高さほどもある金網フェンスを一気によじのぼり、お隣へ侵入した。

 「もっと右、右。葉っぱだけじゃなく根っこごと引き抜いちゃいなさい!」

 隣の人が出てきたらドイツ語で何と説明すればいいのか。こっちの心配も知らず、妻は大胆な指令を出している。

 確かにコゴミだった。ベルリンと信州の気候の話をしたばかりの偶然に驚かされた。根っこはバルコニーのプランターにおさまり、葉っぱはもちろん、おひたしとして夕食の一品となった。

 もの覚えのどこかトンチンカンな舞も、コゴミの形と名前はすぐに覚えた。

 翌日、日本は「緑の日」で休みだが、子どもたちがベルリンへ越してから通うことになった日本人学校は祖国の連休には関係ない。学校はドイツの祝祭日に合わせている。妻が毎朝、車に乗せアウトバーンを飛ばして15分ほどで着く。ベルリン一帯でいちばん大きな湖ヴァンゼーのほとりにあった。

 小学校低学年生から中学生までで10数人しかおらず、先生が6人、それに事務局長や講師の先生たちを合わせたこじんまりした学校だった。

 「学校の中庭の花壇にコゴミがあったよ。舞が見つけてみんなに食べられることを教えたんだよ」

 舞が夜、得意そうに話した。もともと山菜というか野草だから隣の庭にしかないということはないはずだったが、意外なところにあったものだ。他の子どもたちや先生もおもしろがって採ったらしい。

 わが家の食卓には2晩つづいてコゴミのおひたしが乗っている。コゴミの地物は、ニッポンの味を日本人の知り合いにプレセントする大発見だった。そして、妻にはもっと大きな功績があった。

 前の年の暮れ、デュッセルドルフの日本食卸商F社の営業マンが、月1回の共同購入分をわが家に届けてくれた。

 「あの、来年1月にボンからベルリンへ引っ越すことになったんですけど、また、家へ届けてもらえます?」

 妻の猫なで声に、営業のお兄さんは一瞬たじろいだという。

 「ベルリンにも月1回は行ってますけど、レストラン専門でして」

 「でも、あっちでも日本人家庭に声をかければお客さんなんて簡単に集まりますよ。ね、そうでしょ」

 色仕掛けとは言わないまでも、わが家の食卓の質を確保しようと妻も必死だ。

 「それじゃ、ま、ついでですから」

 お兄さんはついに折れた。妻の集客力はベルリンでもすぐに発揮された。日本人学校の先生や保護者、ドイツ人と国際結婚している人などに声をかけ、10家族ほどを集めた。ベルリンに本格的な日本食品店は1軒しかなく、しかも品数はうんと限られていて、値段もお手ごろとはいえなかった。

 日本人コミュニティにとって、ほとんど選択肢がなかっただけに、この宅配サービスは衝撃的に受け入れられた。スペイン産日本米も、市販のものより味が好評でしかも安い。

 「ドイツに住んでるんだからドイツのものを食べていればいい、と言ってきたんですがねぇ」

 Gさんも、北海産のホタテ貝の刺身を食べて、ころっと主義を変えた。

 ボンでのテニス仲間だったT公使がベルリン総領事・大使として赴任されたのをきっかけに、総領事館でも共同購入が行われるようになった。

 事情を知らない人は、妻が少なくとも5、6年前からベルリンに住んでいると思っているらしい。

 のちに日本へ帰ることになったとき、妻はコゴミを記念に持ち帰ると言い張った。植物検疫に引っかかったらうるさいことになる。

 「根っこをよく洗って、荷物の底に入れておけばだいじょうぶよ」

 密輸された根っこは、春になると芽をふき、夏が近づけば青青とした葉を伸ばすのだった。

 〔短期集中連載〕

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