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インどイツ物語ドイツ編(31)【さみしい天然ブリ】

  「いい時に来ましたねえ。あなたはほんとに運のいい人だ」

 シェフの青木栄弘(ひでひろ)さんが、ニコニコ顔で現れ、鮮魚のショーケースの前へ連れていってくれた。氷を敷き詰めた中から舌ビラメやカレイがのぞいている。子どもたちも初めてのレストランで知らない人たちばかりだから神妙だ。

 青木さんがスイッチを押すと、透明ガラスのケースカバーがゆっくり開いた。

 「わあー、おもしろーい」

 舞が声をあげる。奥の方に大きな魚が横たわっている。

 「これ、今日入ったばかりの天然ブリですよ。こんなにいいのは滅多に入らないです。3匹仕入れてさっき1匹さばいてあるから刺身にしましょうか。フォーア・シュパイゼ(前菜)にちょうどいいでしょう」

 魚の頭をなでるように青木さんが言う。

 「イタリア料理の刺身なんてどんなのかしら。海鮮中華みたいに塩コショウと香味野菜で食べるとか」

 テーブルで妻は待ちきれなさそうにしている。そのころ、まだカルパッチョという料理は、日本では一般的でなく、ぼくたちは洋風刺身を食べたことがなかった。

 あの青木さんが自信を持って出してくれるというんだから、きっとうまいんだろう。こっちだって、さっきからやたら唾が出てきて困っている。

 「ねえ、ナイフとフォークでお刺身食べるのぉ」

 真っ白いナプキンをいじりながら、優士がもっともな質問をした。

 ベルリンの象徴ブランデンブルク門からほんのちょっと南の旧東側へ下ったところに青木さんのイタリア・レストランがある。かつてシュタージ(旧東独秘密警察)要員などが住んでいた高級アパートの1階だ。1年近くかけ、自分たちで床のタイルを張り壁を塗って、110席の店舗を完成させたという。

 もともと札幌の食堂の息子として生まれ、高校生のころから包丁を握っていた。大学卒業後、伯母の中華レストランを手伝ったが、「どうせやるならパリに行ってフランス料理を」と考えた。まず、札幌のホテルに勤め、西洋料理の基礎を学んだ。

 25歳の誕生日の直前、親戚のいたベルリンへ渡った。そこからフランスのビザ取りを狙ったが難しいと分かり、日本料理店で働いた。

 74年秋、美食家で知られた指揮者カラヤンも行きつけの超一流店『ベルリン・リッツ』へドイツ語の履歴書を持って行くと、「明日から働いてくれ」と言われた。

 「その店のシェフ、ベルナーフィッシャーさんは、個人でミシュランの2つ星を持っていた恐らくドイツで唯一の人で、以前からあこがれていたんです」

 そんな話を、この前きた時に聞いた。海外で活躍する日本人を紹介する欄のためインタヴューを申し込んだらふたつ返事でOKしてくれた。「記事が出たら持ってきます」というと「じゃ、家族連れできてください。何か適当に作って出しますから」と言ってくれていた。

 土曜日の夕方、電話もしないでやってきたのだが、どうやら大当たりの日だったらしい。

 シェフお薦めのイタリア産白ワインをちびちび飲んでいると、やっと前菜が出てきた。

 「わー、きれいね」。妻が盛りつけの華麗さにまず関心する。

 レッド・オニオンのスライスに薄緑のチコリ、飾り包丁を入れた真っ赤なラディッシュをアクセントに添え、その上に桜色の大きな切れのブリが6枚盛りつけられている。皿の脇には緑鮮やかな西洋タンポポの葉が敷かれている。これもサラダにすると結構うまいものだ。皿の端にはキノコのようなものがある。よく見るとビー玉のように丸めたワサビがゆでパスタの傘をかぶっている。

 青木さんは「札幌のホテル時代、結婚式料理の飾り付けなどでデコレーションの修行をしたのも役だってますよ」と言っていた。料理はまず目から、なのだ。ドイツ料理はそうでもないが。

 まったく同じ前菜の皿が子どもたちの前にも並べられ、しょうゆベースのドレッシングが出てきた。小さなスプーンで魚にすくってかけ、おもむろにナイフを入れて口に運ぶ。適当に乗った脂が口の中で広がっていく。

