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インどイツ物語ドイツ編(29)【風に揺られて=前編】

      96年夏

 森の中を心地よくサイクリングしていた。青葉を映す湖が現れ、湖岸の遊歩道を家族づれがおしゃべりしながら散歩している。自転車もときたま行き交っていた。

 「あ、あれ見て」

 荷台に優士を乗せて走っていた妻が、ずっと前の方を顎で示した。まさか、といった表情をしている。

 若い女性がスッポンポンで、遊歩道をゆっくりこちらへ向かって歩いていた。肩まで流した細いブロンドの髪が、7月の風に揺れている。下のヘアも、木漏れ日の中で、金色にきらめいていた。

 ――ブロンド娘といっても染めてるのがかなりいるけど、さすがに下は染められない。色ちがいの上下を同時に見ると変なもんだよ。

 ずっと前、モスクワへ行ったとき、夜の事情に詳しい知人が、したり顔で話していた。

 すると、目の前の女性は、本物のブロンドということになる。よたよたと歩く2歳くらいの子を追いかけていた。ヤング・ミセスなのだろうが、体の線はまったく崩れていなかった。子どももブロンドの巻き毛で、かわいいおちんちんをつけている。ドレスデンのツヴィンガー宮殿絵画館で鑑たラファエロの傑作『システィーナのマドンナ』に描かれた天使のようだ。

 「ねえ、見て。あのおじさんの揺れてる」

 自転車から下り、妻は遊歩道脇の雑木林をちらちらながめている。同じ観察者でも、男女でおのずと注目点がちがう。妻は信州の露天風呂でも連想しているのだろう。

 辺りには20人ほどのヌーディストがいた。ヤングより中年のおじさん、おばさんの数が多そうだった。シートに寝そべったり、動き回っておしゃべりをしたりしている。

 優士は、妻の自転車の荷台で、この珍しい光景をぼんやりながめていた。舞も、いつもならキンキン声で質問を浴びせるところだが、木の根っこが浮き上がっていたりするでこぼこ道で、子ども自転車を操るのにけんめいだった。

 ベルリンへきて半年、一家でサイクリングなどとしゃれこむのは初めてだった。外は軽井沢の夏のようなすがすがしい日曜日なのに、わが家の朝は大荒れだった。例によって早くからテレビゲームに熱中していた優士は、みんなが起きてくるころには眠気がピークにたっしていた。

 ゲームのじゃまをしたと舞に八つ当たりし、物差しで思いきりひっぱたいた。左頬にあざを作った舞は泣きわめき、優士をしかる妻の声が家じゅうに響きわたる。

 少し嵐がおさまってブランチにありついたら、優士はわけもなく暴れだし、コーンフレークの皿を舞に向かって放り投げた。

 「もお、なんてことすんの!!」

 妻は目に涙をためている。以前知り合いだった酒乱の人は、血液中のアルコール濃度が一定のレベルを越すと、自動的にわけがわからなくなり暴れだした。優士の場合は、「眠気度」が一線を越すと必ず半狂乱になる。ふだんは優しくて物わかりもいい方だから、その落差には製造責任者も愕然とさせられる。

 嵐はいったん通り過ぎればうそのように静かになる。気分転換のため、子どもたちを外へ連れ出すことにした。地下倉庫には、もらいものの日本製自転車2台と子ども用1台がほこりをかぶっていた。引っ張り出して空気を入れ、雑巾でざっと拭いた。

 「野生の鹿を見に行こうよ」

 舞が言った。どうせアニメの世界と現実とをごちゃまぜにしゃべっていると思えば、そうではないらしい。優士が前に、通学の車の中から鹿を見つけたという。わが家はその名も「緑の森(グルーネヴァルト)」という地区にあった。鹿はその一画の「緑の森湖(グルーネヴァルト・ゼー)」あたりにいるという。

 ふたりはどっちが子ども自転車に乗るかでもめたが、朝の事件の加害者が折れて話がついた。

 湖まで10分もかからなかった。鹿はたしかにいた。2頭の姿が見え、大きな方は立派な角をはやしていた。

 湖岸には、それよりもすごい「金色の毛」をなびかせた群れがいて、妻もぼくも朝の嵐のことなどすっかり忘れてしまったのだった。

 前の夏、ボンに住んでいたころ、ケルン方面に向かってあてもなくドライブし、アウグスティス城の広大な庭園を散策した。その後、ハイデルベルク湖という田舎の保養地にたどり着いた。

 たまたま、ものすごく暑い日で、小さな森に囲まれた湖岸には人があふれていた。ボートを漕いだり水の中に入って遊んでいるのは一部だけで、ほとんどはトドのように寝そべっている。たいていの人は水着を着けているが、あるところだけトップレスが集まっていた。ここでは、おじさんやおばさんは見あたらず、ボディラインに自信のありそうな女性たちだけが、ブラジャーをはずして太陽にさらしていた。

 「なぜ、あんなところまで焼く必要があるの」

 妻の疑問はある意味でもっともだった。でも、答えようがない。服を着たままのぼくたちのほうが恥ずかったが、子どもたちを連れ、その中を歩いて通り抜けた。ただ見て歩くのも変なので、売店でアイスクリームを買って引き返した。

 ベルリン緑の森のヌーディスト・スポットは、湖水浴客だけが訪れる限られた空間ではなく、ふつうの散歩コースだった。混浴の銭湯の壁を取り払って、その脇を通行人が行き来していると思えばいい。

 「やってみる?」

 妻に聞いてみた。

 「10年前なら」

 強気の言葉が返ってきたが、顔はトンデモナイと言っていた。

 ――つづく

 〔短期集中連載〕

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