 「役得よねえ。なんか申し訳ないわね」

 その役得のおこぼれに預かっている妻が、いちばん不遠慮に桜色の切れ端を口へ運んでいる。誰にということもないが、確かに申し訳ないような気がする。

 「お刺身の左側から切って食べなさい」

 妻の忠告も、舞の耳にはほとんど入っていない。最近ステーキを自分で切って食べるのが気に入ってナイフ、フォークの使い方には慣れているはずなのだが、ときどき「左右音痴」になる。2年生になった今でも漢字を鏡に写したように左右逆に書いたりするプッツン嬢なのだ。

 もっとも、どう切ったってうまい。ふだんの舞なら「こんなにたくさん、食べられなーい」と言うところだが、今はそんなそぶりもない。優士は早くもほとんどを平らげ、舞が残すに決まってる野菜に手を出した。

 「どうですか」

 青木さんが厨房からやってきた。まだ時間帯が早くお客さんの入りが少ないから、シェフも余裕がある。感想を聞かれても、こういう至福感を表す形容詞はない。どこで取れたのか聞くと、トルコ沖だという。

 「値段はマグロの3倍くらいしますけどね。いいものはいいから」

 ふつうはバターで香味焼きにして出すそうだ。妻が思わず「火を通すなんて、もったいない感じですね」というと、青木さんは「いや、それがまたいけるんですよ」という。

 ベルリン・リッツにいたとき、青木さんは国際料理コンクールで4回も金メダルを取っている。

 「第2の父」と仰ぐ師匠ベルナーフィッシャーさんから「料理人は常に新しいものに挑戦しろ」と教えられたという。受賞作のひとつはこうだ。

 日本から持ち込んだ旬のタケノコをミキサーでムース状にして生クリームをまぜ、それで煮たヒラメの周りを飾りつけた。

 どんな味、どんな舌触りかイメージが浮かばないが、西洋の料理人をびっくりさせたことは想像できる。

 「日本人で得をしました。ヨーロッパにない食材を知っているし、魚や野菜の鮮度も見分けられる」

 作る方も超一流のプロだが、食べる方、飲む方も相当の道楽者らしい。奥さんの和子さんとオーストラリアまでカンガルーを食べに行き、ドイツやイタリアのワイン醸造元に何度も足を運んで、門外不出の秘蔵ワインを味わったりしてきたという。

 アフリカの動物もかなり食べたそうだ。ぼくが、「在日コリアンの人がやっている御徒町の焼肉屋で、牛の脳味噌の刺身を食べたことがありますよ」というと、身を乗り出して「それは知らないなぁ。日本でもそんなもの食べれるんですねぇ」と、ちょっと悔しそうに言った。

 ベルリンの壁が崩れてまもないころ、雇われシェフをしていた西ベルリンのイタリア料理店に、東側から若い母親が幼い子どもを連れてやってきた。わずかの西ドイツマルクを差し出して「これで何か食べさせて欲しい」と言う。

 やっと手にいれたお金のはずだった。金額分よりちょっとサービスし、ピザにエビを乗せて焼いて出すと「こんなにおいしいものは食べたことがない」と喜んだ。

 そのころ、あるイタリア人に腕を見込まれ、イタリア料理店の共同経営を持ちかけられていた。母子のことが心に残り「どうせなら、安くてうまい料理を東の人たちにも」と、旧東ベルリンに店を構えた。

 イタリア料理は「70歳くらいのおばあさんに教わった」という。雇われシェフとしてスカウトされた時、経営者から「うちのお袋のところで勉強してきたら」と言われ、夏季休暇の5週間、トリノへ行った。

 「毎朝、そのお袋さんについて市場へ行って、庭先にあるローズマリーやオレガノの生の香辛料なんかを使って料理を作るんです。普通の主婦なのに料理の腕や知識はすごかった」

 青木さんにそんな話を聞きながら、ぼくはやっと気づいたことがあった。イタリア人ウェーターが、前菜をサービスするとき、「サミシー、サミシー」と訳のわからないことを口走っていたのだ。

 優士は首をかしげて「どういう意味?」とぼくに聞く。「あんなのドイツ語でもイタリア語でもないんじゃない」

 その意味がやっとわかったのだ。ウェーター君は、ぼくたち日本人に気を使って「刺身、刺身!」と言っていたのだ。うろ覚えというのは、時に人を困惑させる。

 それにしても、サミシー天然ブリは最高だった。

 〔短期集中連載〕

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